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あけましておめでとうございます。٩(๑´0`๑)۶

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ハルヒ「スティール・ボール・ラン?」

ジョジョの奇妙な物語, 涼宮ハルヒの憂鬱

1: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:28:38.652 ID:uV5vYudV0.net
始めに言っておくがアホみたいに長いから今日一日じゃ終わらなそう
暇でハルヒ好きでジョジョ好きなやつ向け


5: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:31:06.206 ID:uV5vYudV0.net
 俺が自転車に乗れるようになったのは、周りよりだいぶ遅く、小学四年生になったころだった。
初めて通った塾が隣町にあったので、否応なしに足が必要となり、二週間ほどかけて練習したのを覚えている。
それまでは徒歩圏内にとどまっていた生活は、自転車に乗れるようになったことでずいぶんと広がり、当時の俺は少しばかり興奮状態にあったよ。
何しろ、友人と二人で隣の県まで出かけたこともあったくらいだ。
そのちょっとした冒険の帰り道、土手の上から見た夕日がやたら綺麗で、ハルヒと出会ってからの出来事でだいぶ埋め尽くされちまっている俺の脳内メモリーの中でも、上位に食い込むほど印象的な光景と言っていい。
多分俺は、一生自転車に乗り続けるのだろうと思っていた。なので、十六になってすぐ、ハルヒが俺に免許を取れと言い出すまで、バイクなんてものは俺の人生に全く関係のないものだと思っていた。

「ゆくゆくは自動車の免許も取ってもらうけど、とりあえずバイクね」

ま、ハルヒが自分の思い付きや直感に任せてものを言うのは今に始まったことじゃない。俺はむしろ、ハルヒも年相応に、運転免許に憧れたりもするものなのかということを少し意外にさえ思ったが、何故そこで、自分でなく俺に矛先が向くんだかがわからない。

「運転は下々の者の仕事なのよ。自分から馬車馬にまたがるお姫様がいる?」

ついにお姫様になっちまったのか、お前は。ハルヒはそんなこと言いながら、視線をバイクのカタログから、俺の顔面へと移し、

「私が後ろに乗ってあげるんだから感謝しなさい。雑用から、運転手への格上げよ」

ハルヒの目論見を理解し、俺はため息をついた。以前、自転車の後ろに乗せたことで、味を占めちまったのかね。しかし、バイクの二人乗りと自転車の二人乗りでは全く訳が違う。
詳しく知っているわけじゃないが、傘を差しながら自転車を漕ぐことにさえ罰則がある今時分、そもそもそんなの、許されるのか?

「原付は二種ならタンデムも可能ですよ。ただ、取得後一年経過が条件ですね」

ああ、なんとなく、コイツはこういうことに詳しそうだと思っていた。古泉の発言に、ハルヒはつまらなそうに顔をしかめ、

「知ってるわよ。今すぐに乗せろとは言ってないわ。でも、免許を取るのは一秒でも早いほうがいいじゃない」

そう言いながら、カタログを机の上に置き、代わりに教材と思われる、分厚い冊子を取り出し、俺に突きつけるようにして差し出してきた。

「いい? 必ず一回で合格しなさい」

こいつが何かを思いつく度、俺のため息は深くなる。現時点で、東京湾くらいはあるんじゃないだろうか。

7: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:32:38.196 ID:uV5vYudV0.net
 救いだったのは、ハルヒが費用は俺持ちと言い切らなかったことか。俺たちSOS団は、夏休みに集中的にアルバイトを行い、受験費用を稼いだ。
そうして臨んだ普通二輪試験、どうせならキッパリと不合格になりたかったが、どういうわけか、試験は俺にとって簡単だった。もしかして、ハルヒのトンデモパワーによって、試験問題が書き換えられていたんじゃないだろうな。
結局、ハルヒの言った通り、俺は一発で試験を合格し、普通二輪免許を手に入れた。これが学校の試験のほうでもそうできたら、喜ばしいことこの上ないんだが、現実はそう上手くはいかないわけで。
古泉のツテのおかげで、バイク自体も格安で買うことができたし、ハルヒの目論見にまんまとハマってしまった形ではあれど、なんだかんだ、この機会がやってきたのは悪いことではないと、俺は思っていた。
あの日までは。

「これは私専用のメットよ」

アルバイトと受験で、ほとんど休んだ気がしなかった夏休みが明け、九月になった初めの日。
ハルヒは何やら丸っこい荷物を抱えて教室に現れ、満面の笑みでその包みを開けて見せた。中に入っていたのは、淡いブルーの、原付用のヘルメット。

「お前、まだ一年もあるってのに」

俺が苦笑すると、ハルヒは一本指を俺に向けて突き出し、

「『まだ』じゃない、『もう』一年しかないのよ。あんた、それまでに事故ったり免停になったりしたら縛り首だからね。あんたの後部座席は、私……と、SOS団員専用なんだからね」

と、遠足前日の小学生のような笑顔を浮かべた。そんなにバイク移動が楽しみなら、回りくどいことをせずに、自分も免許取れっての。

「ねえ、今日が納車日だったわよね? 私も一緒に行くわ」

「はあ? 何でだよ」

「あんたのバイクは、私たちSOS団の労苦の結晶なのよ。団長として、きちんと迎えてあげる必要があるわ」

駄目だこりゃ、もはやこいつは、頭の中がバイクのことでいっぱいらしい。もしさっき言ったような、免停だの、事故だのということになったら、本当に縛り首にされかねないな。

8: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:34:03.656 ID:uV5vYudV0.net
「それと喜びなさい、あんたのバイクの名前は、私が考えてあげたわ。名付けて、『シックス・センス・アドベンチャー』よ」

子供かっつーの。
その名前は、どこかで聞いたことがある。何かの曲のタイトルだったか。ハルヒがその曲を知っていて言っているのかどうかは知らんがね。
つーかな、俺についてくるのは勝手だが、バイク屋から駅まで結構あるぞ。お前、あわよくばもうタンデムしようと思ってないか。

「馬鹿ね、バレたら減点じゃない」

と言いつつ、唇を尖らせて、いかにも残念そうな表情を作るハルヒ。

「どうせ来るなっつっても来るんだろ。勝手にしろ」

「うん、勝手にする!」

メットをかぶって上機嫌なハルヒは、始業式までの間中、俺にバイクについての話題を振り続け、その後の式とHRが終わると同時に、部室へと全速力で駆けていった。

「微笑ましいですねぇ」

荷物をまとめ、廊下へ出た俺を待っていたのは、古泉だった。返答するのも面倒なので、俺は代わりに一つため息をつく。

「彼女が何かに夢中になるのは、良いことだと思いませんか? 世界の安寧のためにも。事実、彼女は夏休みの中頃から、閉鎖空間を発生させていません。それに、今回の件は、あなたにも悪いことばかりではなかったでしょう?」

まあ、楽しみにしている気持ちがゼロだとは言わないけどさ。しかしつくづく思う。そんなにバイクに興味があるなら、自分で免許を取れ、とばいい、と。

9: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:35:03.814 ID:uV5vYudV0.net
「ふふ、それでは意味がないのでしょうね。あなたの後部座席に乗る、というのが肝心なんですよ。分かっているでしょう?」

「知らん。何をだよ」

「まあ、いいでしょう」

古泉は勝手な熱を吹きながら、ひとしきりニヤついた後、

「今日の団活は欠席させてほしいと、涼宮さんに伝えておいてください」

と、俺に缶コーヒーを差し出しながら言った。

「バイトか?」

「いえ、いつものではありませんよ。涼宮さんと無関係ではありませんがね。さっきも言いましたが、涼宮さんは今、この上なく上機嫌ですから」

んなこた、見ればわかるけどさ。

「では、僕は失礼します。くれぐれも、彼女の機嫌を損ねないようにお願いしますよ」

古泉は一瞬、俺から視線を外した後、手を一振りし、九組のある方角へと去っていった。俺がその背中を見送った後、部室に向かうべく振り返ると、

「な、長門か」

いつの間にか、学生鞄を右手にぶら下げた、長門が立っていた。古泉と俺の会話が終わるのを待っていたらしい。古泉がさっき一瞬視線をそらしたのは、長門に気づいたからだったのか。

「……バイクを引き取りに?」

長門は、どこか眠たそうな瞳でそう訊ねかけてきた。その発言が、脳に染み渡るのに少し時間がかかる。

11: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:36:15.112 ID:uV5vYudV0.net
「ああ、団長様が同行してくれるってよ」

「…………」

俺がため息交じりに返答すると、長門はすこし溜める様に、俺の顔面を凝視した後、

「気を付けて」

と、短く口にした。
背筋に、さっと、嫌な冷たさが走る。

「気を付けるって……まさか、何か、起きてるのか?」

「そうではない」

俺が、脳裏に走った、嫌な予感を言葉にすると、長門は意外にもあっさりと、それを否定し、

「ただ……気を付けて行ってきて」

母親かっつーの。
無駄に焦っちまった俺は、ワイシャツのボタンを一つ外し、一つ息をついた。ああ、わかった。ありがとうな。
と、そこで長門は一瞬、視線を足元に落として、思い出したかのように、

「私も今日は欠席する」

「お前も?」

「少し、調査が必要」

12: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:37:10.352 ID:uV5vYudV0.net
 調査。長門の口から、引っかかる単語が飛び出す。長門が調査すべきこと、ということは、やはりハルヒや、この世界についての事なのだろうか。先ほど長門は、何かが起きているわけではないと言ったが……

「説明は難しい。けれど、少し……奇妙」

「奇妙? ……何が、だ?」

「引力」

発言だけを聞くと、俺が電波ちゃんとしゃべっているように見えるかもしれないが、そうではない。長門の発言には必ず意味があるのだ。

「多分、大丈夫」

最後にそう言った後、長門は音もなく俺に背を向けて、古泉が去っていったのとは逆の方向へと歩いて行った。

「引力……?」

一人残された俺は、長門が残したその単語を口にし、首を捻った。

古泉、長門と会話していたのはほんの数分の事だったと思うが、その間に、周囲は帰宅する生徒や、部活動へ向かう生徒たちで溢れかえっていた。
どこか狐につままれたような違和感を抱えたまま、俺は部室でハルヒと合流した。ハルヒはまだメットを被ったまま、団長席にふんぞり返っていて、俺が、長門と古泉の欠席を伝えると、

「あら、みくるちゃんもなのよ。みんな、休みボケしてるんじゃないでしょうね」

と、口をへの字に結んだ。
長門は何か困惑しているような様子だったし、古泉もハルヒに関係する何らかの理由で欠席するらしい。もしかして、朝比奈さんも何か―――長門の言うところの、『奇妙なこと』に関する理由で欠席しているのだろうか。
いや、考えすぎだろう。朝比奈さんはもう三年なのだから、忙しいだけなのだと思う。

14: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:38:24.061 ID:uV5vYudV0.net
「二人でいても仕方がないわね」

と、ハルヒは椅子から腰を上げ、キラッキラの瞳で俺を見た。

「だったら、今日はもう終わり。バイクの引き取り、行きましょ!」

やれやれ、今日のハルヒには、何を言っても無駄なようだ。思わず苦笑がこぼれる。古泉の言う微笑ましさってのが、俺にも少しだけ分かったような気がしたぜ。しかし、まだ時間は昼前だ。引取りの予約時間まで、結構あるぞ。

「お昼も兼ねて、いつもの喫茶店で時間を潰せばいいじゃない」

二人で喫茶店か。どうせまた俺が奢ることになるんだろうな。
ふと、前にもそんなシチュエーションがあった様な気がして、俺は記憶を探る。そう、あれは去年、俺がハルヒと出会って、そう時間の経たない頃、古泉、長門、朝比奈さんが不思議探索を欠席した時の事だったっけな。
あの時は、あの三人が何を思ってか、俺とハルヒを二人だけにする為に共謀したらしいが、もしかして今回も……

「ほら、さっさとする!」

ハルヒはいつの間にか俺の隣をすり抜け、出入り口のドアに手をかけながら、俺が後に続くのを待ち構えていた。再び苦笑を漏らしながら、俺がハルヒに続き、廊下に出ると、ハルヒはいそいそとドアに施錠をし、昇降口に向けて大股で歩き始めた。
置いて行かれないようにするのに少し骨が折れたさ。

しばらくして。俺のもとに無事、初代愛車がやってきた。後部座席とタンデムステップのついた新車で、淡い水色の車体に、黒のステッカーで『SOS』の三文字。もちろん貼ったのはハルヒだ。店で引取りの手続きをしている間に購入したらしい。
本当なら慣らしを兼ねて、家まで乗って帰る予定だったんだが、さすがにハルヒを一人残して俺が帰ってしまうのは気が引けたので、駅まで送り届けることにし、俺たちは新車を見せびらかすような思いで、のんびりと市街地を闊歩していた。んー、いい気分。

15: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:39:23.876 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒはご満悦の表情を浮かべ、スキップ寸前といった足取りで俺の左隣を歩いていた。相変わらず例のメットを被ったままで。見れば、メットのほうにも車体とおそろいのステッカーが貼られている。

「そのステッカー、俺にもくれよ」

俺がそう口にすると、ハルヒは一瞬キョトンとした後、霧が晴れるかのように明るい表情を作り、

「もちろんよ」

と、学生鞄と一緒に手にぶら下げていた、バイク屋のロゴの入ったビニール袋の中身を手で探り始めた。
オプションでついてきた俺のメットは、車体同様ちょうどハルヒが被っているものと似た色合いの水色の無地のもので、何かしら目を引くワンポイントを足したいと思っていたところだった。
車体のほうにも、でかでかとSOSと貼られているのだから、この際統一しておこうと思ったんだ。他意はないさ。
見れば、ハルヒの被っているメットのほうにも、やはり同じものが貼られている。これじゃまるでペアルックだな、なんて考えて、俺は勝手に顔を熱くした。何考えてんだ、俺。

「はい、これ―――」

ビニール袋から数枚のステッカーを取り出し、俺に差し出すハルヒ。その時、俺に向けられようとしていた視線が、不意に逸れ、俺の背後の何かに向けられ、

「キョン! 後ろ!」

直後、ハルヒの表情が一瞬で青ざめ、竦みあがった。まるで熊にでも遭遇したかのようなその反応の意味が分かったのは、ハルヒの視線の先を追い、俺が背後を振り返った時だった。
俺とハルヒの目の前に、視界を覆うほどに巨大な鉄の塊が存在した。それが、巨大な荷台を備えた重量級のトラックであることを理解するのに、数秒ほどの時間を要したよ。
その空間は、さっきまで俺とハルヒが、愛車を転がしながら通り過ぎてきたはずの空間であり、トラックなど影も形もなかったはずだ。もし高速で走り寄ってきたというのなら、何かしらの物音がするはず―――
音もなく現れたその巨大な車体は、荷台の側面にこれまた巨大な、『星条旗』が描かれていて―――あろうことか、その星条旗が、俺たちに向かって倒れこもうとして来ていたんだからただ事じゃない。

「ハルヒ、逃げろ!」

口をついて出たのはそんな言葉だった。目の前に迫りくる星条旗から視線が外せない―――おそらくあと三秒もかからないうちに、俺たちはこれに押し潰される。

16: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:40:38.730 ID:uV5vYudV0.net
 周囲に人通りというものはなく、誰もいない市街地のはずれに、俺とハルヒ、そして、まだ一度としてエンジンを掛けたことすらない俺の初代愛車。眼前に、横転寸前の巨大トラック。

「キョ―――」

すぐそばにいるってのに、ハルヒの声がやけに遠く感じられた。その声が、たった三文字の俺の通称を呼び終える前に―――視界が闇へと変わった。

轟音が鳴り響くかと思いきや、俺が体に圧迫感を覚えた瞬間、音らしい音は何も聞こえなかった。ただ、ハルヒの声が何かにかき消され、次の瞬間、俺の体は奇妙な浮遊感に包まれた。
もしかしてあれか、霊体が体から抜けちまって、俺の魂は早くも空へと昇ろうとしているのか? なんて考えたが、その感覚はほんの一秒か二秒ほどで消え、その後、重力というものが、再び俺の体にのしかかり始めた。
体に痛みらしい痛みはない。いつの間にか固く閉じていた瞼を、恐る恐る開くと―――眼前に、気が遠くなるほど高く、鮮明な星空が広がっていた。

「……何、だ……これ」

わずかに唇を動かすと同時に、体に平常どおりの感覚というものが戻ってきた。九月の午後にしては冷えた空気。背中や尻に、ごわついた大地の感触がある。
上体を起こそうとしてみると、特に違和感なく起き上がることができて、突如現れた謎の星空から、視線を周囲の空間に移すと、まったく見覚えのない、砂漠らしき景色が広がっていた。
砂漠、なんて光景を実際に目にしたのは、いつだかカマドウマの君臨する異次元に引っ張りこまれた時以来だ。しかし、今回はその時とは異なり、空に太陽や、周囲に明かりらしきものがほとんど見当たらない。

「キョン……?」

呆気に取られていた俺のすぐそばで、聞き覚えのある声がした。声の方向を振り返り、暗闇に目を凝らすと、ハルヒが俺の傍らで地面に伏している。

「ハルヒ……大丈夫か?」

逡巡の果てに、そんな文句が口をついて出た。しかし、現状を前にして、大丈夫だと断言できる奴がどこにいるってんだ。トラックに押しつぶされたかと思ったら、次の瞬間、夜の砂漠らしき空間にいる。それが今の俺たちが置かれている状況だ。
まさか、ここは死後の世界か? しかし、星空の下の夜の砂漠などという形態をとった死後の世界があるなんて話は、噂話にも聞いたことがない。
ハルヒらしき人物から視線を外し、自分の手のひらを見てみると、そこには砂粒ですこし汚れた、いつも通りの俺の手のひらが有った。

17: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:41:58.459 ID:uV5vYudV0.net
「大丈夫……ケガは―――」

と、ハルヒの声に、俺は再び視線を声のする方向へ移す。暗闇に目が慣れていないせいで、その人物が本当にハルヒなのかが今ひとつわからない。よく目を凝らし、その姿を見直してみると―――

「……きゃあっ!? は、裸!?」

「なっ……」

ようやく、その人物がハルヒであると断定できるくらいに目が闇に順応して来たところで、俺は目の前のハルヒが、一糸纏わぬ姿であることに気づいた。
同時に、ハルヒも、自分が何も身に着けていないということに気づいたらしく、熱せられたアスファルトの上で跳ね上がったカエルか何かのように、体を起こし、両腕で自分の体を覆い隠し、

「み、見んなっ!」

暗闇越しにでもわかるほどに表情をこわばらせ、でかい声で俺を叱責するハルヒ。言われるがまま、俺はハルヒの体から視線を外しましたとも。
何だ、この展開は。何がどうなってこうなっているって言いやがるんだ―――ここはどこで、俺たちは何なんだ。

「えっと……私たち、なんで……ここは?」

困惑した声色でハルヒが呟く。しかし、俺にそんな問いかけをされたって、すぐさま答えを返せるはずもない。どう返答すべきか迷い、視線を周囲に泳がせていると……ハルヒと俺から数メートル離れた場所に、

「あ……『シックス・センス・アドベンチャー』」

俺が気づくと同時に、ハルヒもその存在に気付いたらしい。砂粒でできた大地の上に、俺の初代愛車が、子供にほったらかしにされたおもちゃのように横たわっていた。
さく。と、ハルヒが砂の上を移動する音がする。視線を向けようとして、ハルヒが真っ裸だということを思い出し、あわてて目をそらす。

「壊れてない……壊れてないわよ、キョン!」

俺の愛車の車体に指を添わせながら、ハルヒがこれまたでかい声で言った。そう言や、俺たちがあのトラックに押しつぶされる時にすぐそばに有ったのだから、普通に考えれば、愛車は粉々になっていてもおかしくないな。
しかし、だとするとますますここはどこで、何がどうなっているって言うんだよ。最近の死後の世界にはバイクの持ち込みサービスなんてものがあるのか?

18: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:43:05.827 ID:uV5vYudV0.net
「……ねえキョン、これって……夢?」

正気に戻ったかのように、ハルヒがか細い声で呟く。
ハルヒの夢と言うと、すぐに去年の春の事例を思い出してしまうんだが、あの時は確か、ハルヒは深層心理で、あの灰色の世界を自ら望んで作り出していたって話だったはずだ。
じゃあ、今回も? 少し性質は違うが、こんな星空も、こんな砂漠も、現実の日本のどこにも存在しないだろう。
異世界。なるほど、その可能性は捨てきれない。いや、むしろ現時点で最有力候補と言っても良いじゃないか?

「ああ……そう、かもな」

ここがハルヒの作り出した異世界だと考えると、俺の思考は急に慎重になる。また、あの青い巨人がどこからか現れて、俺たちを追い回すという可能性も出てくるしな。
しかし、まあ―――結論から言って。その方がよっぽどマシだったと、俺は後ほど思うことになるだな、これが。

「キョン、この音」

愛車の車体に貼りついていた裸身のハルヒが、不意に視線を周囲に配り、そう口にした。音。そういえば、視覚的な驚きに見舞われすぎて、音までは気を配っていなかった気がする。
唇に一本指をあてるハルヒに倣い、冷たい夜の砂漠に聴覚を澄ませる。
ザグ、ザグ。
俺には、その音が、砂の大地の上を何かが移動しているような音に感じられた。そして、その何かは、俺の耳がいかれてさえいなければ、こちらに向かって移動してきているようだ。

「……これって」

ハルヒが何を思ったかは俺の知り得るところではないが、大体俺と似たようなことを考えていたんじゃないだろうか。この奇妙奇天烈な状況で、何かが俺たちの方へと近づいてきている。それも―――

ザグザグザグザグッ

「ひっ―――」

―――無数にだ。
展開が急すぎて、今まで実感がわかなかったが―――これは、『ヤバいやつ』だ。

19: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:45:20.697 ID:uV5vYudV0.net
「キョン、にっ―――逃げるわよ!」

一瞬の間を置いた後、ハルヒがそんなことを叫びながら、俺の愛車のグリップに手をかけ、それをうんせ、うんせと、必死に引っ張り出した。束の間、ハルヒが何をしようとしているのかを理解できず、呆けた俺に、

「逃げるのよ! 車体を起こすのを手伝いなさい、何か来るわ!」

ハルヒが叱責の声を上げ、ようやく俺は理解した。

「逃げるって……そいつでかよ!?」

「他に何があるって言うのよ! 早く!」

ハルヒは俺の愛車―――『シックス・センス・アドベンチャー』だったっけか? そいつに乗って、この状況から脱しようってのか。数秒、俺の頭にいろいろな事案がめぐる。砂漠の上を走行する際の注意点とかあったっけ?
事故った時の罰則は? 点数で言うといくつの減点になるんだ?
しかし直後、ようやく俺も、その現実的思考がただの現実逃避であることに気が付く。現実は―――今、俺たちが直面しているこの状況だ。交通ルールも罰則規制もありやしない。
俺はハルヒに駆け寄り、愛車の車体を一息に引っ張り上げ、なんとかかんとか、二つのタイヤを大地の上に並べた。
メットを探すこともせず、その車体に跨り、アクセルを吹かすと、俺の愛車はハルヒの言った通り壊れてはいないらしく、マフラーから熱気を放出するとともに、ドルドルと音を立ててアイドリングし始めた。

「ど、どっちにだ!?」

後部座席にハルヒが跨ったのを車体の揺れで感じながら、俺がハルヒに向かってそう問いかけると、

「音がしたのは……あっちから!」

と、ハルヒはどこかしらを指で示したようだったが、二人縦に並んでバイクにまたがっている状態からその指の示す先を確認するのはなかなか難しい。

「右よ、右に逃げて!」

業を煮やしたかのように、背後から漠然とした指示が飛んだ。この状況でも、ミラーの向きを気にしている自分が優等生過ぎて憎らしくなりながら、俺が右方向にハンドルを切ると、真新しいタイヤが砂粒の大地の上を転がり始めた。

20: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:46:40.754 ID:uV5vYudV0.net
 俺と俺の愛車の物語が、まさかこんな状況からスタートするとは思いもしなかった。ついでに、初めて車体に跨るって時から、後部座席にハルヒの姿があるともな。
あと、このてんやわんやで忘れそうになるが、ハルヒは今素っ裸である。
素っ裸のハルヒが、俺の後部座席に跨り、タンデムステップを踏み、俺の体に全力で両手を回していた。いろんなものが背中に当たるが、今はそれどころではない。

ザグザグザグザグッ

何しろ、俺たちを追い立てているこの音は、こうしてバイクを走らせ始めた今でも耳に届くほど、俺たちに接近してきている。
明かりがないため、そいつらが一体何者でどんな姿をしているのかは窺い知れないが、少なくとも、俺たちと友達になりにやってきたわけじゃないということくらいならわかる。

「キョン、追いつかれるわよ―――ッ! もっと飛ばして!」

「無理だ、これ以上は……俺、教習所でも、こんな速度で走ったことねえんだよ!」

「でも、こいつら……」

どうやら運転している俺よりも視界の自由の利くハルヒは、俺たちを追い立てるこの謎の『何か』が、一体何者であるか認識できたらしい。
ここでようやく、俺はさっき丁寧に向きを調節したミラーの存在を思い出し、その鏡面に移る何かの姿を、一瞬、視界の端で捉えた。
それは、一見すると鳥か何かのようにも見えた。こう表現すると可愛らしいが、鳥といっても、ダチョウだのナンタラクイナだのといった全長が人間と同等か、それ以上にも上るような図体のでかい連中の事な。
しかし、ほどなくして明らかになったそいつらの正体は、そんなレベルのモノじゃなかった。こいつらの事ならよく知ってるさ。映画の世界や図鑑だとかでさ。
こいつらは―――

「『恐竜』よ、これ! 標本でも模型でもない―――『恐竜』がいるわ、キョン!」

この状況でもどこか興奮した様子で、ハルヒがその名を叫んだ。しかし―――しかしだ。こんなことをわざわざ口頭で説明する必要はないんだが、それでも、言わせてくれ。

「恐竜が、なんで俺たちの時代にいるんだッ!」

「知らないわよ―――でも、恐竜よ! 小さいけど、本物の恐竜なのよ!」

俺は再びミラーに視線を送り、改めてそいつらの姿を確認したが、なるほど小さい。と言っても、可愛らしい意味での小ささでなく、この手の形態の恐竜のわりに、全体的にミニサイズというだけの話だ。
体長はせいぜい俺たち人間と並ぶ程度か―――とにかく、本来ジュラシックパークに出て来たようなサイズでいるはずの連中だと考えたら、確かに小さいようにも思える。

21: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:48:04.554 ID:uV5vYudV0.net
「キシャアアア!」

ついに、俺たちの後方で、そいつらのうちの一体が声を上げた。いわゆる、俺たちがイメージする恐竜の鳴き声というものとは少し違う、人間の声帯が無理をして発しているような、耳に詰まる奇妙な鳴き声だった。

「何これ……私たち、タイムスリップしたの!?」

ハルヒが口にした単語は、俺がさっきから何度か頭に浮かべているものと同じだ。よくあるじゃないか、映画でも、現代人が大昔にタイムスリップしちまってっていう展開はさ。
だが、俺の知る限り、恐竜は砂漠にいない。それにこんな手ごろなサイズで、この手の姿―――ティラノサウルスみたいなステレオタイプな姿をしている恐竜がいたかどうか、断言はできないが怪しい。
連中は、少なくとも三匹はいて、スキップするような足取りで、しかし法定速度をはるかに上回るスピードで走っている俺の愛車の背後を、的確に追跡できるスピードで、俺たちに駆け寄ってきている。
おい、どうなってやがる。本当に夢でも見ているんじゃないだろうか。ハルヒの奴のやらかすレベルの夢でなく、俺が普通に毎晩見るような夢だ。しかし、そのカテゴリに収まる夢だとしても、これは間違いなく悪夢だぞ。

「キョン、前!」

甲高い声でハルヒが叫ぶ。前? ミラー越しに見る背後の光景に気を取られすぎていて、言われてみればここ数秒、前方を確認していなかったかもしれない。
俺が視線を眼前に投げると―――これまた、困ったことに。
『馬』がいた。
まず、この時点で、俺たちがタイムスリップしてきたのが、ジュラ紀だのなんだのではないことがわかる。その辺の時代に、現代と同じような姿をした馬はいなかったはずだ。多分。
そして、その馬には『人』が乗っていた。闇に隠れて見えにくいが、そいつは原始人とかではなく、服を着て、帽子をかぶっている―――少なくとも今のハルヒよりよっぽど文明的だ。
そいつと俺たちとの距離は40mほどだろうか。その人物は馬を走らせているわけではなく、砂の大地の上に立ち止まり、俺たちの方をじっと見つめているようだった。
―――で、極めつけに、

「止まれ。君らはレースの参加者か? 見覚えがないな」

と、俺たちにも理解できる言語で、そう口にした。しかしこの時点で、その言葉を理解するまでの余裕は、俺たち二人には残されていなかった。

25: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:50:02.102 ID:uV5vYudV0.net
「キョン、追いつかれるわ―――ッ!」

ハルヒの声に、再びミラーに視線を移すと、暗闇の中、俺たちのすぐ背後まで恐竜たちが迫っていた―――限界だ。

「くそ、何なんだこいつらは―――! どうにかしてくれ―――ッ!」

脳内を埋め尽くす焦燥と混乱が、叫び声となって俺の口からこぼれる―――と、同時に。

「…………」

俺たちの前に現れた人影が、動いた。ザクザクと砂粒を踏み固める音とともに、そいつは自身を乗せている馬を走らせ、俺たちとの距離を詰めるようにして、こちらへと接近し始めたのだ。どうやら俺たちとすれ違おうとしているらしい。

「何を―――」

「『水場』があった」

馬が大地を蹴る音に紛れて、謎の馬乗りが言う。そしてそいつは、腰のあたりを探ると、そこから片手で扱える程度の大きさの何かを取り出した。俺たちと馬乗りの距離が見る見るうちになくなっていき、ついにすれ違う。その直後、奇妙な音が聞こえた。
ブジュウウ。残り少なくなったチューブ入り調味料を無理やり絞り出したような、粘り気のある音だ。それとほぼ同時に、馬が停止する音がする。

「恐竜が―――」

次いで、ハルヒの声。なんだ、恐竜がどうした。あの馬乗りが恐竜にやられちまったのか? と、ミラーに視線を送ると―――

「倒れたわ……三体とも」

俺たちに迫っていた影が―――ない。そこには大地に倒れ伏した黒い三つの影と、止まった馬の上からそれを見下ろす、あの馬乗りの後姿があるだけだった。

27: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:52:01.923 ID:uV5vYudV0.net
 ブレーキをかけ、背後を振り返る―――砂の上に倒れているのは、さっきまで俺たちを追い立てていた恐竜たちだ。馬乗りの手には、先ほど腰から取り出した何かが握られている。
……俺たちは、助かったのか?
呆気に取られる俺とハルヒ。

「脚と脚を繋げた」

と、馬乗りが呟くような音量で言い、こちらを振り返り、

「これからわたしの『クリーム・スターター』で『窒息』させる。まだ近づくなよ」

そう口にすると同時に、馬から降り始める。見ると確かに、大地に倒れた影はまだじたばたともがいているようだ。脚と脚を繋げた? この恐竜たちの?
と、次の瞬間、

どろり。

馬乗りの腕―――例の『何か』を持っている方の腕だ―――が、『溶け』た。

「え……?」

俺の背後でハルヒが声を漏らす。目の錯覚か、暗闇のなかでの見間違えかと、数度瞬きをする。しかし、どう目を凝らしても、馬乗りの腕が途中から途切れているという目の前の光景に変わりはなかった。
見ると、馬乗りの足元には、『何か』を握りしめたままの腕の先部分が、ぼーっとしていて途中からへし折れ、地面に落ちたアイスキャンデーのように落ちている。これだけでも超常現象なのだが、その上、

ズルゥッ

「ひ……」

さすがのハルヒも絶句。
無理もないと思う。地に落ちた馬乗りの腕が、地面の上を這うようにして。動き出したのだから。

28: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:54:03.983 ID:uV5vYudV0.net
 ズルズルゥ。と、砂粒をかき分ける音を立てながら、地の上の馬乗りの腕が、倒れた恐竜たちに近づいてゆく。

「こいつらは元は『人間』だろうが、生きているうちは元には戻らない。可哀そうだが始末する」

ブジュウウ。と、先ほど聴いたものと同じ音がした。その音が、馬乗りの手の中の物から、何かが噴き出す際に鳴っている音なのだと、ようやく気付く。
馬乗りの腕は、倒れた恐竜たちの元で、何度かその奇妙な音を鳴らした後に、再びズルズルと大地を這い、やがて馬乗りのところまで戻って来て、先ほどの映像を逆回しにするかのように、馬乗りの腕に吸い寄せられた。
どんな手品? これ。なんの冗談? あれ。

「君らはレースの参加者じゃなさそうだな。旅人か? まさかハダカでアリゾナ砂漠越えをしようとするヤツがいるとはな」

俺が頬に汗をにじませていると、馬乗りが再びこちらを振り返り、そんな言葉を投げてよこしてきた。アリゾナ砂漠。ここは、アリゾナ砂漠なのか? 俺の記憶が確かなら、それはアメリカ大陸のどこかだったはずだ。
と、今の馬乗りの言葉で思い出す。俺が後ろに乗せていたハルヒは、生まれたままの姿だったと。

「え……あっ」

声とともに、ハルヒが俺の愛車から飛び降りる。さっきまで背中にいろんな柔らかさを感じていたはずだが、この騒ぎでどうにも覚えていない。もったいないねーな、ちくしょう。

「変わった乗り物だが、それは君の『能力』か?」

馬乗りが言う。能力って何だよ。俺は何の能力も持たない、ただの人間だぞ。俺が黙っていると、馬乗りは少し首を傾げ、

「いや、なんでもない。どうやら君らは本当にただの旅人らしいな」

ちげーっつの。

「私たちは……えっと、迷い込んだっていうか……ここはアリゾナ砂漠なの? 『レース』って何?」

と、ハルヒが言うと、

「『スティール・ボール・ラン』を知らないのか? このレースのことなら、アメリカ大陸にいるものなら誰だって知ってる」

30: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:56:03.056 ID:uV5vYudV0.net
 スティール・ボール・ラン?
なんだそりゃ、大玉転がしか?

「まあいい、とにかく危ないところだったな。わたしは君たちの声と、その乗り物の音が聴こえたから来てみただけだ。そうしたら、『水場』にたどり着けた。その点では君らに感謝している」

馬乗りは、俺とハルヒの顔を見比べた後、

「迷い込んだと言ったな。見る限り、君らは知らないことが多いようだ。少しなら質問に答えてやる。わたしとこの馬が、さっき見つけた水場へ帰るまでの間だけな」

と、馬の手綱を引っ張った。ぶるる。と、馬が息を吐き、砂の大地を蹴りながら歩き始める。俺たちについて来いと言っているらしい。

「それとおせっかいだが、そっちの君は、何か着た方がいい。砂漠の夜は冷えるぞ」

「え、あ……ッくしゅっ!」

そう言われて初めて、俺は周囲の気温がかなり低いことに気づく。考えてみれば、ハルヒは裸で、俺は制服の夏服を着ているだけだ。

「……着るものがないなら、貸してやる」

馬乗りはそう言って、ハルヒに衣類が入っていると思われる布包みを放り投げた。ハルヒは体を覆っていた腕を放し、その布包みを受け取る。

「あ、りがとう……えっと、あなたは」

「わたしの事なら『ホット・パンツ』と呼べ。もう馬を休ませる時間だ、着替えが済んだらさっさと行くぞ」

低い声でそう言い、馬乗り……ホット・パンツはハルヒに背を向けた。慌てて俺もそれに倣う。やがて、着替えを始めたハルヒのたてる布ずれの音を聴きながら、俺は一体何からホット・パンツに訊ねるべきか、思考を巡らせた。
どうやらここはアリゾナ砂漠だという話らしい。しかし、アリゾナ砂漠に、人と同じくらいの体格の恐竜が生息しているという話は聞いたことがない。それに、この不愛想な馬乗りの装いを見る限り、ここが俺たちの知る『現代』だとも考えにくい。
いったい俺たちの身に何が起こったってんだ。助けてくれー、長門。何とかしろー、古泉。

32: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 16:58:07.667 ID:uV5vYudV0.net

目覚めたときに、自分がどんな状況にいるのかを咄嗟に思い出せなくて、目の前にハルヒの顔面があることにビビり、俺は思わず声を上げた。

「やっと起きたわね。暢気なものね、こんな状況でも」

ハルヒはすこし冗談じみた口調でそう言うと、

「いい加減目を覚ましなさい。ホット・パンツはもう行っちゃったわよ。私たちに必要最低限のものをくれてね」

その言葉を受け、俺の意識もようやく自分たちがどういった立場に置かれているかを思いだす。
―――倒れ掛かってくる星条旗。忍び寄ってくる恐竜。不愛想な馬乗り。それらが俺の夢の産物であったらどれほど楽だっただろうか。

「……あれは、夢じゃなかったのか」

俺が、何の確証もない、ただ自分の望みを反映させただけの文句を述べると、ハルヒは、

「しっかりしてよ、キョン」

と、眉間にしわを浮かべ、手のひらを俺の肩にバシ、と軽く叩きつけた。

「俺はいつの間に眠ってたんだ?」

「テントにつくなりバタンキューよ。ホット・パンツの話をまともに聴きもせず、ね」

頭に軽い痛みを覚え、俺はこめかみを抑えた。だんだんと昨夜の記憶が確かになってくる。そう、俺たちはホット・パンツという名の馬乗りに、この仮のキャンプまで誘導され……そこで夜を明かすことになった。
大地に横たわっていた体を起こし、あたりを見回す。そこは、ホット・パンツが用意してくれた、予備だという簡易なテントの中で、薄い布地の向こうには太陽の光らしき気配があった。どうやら、朝が来たらしい。

33: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:00:02.170 ID:uV5vYudV0.net
「ねえキョン。目が覚めたなら私の話を聞いてちょうだい。状況を整理しましょう」

俺の傍らにぺちゃんと座ったハルヒは、声のトーンを少しだけ下げ、断りがたい物々しい口調で話し始めた。

「どうやら私たちは、本当にタイムスリップしてしまったらしいわ。ホット・パンツが言っていたの。今は西暦1890年で、ここはアメリカのアリゾナ砂漠だって」

1890年。ざっくりいって百二十年前か。あの馬乗りが冗談を言うタイプだとも思えない。どうやら―――それが真実で、これが現実らしい。俺がマリアナ海溝級に深いため息をつくと、ハルヒは、

「ちゃんと聴きなさい。途方に暮れるためにあんたとおしゃべりしているわけじゃないのよ」

と、すこし眉を吊り上げながら俺を叱責した。悪い、と短く謝辞を述べ、俺はいつの間にか額に滲んでいた汗を手首で拭う。

「でもね。ここは『ただの百二十年前』じゃないと、私は思うわ。だって、あんたも見たでしょ? あの恐竜たちや、ホット・パンツの『能力』を」

ハルヒの言葉を受け、俺の脳裏に、昨夜目の当たりにした超常現象の数々が蘇る。砂漠を跳ねまわる人型サイズの恐竜に、腕をデロデロ溶かすホット・パンツの冗談じみた特技(?)。

「あんな超常現象は、私たちのいた世界には存在しなかった。残念ながらね。だから私は、ここを『異世界』だと判断するわ」

異世界。
そうだ、その思考には昨夜の俺もたどり着いていた。この世界が、ハルヒの力が作り出した別世界……閉鎖空間で、俺は例によってそこに呼ばれちまったのではないか、という思考。
しかし。この世界と以前ハルヒに連れていかれたあの灰色の世界は、いろいろと性質が違うように思える。ここには青い巨人はおらず、代わりに、お手軽サイズの恐竜たちと、不愛想な馬乗りがいた―――こんな世界をハルヒが望んで作り出すだろうか?
しかし、ハルヒのトンデモパワーが働く以外で、こんなぶっ飛んだ世界旅行が実現するとも思えない。以前とは経緯は違えど、今回も何らかの形でハルヒの能力が絡んでいると考えるのが自然なんじゃないだろうか。

「……話をつづけるわよ」

咳ばらいを一つ挟んで、ハルヒが再び口を開く。ハルヒの言う『異世界』と、俺の頭に浮かんでいる『異世界』とは少し意味合いが違うが、要するに言いたいことは一致していると思う。

「ここが異世界なら、元の世界に帰る方法が、かならず、どこかにあるはずなのよ」

35: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:02:03.104 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒの言葉に、俺は以前の白雪姫作戦を思い出し、少し気恥ずかしくなる。
つまり、以前俺がハルヒにやったアレのように、ハルヒの力を発動させるキーとなる『何か』を見つけ出せば、俺たちは元の世界に帰り得る。
しかし。しかしだ。以前は長門と朝比奈さんからのヒントがあって、俺たちは無事その『正解』にたどり着いたが、今回はまるでノーヒントだ。
その上、状況がシビアすぎる。アリゾナ砂漠。1890年。『正解』を探す以前に、俺たちは果たして生き延びられるかどうかって話だぞ。そもそも、俺たちはどっちに進めばいい。周囲360度は砂の大地で、行動の指針にできるようなものは何もない。

「……あんた、引力って信じる?」

不意に、ハルヒが、固くこわばっていた真顔を少しだけ和らげ、そんな発言をした。

「引力だ?」

オウム返し。その単語なら―――最近聞いたぞ。確か、長門が口にしていた。確か俺たちがバイクを取りに行くという話で、引力が奇妙だとかなんとか……

「つまりね。この世界には、あの恐竜たちや、ホット・パンツの能力のような……『引力』を持っている現象があるんじゃないかと思うの。私たちが、この世界にやってきたことも含めて」

ハルヒはそう言うと、マントの中から何やら、冊子の束を取り出し、こちらへ向かって差し出してきた。どうやらこの世界の新聞紙らしきその紙面には、『スティール・ボール・ラン』なる文字がでかでかと印刷されている。

「ホット・パンツはこのレースに参加しているそうよ。このレースには、そういう引力を持つ、人や、物事が集まっている……そう感じたの」

何が言いたいんだ。

「私、このスティール・ボール・ランを『辿る』わ」

「……は?」

「きっと、『引力』の集まる先に、私たちが元の世界に帰るために必要な力がある。このレース……途中から参加はできないけど、追いかけることならできるわ」

ハルヒは真顔だ。冗談を言っている様子はない。俺は紙面に視線を落とし、そこに載っていたレースの概要にざっと目を通す……アメリカ大陸横断だと?

38: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:04:03.186 ID:uV5vYudV0.net
「……あのな、ハルヒ。なんとなく、言いたいことはわからんでもないが……俺たちには馬もなけりゃ、旅をするための装備もないんだぞ」

「馬なんていらないわよ」

そう言いながら、ハルヒが、視線をテントの出入り口へ向ける。その視線の先には―――降り注ぐ陽光の中、主人を待つ犬のようにたたずむ、俺の初代愛車。

「ハルヒ……この世界にはガソリンスタンドもないんだ」

「『引力』よ」

ハルヒが脈絡のない発言とともに、右手を上げ、人差し指で俺の愛車を指で示した。……何が言いたいんだ。

「『シックス・センス・アドベンチャー』は、私たちと一緒にこの世界に来た。それもきっと引力なのよ」

暑さでやられちまってんじゃないだろうな。
俺がため息をつくと、ハルヒはもう一度、人差し指をずいと突き出し、俺の愛車を強く指し示した。どうやら俺に見に行けと言っているらしい。
渋々ながら俺は立ち上がり、テントから這い出す。……暑い。これが本場の砂漠ってやつなのか。湿気がなく、日陰は涼しいんだが、太陽の照っている場所は地獄だ。

「こいつがどうしたって?」

愛車に跨り、グリップを握ってみる。昨夜だいぶ無理な走行をした割に、車体は綺麗で、アリゾナの直射日光を浴び、目玉焼きが作れそうなほど熱を持っていた。

「あんたホント察しが悪いわね」

と、ハルヒがテントから抜け出し、一瞬、太陽を恨めしく思うように上空を睨んだ後、俺と愛車のそばへやって来て、

「ここ」

と、俺の愛車の一点に指を突き付けた。ガソリンメーターの表示部分だ。

40: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:07:04.980 ID:uV5vYudV0.net
 だから、何だってんだよ。
ジリジリと陽光を肌に浴びながら、ハルヒの示したガソリンメーターを見る。見て―――言葉に詰まった。

「わかった? このコ、ガソリンなんて入ってないのよ。横倒しになった時、タンクの蓋が開いて、全部出ちゃったんでしょうね。昨日は夜だったし、わからなかったけど」

馬鹿な。だって昨晩俺とハルヒは、こいつに跨り、あの恐竜どもから逃げ回ってたじゃないか。愕然としながら、俺は刺さったままになっていたキーに手をかけ、それを捻り上げる。

ドルンドルンドルン……

なんでかかるんだよ、エンジンが。メーターが示しているガソリン残量は、あれだ、スッカラカンってやつだ。まさか、これは―――十九世紀の砂漠に恐竜が現れたような。そして昨夜ホット・パンツが俺たちに見せたようなものと、『同じような力』なのか?
―――『引力』。

「キョン。『スティール・ボール・ラン』を辿るわよ。引力を持っているものを追いかけるの」

先ほどと同じことを述べつつ、ハルヒが俺を見る。自分が信じたものをとことん追いかけ続ける、『涼宮ハルヒ』の眼だ。

「ホット・パンツがいろいろ分けてくれたわ。野宿セットとか、食べ物とか、地図とコンパスもね」

と、マントの中から布包みを取り出し、俺に差し出すハルヒ。燻製された魚のいい匂いがするその包みを開けてみると、それはスモークサーモンとクリームチーズに、オニオンが入ったサンドイッチだった。あの馬乗り、女子力高ぇな。

「きっと私は元の世界に帰って見せる。あんたと一緒に」

俺に渡したのと同じ布包みを取り出し、それを開くと、がぶり。と、音がしそうな勢いで食らいつくハルヒ。
こいつ……逞しいぞ。

「食事がすんだら、砂漠を超えるわよ。セカンドステージのゴール、『モニュメント・バレー』を目指すの」

―――いつものように。涼宮ハルヒはどこまでも本気だった。

To be continued↓

42: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:09:57.359 ID:uV5vYudV0.net
 着の身着のままで、十九世紀のアメリカにやってきた俺たちにとって、道のりはやはり過酷だった。ホット・パンツがくれた情報を頼りに―――水場の位置や現在地の情報だ―――俺たちは灼熱の砂の上を走り続けた。
あの夜、俺たちが目覚めた場所は、すでにレースの中継地点を越えた先で、例のレースのセカンドステージのゴールであるモニュメント・バレーとやらまでの距離は短い方だったのだが、それにしても俺たちは苦しんださ。
俺とハルヒは、引力とやらの影響を受け、人類夢の永久機関となった愛車の力で、決起の朝から丸三日をかけてゴールへとたどり着いた。
レースの参加者たちの多くは、馬を移動手段としてこのコースを辿ってるというのだから、いやはや、どいつもこいつも根性と体力があるもんだなとつくづく感心するね。
これはゴール地点で拾った新聞の情報だが、先頭集団の連中がこの場所へたどり着いたのはまだ昨日、セカンドステージとやらが開始されてから十八日目のの昼のことらしい。
だったら、後続のレース参加者たちと俺たちが出会ってもおかしくないと思うのだが、結局、俺たちがゴール地点を越え、ロッキー・マウンテンなる山岳地帯へたどり着くまでの間に、レースの参加者らしき人物と会うことはなかった。
それは参加者に限らず、俺たちはホット・パンツ以外、この世界に来てから、人間と遭遇していない。ゴール地点になら、レースを観戦している奴くらいいるかと思ったが、基本的に、上位着順が決定した後のステージの事なんて気にするヤツはいないという事なんだろうな。

「キョン、ここから先は山道よ。きっとコース上に村があるはず」

ごつごつとした岩肌が立ち並ぶ光景を前に、ハルヒは地図を見ながら言った。

「ホット・パンツがくれた食料の残りは、このサードステージの間、ギリギリもつかどうかってところかしら」

「ああ、そうだな」

道端に転がっている馬のフンを回避しつつ、俺は相槌を打つ。

「もうあんなウマいもんには有りつけないかもしれんが、そろそろ食料補給が必要だ。このバイクがいくら疲れ知らずでも、俺たちのほうがガス欠になっちまうぜ」

この世界に来て初めて出会ったのがホット・パンツだったということは、俺たちにとって相当な幸運だったと思う。出来ればまた会いたいとも思うが、セカンドステージの上位着順を見る限り、それは望み薄だろう。

「ホット・パンツはセカンドステージを五位で通過したらしいわね」

後部座席のハルヒが、新聞に目を通しつつ言う。すでに先頭がゴールを決めてから一日が経過している以上、五位に食い込んでいるホット・パンツが、まだそこらで油を売っているということはないだろうからな。

「しかしハルヒよ。俺たちは引力を持っている人間とコンタクトするのが目的なんだろ? ホット・パンツは何か能力を持っていたが、そもそも人と会わないんじゃどうにもならなくないか」

44: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:12:22.113 ID:uV5vYudV0.net
「その通りよ。強い引力を持っている人たちは、きっと先頭を行っている。こんな後ろの方を追いかけている限り、私たちが元の世界に帰る方法を見つけられるとは思えないわね」

ハルヒの推測がどこまで正しいかわからんが、確かに俺たちにとって、誰かと接触するということは大切だ。この世界に来て仲良くなったのはサボテンと毒トカゲぐらいで、とてもじゃないが何か実になりそうな出会いはない。

「先頭集団に追いつこうってのか?」

「そうよ。私たちには、ガソリンのいらない『シックス・センス・アドベンチャー』っていう武器があるわ。本気になったら、一日ぐらいのロス、大したことじゃないわよ」

「その分、危険は高まると思うがな。先頭に接触するってことは、つまりあの恐竜どもを生み出したような力を持っている奴らとお近づきになるってことだろ?」

「あんた、この世界にいつまでいたいわけ?」

コツン。と、俺の後頭部に、握りこぶしを軽くぶつけながら、ハルヒ。

「この世界で、末永く静かに暮らしたいっていうなら止めないけど?」

ああ、わかったよ。俺はため息をつきながら、人気のない山道の大地にタイヤ痕を刻み込んでゆく。しかし、ハルヒは不思議なことが大好物だっていうのに、このヘンテコ世界にとどまることにはあんまり興味がないようだ。
あんまり恋々とされても困るから、悪いことじゃないけどな。俺だってさっさと元の世界に戻り、朝比奈さんのお茶を飲みたい。古泉を棒銀で打ち負かしたい。長門を図書館へ連れて行ってやりたい。

「よし、ハルヒ。このロッキー山脈は、五日で越えるぞ。一足先に、フォースステージエリアとやらに突っ込んでやろうぜ」

ハルヒがうなずく気配が、俺の背後でした。

俺たちが、山間の景色に村らしき建造物の並びを発見したのは、サードステージが始まってから六日目―――俺たちが山脈に入ってからちょうど五日目で、いい加減食料も底をつきてきたという、夕暮れに近い時間帯だった。

47: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:15:28.171 ID:uV5vYudV0.net
 「なあハルヒ。村が見えてきたが、食料調達って、どうやってするんだ? 俺たちは金なんか持ってないぜ」

正確には、日本円なら二千円ほど手持ちがあるが、これと食料を替えてくれるほど親切な村人はさすがにいないだろう。
俺の問いかけに、ハルヒは一瞬沈黙した後、

「ないなら稼げばいいわ」

と、何か面白いことを思いついた時の声色で、言い切った。

それから数時間が経過し、ようやく、先ほど峠から臨んだ村へとたどり着いた。俺とハルヒは、さっきから言っていた食料調達と、今夜の宿の目的で、その村に立ち寄ることにし、村人を探しているところだった。
チートとしか言いようのない移動力を誇る俺の愛車が、丸五日かけて走破した距離は、地図の通りなら実に660km。サードステージのゴールまであと60kmというところまでやってきたわけだ。
目標としていた五日以内走破は叶わなかったが、七日かかると予想されているコースだと考えたら、なかなかの好成績だろう

「キョン、人だわ。畑仕事の帰りかしら……いいカモね」

と、最初の人影が見えてきたところで、ハルヒが悪い笑みを漏らした。お前、もしかしてドロボウするつもりじゃないだろうな?

「そんな野蛮なことしないわよ! 言ったでしょ、稼げばいいって。あのおじさんを家まで乗せてあげて、替わりに食べ物を要求すればいいのよ」

なんだ、それだけの話か。確かに、俺たちにはガソリンのいらないバイクなんて秘密兵器があるんだ。タクシーの真似事をするにはうってつけだ。
ハルヒに言われるがまま、俺はずいぶんぶりに出会った、その人影に声をかける。少し腹の出たそのおっさんは、俺たちの姿を見ると、こちらに向かってゆっくりと歩いてきた。
しかし、その足取りがすこしおかしい。俺の愛車を見て、珍しいものを見つけたようなリアクションをされると思っていたのだが……そういう雰囲気じゃない。なにか戸惑っているように見える。

48: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:17:15.168 ID:uV5vYudV0.net
「キョン、あのおじさん、ケガしてるのかしら?」

ハルヒが首を傾げ、言う。やがて、俺たちに声が届くほどまで近づいてきた村人は―――顔に脂汗をにじませ、足を引きずりながら、

「た、助けてくれぇ……丘に、崖の向こうに、オレの家内と子供が……」

と、俺にとっては相当意外な内容の、SOSメッセージを口にした。

「丘? ……丘って、あそこに見える、変な形の岩のところですか?」

俺が訊ねると、村人は首を縦に二度振って見せた。ハルヒと一瞬顔を見合わせ、視線を村人の示した丘へ向ける。
その奇妙な形の岩の存在は、この村へ来るまでの間、俺とハルヒの間でも話題に上っていた。何しろ目を引くからな。
その奇妙な形の岩のふもとに、いくつか人影に見えなくもないシルエットが見て取れる。村人はこのシルエットの事を言っているらしい。

「き、昨日、オレの家族がバケモノになっちまって…………崖の向こうに家内と子供が……助けに行きてえのに、もうすぐ夜になっちまう……」

いまいち要領を得ない、村人の話。バケモノになっちまった。というくだりが俺の中に引っかかる。それはハルヒも同様だったらしく、俺が視線を送ると、いつもの真顔で俺の顔を見返し、

「きっと、何かあったのよ。あの砂漠で、私たちが恐竜に襲われたのと同じような、何かが」

と、手短に言った後、俺の愛車の後部座席に飛び乗った。

「おじさん、あの丘ね! いいわ、私たちが見てきてあげる」

「た、頼む……クーガーが、クーガーが出るかもしれねえんだ……オレの家族が、食われちまう……」

事態はなかなか逼迫しているようだ。ここから愛車を飛ばせば、丘までは数十分もあれば着くだろうか。目の前で人がクーガーに襲われるところは、あまりすすんで見たいとは思えない。

「キョン、急ぐわよ!」

やれやれ、日が暮れる前に村に帰ってこれたらいいがな。走り疲れした体に鞭を打ち、俺は奇妙な形の岩がそびえる丘に向けて愛車を発進させた。

50: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:19:04.788 ID:uV5vYudV0.net

俺たちは十七分の実時間をかけて、村人の言っていた崖の手前に到達した。近づいてみると思っていたよりも巨大な、妙な形にえぐられた岩のそびえる丘。その周囲に、十人には満たないほどの数の人影が見える―――しかし。

「まさか本当に崖の向こうに人がいるなんてな……どうやって渡ったんだ?」

「分からないけど、やっぱり何かあったのよ。見て、丘の地面がボコボコだわ。あんな絶壁の向こうに、足跡や破壊した跡がたくさんあるのは、どう考えてもおかしいじゃない」

と、ハルヒが後部座席から降り、マントの中から双眼鏡を取り出す。ホット・パンツが俺たちにくれたアイテムのうちの一つだ。砂漠でルートを見失わないように走るのに重宝したっけな。

「しかしハルヒ……俺たちに何かできることって、あるか?」

「村からあの丘への迂回路を探して、一人づつ助けてあげるしかないわね……でも、間違いなく日が暮れちゃうわ……あっ」

と、双眼鏡をのぞき込んでいたハルヒが、何やら息をのむように声を上げる。

「どうした?」

「……まずいわ、クーガーがいる! おじさんの家族の人たち、本当に食べられちゃう!」

ハルヒはそう言うと同時に、俺に双眼鏡を差し出して来た。流れに身を任せ、丘に視線を這わせると、ハルヒの言った通り、物陰にクーガーの姿が見て取れる。すぐ近くでは、村人たちが誰かの助けを待ち、不安げに周囲を気にしている―――絶体絶命だ。

「あのデカいのがクーガーか!? くそ、どうする……どれだけ急いだって、あの丘に続く道を探すのにまだ相当かかるんだぞ」

「……キョン、私、気づいたことがあるわ」

焦りを胸にともらせる俺に向かって、ハルヒが不意にそんなことを言い出した。気づいたこと?

52: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:21:02.018 ID:uV5vYudV0.net
「オマエ、この状況で何を……」

「いいから聴いて。この状況に関係のあることなのよ。いや、むしろ、とても大事なこと」

双眼鏡を顔から離し、ハルヒの顔面に視線を移す―――ハルヒの眼が、あの決起の朝のように輝いていた。

「感じるのよ。あの岩の下に、何かがある……いや、何かが『あった』のよ。私とあんたにとって、とても大切な何かが」

そう言うと、ハルヒはマントを翻しつつ、再び俺の愛車の後部座席に飛び乗る。……ハルヒにとって大事な何か? 俺にとっても大事な?

「もう今はないかもしれない……誰かの手に渡ってしまったかもしれないけど、私は確認しなきゃならないわ。私のこの予感が、当たっているのかどうか」

と、ハルヒが俺の胴体に両腕を回す。ちょっと待て―――ハルヒは何を考えてるんだ? 今はあのクーガーから、村人をどう助けるかって話じゃなかったかのか。
いや―――まさか。

「キョン、出して! あの丘に、少しでも早く上るのよ! そのためにはこれしかないわ!」

「お前―――本気で言ってるか!?」

「本気よ!」

つまり、こいつは言っているのだ。今からこの崖を飛び越え、クーガーを追い払い、あの丘へ行くんだ、と。……崖は切り立っている。谷底が見えないほどではないが、もし落ちれば、俺もハルヒも無事じゃ済まないだろう。
とてもじゃないが、正気の沙汰とは思えない。そもそも、ジャンプ台もなしに、この距離を渡ることが出来るのかわからない―――
だというのに。俺の両手は、まるで何かに導かれるように、グリップを強く握っていた。そして、同時に、体の中に炎がともるような感覚。
俺はそこでようやく気付く。この力……体の底から湧き上がってくる感覚こそが、ハルヒの言う『引力』なんじゃないだろうか、と。

「……ハルヒ、しっかり捕まって、歯あ食いしばれよ」

53: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:23:02.945 ID:uV5vYudV0.net
 俺がそう言うと、ハルヒは一度だけ、俺の体に回した腕にギュっと力を込めた。―――こんちくしょう。

「やってやろうじゃねえか……『シックス・センス・アドベンチャー』!」

言葉とともに、俺がグリップをねじり上げると、マフラーから熱気があふれ出すとともに、エンジンのいななく音が辺りに響き渡った。ああ、気づけば俺も、こいつのことをそう呼んでしまっている―――ハルヒの影響だ。

「オラァッ!」

俺たちを乗せた愛車は、大地のない空間に向かって加速し―――ついに、でかでかと口を開く崖の上空に、その車体を躍らせた。
体から大地の感覚が消え、浮遊感が全身を包む。車体から体が浮き、飛んでいきそうになってしまうのを、グリップを必死で握りしめて耐える。

「行け―――ッ!」

ハルヒの声が、アクセルの音に混じって俺の耳に届く。その瞬間、車体に視線を落とした俺は、視界に奇妙なものを捕え―――わが目を疑った。
車体が光っているのだ。沈もうとしている太陽の光を受けて輝いているのかと思ったが、しかし、俺の愛車を包んでいるその光は、陽光ではありえない奇妙な色彩を纏っていた。
どこかで見たことのある、水色がかった光。そして、その光はまるで質量があるかのように、俺の愛車と、それに跨る俺たち二人の体を包み込んでいて―――

「マジかよ」

思わず、声をこぼす俺。空中にいるはずの俺の体に、愛車のタイヤが、確かに大地に似た何かを捉えている感覚が伝わってきた。ギャルギャルと音を立て、青い光に包まれたタイヤが、何もない空間に食らいつき、俺たちの体を、あの丘の方へと前進させている。
俺とハルヒは、今―――空を『走って』いる。

「キョン、クーガー!」

突然の超常現象に、俺が閉口していると、後部座席のハルヒが前方の斜面の一部を指さし、叫んだ。見れば、先ほど物陰に潜んでいたクーガーが、ついに村人たちの前に姿を現し、牙を剥こうとしている。
俺は空中を走る愛車のハンドルを切り、前輪を少し持ち上げると、着地予想地点をクーガーの姿のある場所へと定め、さらにアクセルを吹かした。

「そこを……どきやがれッ!」

俺が叫ぶと同時に、クーガーのほうも俺たちに気づいたらしい。村人に食らいつこうとしていた巨体を一瞬竦みあがらせ、次の瞬間、俊敏な動きで、飛来する俺の愛車との距離を取り、再び物陰へともぐりこんでいった。

56: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:25:01.749 ID:uV5vYudV0.net
 ドガァッと音を立て、わずかに斜めった大地の上にわが愛車のタイヤが着地し、衝撃が俺たちの体を軽く持ち上げた。俺は、ハルヒが後部座席から落ちてしまっていないことを確認すると、ハンドルに体を預け一つため息をつく。

「…………」

視線を感じ、周囲に目を配ると、丘の上に取り残されていた村人たちが、皆一様にぽかんと口を開き、突如飛来した俺たちの姿を、呆然と見つめていた。

「……おいハルヒ、どう説明する? 俺たちは正義の味方だとでも言うか?」

と、ハルヒに訊ねようとして、俺はいつの間にか後部座席からハルヒの姿が消えていることに気づく。慌てて周囲を見回すと……ハルヒは例の変な形の岩のそびえるこの丘の頂上を目指し、斜面を駆け上がっているところだった。

「……さっきから言ってたが、その岩のところに何があるって?」

愛車から降り、ハルヒの後を追う。俺が問いかけるも、ハルヒの意識は丘の頂上にくぎ付けであるらしく、反応は返ってはこなかった。
俺たちにとって大事な何かがある。ハルヒはそう言っていた―――それはもしかすると、俺たちが元の世界に帰るために必要な『何か』なのだろうか。

「……感じる」

俺より一足早く、目指していた岩のふもとへ到着したハルヒは、砂の上に片膝をつき、地面を探り始めた。ハルヒが先ほど言っていた通り、丘の大地は無数の足跡や破壊された跡にまみれている―――俺はその痕跡の中に、目を引くものを見つけた。

「ハルヒ、この足跡は恐竜のものじゃないか?」

クーガーや人間のものに紛れて、そこら中に散らばっている、不可解な形のでかい足跡。以前、図鑑だか教科書だかで見たものと酷似している。この場所で発生した事態は、やはりハルヒの言うところの、引力を持つ何かが引き起こした事態であったようだ。

「あのおっさんの言っていたバケモノってのは恐竜の事だったのか……おい、ハルヒ?」

と、俺が思考を巡らせている間も、ハルヒは一切こちらを見向きもせずに、地面に這いつくばるようにして、何やらを探しているようだった。俺には何が目的なのか見当もつかなかったが―――ハルヒのやることには必ず意味がある。

「……キョン、見て」

やがて、ハルヒは体を起こしながら、こちらを見ずに、声だけで俺を呼んだ。言われるがままにハルヒのもとに駆け寄り、地面に視線を巡らせる。

58: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:27:02.199 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒが探っていた部分の大地には、特に目を引くようなものは見当たらず、俺は首を傾げた。ただ、周囲の地べたと同じように、誰かの足跡が乱雑に残されているだけだ。

「これがどうしたって?」

「この足跡、見て。これは―――『私の靴』の跡だわ」

ハルヒの靴?
一瞬、黙考した後、俺はハルヒの脚に視線をやる。ハルヒが履いているのは、ホット・パンツがよこしてくれた革のブーツで、そこに残っている足跡とは形が一致しない気がする。第一、今初めてこの丘へやってきたハルヒの靴跡がこんなところにあるわけがないだろう。

「違うわ。これは私たちの世界の、私の靴の跡」

ハルヒの口にした言葉を、脳が理解するまで数秒時間がかかった。元の世界で、ハルヒが履いていた靴―――それはつまり、俺たちがあの星条旗に押しつぶされる直前までハルヒが履いていたローファーってことか?
ハルヒが示している大地をよく見てみると、わずかだが、周囲の足跡よりもサイズの小さな、女性ものの靴だと考えられる足跡があった。左右一つづつ、ちょうどこの丘の頂上なんじゃないかと思われる場所に並んでいて、ほかの地べたに同じ靴の跡は見つからない。
しかし、ハルヒはこの世界にやってきた時、何故かは知らないが生まれたままの姿だった。靴はおろか、トレードマークのカチューシャすら身に着けていなかったってのに、どうしてハルヒのローファーの跡がこんなところに?

「感じるの。つい最近……多分、昨日まで、ここには私の靴があった。それを見つけて、持って行った『誰か』がいるのよ」

ハルヒは真剣そのものといった口調でそう述べ、そろそろ日も暮れようとしている、ロッキー山脈の空に視線を移した。

「私の服のある場所を感じる。この世界には、私の『衣服』があるのよ。そして引力はそれに続いている。キョン、私の服を探しましょう。急がなきゃいけないわ、私の靴を誰かが持って行ったみたいに、私の服を手に入れようとしてる人が、ほかにもいる……多分、たくさん」

衣服を手に入れようとする人々。脳裏にバーゲンセール開場のような光景を思い浮かべ、俺は眉間にしわを寄せた。ハルヒの服なんか手に入れて、一体何になるというのだ―――しかしハルヒの推測が正しければ、一つ納得がいくことがある。

「……この大騒ぎの痕跡は、お前の靴の奪い合いの跡だってのか」

ハルヒは無言で頷いて見せた。
俺は考えた。この世界の人間たちが、ハルヒの服を奪い合っている。十九世紀のアメリカに恐竜を引っ張り込んでこれるような連中が。

「きっと、私の服をすべて集めたら、私たちも元の世界に帰れるのよ。私の服には、そういう『力』がある」

59: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:29:01.784 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒの言っていることは、正直に言って俺には理解が難しい。しかし、ハルヒは先ほどからこの場所に、自分のの靴があったということを感じていて、実際にその痕跡が存在したというのは事実だ。
しかし―――俺は頭部に痛みを覚え、眉間を抑えた。ハルヒの言っていることはつまり、村一つめちゃくちゃに巻き込んでまでハルヒの靴を欲しがるような連中の抗争に、俺たちも参加しようってことだ。

「私には、次の衣服がある場所がわかるわ」

そう言うと、ハルヒは周囲の、夕闇に縁どられた山々を見回した。そして、一点を指で示し、

「こっちだわ。すごく強く感じる……北緯三十九度、六分二十四秒。西経九十四度、四十分、六秒」

そう述べた後、マントから地図を取り出し、それを地べたに広げた。俺は黙って、ハルヒの指先が地図の上を辿るのを見守る」

「ここよ。『カンザス・シティ』の近く……フォースステージのゴールだわ!」

地図から顔を上げ、顔を見合わせる俺とハルヒ。ただの思い付きやカンだとは思えない。ハルヒの奴は、本当に自分の衣服のありかを感じているのだ―――引力によって。

「でも、きっと、ここにあった私の靴を持っている人にも、この位置は知られてしまっている。時間がないのよ。レースの先頭がフォースステージをクリアするまでに、私たちはこの場所に行って、衣服を手に入れなきゃいけない」

フォースステージ。確か、キャノン・シティからカンザス・シティへ向かう、1250kmにも及ぶ馬鹿長いステージだったはずだ。

「私の靴を奪っていった人たちは、昨晩の時点でこの地点まで来ていた。その人たちがレースの参加者なら、きっともう、フォースステージに入ってるわね」

フォースステージの予想所要時間は三週間。俺たちのいるこの地点から、サードステージのゴールまでは、あと60km……睡眠時間を返上して走れば、俺たちも明日にはフォースステージのエリアに入れるかもしれない。

「……選択の余地もねえしな」

ため息をつく俺―――元の世界に帰るために必要だってんなら、やるしかないだろう。

「よし。行くか、カンザス・シティ」

ハルヒが指示した方角に視線をやり、俺がそう言うと、ハルヒは少し重々しくはあれど、俺の知るハルヒの表情に近い笑顔を作り、

62: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:30:33.855 ID:uV5vYudV0.net
「うん、行きましょう!」

と、元気いっぱいに言った。まったく、その元気はどこから湧いてくるんだか。かくして俺たちは、新たな目的地をカンザス・シティに定め、再び愛車にまたがるのだった
あ、その前に、村人はちゃんと助けたよ。ハルヒと俺が飛んできたのを見て、あのおっさんの子供なんか、ハルヒの事を『女神様』だってさ。

レースの先頭集団は、俺たちがあの靴跡を見つけた日の日中に、サードステージを突破し、このダダ長い1250kmの道のりを、俺たちよりも先に辿り始めていたという。
あの山村で、村人からのお礼ってことで、多少の現金を手にしていた俺たちは、サードステージのゴールであるキャノン・シティでレースの速報の載った新聞を買い、食料や野宿のための道具を補給した。
ステージの上位着順には、ホット・パンツの名前もあった。というか、後続に一時間も差をつけて、一位に入賞していた。七日もかかると言われていた山脈をたった五日で走破しちまうとは、先頭の連中はやっぱちょっと凄ぇ。
おそらく、上位に名を連ねている奴のどいつかが、ハルヒの靴を手に入れたのだろう。ハルヒの引力センサーは、誰の手にもわたっていない衣服にのみ反応するらしく、どいつが靴を手にしたのかは、真正面から対面でもしない限りわからないらしい。

「私の服に手を出すなんて、もし遭遇したら縛り首ね」

ハルヒはそんなことを言っていたが、俺たちに攻撃手段というものはこれと言ってなく、仮にハルヒの靴を持った誰かと遭遇したところで、力ずくで奪い返すってのは難しいだろう。
よって、俺はできるだけ、レースの参加者とは接触しないようにしていた。もしハルヒの靴を持っている奴を見つけたって、こちらからどうにもしようがないからな。
コース上にはいくつか町があり、立ち寄るたびに、俺の愛車を珍しがる人々がいて、時々、タクシーの真似事で小銭を稼いだりもした。
その金で食料を買ったり、時々食事を店で済ませることもあったが、俺はそれよりハルヒが料理をしてくれる野宿の日のほうが楽しみだったよ。
ハルヒの得意料理は、何処で捌き方を学んだのか知らんが、野ウサギを使った料理で、缶詰のトマトと豆だとかで煮込んでパスタにかけたやつが最高にウマいのだが、やはりホット・パンツのサンドイッチには敵わなかったな。ハルヒには言ってないが。
そんな調子で息抜きもしつつ、毎日毎日、ただただ愛車を走らせる日々が、十日ほど続いた。ハルヒとの二人旅にもそれなりに順応してきて、ため息をつく日も多かったが、この生活も案外、悪くはないな、とか思い始めてた頃。
俺たちはそいつに出会ってしまったのだ。

63: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:32:04.352 ID:uV5vYudV0.net
「キョン、停まって。誰かいるわ」

カンザス・シティへの道のりも半分ほどまで来ていた。数日前はよくレースの参加者を見かけたのだが、それがここ数日は見当たらず、無事先頭集団を追い抜いけたのかと安心していた矢先、後部座席のハルヒがそう言った。
言われるがままにブレーキをかけ、愛車を停止させる。俺が振り返ると、ハルヒは俺たちの行く手の先、小川の辺の木陰を指で示した。見ると、確かに木のシルエットのそばに、馬に乗った人間らしき姿が視認できる。

「レースの参加者だろうな……でも、前に見かけた参加者とはかなり離れてる。多分、あれが先頭じゃないか?」

「ゼッケンを確認できるかしら……キョン、双眼鏡貸して」

カバンから双眼鏡を取り出し、ハルヒに手渡す。ハルヒが双眼鏡を覗いている間、俺はゼッケン番号を照らし合わせるために、レースの参加者の情報が乗った新聞紙をカバンの底から引っ張り出した。しかしハルヒは、

「……あれ、『ディエゴ・ブランドー』だわ。新聞に載ってた顔よ」

と、俺の情報を待たずに断言した。ディエゴ・ブランドー、通称Dio。レースの優勝候補の一人でもある天才騎手で、前ステージは三位で通過だったっけか。ハルヒが双眼鏡を手渡してきたので、俺もそのご尊顔を拝ませてもらうことにする。

「おお、本当だ。写真よりイケメンだな」

「デカい荷物だこと。こっちに来てるってことは、川を避けてるのかしら」

そういう俺とハルヒも、ある程度の深さの川は避けて行動している。何しろ移動手段がバイクだ。下手に濡らして、サビられたり、故障でもされたら、俺たちは手詰まりになってしまう。修理してくれるバイク屋もこの世界にはないだろうしな。
ディエゴはハルヒの言った通り、デカい荷物を後ろに乗せている。荷物というよりあれは、もう一人人間が乗っているような重さなんじゃないだろうか。……つーか、むしろ、

「ハルヒ、ありゃ荷物じゃないな。の奴、誰か後ろに乗せてるみたいだ……レースの最中だろうに、何やって―――」

「え、そうなの―――きゃっ!?」

ハルヒの声が途中で途切れたのは、俺が停止していた愛車をいきなり全速力で発信させたからだ。手に持っていた新聞を取り落としてしまったが、そんなことを気にしている場合ではない。
何故なら、視線の先にいる、その男が後ろに乗せているのが―――俺にとって馴染みの深い、水色のセーラー服を身にまとった、朝比奈みくる、その人だったのだから。

65: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:34:02.047 ID:uV5vYudV0.net
 猛然と接近する俺たちに気づくと、ディエゴ・ブランドーはその場で馬を半回転させ、何か珍しいものを見るような目で俺たちに向き直った。
後続が追い付いてきたのかと思っているか、俺の愛車を珍しがっているのか、わからないが、ずいぶんと余裕があるらしく、俺たちと遭遇するのを避けようとする様子は一切ない。

「ちょっ、キョンッ!」

後部座席のハルヒはまだ、Dioの背後の朝比奈さんの存在に気づいていないらしく、突然の発進に戸惑いの声を上げたが、この時の俺にハルヒを気遣っている余裕はなかった。
ただ―――この世界に最初にやってきた日のように、急すぎる展開についていくのに必死だったんだ。
十数秒の時間をかけ、俺はDioへと接近し、愛車を停止させた。Dioの背後に跨った朝比奈さんが、俺たちに気づいた様子はない。どうやら、気を失っているようだ。

「何だ、オマエら。見覚えがない顔だな」

やがて、低く粘り気のある声で、Dioが、初日にホット・パンツが言っていたのと、ほぼ同じ内容の言葉を口走った。何だと言われたところで、俺としても今、何をどうするべきなのかがわからない。

「Dio……どうしてあんたが、朝比奈さんを……」

「えっ」

ようやく口をついて出たのはそんな言葉だった。俺の発言を聴き、後部座席のハルヒも朝比奈さんに気づいたらしい。遠目には一瞬わからなかったが、華奢な体つきと栗毛色の髪は、俺たちの記憶に深く根付いている。第一、着ている服が、北高のセーラー服だし。

「フン、なるほどオマエら、この女のコの知り合いか」

何かしらに気づいた、というように、一瞬含み笑いをこぼし、Dioが言葉を放つ。俺が次いで放つ言葉を探っていると、それを遮るように、

「ちょっと、あんた! うちのみくるちゃんに何してるのよ!」

と、どこか懐かしさすら覚える声色で、ハルヒが叫んだ。その声を聴き、俺は胸の中に、ここ最近、気づかないうちに失われつつあった何かがよみがえってくるのを感じる。
朝比奈さん―――目の前に、朝比奈さんがいる。

「何をしてる? 何もしちゃいないよ、このコはさっき拾っただけさ」

顎で背後を示しながら、Dioは悠然と言葉を紡いだ。

67: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:36:01.938 ID:uV5vYudV0.net
「珍しいからな、このレースの途中で、女のコに逢うなんて。道端に倒れてたんだよ、ぽつんと一人で。オレが何かしたわけじゃないぜ」

道端に倒れていた。朝比奈さんが?
なるほど、つまり俺たちの時と一緒ってことだ。元の世界で何があったかは知らないが―――朝比奈さんも、この世界に迷い込んできてしまったんだ。

「そう怖い顔をするなよ君たち、オレはこのコを次の町まで連れて行ってやろうとしてるだけさ。でも知り合いに見つけてもらったんならこのコはラッキーだな」

Dioはうすら笑いを浮かべながら、意識を失っている朝比奈さんを上半身だけで振り返り、その頭にポン、と左手を乗せ、

「どこの町から来たのかとかも、知ってるんだろ? 君たちが送り届けてやれよ」

そう言って馬から降り始めた。……意外に物分かりがいいな。結構まともなヤツなのか。

「ほら、彼女を馬から降ろすのを手伝えよ。知り合いなんだろ?」

大地に降りたDioは、どうやら本当に朝比奈さんを解放するつもりらしく、俺たちの目の前で、朝比奈さんの体を馬の体に括り付けていたロープをほどき始めた。俺がどう出たものかと戸惑っていると、後部座席のハルヒが、

「ずいぶん親切なのね、あなた。馬に余計な加重をしてまで、みくるちゃんを助けてくれたんだ?」

と、警戒を孕んだ声で言った。そのハルヒの言葉を聴いたDioの動きが一瞬止まる。

「―――いいニオイのするコだったからな。女のコには優しくしなきゃいけないだろ?」

こちらを見ず、黙々と、朝比奈さんの体を馬から降ろすDio。今の発言は若干変態的だが―――ここから見る限り、朝比奈さんに外傷はなく、Dioに何かされたのではないかという俺たちの悪い予感は、現実なってはいなかったようだ。

「……そう。うちのみくるちゃんが世話になったわね。どうもありがと」

ハルヒが俺の愛車から降り、Dioのもとへと近づいてゆく。慌てて俺もそれを追いかけた。なんだ、ホット・パンツといい、このDioといい、レースの参加者たちは意外といい奴が多いじゃないか―――俺はこの時、わりと本気でそんなことを考えていた。
しかし、

68: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:38:25.885 ID:uV5vYudV0.net
「そう……『いいニオイ』だ」

その言葉とともに、朝比奈さんの体をお姫様抱っこの体制で抱えたDioが、こちらを振り返る―――その直後。俺の背筋に、これまで感じたことのないほどの『悪寒』が走った。

「……ハルヒっ!」

「えっ……」

その瞬間、俺がハルヒの腕を掴み、手前に引き寄せたのは、ちょっとしたファインプレーと言っていいだろう。ハルヒが一瞬前まで居た空間を、何かが掠めたことを、視覚的に認識することはできなかった。
ただ、何かに切り裂かれた空間から、風圧が発生して、俺とハルヒの服や髪を揺らしただけだった。

「何ッ!?」

異常を察知し、ハルヒが声を上げる。その直後、朝比奈さんの体を抱えていたDioの姿が―――消えた。

「朝比奈さんッ!」

Dioの肩の高さの空間に、突如放り出された朝比奈さんの体を、俺は両腕で受け止める。あともう少し俺とDioとの距離が開いていたら、間に合わなかっただろう。

「ふぇ……きゃあっ!?」

俺の腕に重みがかかると同時に、朝比奈さんは目を覚ましたらしく、声を発した。ハルヒと俺は周囲を見回す―――Dioはどこへ消えた?

「連れてきて正解だった。きっと『寄ってくる』だろうと思ってたぜ。ロッキー山脈で手に入れた『聖なる靴』……そのコはそれと同じ靴を履いていたからな」

声がしたのは、上。見上げると、木の枝の上に両足を着け、こちらを見下ろしているディエゴ・ブランドーの姿があった。しかし、その様相が先ほどまでとは違う。
まるで大型の爬虫類のそれのように、固く強張って見える肌。唇を押し上げる巨大な牙。節くれだった手足―――こいつは、この男は。

「その靴から、『聖なる靴』と同じニオイが少しだけした。そして、そこの女からもな―――オマエも『聖なる衣服』を持っているな! ニオイがするぞッ!」

70: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:40:03.236 ID:uV5vYudV0.net
 そう叫んだDioの手の中には、俺にも見覚えのあるデザインのローファーが、片足分だけ握られている―――ハルヒの靴を手に入れたのは、コイツだったのか。そしてハルヒの衣服が持つ力は今、Dioの力となっている。

「食らえ―――『スケアリー・モンスターズ』!」

異形の怪物となりかけたDioが、信じられないほどの素早い動作で木の枝を蹴り、ハルヒに牙を剥いた。

「ハルヒッ!」

朝比奈さんの体を大地に預け、俺はハルヒの腕を掴んだ。そして、そのまま愛車のもとへと駆ける。直後、再び、ハルヒのいた空間をDioの攻撃が掠め取っていった。

「キョン、まだ、みくるちゃんがッ!」

「ハルヒ、あいつはお前の『ニオイ』を知ってるんだ! 狙われてるのはお前だ、『聖なる靴』ってのと同じニオイがするからだ!」

愛車に跨り、アクセルを吹かしながら、俺は自分が察したことをハルヒに説明する。しかし―――ハルヒは今、自身が元の世界で身に着けていたものを、何一つ持っていないはずだ。
Dioの感じているニオイの正体―――そうか。俺にも、わかりかけてきたぞ。

「ハルヒ、あいつが言っているのは『お前の服のニオイ』じゃない、『お前のニオイ』だ! 衣服と同じで、お前自身にも『引力』があるんだ!」

そうだ。俺の愛車がガソリンなしで走ることができる理由。ロッキー山脈で空中を走った理由。それは、『俺のそばに涼宮ハルヒがいるから』だ。ハルヒの持つ『引力』で引き出された、俺の『能力』なんだ。おそらく、ホット・パンツの能力や、Dioの能力と同じような。

「ギャァァァース!」

けたたましい声を上げながら、大地に降りたDioが俺たちに向かって駆けてくる。―――逃げるか? いや、朝比奈さんを置いてはいけない。Dioが朝比奈さんを狙っているわけではないと分かったが、百パーセント安全とは言い切れない。
じゃあ、どうする―――戦うってのか、俺たちが。衣服に引き出された力を使って攻めてくる、このディエゴ・ブランドーと。
しかし、ハルヒの力が俺から能力を引き出してくれたと言っても、俺の能力はこのDioのような戦闘向きの能力ではない。立ち向かって勝利できるかどうかは限りなく怪しい。

72: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:42:30.121 ID:uV5vYudV0.net
「す、涼宮さん、キョン君!」

ようやく意識と感覚を完全に取り戻したらしい朝比奈さんが、大地に尻をついた体制のまま、俺たちの名を呼んだ。
まだ状況を把握はできていないだろうが、目の前にDioのような怪物がいて、俺たちが逃げまどっていたら、大体分かるだろう。俺たちは今、非常にヤバい状態なのだと。

「キョン、無理よ、逃げきれない! あの力は『恐竜』よ……『恐竜に変身する』能力! 追いつかれる、戦うしかないわ!」

「どうやってだよッ! 武器の一つも持っていないんだぞ―――俺の能力は『移動用』だッ!」

ぽつ。と、俺の手の甲に雨粒の感触が伝わってきた。雨か……そういえばこの世界に来てから、これまで雨に降られたことはなかったな。

「『轢く』とかッ!」

「無理だ、あの速さにはついていけない! それより、あいつに下手に近づくことの方がヤバい!」

背後に、迫りくるDioの気配を感じる―――そのスピードは、初日に出会った恐竜たちのそれよりも一層速いように感じられた。確かに、このスピードで追いかけられたら、俺たちはすぐに捕まってしまうかもしれない―――

「キョン、Dioが来るわ―――! 避けてッ!」

ハルヒの声が、雨音に混じって聴こえる。いつの間にか空はすっかりと曇り、あたりにはしたたかに雨が降り注いでいる。

「ッ!」

ついにDioが俺たちのもとにたどり着こうとしている―――俺が可能な限りDioから離れようと、愛車を発進させようとした瞬間だった。Dioが突然、大地を蹴り、俺たちから距離を取ったのだ。
何だ? 俺たちとDioの間に、遮るものは何もない。せいぜい空から降り注ぐ無数の雨粒があるくらいだ。

「フン、なるほど……『衣服』の力を持つ女……いや、それ以上の力だ。今はひとまず次の衣服だが、オレは必ずお前を手に入れるぞ―――待っていろ」

そう言い放つと同時に、Dioの姿が少しづつ人間のそれに戻ってゆく。何かに追い立てられるよう、俺たちに背を向け、自身の馬のもとへと駆けてゆく。やはりこいつはカンザス・シティに衣服があることを知っていて、それを狙っているようだ。

73: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:44:01.762 ID:uV5vYudV0.net
「ブルルルッ」

主人を背に乗せたDioの馬は、一声いななくと、川の上流へと向かって、水に濡れた大地を踏む音を立てながら走り去っていった。―――なんだ、助かったのか、俺たちは。

「……『酸性雨』だわ」

不意に、ハルヒが言葉を発する。降り注ぐ雨粒を両手のひらで受け、

「Dioは、馬が酸性雨に降られるのを避けたのよ……だから、私を攻撃するのをやめたんだわ」

そう言った後、視線を朝比奈さんへと移し、

「この、雨……みくるちゃんがやったの?」

少し離れた場所で、こちらの様子を伺っていた朝比奈さんに訊ね掛けた。

「ふぇ……あ、あの、よくわからないんですけど……私、二人が、危ないって……思って……」

ハルヒの問いかけに、首を傾げ、眉をハの字にしながら、朝比奈さんが困った声を上げる。その視線が、ふと、上空を見たかと思うと、先ほどからひっきりなしに体に受けていた雨粒の感触が一瞬で消えてなくなった。

「あ、雨が……上がった。『俺たちの上空』だけ……」

ニビ色の雨雲に穴が開き、そこから差し込む陽光が、俺たちをスポット・ライトのように照らしている―――そうか、つまり。俺から能力を引き出したように。ハルヒは朝比奈さんからも―――

「ふ、二人が無事で……よかった……」

と、朝比奈さんはそう口にするとともに、再び大地の上に倒れこんでしまった。愛車のもとを離れ、その側に駆け寄る俺とハルヒ。どうやら、また気を失ってしまったらしい。
俺はいろんな意思を込めて、ハルヒを見た。先行きが不安になる要素は山ほどあるが、とりあえず、Dioが、ハルヒに聖なる衣服とやらと同じパワーがあると知ってしまったことが痛い。あんなバケモノじみた力を持ったヤツに四六時中狙われたら、命がいくつあっても足りないぜ。

75: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:46:15.797 ID:uV5vYudV0.net
「Dioは衣服を手に入れる目的もあるけど、それと同じかそれ以上に、レースの事も考えてるはず。私たちが先頭から離れれば、そうそう追ってはこないと思うわ」

ハルヒはそう言って、朝比奈さんの体を、先の雨で湿っただ大地から起こすと、

「キョン、昨晩泊まった町まで戻りましょう。みくるちゃんに、いろいろ聞かなきゃいけないし、説明もしなきゃいけない」

と、どこか達観したような表情で、俺に振り向いた。しかし、カンザスにあるっていう次の衣服はどうする?

「今からじゃ、もう先回りするのは無理よ。それに、Dioが持っていたのは私の左靴だけだった。右靴を持っている『誰か』も、カンザス・シティを目指しているはず」

そいつがどんな腹づもりでハルヒの衣服を狙っているか知らないが、下手に遭遇し、ハルヒが衣服と同じ力を持っていることを知られると、面倒なことになるな。

「衣服をすべて取り戻すことを諦めるわけじゃないわ。少なくとも、Dioみたいなやつには絶対渡せない。でも、今は退くときよ」

そう言って、ハルヒは朝比奈さんの体を抱き上げる。今朝出発した町までの道のりは徒歩ってことになるが、なんとか日暮れ前には帰れるだろうか。
雨雲はいつの間にかすべて晴れ、大地にできた水たまりが反射させた太陽光が、水滴を纏った愛車の車体を、キラキラと輝かせていた。
しかし、今後俺たちはどうなるんだ。朝比奈さんを連れてバイクでの旅を続けるのは、そうそう容易いことじゃないだろうと思う。さすがに三人乗りなんてのは不可能だぞ。

「ああ、それについては、ちょっと考えがあるわ。何にしろ、一度町に戻ることが必要だけど」

と、ハルヒには何か妙案があるらしかった。やれやれ―――一体何を考えているやら。

「ほら、ちゃっちゃと歩く。日が暮れちゃうわよ」

朝比奈さんを背におぶったハルヒに尻を叩かれながら、俺はカンザス・シティのある方角に背を向け、愛車を押しながら歩き始めるのだった。
先ほどの雨が、東の空にいい感じの虹を作っていたよ。

78: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:48:27.866 ID:uV5vYudV0.net
「せ、1890年……ですか」

Dioと遭遇し、朝比奈さんと出会ってから、時計の長針が八周するほどの時間が経過し、俺たち三人は、キャノン・シティとカンザス・シティの間にある小さな町の、くたびれた安宿の一室にいた。
泥で汚れたセーラー服から、ハルヒの予備の寝間着に着替えた朝比奈さんは、俺とハルヒがした分かっている限りの現状の説明を受け、呆然とした様子でそう呟いた。

「そう。そして、ここはアメリカ大陸。なぜか言葉は通じるけどね。みくるちゃんは、何があってこの世界に来ちゃったの?」

ハルヒの問いかけに朝比奈さんは、目覚めてから何度目かになる困り顔を作り、

「私、何が起きたのかわからなくて……涼宮さんたちが、バイク屋さんからの帰り道、突然いなくなっちゃったって聞いて……」

と、覚束ない口調で記憶をたどり始めた。

「長門さんにも、何があったのか分からないっていうから……その次の日、学校が終わってから、古泉君と長門さんと一緒に、キョン君のバイクのお店に行ったんです。最後に二人に会った人を探そうっていうことになって」

俺の記憶が正しければ、俺とハルヒが元の世界で最後に接触したのは、バイク屋の店員だ。あのトラックと遭遇した時には、周囲に人通りはなく、事故の瞬間を見ていた者も居なかっただろうと思う。

「それから、キョン君たちが駅に帰る時、通りそうな道を歩いていて……気が付いたらもう、二人が、あの知らない人に襲われてるのを見ていました」

知らない人というのは、ディエゴ・ブランドーの事だろうか。予想はしていたが、やっぱり俺たちと似たようなもんだな。
しかしただ道を歩いていて世界旅行ってこともないだろうと思う。なにか切っ掛けとなる出来事があったはずだ。俺とハルヒが、あのトラックに遭遇したような。

「何か、覚えているものはありませんか? 例えば、『トラック』とか」

「トラック、ですか? いえ、あの道は歩道もない、狭い道でしたし、トラックとは逢わなかったと思います」

俺の問いかけに、朝比奈さんは少し考える様に眉をしかめた後、首を横に振った。では―――と、俺が口を開くより先に、ハルヒが、

「じゃあ、『星条旗』は?」

79: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:50:03.678 ID:uV5vYudV0.net
 と、俺が紡ごうとしていたのと同じ単語を口にした。朝比奈さんは、人差し指をこめかみにあて、頭の中を洗いなおしていたようだが、ハルヒの放ったその言葉を聞いた瞬間、ぱっとひらめいたような表情を作り、

「星条旗……あ、確か……そうだ、あの時、急に空が暗くなって」

そう話し出した。

「上を見たら、すごく大きな……何だろう、布……? そう、大きくて四角い布が、ふわふわと降って来たんです。その布の模様が、確か星条旗だったような……」

星条旗。俺たちをこの世界にぶっこんだ原因と考えられるあのトラックの土手っ腹にも、どでかい星条旗が描かれていた。視線をハルヒに送ると、ちょうど目が合い、

「その星条旗が、みくるちゃんをこの世界に連れて来たのよ。多分―――この世界にいる誰かの『能力』なんじゃないかしら。誰かがその星条旗で、私たちをこの世界に引きずり込んだのよ」

能力。俺の脳裏に、腕を分離させて動かして見せたホット・パンツや、恐竜に変身するディエゴ・ブランド―の姿が過ぎる。
しかし、自分で世界を―――灰色の空の下と、現実世界を―――行き来するって特技を持ってる奴なら知り合いにいるが、違う世界にいる他人を、自分のいる世界に引っ張ってくるってのとは、ちょっと毛色が違うように思える。

「逆に、元の世界にいた誰かが、俺たちをこの世界に送り込んだってのはどうだ?」

「断言はできないけど、多分違うと思う。前も言ったけど、私たちのいた世界には、この世界にいるような、特殊な能力を持っている人はいないわ」

そういうお前が一番特殊な能力を持ってんだけどな。

「ほんとに、ここは違う世界なんですね……じゃあ、古泉君と長門さんも、もしかしたら」

と、朝比奈さん。そうか、朝比奈さんが世界旅行をさせられる直前、古泉や長門も一緒にいたっていうなら、あの二人もこの世界にやってきている可能性は十分ある。

「そうね、そうかもしれない。けど、同じ場所には来なかったみたいね」

朝比奈さんがこの世界にやって来たのを、最初に見つけたのは、おそらくDioだ。そういえば、奴は朝比奈さんが一人で道端に倒れていたのだと言っていたっけな―――その言葉を信用していいのかどうかは分からんが。
もし、長門がこの世界に来ているなら、いろいろと心強い。しかしそう思う反面、この世界で長門が本来の力を発揮できるのかどうか、不安もあるけどさ。

81: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:52:01.825 ID:uV5vYudV0.net
「朝比奈さん……聞くまでもないかもしれないんですが、例の……TPDDってやつは」

ハルヒが夕食の準備のために、少し席を離した隙に、俺は小声で朝比奈さんにそう問いかけた。するとやはり、朝比奈さんは首を横に振って、

「気が付いたら、なくなってました」

と、申し訳なさそうに、弱弱しい口調で言った。これで俺たち三人が、ただ百二十年前にタイムスリップしたわけじゃないという話の裏が取れた。やはり、ここは俺たちがもともといた世界とは繋がりのない、異世界だってことだ。

「おまたせ」

そこに、ハルヒがスープとパンとコーヒーが三人前乗せられたトレイを片手に、部屋に帰ってくる。
俺は一瞬、もうこんな状況なのだから、朝比奈さんが未来人であることなんかは話しちまってもいいんじゃないか。などと考えたが、ハルヒを不要に混乱させる要因になり得るのでやめておいた。後々古泉や長門に怒られても困るしな。

「……食事をしながらでいいから聴いてちょうだい」

俺が些末な思考にとらわれながら、スープに入っていた干し肉を奥歯でかみしめていると、不意にハルヒが口を開いた。

「さっきも言った通り、私たちが元の世界に戻るためには、私の衣服を集めなきゃいけない。でも、すでに一つはDioに、一つはほかの誰かの手に渡ってしまった。おそらく、その誰かも、スティール・ボール・ランレースの参加者なんだと思うわ」

パンのかけらを口に放り込み、丁寧に咀嚼し、飲み込むハルヒ。

「それに、その他のいくつかの衣服も、すでに誰かが手に入れてる感覚があるの。多分……三つ。そのうち、二つは同じ誰かの所に、もう一つは別の誰かの手の中にあると思う」

ずいぶんと正確な予感だな。

「Dioが私の靴を持ってたでしょ? あれを見たとき、なんとなくコツを掴んだのよ。衣服の気配の感じ取り方の、ね。すべての衣服のありかを感じられるわけじゃないけど、衣服を持っている誰かが近くにいたら、察知できると思うわ」

コーヒーの入ったカップを両手で持ち、ハルヒの言葉に耳を澄ませる朝比奈さん。

84: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:54:02.789 ID:uV5vYudV0.net
「カンザス・シティにある衣服は、Dio……か、誰かに取られてしまうと思うけど、その次はそうはいかせない。ありかはもう感じてるの。カンザスから北東の方角……ここよ、ミシガン湖」

ハルヒが地図を取り出し、指で一点を示す。ミシガン湖。湖底にでも沈んでいるんじゃないだろうな。それに、この場所ということは―――

「……またレースのコース上か」

「そうよ。きっと、カンザスの衣服を手に入れた奴には、この位置も知られてしまう」

レースに参加しつつ、聖なる衣服とやらが手に入る。お買い得な話だな。毎度のことながら、俺の唇の間をため息が吹き抜けてゆく。

「でも、涼宮さん……あの、キョン君と涼宮さんは、バイクでレースに参加してるんですよね?」

と、コーヒーカップを空にした朝比奈さんが、口を開く。俺たちはレースに参加しちゃいないんだが、とりあえずそれは置いておくとして、

「さすがに三人じゃバイクに乗れないような……私も行くんですよね?」

そう、そこだ。俺たちのチート的移動手段は、定員が二人という致命的な欠点がある。
これから先、衣服を手に入れるために行動するなら、朝比奈さんかハルヒのどちらかを―――いや、衣服のありかはハルヒにしか分からないのだから、実質上、朝比奈さんを置いて行く以外の選択肢がないじゃないか。

「大丈夫よ」

俺と朝比奈さんが提唱した命題に対して、ハルヒは何でもないことのように答えた。

「二人しか乗れないなら、三人乗りに改造すればいいじゃない」

こいつは何を言っているんだ。

「『サイドカー』よ」

86: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:56:02.592 ID:uV5vYudV0.net
「サイドカー……ですか?」

俺からは、絶句。朝比奈さんからは、困惑の声。

「この世界に来る前、バイクの歴史を調べてて見つけたのよ。この時代にもは、自転車用だけど、サイドカーがあったんだって。十九世紀も捨てたもんじゃないわよね」

ニッコリ笑顔のハルヒ―――『考えがある』ってのはそういう事だったのか。

「あのな、ハルヒ。自転車用のサイドカーってのは、荷物を載せるための奴だろ?」

「もちろんそうだけど、荷台に人が乗っちゃいけない決まりなんてないわよ」

あるよ馬鹿。

「現代のルールなんて関係ないわ。ここは自由の国、アメリカ!」

お前みたいなやつがいるから、自由の意味をはき違えた思考の奴が後を絶たないんだよ。第一、そのサイドカーはあくまで自転車用だろう。原付のスピードで引っ張ったりしたらぶっ壊れるんじゃないか? そんなの考えたこともなかったから断言できないけどよ。

「安心しなさい、キョン。『シックス・センス・アドベンチャー』に不可能はないの。私が付いてる限り、あんたの愛車は決して壊れないわ。サイドカーだって、取り付けちゃえば車体の一部! 問題は何もなーい!」

お前のその自信は、一体どこから来るんだ。
確かに俺の愛車は、ハルヒによって引っ張り出された、俺のトンデモ能力で、ガソリンもなしに走るわ、空中を飛び回るわと、いろいろ不可能を飛び越えてきたが……。

「何、あんた、みくるちゃんを乗せたくないわけ?」

乗せたいです。
が、それとこれとは似ているようで全く別の話―――なんだが、もう言うだけ無駄ってやつだな、これは。コイツが可能だと言い切るからには可能なんだろう。つーか、どうせ朝比奈さんを乗せるなら、俺は後部座席に乗ってほしいんだが。だっていろいろ……なあ?

89: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:58:02.759 ID:uV5vYudV0.net
「そうと決まれば、明日から行動開始よ。サイドカーのある自転車屋さんを、この町で探すの。もういくつか目星はつけてあるわ」

準備のいいやつだな。
しかし、自転車用のサイドカーっていくらするんだ? 俺たちは今日この宿に泊まるだけでも少し奮発したくらいの、金銭的余裕のない旅人なんだが。

「あんたが稼ぐのよ、シックス・センス・アドベンチャーで」

ハルヒは当然のように、

「あんたがシックス・センス・アドベンチャーを買うために、私たちは汗水を流してあげたじゃない。その恩返しだと思って働きなさい。もちろん、レースにあんまり遅れないよう、できるだけ短時間で! いいわね?」

良くない、何も良くない。
しかし夏休みのアルバイトの事を引き合いに出されると、俺は弱い……ハルヒの口車に乗せられたとはいえ、確かに俺は、ハルヒに朝比奈さん、古泉、長門の協力を得て、何とか愛車を買うことができた身だ。

「大丈夫よ、あんたの後部座席、乗り心地だけはいいから!」

笑顔が眩しい。
眩しすぎて涙が出て来たよ、ちくしょう。

「あ、みくるちゃんは、私と一緒に情報集めね。レースの経過とか、あと、衣服を狙っていそうな参加者をチェックしたり」

「あ、はい、分かりました……ごめんね、キョン君」

と、朝比奈さんは、一瞬俺に視線を送り、申し訳なさそうに笑った。ああ、情報収集も大事だしな。いいよ、もう。
こうして今日も明日も、十九世紀のアメリカ大陸のド真ん中で、俺の青春はすり減ってゆくのだった。ま、朝比奈さんがいてくれるってだけで、だいぶマシだけどな。
ああ、ちなみにもちろん俺の宿の部屋は別にとってあるよ。

To be continued↓

90: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 17:58:16.034 ID:uV5vYudV0.net
10分休憩
97: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:04:41.791 ID:uV5vYudV0.net
多分どっかで前後編に分ける
99: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:08:16.831 ID:uV5vYudV0.net
「朝比奈さん、尻が痛かったりとかしませんか?」

「うん、大丈夫」

俺の愛車の右隣、すこし低い位置に設置された、拾ったソファのクッション部分で作った即席のシートに腰を掛け、朝比奈さんは薄い笑顔を浮かべて、俺の問いかけに答えてくれた。
朝比奈さんがちょこんと収まるのにちょうどいいサイズの、その不細工な鋼鉄製のサイドカーが、本来なら牧草だの、肥料としての牛のフンだとかを積むためのものだという話は、朝比奈さんには伏せてある。
俺とハルヒが、朝比奈さんと再会を果たした日から、およそ十日間をかけ、俺はキャノン・シティとカンザス・シティの間に位置するその町で、汗水を垂らしながら、辻タクシーのアルバイトに励んだ。
そして昨日の夕暮れ時、たまたま乗せてやった、牧場をやっているという痩せた町人のおっさんから、格安でこのサイドカーを譲り受けるに至ったのだ。

「みくるちゃんに感謝しなさいよね。あんたがあんまり稼がないからって、喫茶店でアルバイトして、援助してくれたんだから」

俺の愛車の傍らで、どこかふてくされたような表情で腰に手を当てていたハルヒは、そんな文句を口にしながら、雑貨屋で買い込んできた食料の入ったカバンをくい、と持ち上げ、

「じゃ、午後から旅を再開しましょ。ずいぶん遅れを取ったわ……少しでも追いつかないとね」

と、俺の手際の悪さを呪うようにじろりとこちらを見た。甲斐性がなくて悪かったな。

「涼宮さんとキョン君、なんだか夫婦みたい」

朝比奈さんが、そんな事を言いながら笑う。やめてください、顔が熱くなるじゃないですか。チラと見ると、ハルヒも顔面がトマト色になっている。

「つ、つまんないこと言わないの」

そう言って、朝比奈さんの肩を平手で軽く叩くトマトハルヒ。ちなみにこいつはこの十日間、宿のベッドに寝転んで新聞を読み漁ることしかしていなかった。主婦かっつーの。

「主婦って……あんたまでワルノリするのはやめなさい!」

パン。と、両手を胸の前で合わせるトマハル。そして場を仕切りなおすと言ったように、顔を軽く横に振った後、カバンから新しい新聞を取り出し、俺と朝比奈さんにも見えるよう、愛車の座席の上にそれを広げた。

101: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:10:02.407 ID:uV5vYudV0.net
「えー……これは今日の朝刊。昨日の夕暮れ時、Dioが、カンザス・シティから90kmのところにある町に到着したらしいわ」

と、ハルヒが先ほどまでとは少し違う声色で、指の節をを唇に当てながら言う。確かフォースステージが始まって、今日が二十日目。予想行程日数の二十一日ってのがほぼドンピシャのようだ。

「90kmぐらい、Dioなら一日で越えちゃうと思うけど、Dioはゴールの前に、衣服を取りに行くはず」

そこまで言うと、ハルヒはカバンからもう一枚、ペンで赤く印のつけられた新聞を取り出し、

「で、Dioの他に衣服を狙っていそうなのは―――っていうより、今からでも狙えそうな範囲までたどり着いてると思われる面々が、目撃されてる限りだと……こんな感じ」

見れば、新聞の空欄部分に、ハルヒのものらしき文字で、数名の名前を書き込まれてあった。

『ノリスケ・ヒガシガタ』
『ジョニィ・ジョースター』
『ジャイロ・ツェペリ』
『ホット・パンツ』
『ドット・ハーン』
『ポコロコ』
『サンドマン』

「ホット・パンツは相変わらず先頭あたりにいるみたいだな。あとは……知らない名前だ」

「私もほとんど知らない名前だけど、噂で聞いた名前ならあるわ。『ノリスケ』は聞いてわかる通り日本人で、レースの序盤は下位だったけど、ここにきて追い上げきてるみたい」

そう言いつつ、数枚の写真を新聞紙の上に並べるハルヒ。写真まで手に入れたのか……ハルヒの情報収集も結構気合入ってたんだな。

「『ポコロコ』は、やる事を見る限り何を考えてるのか分からないけど、やたら好成績な……よくわかんないやつよ。『ジョニィ』と『ジャイロ』はコンビを組んでるみたい。『サンドマン』は、なんと自分の脚だけでレースに参加してるネイティブアメリカン」

ああ、とりあえず、最後のは間違いなく能力者だな。でなきゃ頭がおかしいだけで、頭がおかしいだけなら、このフォースステージで先頭集団に食い込んでなんかいないだろう。

103: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:12:02.394 ID:uV5vYudV0.net
「お料理上手なホット・パンツも好成績。ドット・ハーンも、地味だけど結構スゴイヤツみたいね。Dioと衣服の取り合いができそうなのは、こんなところだと思うわ」

ハルヒが小さくため息をつく。確か衣服がカンザス・シティにあると知っているのは、Dioが持っていたんじゃないほうのハルヒの靴を持っている奴、のはずだったよな?

「それであってる。それと補足だけど、ロッキー山脈の村にあった私の靴を手に入れたのが、Dioともう一人の誰かなら、その時点で、そいつはDioと靴の奪い合いを出来る近さにいた」

ハルヒの言葉に、俺はここまでのステージの上位着順の載った紙面に視線を移す。サードステージで、Dioと近い成績でゴールしてるやつが怪しいってことだ。

「ホット・パンツにジョニィにジャイロにポコロコにサンドマンに……今の先頭集団のメンツと大体一緒じゃねーか」

「そうなのよ。どいつもみんな怪しいわ……それに、靴の他にも、すでに誰かに見つかってるはずの衣服はある」

「……考えてもしょうがないんじゃないか? とりあえず、Dioやこいつらに遭遇しそうになったら避けるってことにしておこうぜ」

そりゃ、俺たちが元の世界に帰るためにハルヒの衣服が必要だってなら、いつかは誰が衣服を持っているか突き止め、何らかの方法で奪い取るってことになるんだろうが、現状でそれをやるのは難しい。

「歯がゆいわ……どうしてもっと攻撃的な『力』じゃなかったのかしら」

唇を尖らせるハルヒ。ああ、悪かったな。俺は温厚だから、暴力的な能力には向いてなかったんだろうよ。

「温厚じゃなくてヘタレよ」

「ま、まあまあ、涼宮さん、キョン君……」

眉をハの字にした朝比奈さんが、サイドカーの中で困りながら笑っている。彼女の能力も、まだ詳細は分かっていないが、性格的にあまり攻撃的なやつであることは考えにくいしな。

「まあいいわ。そろそろ出発しましょう……今夜のうちに、できるだけ進みたいわ」

と、ハルヒ。今夜のうちにって、俺に夜通し走らせる気かよ。

105: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:14:03.203 ID:uV5vYudV0.net
「そうよ。私の予想だと、まず間違いなく明日の早い時間に、先頭がゴールするわ。その時、すぐに速報が見たいの。少なくとも次の町までは休ませないわよ」

頭痛を覚え、頭を抱える俺。次の町って、確か12kmぐらい離れてなかったか……?
そんな俺をよそに、ハルヒはいそいそと後部座席にまたがる。

「出発よ、二人とも。心配ないわよ、言うじゃない、『三人寄れば文殊の知恵』って」

文殊の知恵じゃ、アメリカ大陸横断はできねーんだよ。

その日の夜、俺たちは見事なまでの『嵐』に見舞われた。
ドウドウと鳴り響く雨音、風の音。大地はぬかるみ、川は増水し、それはもうえらいことだった。何しろ、道が合っているかどうか方位磁石を見ようとしても、ガラス面が水滴まみれになっちまって方角を確認できないほどだからな。

「何でこういうことになるのよ!」

後部座席で、俺が着こんでいるのと同じ雨具に身を包んだハルヒが叫ぶ。しかし、これは他ならぬ天災というやつであり、泥にタイヤを取られないよう愛車を運転するのに必死な俺に怒鳴られても、どうにもしようがない。

「駄目だハルヒ、朝比奈さんが参っちまう、やっぱ町に戻ろう!」

夕方ごろから出だした朝比奈さんの熱は、一向に引かない。華奢な体をサイドカーのシートに預け、力なくうなだれている朝比奈さんは、俺とハルヒと同じ雨具を身に着けてはいるが、体力は消耗していく一方だ。

「無理よ、町に帰り着くころには深夜になっちゃう! それに、道に迷っちゃうわ!」

俺が先ほどから何度か提唱している案を、ハルヒはバッサリと切り捨てる。確かに地図を見るにも一苦労、コンパスを見るには二苦労という現状では、正確に帰路を辿ることは難しいかもしれないけどよ。

「この川の上流には、絶対町があるのよ、地図にも載ってる! そこまでたどり着いて、みくるちゃんを医者に見せるのよ!」

107: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:16:27.255 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒが、雨音と、増水した川の流れる音に負けないよう、叫ぶような音量で言う。しかし、次の町までは少なく見積もってもまだ30kmはあり、この嵐では、俺の愛車も普段通りのスピードで走ることはできない。
俺は先ほどから、ひとまず雨をしのげるような、屋根のある建物が、そこらへんにないかと注意しながら走っているのだが、それもどうにも見つからない。川沿いを走っているのだから何かしらあってもいいと思うんだが―――

「! キョン、あそこ……何かあるわ」

と、不意にハルヒが声を上げた。雨具のフードの下で光っていたハルヒの眼が、俺たちの行く手の一点を見つめている。それに倣い、俺は雨粒で霞んだ大気の向こうを睨む―――すると。

「『馬車』だわ、馬車が停まってる」

馬車。この嵐の中?
普段と比べたらだいぶ緩慢なスピードで、ハルヒの見つけたシルエットに接近してみる。
すると、それはハルヒの言う通り、二~三人乗りと思われる馬車であるらしく、四つの車輪を履いた屋根付きのシートと、二頭の白馬が、忘れられた放置自転車のように佇んでいる様子が見て取れた。

「馬車か……ハルヒ、朝比奈さんを乗せて町まで行ってくれるよう頼んでみないか? あの馬車なら雨ぐらいはしのげそうだ」

「それもアリかもしれないわね……でもちょっと待って、少し様子がおかしいわ」

そうハルヒが言った直後、

「ア―――ン!」

雨と川の音に紛れて、俺たちの前方から誰かの叫び声が聞こえた。一瞬、聴き間違いなんじゃないかと思ったのだが、次の瞬間、その声に応えるように、

「お母さ―――ん!」

と、幼い子供らしいよく通る声が、最初の声よりも俺たちに近い位置から聴こえてきたことで、俺は近くで何かが起きているのを察し、愛車を停止させた。

「キョン、馬車のそばに人がいるわ―――あっ、あれ!」

ハルヒが叫び、先ほど、子供の物らしき声が聞こえて来たのと、ちょうど同じ方角を指で示す。その軌道を視線で追ってみると―――カフェオレ色の濁流の中に、先ほどの声の主と思われる者がいた。
子供だった。まだ、俺の妹と同じくらいの年齢と思われる、子供らしき人の姿が、ドバドバと荒れ狂う水面に浮かんでいて、俺たちのいる方向へ向かって流されてくるのだ。

108: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:18:02.308 ID:uV5vYudV0.net
「あの馬車のところにいる人の子供か? 何でこの嵐の中、馬車から降りたんだ?」

「知らないけど、助けないと!」

ハルヒが言うのだが―――しかし、川の流れは非常に激しく、泳いでどうこうできる状況ではないし、投げてよこしてやれる浮き輪だのも持っていない。ワナを作るためのロープくらいならあるが、川を流されているあの子供の手の届く範囲までは届かないだろう。

「ハルヒ、無理だ、この状況じゃ……俺たちにやってやれることはない」

「でも……でも!」

歯がゆそうに眉をしかめるハルヒ。俺だって悔しいさ。しかし俺たちには何もない。何もできない―――
いや、待てよ?

「……ハルヒ、一回降りてくれるか。朝比奈さんといっしょに」

「えっ?」

俺がそう言うと、ハルヒは川へ集中させていた視線を俺の方へと向け、困惑した声を上げた。―――俺の予想なら、行けるはずだ。
だって何しろ、

「俺の愛車に不可能はないんだったよな?」

と、ハルヒもそこでようやく、俺の思考を読み取ったらしい、すこし驚いたように目を丸くした後、この状況に似合わない笑顔を作り、

「そうよ、そうだったわね! 行ってきなさい、キョン!」

後部座席からぴょん、と、ぬかるんだ大地に降り立ちながら、俺の背中をバシっと一回叩いた。そしてサイドカーの朝比奈さんの体を起こし、シートから降ろす。―――準備はオッケーだ。

110: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:20:02.618 ID:uV5vYudV0.net
「やってやろうじゃねえか―――行くぞ、『シックス・センス・アドベンチャー』!」

その名を俺が呼ぶと同時に、愛車のタイヤが回り始め、俺の体を濁流の方向へと運び始める。体の中から力が漲ってくる感覚を感じながら、俺はアクセルを吹かし、その濁流の『上』に乗り上げた。

「よし……イケるぞ、ハルヒ!」

泥ですこし汚れた愛車のタイヤが、荒れ狂う水面の『上』を転がり、俺の体を川の中央部へと運ぶ。
まもなく、子供が流れてくるであろう位置までたどり着くと、俺は片手をグリップから離し、向かってくる子供の、水面から突き出した腕を掴むべく、激流を逆走した。

ガシッ

「掴んだッ!」

朝比奈さんとともに、川辺で俺の動向を見守っていたハルヒが、快哉の声を上げる。濡れて滑っちゃいるが、しっかりと子供の腕を掴んだ俺は、そのまま陸を目指して、アクセルを―――

プシュンッ

「……え?」

アクセルを―――吹かそうとしたその瞬間。奇妙な音が、愛車のマフラーから鳴り響いた。そして直後、

「うおっ!?」

沈んだ。
俺と、俺の愛車が、激流の中に、ズボォッっと音を立て、沈んだのだ。

「キョンッ!?」

川辺のハルヒが声を上げる。泥色の川の中央に沈んだ俺の体は、浮かび上がると同時に、濁流の勢いに任せ下流へと流され始める―――おい、どうなってる。俺の愛車に不可能はないはずじゃなかったのか。
いや、そうか―――なるほど。

113: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:22:03.015 ID:uV5vYudV0.net
「ハルヒ、分かったッ! お前から離れちまったから、俺の能力が弱まって―――」

叫んだ俺の口の中に、泥のニオイのする水が流れ込んでくる。ヤバい。この状況はヤバい。子供の腕はしっかりと掴んでいるのだが、このままじゃ俗にいう二次災害ってやつになっちまう。
どうすればいい。もし水の上を走れなかった場合に危険だからと、ハルヒと朝比奈さんを下したのが間違いだったか。
ハルヒに再び接近すれば能力は蘇るんだろうか? 町で辻タクシーをした時は俺一人でも走れたんだが、水の上となるとそうはいかないらしい。

「はわ、キョン君……!」

雨音と激流、二つの水音が、俺の鼓膜を埋め尽くしていた中で、ふと、朝比奈さんの声が聴こえた。全力で川の流れに逆らい、水面から首を突き出して、ハルヒと朝比奈さんの方向を見る俺。
熱に浮かされていたはずの朝比奈さんが、ハルヒの肩を借りて立ち、流される俺と子供を見つめていた。と、一瞬、その視線が下流の方角へ投げられる。

「キョン君たちを助けて……おねがいっ!」

胸の前で手を合わせ、空を見上げ、朝比奈さんが叫んだ。ああ、俺も神に祈りたい―――神様と似たようなヤツならちょっと離れたところにいるんだが、今そいつに祈っても、現状をどうにかするのは難しいだろう。
ハルヒが本気で願ったことは現実になる。ってのが、俺たちのもともといた世界でのルールだったわけだが、どうもこの世界に来てから、ハルヒの本来の力はなりを潜めているようだしな。
今のハルヒは、衣服のありかを感知したり、そばにいる人間から能力を引き出すことくらいしかできないはずだ。そう、ハルヒのそばにいる人間なら、きっとこんな状況でも―――

「―――お願い、『サムデイ・イン・ザ・レイン』!!」

いよいよ切羽づまり、現実逃避じみた思考に走り出した俺の意識を、朝比奈さんの甲高い声が、現実に返した。何だ? 朝比奈さんは、誰に何と叫んだ? 俺が川の流れに翻弄されながら、再び朝比奈さんの方を見ると―――同時に。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ

地響きにも似た、低く重い音が、上空から降り注いできた。それに呼ばれるようにして、視線を上方へと向ける。先ほどまでと変わらず、そこには分厚い雨雲がどこまでも広がっているだけで、何も変わったところは―――

「この音……雷?」

と、上空を見上げていたハルヒが、誰にともなく呟いたのが、辛うじて俺にも聞こえた。雷?

115: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:24:02.562 ID:uV5vYudV0.net
「これは……みくるちゃん、まさか―――」

はっと、何か閃いたといったような表情を浮かべ、ハルヒが傍らの朝比奈さんに向き直る―――その直後だった。

ズガァ――――ン

「いっ!」

鼓膜を蹴破らんばかりの轟音が、あたりに響き渡った。やはり上空から聞こえてきたその音は、先ほどハルヒが述べた通り、雷―――落雷の音であるように聴こえた。少なくとも、俺の耳には。
そして、その落雷が発生した場所は、音の近さからするに俺たちのすぐ近く。位置としては、俺たちのいる位置よりももう少し下流寄りの、川辺のどこかだ―――雷が落ちたと思われる方角へと視線を向けると、そこには。

「『スギの木』に、雷が落ちた……!」

先の轟音を受け、耳をふさいでいたハルヒが、俺同様、下流へ視線を向け、呆然と呟いた。俺たちが見た先には―――吹きすさぶ風に揺れる、一本の巨木が立っていたのだ。どうやら例の雷は、その木に落ちたらしい。
そして、次の瞬間―――その巨木が、左右に『割れ』た。まるでどこぞのチーズを真ん中から二つに割いたかのように、綺麗に二つに、割れたのだ。

ドバァァァァァン

そして、そのうちの一方は、雨でぬかるんだ大地の上に音を立てながら倒れ―――もう一方は、水音と飛沫をまき散らしながら、激流の上に倒れ込んできた。まるで、『桟橋』のように。

「キョン君、その木に捕まってッ!」

朝比奈さんの声で、ようやく状況を理解した。今の落雷は、Dioの時の酸性雨と同じなのだ。朝比奈さんが、自身の『能力』で杉の木に雷を落とし、この濁流に、桟橋を作り出したんだ―――。

117: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:26:02.396 ID:uV5vYudV0.net
「お母さんッ!」

「アン……おお、アン……!」

朝比奈さんが作り出した桟橋を伝い、川辺へと上がった俺と、アンという名前らしい少女のもとに、ハルヒと朝比奈さん、そして少女の家族と思われる、馬車のもとに立っていた女性が駆け寄ってきた。
抱擁を交わす少女と母親らしき女性。数秒ほど抱き合った後、母親は俺たちへ視線を向け、

「ありがとうございます……子供の命を助けていただいて、本当にありがとうございます」

「良いの良いの、当然の事をしたまでなんだから!」

成り行きを見守っていただけのハルヒが、俺の吐くべきセリフを奪ってゆく。ま、ハルヒが朝比奈さんのそばに居たからこそ、朝比奈さんの能力が発揮されたのだと思えば、ハルヒも何もしてなかったわけじゃないか。
この二人は、川の上流にある町で暮らす親子で、馬車で隣町へ向かう途中、嵐に巻き込まれたのだという。俺たちが親子の暮らす村を目指していることを聴くと、馬車に乗せ、連れて行ってくれると言ったのだが、

「せっかくだけど、足は間に合ってるのよね」

と、ハルヒが断ってしまった。なんだよ、俺は乗りたかったぞ、馬車。まあしかし、俺の愛車を積み込めるほどデカい馬車じゃなかったし、仕方ないかとも思う。
桟橋にウマいこと引っかかったことで、下流へと流れ去ることを免れた俺の愛車は、ぶっ壊れちゃいないかと心配だったのだが、泥水を被って汚れたことを除けば特に問題はなさそうだった。
ま、仮に錆びたり壊れたりした所で、俺たちが乗れるような形さえ保っていれば、こいつは走ってくれるんじゃないかとも思う。もともと、燃料が入ってないのに走っている時点で普通じゃありえないことだしな。
親子は俺たちに感謝の意を述べた後、隣町を目指して去っていった。礼の品や金をくれるとも言っていたのだが、それもハルヒが断った。まあ、俺としても、金のためにやったわけじゃないしな。

「キョン、よくやったわ」

と、ずぶ濡れの俺の肩を再び叩き、ハルヒが言う。そして、

「みくるちゃんも、スゴイじゃない、あなたの能力!」

そう、朝比奈さん。彼女が助けてくれなければ、俺は愛車と少女ともども、川の底に沈んで、考えることをやめていたかもしれない。朝比奈さんは、恥じらいと困惑の混ざった様な顔で笑ったあと、

119: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:28:02.380 ID:uV5vYudV0.net
「いえ、私、とにかく必死で……キョン君が無事で、よかったです。それに、少しわかりました、その……私の『能力』のこと」

と、すこし畏まった表情を浮かべ、

「……Dioさんの時も、さっきも、私、空にお願いしていたみたいなんです」

顔を見合わせる、俺とハルヒ。一瞬置いた後、ハルヒが、

「空? ……もしかして、天気を操れるっていう事?」

「いえ、操れるっていうほどじゃないんですけど……私にできるのは、空と『おしゃべり』することだけ。それで、お空が私のお願いを聴いてくれたときなら、少しだけ」

その言葉を受け、空を見上げてみる。あの騒ぎで忘れそうになっていたが、嵐は今も続いているんだったっけな。風は少しマシになったが雨粒はまだまだ俺たちの体を濡らし続けている。

「……『サムデイ・イン・ザ・レイン』……お願いします」

朝比奈さんが、呟くほどの音量でそう口にした。視線を下すと、朝比奈さんは先の落雷の時と同様、胸の前で手を合わせ、目を閉じている―――その時。

「あっ」

空を見上げていたハルヒが声を上げた。再び視線を空に向けると―――分厚く空を覆っていた雨雲に、変化があった。ちょうど俺たちの上空にあたる部分の雨雲が、少しづつ左右に分かれ始めたのだ。

「この嵐を晴らしてってお願いしてみたんですが……晴れたのは、私たちのところだけ、みたいですね」

十数秒間、俺とハルヒ、言葉も発せず、見る見るうちに形を変える雨雲を見つめた。十日前、Dioを追い払った時同様に、俺たちの上空の部分だけ、雲にぽっかりと穴が開いて、やがてそこから鮮明な星空が臨めるようになった―――
これって、さっきハルヒも言っていたが、結構スゴイ能力じゃないか?

「多分、これでもう、嵐は怖くないね」

笑顔を浮かべる朝比奈さん。その肩に、感極まったハルヒが抱き着く。

120: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:30:04.430 ID:uV5vYudV0.net
「みくるちゃん、スゴイ、あなた最高! コノ、コノっ!」

「ひ、ひえぇ、やめてください、涼宮さーん」

じゃれ合う二人を見ながら、俺はボッサボサになった前髪をかき上げ、朝比奈さんによって作り出された異常気象の空を見上げた。―――最強のお天気お姉さん。旅をする仲間としては、これほど心強いものもないな。

「あれ、朝比奈さん、そういえば、熱は?」

「あ、なんだかもう、大丈夫みたい。ごめんなさい、心配かけて」

俺が、先ほどまでのぐったりしていた朝比奈さんの姿を思い出してそう訊ねると、朝比奈さんはケロッとした様子で答えてくれた。もしかして、能力に目覚める前兆みたいなもんだったんだろうか。俺の時はなかったけどな、そういうの。

「あんただって、あの最初の夜、えらい辛そうだったわよ。ホット・パンツの話も聞かずに寝ちゃったじゃない」

と、ハルヒ。あれ、そうだっけ?

「よーし、キョン! きっと、レースの参加者は、嵐で思うように進めてないはず。私たちはこの嵐のうちに、一気に追い上げるわよ!」

朝比奈さんと顔を並べ、ハルヒが元気よく言う。ああ、予想はしてたが、やっぱ夜の間中走らされるのか。

「それじゃ、行きま―――」

朝比奈さんを解放し、俺の愛車の後部座席に飛び乗るハルヒ―――と、その表情が一瞬強張ったのを、俺は見逃さなかった。

「どうした?」

「……誰かが私の衣服を手に入れたわ、今」

ハルヒは、口調と表情を一気に物々しく変化させ、そう言った。

122: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:32:21.251 ID:uV5vYudV0.net
「分かるのよ、誰かがカンザス・シティの衣服へたどり着いたんだわ……でも、おかしいわね、Dioや、ほかのレースの参加者にしては、ちょっと早すぎる。まだあと何時間かはかかるはずよ」

時計を見ながら言い切ったハルヒの予感が外れているとは思わないが、そこまで詳しいことがわかるもんなのかとも思う。Dioが思ったより早いペースで進んだだけなんじゃないだろうか。

「そうなのかしら……そんなペースで進んでたら、馬が潰れちゃうと思うけど。この嵐の中なんだし」

馬の移動距離だの、長距離走った場合のペースだのの情報が、ハルヒの頭にはしっかり入ってるらしい。
俺と朝比奈さんは顔を見合わせ、首を傾げた。ペース的にありえない早さだと言うならなら、Dioはおそらく先頭なんだから、後続がDioより早く衣服の場所にたどり着いたとも考えにくい。

「じゃあ、レースに参加してる人じゃない誰かが……?」

朝比奈さんの言葉に、今度は俺とハルヒが顔を見合わせる。

「その可能性が高いかも……てっきり、レースの参加者たちだけが衣服を狙っているものだと思ってたけど、他の勢力も絡んでるとしたら……」

……めちゃくちゃ厄介なことになるな。

「カンザス・シティの衣服を手に入れた人は、次の衣服がミシガン湖にある事にもたどり着く……レースの事なんて関係ないヤツにそれが知られたら、けっこう面倒ね」

ハルヒは眉間に指をあて、ため息混じりに言った。
そもそも、考えてみればハルヒの衣服を本気で集めようと思ったら、レースなんか無視して、列車とかで先回りなんてのもアリなんだよな。ハルヒの衣服に秘められた力が、レースの賞金よりも大事だとしたらさ。

「少なくとも、Dioは絶対にそれはしないでしょうね。ほかの連中は知らないけど」

と、ハルヒ。確かにDioは、レースを制することに相当の執念を燃やしているって聴いた覚えがある。誰かの噂話だったか新聞の記事だったか、忘れたが。

「……ミシガン湖に先回りするなら、そうとう本気にならないといけないわね」

呟くハルヒ―――しかしそう言いながら、ハルヒの眼は燃えていた。俺にはわかる。こいつはもう、『そうとう本気』なんだろうってな。

To be continued↓

123: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:33:28.017 ID:uV5vYudV0.net
こっから飯食いながらになるからちょっと間隔ばらつくかも
ちなみにこれで1/3ぐらい
125: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:34:38.333 ID:uV5vYudV0.net
「Dioが五十四着!?」

朝食の、オクラの入ったシチューをほおばっていた俺は、ハルヒの言葉を受け、思わず絶叫した。ハルヒは今朝到着したばかりの新聞の紙面に目を落としながら、

「ええ、五十四着。間違いないわ。オッズは大混乱でしょうね」

と、冷静に言葉を紡ぎ、コーヒーカップに口を付けた。

「Dioさん……あんなにリードしてたのに、どうしてでしょう?」

ライムギのパンを細かくちぎりながら口に運んでいた朝比奈さんも、すこし呆然とした様子で首をひねっている。
Dioはフォースステージの十日目に、先頭だろう位置で俺たちが目撃しているし、昨日の新聞でも一位通過間違いなしと予想されていたはずだ。それがどうして54着なんだよ。

「どうも、馬に相当ダメージを受けたらしいわ。間違いなく、衣服の取り合いが原因でしょうね」

ニンジンのピクルスを一切れ口に放り込むと、ハルヒは続けて、

「一着はノリスケ、二着はポコロコ。続けてジャイロ・ツェペリ、ジョニィ・ジョースター、ドット・ハーン……サンドマンが六位で七位がホット・パンツ。この中の誰かが、衣服を手に入れたんでしょうね……別勢力って線も、まだあるけど」

俺は考える。Dioがそこまでのダメージを受けたということは、カンザス・シティにあった衣服がDioの手に渡ったとは考えない方がいいだろう。すると、Dioは次の衣服のありかを掴んでいないってことになる。

「微妙だな……でも、これで、ミシガン湖にDioに先に行かれる可能性はなくなったか」

「順位もさることながら、馬が潰れたDioは、しばらく思うように動けないでしょうね。でも、リタイアしてほかの方法でっていう選択もしなかった。多分、次とその次のステージぐらいは捨てる覚悟で五十四着ゴールインなんだと思うわ」

Dioは一時、先頭集団を離れるってことか。そうなると一つ、あまり考えたくない可能性が出てくる。

「でも、馬が回復するまでの間、Dioがおとなしくしてるとも考えにくい……衣服を持っている誰かや、私たちを狙って攻撃を仕掛けるかもね」

126: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:36:05.892 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒの言葉を受けた、俺と朝比奈さんの眉間にしわが寄る。Dioの持つ能力……恐竜に変身する『スケアリー・モンスターズ』とやらと張り合えるだけの攻撃能力を、俺たちは持っていない。

「……そもそも、なんですけど」

口を開いたのは、朝比奈さんだ。

「どうしてレースに参加してる皆さんは、涼宮さんのお洋服を狙うんでしょう? 私たちは、元の世界に帰るために、服をすべて集めるっていう目的があるけど……この世界の人たちは、衣服を集めることで、何をしようとしてるのかな」

「それは……」

何か言おうとして、それをコーヒーと一緒に飲み込み、黙り込むハルヒ。確かに俺もその点は気になっている。よくあるところで言うなら、衣服をすべて集めることで、自分の能力がさらに強力になる―――とか?

「そういうのもあると思うけど、それだけじゃないんだと思う」

パンの欠片をかみ潰しながら、ハルヒ。

「きっと、個人がどうこうなるだけじゃない。もっと根本的なこと……この世界にかかわる『何か』が起きるんじゃないかしら」

ハルヒの服にそんな力がねえ。一聴すると突飛な話だが、そんな話も、俺の知る『世界』でのハルヒの持っていた力の事を考えると、ありえない話じゃないと思えてくる。

「しかし、どいつもこいつもがそんな……世界をどうにかするために、衣服を集めようとしてるともなあ……」

「そうね、もっと単純な目的で動いてるヤツもいると思う。さっきあんたが言った、衣服が引き出す能力目当てとか、あるいは、誰かにお金で雇われてるとか」

雇われてる。なるほど、そんな線もあるか。

「でも、衣服を狙うヤツのうち、少なくとも誰か一人は、衣服に秘められた力に気づいてる者がいる。これはただの私のカンだけどね」

お前のカンはよく当たるからな。

129: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:38:03.017 ID:uV5vYudV0.net
「とにかく。フィフスステージはもう始まってるわ。私たちもミシガン湖を目指しましょう。大丈夫、Dioが先頭を離れるって言ったって、わざわざ私たちを探しにコースを逆走なんてしないわよ」

そうだな。俺がDioでも、レース参加者の方で衣服を持ってるヤツがいるというなら、そっちを優先して狙うさ。
それにしても……Dioが五十四着ってのは予想外にもほどがある。俺はDioが一着だと信じていたってのに。

「何よ、ずいぶんDioの順位にこだわるわね、あんた」

「ああ……賭けてたんだよ……Dioの単勝に……な……」

俺の言葉を受けたハルヒが、一瞬目を見開いた後、眉をしかめ、哀れなものを見るように俺を見た。

「どうしてこんな不幸なことが……俺の身にばかり……」

Dioの事は金輪際信用しないぞ。
金輪際だ。

俺たちがカンザス・シティにたどり着いたのは、その翌日、ちょうど夜明けと同時にだった。
サードステージまでは、先頭集団と一日差でゴールへ到着していた俺たちだが、フォースステージの途中十日もロスったことを考えれば、二日という時間の差はまずまずだと思う。
そのフォースステージの着順予想で、俺の道楽魂が独り歩きした結果、五十ドルほどの現金をドブに捨てる事になってしまったが、実際のところ俺たちはそう金に困っていない。サイドカーの購入費が、当初の予定よりもだいぶ安く上がったためだ。
カンザスにて、町を訪れるたびの楽しみの一つとなっている、備品や食料の買い足しを済ませた俺たちは、あろうことか到着したその日のうちに旅立った。俺はせめて一泊くらいしようと考えていたのだが、我らが団長が、

「眠る事なんて、キャンプ道具さえあれば、したいときにどこでだってできるわ。そんな事にお金や時間を費やしてる場合じゃないわよ」

と、ミシガン湖への熱い思いを俺たちにゴリ押ししてきたため、結局、カンザスに滞在した時間は、これまで立ち寄った町の中でも最も短い、約三時間ほどで、俺たちは休む間もなくフィフスステージのコースへと進むことになってしまった。
このステージの特徴と言えば、やはり半分ほど進んだ所に横たわっている、ミシシッピー川の存在だろう。しかし俺の愛車とハルヒが揃えば、川を越える事なんか何でもない。

131: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:40:29.159 ID:uV5vYudV0.net
「川越えはできるだけ、他の参加者に見られたくないわね。衣服を持っていると思われたら厄介だわ……本当なら、高笑いしながら渡って見せたいけど」

ハルヒが一抹の理性を持っていてくれてよかったよ。
Dioの他には、Dioが誰かに話しでもしていない限り、まだハルヒが衣服と同じ力を持っていると知っている参加者はいないはずだ。それを余計な『目立ち』で浮かび上がらせたくない。
可能なら、誰にも気づかれず、誰よりも早くミシガン湖へ。それが俺たちの今の目標だった。

「しかし走りづらい地形だな……地面が耕してあって柔らかすぎるぜ。それに、このトウモロコシも邪魔だ」

額に滲んだ汗を拭いながら、俺は不満を口にする。ここら一帯は農耕地帯であるらしく、馬で移動する分にはいいんだろうが、バイクとはどうにも相性が悪い。
この分だと、ほぼ休みなく走っても、一日に100kmかそこらしか進めないだろう。ミシシッピーに近づくにつれて虫も多くなり、キャンプする場所を探すのにも苦労しそうだ。

「ねえ、キョン、知ってる? トウモロコシって、宇宙から来たかもしれないのよ」

と、俺を馬車馬のごとく働かせている雇い主が、突然そんなことを言い出した。

「アメリカはトウモロコシ文化でしょ? そのアメリカにトウモロコシがやってきたのは、宇宙人とコンタクトした際に、種をもらったんだっていうのよ」

トウモロコシを差し出してくる宇宙人。俺は脳裏に、麦わら帽子をかぶり、背中にカゴ満タンのトウモロコシを担いだオーバーオール姿の長門を思い浮かべ、笑いにもならないような笑いを漏らした。

「宇宙人……ぷふっ」

おそらく、朝比奈さんも似たようなものを思い浮かべたんだろう。サイドカーのシートの上で、口元を手で押さえ、肩を震わせている。ハルヒ、今のはここ最近のお前の話の中じゃ、抜群に面白かったぞ。

「そう? でも怖いわよ。今やトウモロコシを食べてるのはアメリカ人だけじゃない、全世界の人々が、当たり前に食べてるトウモロコシが、実は宇宙から来ていたら。きっと、地球人はいつか、内側から乗っ取られてしまうわね」

そりゃ怖いな。自我を保っていられるのが、トウモロコシアレルギーの人間だけになっちまう。

133: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:42:12.422 ID:uV5vYudV0.net
「あ、私、よくポップコーン食べてましたよ。元いた時だ……世界で。おいしいお店があるんです、なんとポップコーンが溶けちゃうんですよ?」

いつもは微笑みながら、俺とハルヒの会話を見守っていることの多い朝比奈さんが、珍しく話に乗ってきた。そういや俺も聞いたことがあるな。小さいバケツに一杯で結構な値段がするんで、食ったことはないんだが。

「宇宙人の映画を見ながらポップコーン食ってるやつは、もう手遅れかもしれませんね」

「あら、私、スター・ウォーズを映画館で見たわよ、子供の頃。でも、ポテトチップス食べてたかな」

映画館でポテチ食うなよ……どう考えても騒音被害出るだろ。

「あら、あんた知らないの? ポテトチップスを音たてずに食べる裏技あんのよ?」

「そりゃ初耳だ。この世で、映画館以外の場所じゃ、何の役にも立たない裏技だけどな」

「今度教えたげる」

いいっつーの。ポテチはバリバリ言いながら食べるのが醍醐味だ。もそもそ食ってたら、気分が暗くなると思うぜ。

「ポテトチップス、食べたいなあ。この時代にもあったのかなあ」

風になびく栗毛色の髪が綺麗な朝比奈さんが、ジャンクフードへの懐かしさを空中に浮かべ、ぽやんと見つめている。するとハルヒは、

「ポテチは十九世紀にもあるわよ。知ってる? あれって、元は料理人の嫌がらせだったのよ?」

「ふぇ? どうしてポテトチップスで困るんですか?」

「つまりね―――」

135: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:44:05.918 ID:uV5vYudV0.net
 ……おい、何だ、今、ハルヒと朝比奈さんの会話を聴いていて、俺の胸に走った気持ちは。
なんか今―――結構平和で、いい感じなんじゃないか? このヘンテコ世界もさ。

「何なら今夜揚げてあげよっか? ハルヒ特製ポテチ。確かまだ芋はあったわよね」

「え、作れるんですか? スゴイ……」

「もちろんよ。キョン、あんたも食べたい?」

「あ、ああ、いいな。俺は少し堅めのヤツが好きだな……ははは」

……いや、分かってる。俺自身もよくわかってるんだ。もともといた世界の方がいいに決まってる。
しかしなんだ、持つべきものは仲間というべきか、こうして三人で駄弁りながら、長閑な風景の中を走っていると、この世界も案外悪くないなっていうような気持ちが湧いてくる。
と、言うか……ハルヒの奴が、俺に無理やり免許を取らせてまでバイクに馳せていた憧れってのは、つまりこういう感じの事だったんじゃないだろうか。
考えてみれば、仲間と一緒にバイクでアメリカ大陸を走るなんて、俺一人の人生だったら一生あり得なかったろうな。

「おい、ハルヒ」

「ん、何よ?」

「悪くないな、バイクってのも」

俺がそんな言葉を漏らすと、後部座席のハルヒは何かしら反応を返してきたようだったが、その内容は、エンジンの音にかき消されて、俺の耳には届かなかった。

カンザスを出てから、すっかりトウモロコシと仲良くなった俺たちは、六日ほどかけ、ミシシッピー川の流れを臨める地点までやって来ていた。
周囲を見渡すと、トウモロコシの影の中を進む、馬に乗ったレース参加者と思わしき人影がいくつも伺える。やはり馬に乗る者たちにとって、川越えはそう容易いことではないらしく、皆、二の足を踏んでいるようだ。

137: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:46:03.225 ID:uV5vYudV0.net
「みんな、底の浅い部分を探しているのかしら……あ、あれ、『ポコロコ』が川を渡ってるわ」

ハルヒが言う。その指が示す先に視線をやると、ゼッケン付きの馬に跨った黒い肌の男が、今まさに、ミシシッピーを渡っているのが見えた。結構なスピードを保ったまま、川の流れに対して垂直に進んでいる。

「あれがポコロコか、ナマで見たの初めてだ。でも、普通川越えって、もっと慎重に行かないか?」

俺が思ったことを口にしてみると、ハルヒは、

「そうね、あんなスピードじゃ、もし馬が足を取られたら―――」

と、俺へ返答しかけ、すぐさま、

「あっ、コケた!」

ミシシッピー川を中ほどまで進んだ所で、急にポコロコの馬が傾き、その右半身が、ズボっと水面に深く食い込んだ。部分的に深いところでもあったのだろうか。
バランスを崩したポコロコは、背中の荷物の重さに引っ張られ、ついに、

「落馬した!」

どぼーん。馬から滑り落ち、ミシシッピーの水面が飛沫を上げた。

「おい、何だありゃ。あれでここまで好成績なのか?」

俺は馬術のことは珍紛漢紛だが、今のポコロコの有り様がろくでもないってことくらいわかる。俺の問いかけに、ハルヒは双眼鏡を目に当てたまま、

「言ったじゃない、よく分からないヤツだって。あらら、流されて行っちゃうわ……」

さらばポコロコ。実は、フォースステージの着順予想でDioに賭けるかポコロコに賭けるか迷ったんだが、こりゃポコロコに賭けなくて正解だったな。いや、結局一位はノリスケだったんだからどのみち正解はしちゃいないが。
と、その時。

138: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:48:02.800 ID:uV5vYudV0.net
「あれ、ポコロコが起き上がった。何かに引っかかったのかしら」

ハルヒの言葉に、再びミシシッピー川を睨む。どうやら、たまたま浅い部分があり、そこに乗り上げた形で、流されるのを回避したようだ。上半身を起こしたポコロコは、起き上がりながら、手に何かを持っている。何だあれ、網?

「網みたいね。誰かが魚を捕るために仕掛けてた網に引っ掛かったんだわ。馬にダメージもなさそうだし、ついでにオサカナもゲットしてるわ」

「すごく運がいいんですね……」

ハルヒの実況中継に、唖然とした様子で呟く朝比奈さん。落馬して逆にラッキーってのもなかなか無いだろう。もしかしてあのポコロコは、ここまでもあんな感じで来ているんだろうか?

「あれが彼のやり方さ」

魚の入った網を担いだポコロコが、ミシシッピーの中ほどから、向こう岸に向かって再スタートしたのと時を同じくして、突然背後から声がしたもんで、結構ビビった。
このトウモロコシ畑には身を隠すところがいくらでもあるので、どこかにDioでも潜んでいないかと心配していたもんだから、尚更な。
しかし、振り返ると、そこに立ってのは、Dioではなく―――

「あんたは、ホット・パンツ!」

ウマいもんを作るのが上手で、親切で、腕を溶かして動かす特技を持った、不愛想な馬乗りがそこにいた。この世界に来た初日に出会って以来だから、なんだかんだ一か月ぶりぐらいか? 思わずその名前を声に出しちまったよ。

「聞き覚えのあるエンジン音がしたから、来てみたんだ」

右手に持っていた何かを腰のホルダーらしきものに仕舞い込みながら、ホット・パンツは、凛とした声でそう言った。フォースステージでも上位をキープしていたこの男が居るってことは、俺たちは先頭にかなり近づいているらしい。ポコロコもいたしな。

「しかし不思議だ。君たちはレースの参加者じゃない、何故ここにいる?」

首を傾げながら問いかけてくるホット・パンツに、俺はどう返答すべきか考えた。ホット・パンツが衣服を持っているっていう線もあるんだよな。サードステージでもフォースステージでも、上位にいたわけだし。
それにこの男は、俺や朝比奈さん、Dioの能力と、おそらく同じ系統であろう能力を持っている。それが衣服によって引き出されたものだという可能性だってある。
どう答える? と言う意思を込めてハルヒを見る。ハルヒは一瞬、こちらに視線を投げると、すぐにホット・パンツに向き直り、

140: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:50:02.617 ID:uV5vYudV0.net
「……レースとは関係ないわ。元いた場所に帰る道のりが、たまたまレースのコースと一緒なの」

たった今、俺が考えていたことと、ハルヒが考えていたこととは、大して違わないと思う。ま、あながち嘘じゃなしいな。

「それと、あなたを探してたのよ。もう一度会いたくてね」

続けて言葉を紡ぐハルヒ。確かに、ホット・パンツには世話になったし、礼を言いたいとは思っていたが、探していたって程でも―――

「そうか。わたしも君らに会いたいとは思っていた。さっきこの『セーラー服』と『右靴』、そして『ヘルメット』を手に入れたときからな」

ホワイ?
その言葉の意味を、俺の脳が理解するより早く、ホット・パンツが動いた。先ほど腰にしまった例の『何か』―――この距離で見ると、銃身の短い拳銃のように見えるそれを、左手で取り出し、

「『聖なる衣服』は、次の衣服の場所をミシガン湖だと教えてくれた。しかし、それかそれ以上に強く、君が近くにいることを教えてくれたぞ、涼宮ハルヒ」

二秒後、察しの悪いことに定評のある俺の頭が、ようやく現状に追いついた。つまり―――こいつは、俺たちが懸念していた通り『衣服を狙うもの』だったのだ。そして実際に、そのうちの、なんと三つを手に入れている、と。

「キョン、逃げるわよ!」

「ふええっ!」

俺は慌ててアクセルを吹かし、ミシシッピーに向けて愛車を発進させ―――ようとした瞬間、ブジュウウ。と、いつだか耳にしたのと同じ音が俺の耳に届いた。同時に、左手に違和感を覚える。

「なっ……左腕がっ!」

これは―――なんと説明したらいいんだ。率直に言うと、俺の左腕がホット・パンツの右腕と―――『繋がっ』ている。

「『肉スプレー』だ。涼宮ハルヒを狙ったんだが、まあ君でもいい。そのバイクを運転できなくなればな」

142: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:52:29.655 ID:uV5vYudV0.net
 そう言うと、ホット・パンツは俺の左腕とつながった右腕を振るい、俺を愛車の座席から引きずり下ろした。耕された大地の上に尻もちをつく俺。まずい―――こいつは、俺たちが衣服を持っていると思っている。そして、それを奪おうと……

「ま、待て! ホット・パンツ……俺たちは、衣服なんか持っちゃいない!」

咄嗟にそんなことを口走ってしまったが、ホット・パンツが衣服を持っていて、衣服とハルヒが引き合う力によって、俺たちが近くにいることを知ったというならごまかし様がない。
それにこの感じじゃ、今に、ハルヒの存在自体が、衣服と同じ力を持っていることもバレちまう―――

「くそ……逃げろ、ハルヒ! 朝比奈さんを連れてッ!」

俺が声を発するより早く、ハルヒは俺の愛車の後部座席から飛び降りていて、朝比奈さんの手首を握り、ミシシッピーに背を向け、トウモロコシ畑の中へと駆け出していた。
そうだ、逃げてくれ。『ハルヒが衣服を持っている』ならまだいい。今後狙われるリスクはあるが、Dioの奴のようにハルヒの力がバレちまうのが最もヤバい。
幸いというか、ホット・パンツの能力を食らったのは俺だ。俺が囮になっている間にハルヒたちを逃がしてやりたい―――しかし、

「そうもさせないさ」

ホット・パンツが、左腕を持ち上げる―――いつだか目にしたのと同じ光景。その腕は、中ほどから先が『溶け』ていた。その先端部分が一体どこに行ってしまったのかを俺は瞬時に理解する。

「ハルヒ、読まれてるッ! ホット・パンツの腕に『先回り』されてるぞ、そっちは駄目だッ!」

逃走するハルヒが、俺の声を浴び、一瞬こちらを振り返った。しかし、時はすでに遅く、次の瞬間、再びあの奇妙な音……ホット・パンツの肉スプレーとやらの噴出音が聞こえた。

「きゃあっ!」

「ふぇぇっ!」

トウモロコシを一人数本づつなぎ倒しながら、大地の上に倒れ込むハルヒと朝比奈さん。まずい、このまま行くと―――ホット・パンツは、ハルヒの持つ力の事に―――

「……なるほど。力を持っているのは『衣服』でなく、『君自身』ということか」

―――バレちまったよ、おい。少し何かを考える様に静止した後、俺の体を引きずるようにして、ハルヒと朝比奈さんに向かって歩み寄りだすホット・パンツ。駄目だ、ハルヒに近づくな―――

143: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:54:03.070 ID:uV5vYudV0.net
 俺はほとんど無意識のうちに、右腕を愛車の方向へと伸ばしていた。が、既に、ハンドルには到底届かない位置まで、ホット・パンツに引っ張られてしまっている。俺の手が触れることができたのは、マフラーの先端だけだった。

「バイクでわたしを逆に引っ張っていこうと言うのか? みすみす君をバイクに乗らせやしないぞ」

俺の行動に気づいたホット・パンツが、一時、歩みを止めて俺を振り返る。こんちくしょう、俺の考えが丸ごと読まれている。
ハルヒと朝比奈さんは、何らかの方法で、その場から動くことができない状態にさせられている。なら、ホット・パンツのほうをハルヒたちから遠ざけてやろうと思ったのだが。

「無駄な抵抗はやめろ。命を奪おうと言うんじゃないんだ」

いいや、それに相当する事をやろうとしているのさ、あんたは。ハルヒの力に気づいたこいつは、きっとハルヒを連れて行っちまう。どんな目的で衣服を集めているのかは知らないが、おそらくハルヒは無事じゃ済まないだろう―――
その思考が、脳裏に走ったのと同時にだった。
『それ』は、突然体の奥底から溢れ出てきて、同時に、俺の頭の中をいっぱいに埋め尽くした。正体は分からないが、あえて言うなら、『熱』に似た、形のない『何か』。後程、俺はそれが『力』であったことを知るのだが―――この時は、無我夢中だった。

「させて……たまるかよッ!」

ドルドルドルッ……

ホット・パンツが再び、ハルヒたちに向かって歩き出そうとする―――その最初の一歩目の足音をかき消すように、俺が右腕を伸ばした先で、エンジンのいななく音が響き渡った。マフラーから熱気が迸り、タイヤが急速に回転し始める。

「何ッ!」

音を聞きつけ、俺を振り返るホット・パンツ。俺は、体の奥から漲る何かに、自身の感覚のすべてを任せた。そして―――マフラーを掴んだまま、愛車を『発進させ』た。
ミシシッピーの方角へと疾駆する愛車に引きずられる形で、俺、そして、俺と『繋がっ』ているホット・パンツの体が移動させられる。首だけを持ち上げて、ホット・パンツがしっかりと俺に続いて引っ張られていることを確認すると、

「『シックス・センス・アドベンチャー』! 向こう岸まで、突っ切れェ―――!!」

内なる感覚に任せ、そう叫んだ。さすがにミシシッピー川の向こう岸まで行くことができれば―――ハルヒたちがどこかに身を隠す時間くらい稼げるだろう。もっとも、衣服とハルヒが引き合っている以上、またすぐ見つかってしまうかもしれないが。
やがて俺たちの体は、川辺の少し泥っぽい大地を引きずられていき、ほどなくして、ミシシッピーの水流に引きずり込まれた。俺の愛車は、能力によって、水面より下へ沈むことはないが、俺の体のほうは普通に沈んだ。焦って、マフラーを放さないようにするのが大変だったよ。

145: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:56:02.532 ID:uV5vYudV0.net
「……『そんなこと』もできるのか。バイクに乗りもせずに……しかし、浅はかだな」

水中を引っ張られながら、ホット・パンツはそう言い、俺と繋がっている右腕を引き寄せた―――その直後、俺の腕にかかっていた重さが消滅した。
視線を進路と逆に向けると、ホット・パンツがハルヒたちを残してきた岸へと泳いでいく姿が見える―――そうか、繋げるのも能力なら、それを解除するのも能力ってことかい。

「くそ……こうなったら、やってやる!」

マフラーを握った右腕を引っ張り、上半身を水面から突き出すと、走行中の愛車の後部座席に両手をかけ、体を車上へと引きずり上げる。ずぶ濡れの両手をグリップに伸ばすと、何とか正しい姿勢で愛車に乗り上げることができた。
水上をドリフトしながら、進路をハルヒたちのいる岸へと向け直す。ちょうど、ホット・パンツが、陸に上がろうとしているところだった。何も考えず、その背中に向かってアクセルを吹かす。

「この野郎ォッ!」

そう叫びながら、猛然と向かってくる俺に気づいたホット・パンツは、上半身を水面から出した体制で、こちらを振り返った。愛車がホット・パンツの背中を捉えるのと、ホット・パンツが川辺へと上がるのとなら、前者の方が早いはずだ。
しかし―――

「よく見ろ、バイクに乗り上げたのは君だけじゃない」

その言葉と同時に、俺は気づく―――ホット・パンツの右腕が、本体にくっついていないことに。ハルヒたちを束縛した時と一緒だ―――その腕の先のありかは、

「君の右手の上だ」

グリップを握っている俺の右手の甲。その上に、ドロドロに溶けた切断面を持つ、ホットパンツの右腕が、すぐ仲間を呼ぶどっかのRPGの敵キャラのように鎮座していた。そして、その手の中には、あの『肉スプレー』―――

ブジュウウッ

「むぐ―――!!」

噴出口から、泡とも泥とも言えない手触りの、半固体状の『肉』が噴出され、それが俺の眼前を覆った。攻撃が及んだのは、目元だけでなく、噴出された肉は、俺の顔面全体を塞ごうとしている―――息ができねえ。
直後、水面から感じていた大地の感触が消滅した。ハルヒと離れたためか、俺が呼吸ができなくなったためかは分からないが、俺の愛車の力が弱まり、、ミシシッピーの水面に、飛沫を上げながら飲み込まれる。

147: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 18:58:23.140 ID:uV5vYudV0.net
 幸いだったのは、たまたまそのあたりの水深が浅かったことだろうか。前輪から川底に突っ込んだ俺の愛車は、慣性の法則で前方へと半回転し、水底に前輪がぶっ刺さった状態で、完全に動かなくなった。同時に、車上にあった俺の体が、川辺へと放られる。

「キョンっ!」

数秒後、地面に叩きつけられた俺のそばで、ハルヒの声がした。ちょうど二人がいる地点まで吹っ飛ばされたらしい。息ができねえ。ただでさえ息が上がってたって所に、この攻撃は強烈だ。
あの始まりの日、恐竜を『窒息』させると言っていたのは、こういう事だったのか。
と、俺がいよいよ、顔面が紫がかってきたのではないだろうか、という時。不意に、顔に貼りついた肉が崩れ落ち始めた。指先で掻き毟ると、簡単にはぎ取ることができる―――

「ぶはっ!」

口、鼻と、続けて肉を落とした後、目元の肉をこそぎ落とすと、ようやく顔面に違和感がなくなった。少し霞んだ視界を、先ほど声がした方へと向けると、そこにハルヒと朝比奈さんの姿が見て取れる。

「…………」

俺は二人に、何かを言おうとした―――のだが、それを遮るように、ざくざくと、大地を踏みしめる音がゆっくりと俺たちに近づいてくる。ホット・パンツが来ているのだ。
視線を向けると、逆光を背に浴びたホット・パンツの体は、まるでにじり寄ってくる熊か何かのようで―――

「君は、わたしが恐ろしくはないのか?」

と、不意に。ホット・パンツの口から、そんな言葉が零れ落ちた―――恐ろしくないのか、だって? そりゃ、恐ろしいに決まっているだろう。俺たちに害意を持った、得体のしれない能力を持った超人が、目前まで迫っているんだぞ。

「……恐ろしいさ」

わずかな無言の時間のあと、俺がそう返答すると、

「なら、どうして『さし出さ』ない?」

と、先ほどまでの、俺とこの男のやり取りの後であることを考えたら、少しばかり場違いに思える言葉を口にした。さし出す。そりゃ、つまり―――俺が、自分の命のために、ハルヒのことをさし出す、って事か?

149: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:00:04.037 ID:uV5vYudV0.net
 確かに、そうすりゃ俺は助かるだろう。場合によっちゃ、朝比奈さんも助かるかもしれない。もともと、こいつは俺たちを皆殺しにしようってんじゃないんだ。
それに先ほどは、ハルヒが無事じゃ済まないだろうと考えたが、ホット・パンツの目的次第で、ハルヒだって悪いようにはされないかもしれない。
しかし、それをしないのは何故か? 改めて問われると、すぐにその理由が浮かんでこない。根本的なことを言うなら、元の世界に帰るために? だろうか。
しかし、この肉スプレー使いに、俺たちがこの世界に来たいきさつをこの場で説明するのは難しそうだ。逡巡した後、俺は何も答えを返さないことにした。ハルヒと朝比奈さんも、額に汗をにじませながら、展開を傍観している。

「……そうか。強いな―――君は」

十秒ほども、沈黙の時間があっただろうか。やがて、ホット・パンツは、両手の中のスプレーを腰のホルダーに収めながら、何やらしみじみとした声色で、そう言った。

「え?」

俺が、思わず間抜けな声を返すと、

「涼宮ハルヒを君らから奪うのは簡単だ。だが、今はそれはしない。ミシガン湖の衣服の事もあるし―――いや。それより先に、手に入れなければいけない衣服がある」

と、半身をミシシッピー川に向け、目の前に広がる大河に視線を投げるホット・パンツ。再び、沈黙が舞い降りた。じわじわとだが、太陽が沈もうとしていて、ミシシッピーの水面は、橙色を帯び始めている。ホット・パンツは、ほんの五秒ほど、その光景を眺めた後、

「『ファニー・ヴァレンタイン』が、聖なる衣服を集めている。実際に、いくつかを手にしてもいる」

と、藪から棒に話し始めた。
ファニー・ヴァレンタイン? 聞いたことのない名前だ。知っているか? という意思を込め、ハルヒに視線を向けると、ハルヒは少し呆気に取られたような表情を浮かべながら、

「ヴァレンタイン大統領が……?」

「このレースは、アメリカ大陸に散らばっている、君の衣服を集めるために計画されたレースなんだ……知っているかもしれないが、選手の何人かが衣服を探し集めている。わたし自身も含めてな」

ファニー・ヴァレンタインという名前を耳にした記憶は無かったが、後半の事は俺も知っていた。何人か―――もし、衣服を集めているのが、この男とDioだけなら、何人かという表現はしないだろう。ってことは、まだいるって事だ。おそらく、先頭集団の中に。

152: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:02:06.835 ID:uV5vYudV0.net
「単刀直入に言おう。君たちは出来るだけ、このレースに関わらない方がいい。命が惜しければだ」

ホット・パンツは、言葉を紡ぎ続ける。このあたりでようやく、この男が何を考えているのか。俺たちがどんな状況にあるのかが、頭の中に染み込んできた。つまり―――この男は、俺たちを見逃してくれるつもり、なのか?

「もし、わたし以外に、涼宮ハルヒのパワーに気づいているものがいるなら、より一層だ。レースのコースから出来るだけ離れて、回り道をして、故郷に帰るべきだ」

「……衣服を狙う人々が、私の力を狙ってくるだろうから?」

と、ここまで沈黙していたハルヒが口を開く。夕陽を浴びるホット・パンツは、音もたてずに一つ頷いた後、

「わたしの目的も、最終的には君と、君の衣服をすべて手に入れることだ。しかし、今はヴァレンタイン大統領の持つ衣服を奪取するのが先だと判断する。―――大統領の手に、もし、すべての衣服が集まれば」

そこで一度言葉を切り、ホット・パンツは数秒沈黙した。一国の大統領が、ハルヒの衣服を集めているだと? 一体、その目的は―――

「……忠告はした。君たちとはまた会うことになるだろうが、わたしにはやらなければならないことがある」

ずいぶん唐突に話を切り上げるやつだな。さっきの言葉の続きはどうなっちまったんだ。大統領が衣服を手にしたら、何が起きるって話なんだよ。

「君のおかげで、ミシシッピーの浅い部分も見つけられた。日が暮れる前に川を渡りたい」

さすがアメリカ人、自由だな。と、冗談めかしている場合でもない―――しかし、現状でこれ以上ホット・パンツから話を聞く難しいかもしれない。理由は分からないが、ここまで俺たちに情報をくれただけでもありがたいことだ。

「……もし、わたしの忠告を無視して、『衣服』を追い続けるとしても、『ジョニィ・ジョースター』には近づくな」

ジョニィ・ジョースター。ファニー・ヴァレンタインは知らないが、そっちは俺も知っている。詳しい順位は覚えていないが、何度か上位三着に入ったこともある、ジャイロとコンビを組んでるってヤツだ。

153: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:02:48.013 ID:uV5vYudV0.net
「ヤツは今、衣服を持っていない。さっきすべてわたしが貰ったからな。しかし、ジョニィたちはこれから先も衣服を追うだろう……遭遇しないよう気を付けろ」

「……親切にありがとう、気を付けるわ」

と、言ったハルヒは、ホット・パンツが突然態度を変えたことに俺ほど仰天はしていないようだが、やはり少し呆気に取られた表情をしている。
傍らの朝比奈さんは、そもそもホット・パンツと初対面だ。何が起きているのか分からないという顔で、ただ成り行きを見守っていた。

「―――わたしはわたしの目的がある。君らには君らの目的がある。各々だ……それに、今君を手に入れなくとも」

そこまで話し、また言い淀むホット・パンツ。ハルヒたちを見る限り、拘束も解かれているようだ。どうやら本当に俺たちは助かったらしい。俺がずぶ濡れになり、愛車が泥だらけにはなったがな。
やがて、ホット・パンツは俺たちに背を向け、ミシシッピーの方角へ向かって歩き去っていった。奇妙な空気と、沈黙が、俺とハルヒ、朝比奈さんの間に流れる。

「……『いい人』、なんでしょうか……」

やがて、沈黙を朝比奈さんが破った。しかし、俺の知る限り、『いい人』は人の顔面に肉を吹き付けたりしない―――が、少なくとも、Dioよりはまだ話せる相手ではあるようだった。やはりハルヒを狙っている事も間違いないようだが……

「……ジョニィ・ジョースター」

ぽつり、とハルヒが呟く。先ほどのホット・パンツの話でも上がった名前。今になって思いだしてきたが、噂に聞いた限り、ジョニィは元天才騎手だが、今は脚が動かない障害を持っているって話だった。
そしてそいつも、ハルヒの衣服を狙っている。……何なんだ、『聖なる衣服』ってのは。俺たちが元の世界に帰るために必要なようなもので、この世界の連中は何をやらかそうってんだ。

「……分からないけど、感じるわ。私たちとジョニィ・ジョースターは、きっといつか出会う」

続けて、呟くほどの音量でハルヒがそう言う。だが、ホット・パンツの話じゃ、ジョニィは衣服を持っていないって話だったが……しかしながら、ハルヒの予感はよく当たるんだよな。いい意味でも、悪い意味でも。

「二人とも、急ぎましょう。ミシガン湖へ! Dioやジョニィが、先にたどり着いてしまう前に」

夕日に染まるミシシッピーを前に、ハルヒが高らかに言い放った。心配が山積みだが、とりあえず―――ミシシッピーの水面に犬神家の一族みたいに突き刺さってる愛車を回収してから考えるとするか。

155: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:04:29.367 ID:uV5vYudV0.net

結論から言おう。
ホット・パンツはいい奴なんかじゃない。

「あんたが悪いんでしょ! どうすんのよ、私たちの全財産が、ミシシッピーを流れてっちゃったのよ!?」

ハルヒの叱咤が容赦なく俺に浴びせられる。俺たちが一体どんな状況にあるのか、今のハルヒの発言で、大体察することができただろうか。早い話、ホット・パンツのおかげで、俺たちは一文無しになってしまったのである。
ハルヒは俺のせいだと言い切っているが、実際のところは、俺たち三人の誰が悪いわけでもない。と、俺は思う。何しろ、ホット・パンツと遭遇し、戦闘になるという、緊急事態が呼んだ事故だったのだから。
要するに、俺が顔面に肉スプレーを食らい、愛車の前輪がミシシッピーの底に突き刺さった時、運悪くも座席の下の収納部分の蓋が開いてしまい、中身が丸ごと水流に持っていかれてしまったというわけだ。

「これじゃ、町についても、新聞も買えないじゃないの!」

「す、涼宮さん、あんまり怒らないで……私たちを助けてくれようって、キョン君、頑張ってたんですから……」

「ミシガン湖に急がなきゃいけないって時に! あんたは! どうして! そうなの!」

俺の頭を平手でバシバシ叩きながら、涼宮ハルヒは不機嫌だった。文句なら、あんな状況を呼び込んだホット・パンツに言ってやるのが正解だと思うんだが。収納のカギをきちんと閉めてなかった俺も、確かに悪いけどさ。
しかしこうなったハルヒに何を言っても、怒りの矛先が俺意外に向くことはないと、これまでさんざん思い知らされてきたので、とりあえず何も言わず、今は叩かれておくことにした。
俺に文句を垂れ、頭を叩くことで溜飲が下がるってんなら、まあ付き合ってやるさ。平手が拳固になったら、さすがに俺も反抗するけどよ。

「乾パンも水浸しになってるじゃない……あーもう!」

余裕だと思っていたミシシッピー越え。結果的に、俺たちは大ダメージを負い、次に訪れた町の空き地にキャンプを構え、アルバイトに励むことを余儀なくされた。
例によって俺は、愛車の移動力を活かしての辻タクシー、朝比奈さんはアイスクリームの屋台で臨時のアルバイト。今回は、ハルヒも資金繰りに参加した。なにやら何やら路上に座り込み、見世物か物売りかをしていたようだが、詳細は知らない。
そうして、俺たちが、旅を再開できる状態になったのが、ミシシッピーでホット・パンツに再開した日から四日が経った夜の事だった。レースの先頭がフィフスステージを突破したという情報は、まだ届いていない。

「フィフスステージのゴールのシカゴから、ミシガン湖までは、一日もあれば行けちゃうわ……いよいよまずいわね、先回りするなら、この町からミシガン湖まで、遅くても三日で走り抜けないと」

157: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:06:02.846 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒの予想だと、先頭集団がシカゴにたどり着くまでがあと二日だったか。俺たちのいる町からシカゴまでが残り350kmちょいで、何事もなく愛車を飛ばせれば、不可能な日程ではないな。
ハルヒの予想と言っても、この二日後というのはフィフスステージの予想行程日数そのまんまなんだが、その上さらに、衣服を持っている誰かが、ミシガン湖に近づいているということが、ハルヒにはわかるらしい。

「ホット・パンツさんは、ミシガン湖へ行かないのかな? 確か、大統領の持っている衣服を取りに行くって、言ってましたけど」

と、地図を睨んでいた視線を、俺にちらっと向け、朝比奈さんが言う。

「本人が言ってたんだから、そうするつもりなんでしょうね。とりあえず、あの人が衣服を手に入れてくれるのは、私たちにとっていいこと……とまでは言えなくとも、悪くないことだと思うわ。Dioや大統領の手に渡るよりはね」

あいつならまだ、後々交渉に応じそうな気配があるからな。大統領のほうがどんな奴で、どんな目的で衣服を集めているか知らんが、とりあえず、Dioのやつに対しては、交渉しようなんて考えはそもそも持たない方がいいだろう。

「結局、カンザスの衣服ってのは、ジョニィとジャイロが持っていたヤツだと思っていいのか?」

俺が訊ねかけると、ハルヒはむむ。と、眉間にしわを寄せつつ、

「十中八九、ホット・パンツがジョニィから奪った中に、カンザスの衣服は入ってると思う。っていう事は、Dioが持っていない方の靴を取ってたのも、その二人って事になる。で、ホット・パンツがそれを全部浚って行った、ってことかしら」

むーん。正直言ってよく分からんが、とりあえず今後の展開は、ジョニィの順位次第だな。俺は、新聞と地図を睨みすぎ、カチカチになった視神経を労わるべく、上を向き、閉じた瞼の上に手を置いた。

「ホット・パンツは今や総合でも上位にいるんだし、ここまで来たのにレースを放棄するってのも考えにくいが、本人が大統領のところへ行くって言ってたからなあ……つーか、大統領って、そもそもどこにいるんだ?」

「あんた、何も知らないのね。大統領は、レースのスタートから今まで、ずっとレースと一緒に、アメリカ大陸を横断しようとしてるわよ。もちろん、列車とか馬車でゴールに先回りしてるけど。だから、結局ホット・パンツもシカゴに行くのよ」

あ、そうなの?
しかしそれなら、シカゴにいる大統領が、もしミシガンに衣服があることを知っていたら、とっくにそれを手に入れているはずだよな?

「そうね。でも、ミシガン湖の衣服が誰かに取られた気配はまだしない。大統領は、今、衣服を見失っているはずよ」

なるほどな。伏せていた瞼を開くと、テントの天井から吊り下げられているランプに、暖かみのある光がともっているのが見える。

160: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:13:38.047 ID:uV5vYudV0.net
「はい、キョン君」

瞼を何度か開け閉めしていると、朝比奈さんがスープカップを、俺に手渡してくれた。今日の晩飯当番は朝比奈さん。宿に泊まらない日の晩飯は、ハルヒと朝比奈さんが日替わりで作ってくれるのだ。
朝比奈さんが来る前は、俺とハルヒで当番制だったんだが、俺が何か作ろうとしてもマズいもんができるだけだと、ある日を境にハルヒも悟ったらしい。それ以来、俺が晩飯を作らされることはなくなっていた。
今日―――というかここ四日の食事のメニューは、保存食を使ったもので、干し肉とパスタの入ったスープに、チーズの乗ったパンだとかだ。狩りが上手くいったときはもっと豪華だったりもするが、ここは町中だしな。
ま、二人の料理はどっちもウマいから満足してるよ。もしかして、二人でレストランとか出来るんじゃないだろうか。もし元の世界に帰れない、なんてことになったらの話だけどさ。

「キョン、食べたらすぐ寝て、明日は朝五時起床よ。明日でもう、フィフスステージの十三日目だもの、余裕がまるでないわ」

ああ、分かってるよ。飯を食ったら、さっさと隣のテントに帰って、シュラフにくるまって寝りゃいいんだろ。この世界に来てからずいぶんと早寝をする習慣が付いちまった。
かと思いきや、夜通し走らされたりもするし、俺の生活リズムは滅茶苦茶だよ。自律神経失調症にならなければといいんだが、と、前から思っている。
ガソリンいらずのバイクなんていう強力な兵器を有している割に、なかなかうまくいかない俺たちの旅が、再び始まるわけだ。いつ終わってくれるんだかな。
シャミセンの毛だらけのベッドが恋しいぜ。

フィフスステージの上位着順は、なんというか、無難だった。一着は、俺たちの前で奇跡の落馬を見せたあのポコロコ、二着にヒガシガタノリスケ。
俺たちの全財産をミシシッピーに放ってくれたホット・パンツがそれに続く三位に入っていて、その次にジョニィの名前があった。
俺たちがシカゴ入りしたのは、その連中がゴールした日の夜の事で、当然のように、滞在時間は短かった。直前の町で買い出しをあらかた済ませていたこともあったしな。
その際、防寒着を三人分購入した。綿入りの分厚いマントで、ハルヒが赤、朝比奈さんはそれの色違いのもの。俺はそれのサイズのでかいヤツで、黒いのを選択。
レースのコースは、フィフスステージの途中から気温の低い地域に入り、シックスステージラストに至っては凍りかけの海峡を渡る必要があるという。アリゾナも困るが、かといって寒いのも勘弁してほしい。

「キョン! 夜通し走れば、ジョニィより先に衣服をとれる! 時間的には、ジョニィたちはもうミシガン湖畔にいると思うけど、この寒くて暗い夜中に衣服を見つけたりできないはずよ!」

その寒くて暗い夜中を、バイクで走り続けろと言っているのだから、涼宮ハルヒという生き物は実に厄介だとつくづく思う。いくら防寒具があったって、一晩中走ったりしたら、体が芯から冷たくなっちまうっつーの。
とはいえ、衣服を手に入れるにはそれしか無いのも事実だ―――結局、俺はハルヒの指令に従い、シカゴからミシガン湖へ向けて北上するルートを、夜の間中走らされた。それこそ馬車馬のようにな。

161: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:14:20.310 ID:uV5vYudV0.net
 夜の間に、とうとう雪まで降り始めてくれて、俺の愛車がただのバイクだったら、雪に足を取られてろくに進めなかっただろう。しかし、わが愛車はハルヒ曰く無敵のバイクだ。雪道なんか何の問題もない。
その無敵のバイクに乗った俺たち三人は、夜明けとともに、ミシガン湖の畔へとたどり着いた。すっかり雪の積もった森林の中を、木の根を避けながら進む。

「けっこう森が深いぞ、ここからは歩くしかないな」

「ジョニィたちが動くとしたら、今日これからよ。遭遇しないように気を付けるけど、衣服は絶対渡さない」

難しい注文だな。もし、先に手に入れられてしまったら奪い取るつもりだろうか?

「それは無理ね……ジョニィとジャイロは、カンザスでDioを出し抜いて、衣服を手に入れてるのよ? ロッキー山脈の抗争の跡にも、十中八九絡んでる。私たちの『能力』じゃ、勝ち目はまずないわ……だから『先取り』なのよ」

ハルヒは地図に視線を落とし、

「大丈夫、ここまで近づけば、かなり強く衣服のありかを感じ取れるわ。ついてきて、二人とも」

「は、はい」

木々の枝を縫って大地に降り注いだのであろう、足跡のついていない真新しい雪の上を、無言で歩いてゆくハルヒ。俺と朝比奈さんは、その背を見失わないよう、愛車を押しながら、速足で追いかけた。
ハルヒが進んだ先は湿地帯になっているらしく、だんだんと大地に湧き水の溜まりが見て取れるようになってきた。雪の下の地面もぬかるんでいて、歩きにくいのだが、ハルヒはスイスイ進んでゆく。

「二人とも、あたりに注意して。ジョニィとジャイロに見つかっちゃダメなんだからね。それに、衣服を見落とさないようにして、もうすぐそばまで来てるわよ」

200mほど進んだ所で、ハルヒが俺たちを振り返り、そう言った。周囲は見晴らしがいいとは言えないが、誰かが近くに居れば、足音だのでわかるだろう。そっちは問題ないのだが、問題は衣服を見落とすな、という所だ。

「水の下にでも沈んでるんじゃないだろうな」

と、俺は周囲を見渡し、頭を掻きながら言った。ハルヒの進む方向からして、衣服が湖の底に沈んでるって展開はないようだが、そこら辺の泉になら、十分沈んでる可能性もある。俺は、ハルヒが付けた足跡の残る大地に視線を落とした。
どこまでも白い雪と、黒ずんだ樹皮の木々の根ばかりの光景―――その中に、ひとつ。目を引くものを見つけた。俺は、それを指で示しながら、

「おい、何だアレ、そこの少し段差になってるところ……何かないか?」

162: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:16:09.750 ID:uV5vYudV0.net
 俺の言葉に、ハルヒと朝比奈さんが、一瞬頭上に『?』マークを浮かべた後、俺の示した方角へ視線を投げる。白い雪に紛れて一瞬分かりにくいが、下っている斜面の頂点に位置する場所に、雪と同じ色の『それ』がひっそりと佇んでいた。

「あれは……『雪だるま』、みたいね」

少し睨むように目を細めた後、ハルヒが言う。雪だるま? って、十九世紀にもあったのか。ま、そりゃそうか。誰だって、雪を丸めたら雪だるまができることぐらい思いつくよな。

「小っちゃくてかわいい雪だるまですね……誰が作ったんだろう?」

「夜の間に雪が積もったんだから……ごく最近のはず。でも、雪に跡がないわね……って、これは『衣服』と、全然関係ないわよ」

手袋(これもシカゴで買った)に包まれた右手で、雪だるまの頭をペしぺし叩きながら、ハルヒが言う。いや、でも、雪だるまの体内に埋もれていたりとか、あり得るんじゃないか? あるいは、誰かが雪だるまに擬態して潜んでいるとか……

「ないわね。この雪だるまから衣服の気配はしないわ。誰かが隠れるには小さすぎるし」

確かに、雪だるまの身長は120cmほどで、ガタイのいいアメリカ国民が身を隠すにはちょっと小さい。俺の意見を一蹴するハルヒがそうしたように、試しに雪だるまを触ってみる。当たり前だが、冷たく、丸かった。

「ほら、いつまでも遊んでないで、衣服を探すわよ」

と、俺たちに檄を飛ばしながら、ハルヒが、ドン。と、一度だけ、強く雪だるまを叩いた。―――すると、雪だるまの足元の雪が音もなく崩れ、

「あっ、雪だるまさんが……」

朝比奈さんが、斜面を転げ落ちてゆく雪だるまを視線で追い、呟くほどの音量で言った。俺はその肩に手をやり、

「朝比奈さん、あんまり覗き込むと危ないですよ。あなたまで転がっていっちまう」

ごめんなさい。と、少し困った顔で、俺に頭を下げる朝比奈さん。そう言いつつ、俺も、転がり落ちて行った小柄な雪だるまに視線を向ける。
その斜面の底は、そこら中にあるような湧き水の溜まりとなっていて―――やがてその雪だるまは、音もなくその湧き水の中に落ち、表面から溶けていき始めた。
―――なんだ、別に大したことじゃないんだが、なんとなく悪いことをした気がする。俺がそんな気持ちで視線を向けると、ハルヒは、

164: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:18:09.666 ID:uV5vYudV0.net
「べ、別にどうってことないじゃない。ただの雪だるまよ―――」

と、俺と似たような気分になっていたらしく、少し申し訳なさそうに雪だるまの落ちた泉を見下ろした。そして、その直後、

「えっ」

と、その眼が突然色を変える。何だ? やっぱり、雪だるまの中にあったか? 衣服。だとしたらすっかり水浸しだろうな。

「違う、あれ―――ウソでしょッ!?」

何やら困惑した様子のハルヒが、慌てて周囲に視線を配り―――マントを肩にかけなおすと、いきなり目の前の斜面に足を下し始めた。

「おい、危ねえって!」

「それどころじゃない!」

叫ぶような音量でそう言ったハルヒは、バランスを崩して転がっていかないかと心配した俺の気持ちをよそに、踵と尻で雪の上に軌道を描きながら、するすると器用に滑り降りて行く。

「す、涼宮さーん?」

朝比奈さんが、困ったような声を上げ、ソリもスキーもなしに遠ざかってゆくハルヒの背中を見下ろした。何だ、何を見つけたんだ、ハルヒは。
俺は、ハルヒがそのまま、雪だるまと同じように泉に入っちまわないかと心配したのだが、ハルヒはこれまた器用に、踵でブレーキをかけ、泉の一歩手前で停止した。そして、雪だるまの落ちた小さな泉に、覆いかぶさるように顔を近づける―――

「二人とも、早く来てッ!」

不意に、俺たちを振り返り、ハルヒが叫んだ。俺たちにもこの斜面を下れってのかよ。と、俺と朝比奈さんがしり込みをしていると、ハルヒは業を煮やしたように、もう一度俺たちを振り返り、

「ユキが―――ユキが、泉の中に!」

166: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:20:02.197 ID:uV5vYudV0.net
 ハルヒが何を行っているのか、一瞬理解が及ばず、俺と朝比奈さんは顔を見合わせた。雪だるまが池ポチャする瞬間は、俺たち三人が同時に目撃しているはずだ。何をいまさら―――

「え、えぇっ!? い、今行きます!」

と、突然、俺の傍らの朝比奈さんが、何かに気が付いたかのように―――そして、心底驚いたと言った様子で声を上げた。そして、及び腰で斜面に足を下し、ハルヒほどスムーズにではないが、ずりずりと斜面を下ってゆく。
何だっつーんだ。しかし、こうなったら俺も行くしかない。二人の見よう見まねで、雪靴の底を斜面に―――

ズルッ

「お―――うおわっ!」

ああ、こうなると思ったんだよ。斜めった雪の大地の上に下した足が、音を立てながら、泥か何かのぬめりに持っていかれ、俺はその大地の傾度に全身を預ける羽目になってしまった。

「わっ!」

「きゃっ!」

「うがっ!」

説明すると、ハルヒと朝比奈さんが、雪玉よろしく転がってきた俺にびっくりし、左右に身を引き、俺はそのまま泉に突っ込んだ。その際に発せられた、俺たち三人それぞれの声が、前述したものである。
同時に、ドボンという水音。幸い俺が溺れちまうほど深い泉ではなかったが、この寒冷地で、身に着けているものと体が水に濡れるってのは、正直ちょっと冗談じゃ済まない。
さっさと着替えて、たき火でもして体を温めなければ。

「つっめてぇぇ! ハルヒ、一体こんなとこ、何があるって―――」

と、俺が重力の向きを理解し、上体を起こした―――その時。

ざぶっ

何かが、泉から出てきた。水音を立てながらだ。

167: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:22:01.834 ID:uV5vYudV0.net
「うおっ!?」

ただでさえ、数秒前まで、上下も分からない状況にあった俺は、突然の展開に思わず声を上げた。泉の底に生き物でもいたのか―――いや、あり得ないだろ、こんな冷たい水の中。第一、さっき見たときは、泉には何も―――

「なっ……」

そして次の瞬間。俺は、言葉を失うって言葉の意味を、心から理解したよ。思わず、服に水が染み込んでいくのもかまわず、呆然とその場に留まってしまった。
泉の中に、人がいたんだ。俺と同様、いや、それ以上に、全身ずぶ濡れの人間が。そしてそいつが、俺がつい今しがたにそうしたように、体を起こしたのだ。
そこに、いたのは―――

「な……がと……?」

少し白みがかった短い黒髪。たった今目覚めたかのような眠たそうな瞳。一文字に結ばれた唇。華奢な、触ったら折れちまいそうな身体。
俺の目の前に、長門有希がいた。全身を湧き水で濡らした長門有希が、水浸しになったいつものセーラー服を身にまとい、泉の中から上半身を起こして、俺たち三人の事を眺めまわしていた。

「…………」

長門は―――誰もいなかったはずの泉に、突然姿を現した長門有希は、言葉という概念を忘れてしまったかのように、声を発することはしなかった。
ただ、俺が感じたのは、もともと白い肌が、極端に白く―――青ざめているという事だけだった。そして、次の瞬間、

「朝比奈さん、火!」

俺は、傍らで目を丸くしている朝比奈さんに向かって、そう叫んでいた。

「は、はいっ!」

慌ててマントの中を探る朝比奈さん。薪だ、薪はどこだ。荷物の積んである愛車は、俺たちが下りてきた斜面の上に佇んでいる。森の中だっつーのに、そこらに薪の一つも転がってないのかよ。積もっている雪のせいだ。

169: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:24:03.191 ID:uV5vYudV0.net
「有希、大丈夫ッ!? 今、みくるちゃんが火を起こしてる! お湯も沸かすから―――」

ハルヒの言葉を聴き、長門は、ワインの瓶の底の様な透明な瞳で、ハルヒを見た後、僅かに頷いたように見えた。しかしその直後、その瞳の前に瞼が下りる。

「長門! おい、大丈夫か―――ハルヒ、そこらに薪になるもん、ないかッ!?」

「ま、待って! ああ、もう、これ―――とりあえず、これ!」

と、ハルヒがマントの中から取り出し、俺に突き出してきたのは、シックスステージの上位着順が乗った、新聞紙の束だ。それを無言で受け取り、朝比奈さんを振り返ると、ちょうどマッチに火がついたところだった。
何故か、なんてことを考えている暇はなかった。ただ、俺はそのまま、長門が目覚めないんじゃないか。そんな気がしたのだ。

「長門、死ぬな! 長―――」

泉から長門の体を引きずり出し、朝比奈さんが作り出した、即席のたき火のもとへ―――這い寄ろうとして、俺は急に、目の前が暗くなってゆく感覚に襲われた。そうだ、俺も泉に落ちたんだ―――。

「キョン君ッ!?」

体を支える力が、何処からも湧いてこない。覚えているのは、ついに俺の上半身が、重力に任せて、雪の積もった大地の上に倒れた所までだった。

俺が次に目を覚ましたのは、すでに俺たちを包む空気が、夜のそれに替わり始めようとしていた頃。瞼を開いてまず最初に目に入ったのは、テントの天井にともされたランプの光。

「あっ、キョン君」

数日前にもそうしたように、俺がその明かりに慣れるため、数度瞬きをしていると、目の前の光景がいきなり、朝比奈さんの顔面のアップにすり替わった。思わず、小さく声を上げてしまう。

171: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:26:06.997 ID:uV5vYudV0.net
「気が付いた? あ、寝ていて、すごい熱だから……」

困った様な、安らいだような、不思議な表情で、朝比奈さんが笑う。俺は―――どうなったんだっけか。確か、ミシガンの湖畔にたどり着いて―――あの雪だるまを見つけて―――
そう。そして、俺たちは長門と再会したんだ。
この世界に来たのが何日前の事だったか、もはや俺ははっきり思い出せないが、ずいぶんと長いこと目にしていなかった、あのどこまでも透明な瞳をした、長門有希に。
そう、長門はあの冷たい泉の底から、まるで浮かび上がってくるかのように姿を現した。その体が冷え切っていて、俺たちは必死でそれを暖めようと―――

「長門は……?」

俺が目の前の朝比奈さんに訊ねると、朝比奈さんは、その微妙な表情を崩さないまま、俺のすぐ隣を指で示した。
びっくりするほど重い首の関節を回し、そちらに視線を向けると、俺の予備のシュラフの中で瞼を閉じる長門がいる。

「……夢じゃ、なかったのか……」

そんなことを呟きながら、俺は上半身を起こそうとして、その際、全身が宿命的な気怠さに見舞われていることに気づいた。頭が、筋肉が、骨が重い。体を地に預けていることしかできない。

「長門さんは、多分大丈夫。低体温でもなくなったし……今は眠っているけど、さっきまで起きてたんだよ。あ、今、涼宮さんが、外のたき火で、ご飯を作ってるから、待ってて」

少し疲れたような笑顔を浮かべ、朝比奈さんが、俺の額に濡らした布切れを畳んだものを乗せてくれた。そうか―――長門は、無事だったのか。さっきの俺は本当に、あの瞳が二度と見られないような気がしてしまっていた。
俺が、熱でぼやける思考をなんとか現実に引き戻そうとしていると、やがて、テントの出入り口が開き、ランプと、トレイに乗ったスープか何かを持ったハルヒが入ってきた。ハルヒは俺を見ると、

「キョン! 目が覚めたの?」

と、トレイを地面に置きながら、俺のもとへとしゃがみ込んできた。

「ああ……ちっと怠いが……」

ハルヒに言葉を返す―――本当のところはちょっとどころではなかったのだが、それは今の俺ができる、精いっぱいの強がりの様なものだった。
肉とハーブの匂いがテントの中に充満し、俺はそこでようやく、胃の中が空っぽであることに気づく。しかし、あまり食欲が刺激された感じはしない。そら、これだけ怠かったら、ものが食えなくても仕方ないか。

173: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:30:01.778 ID:uV5vYudV0.net
「チキンスープのリゾットを作ったの。食べられそう?」

「ああ、サンキュ」

もう一度、全身の力を振り絞り、体を起こそうとすると、少し無理やりにだが、地べたに座った体制まで持っていく事ができた。
ハルヒがスープ皿とスプーンをさし出してくる。それを両手で受け取ったところで、俺は、俺たちがこのミシガン湖の湖畔までやってきた目的を思い出した。

「ハルヒ……衣服は? どうなっちまったんだ?」

「とっくに取られたわよ。多分だけど、ジョニィとジャイロにね」

ハルヒはほんの少しだけ、唇を突き出し、

「仕方ないわよ。あの状況だったんだもの。水浸しのあんたと有希を放っておいて衣服を探すなんて、出来るわけないでしょ」

そう、少し拗ねたような口調で言った。俺はそんなハルヒに、どんな言葉を返すか、少し迷わされた。謝るべきか、礼を言うべきか……と、俺が言葉を返すより早く、ハルヒは俺から視線を外しながら、

「悪かったわよ。あんたには結構無理をさせてた」

と、尖らせた唇の間から、そんな言葉をこぼした。

「無理?」

俺がハルヒの言葉を反復すると、

「だから、あんたの体調とか、全然気にせずに、毎日運転させ続けて……悪かったわねって言ってるの」

少し口調を強め、さっきとは逆方向に視線を逸らすハルヒ。
何だ、もしかして―――俺のことを労ってくれてるのか、ハルヒは。

175: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:32:02.128 ID:uV5vYudV0.net
「……それと、その」

何か言葉に迷うように、口の中をまごつかせるハルヒ。どうも、先ほどからの態度を見ていると、俺には、ハルヒが何か、照れているのを隠しているかのように見える。俺がハルヒの次の言葉を待っていると、

「…………」

声も出さず、不意に、長門が、むくり。と起き上がった。

「あ、長門さん」

「え……あ、有希。お、起きたんだ」

長門は、いつもの眠たそうな瞳で、俺たち三人の顔面を順番に眺めまわした後、

「もう、夜?」

と、俺としては数か月ぶりに聴いたことになる、少し低くかすれた声で、短く朝比奈さんに訊ねた。それに対し朝比奈さんは、

「ええ、さっき日が暮れました。長門さん、お腹はすいてませんか?」

「少し」

短く、簡潔な返答を受けた朝比奈さんが、ハルヒに目配せをする。ハルヒはまだ何かモゴモゴしていたが、やがて、何かを諦めたように、俺に渡したのと同じスープ皿を手に取り、それを長門に差し出した。

「…………」

無言のまま、木のスプーンで皿の中身を口に運び始める長門。どうやら、本当に元気なようだ―――よかった。心の底からそう思う。
長門が食事をしている様子を見ていると、萎えていた俺の食欲が、少しづつ回復してきた気がする。長門に少し遅れ、俺もハルヒお手製のリゾットを食い始めることにした。

177: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:34:01.782 ID:uV5vYudV0.net
 食事をしている間に、脳内をいろんな思考が行き交ったのだが、差し当って最初に考えるべきなのは、やはり突然現れた長門の事だろう。おそらく、朝比奈さんと似たような経緯で、この世界へ来たのだろうが―――

「キョン、食事しながらでいいから、聴いて。有希から聴いたことを、そのまま話すだけだけど」

長門に一体何から訊くべきか、俺が考えていた時、ハルヒがそう言った。そういえば、朝比奈さんの話だと、長門は俺より先に目覚めていたんだっけな。その間に、ハルヒたちは長門から話を聞いていたのか。

「と言っても、有希も、みくるちゃんと大体同じ経緯……シックス・センス・アドベンチャーを買ったお店に行った帰り、突然星条旗が降って来た。その星条旗に触れたと思ったら、あの泉の中にいたそうよ」

やっぱり星条旗か。俺は脳裏に、俺たちをこの世界に迷い込ませた原因と思われる巨大な星条旗を浮かべて、ため息をついた。『ここ』がアメリカだって事と、その星条旗との間には、何か関連性があるんだろうか?

「そこよ」

パチン。指を鳴らすハルヒ。

「前に話した―――私たちをこの世界に迷い込ませたのが、この世界にいる誰かの『能力』かもっていう話、覚えてるわよね?」

ああ、覚えてる。

「その憶測と照らし合わせて考えると―――怪しいヤツがいるのよ、一人。十中八九『能力使い』で、『星条旗』と関係のありそうなヤツが」

ハルヒが次に口にする名前は、俺の拙い理解力でも予想が付いた。

「衣服を集めている、ファニー・ヴァレンタイン大統領」

鶏肉の破片を奥歯で噛みしめるのを止め、俺は数秒黙り込む。
星条旗、イコール大統領。短絡的というか、イージーな思考だが、あながち的外れでもないかもしれない。ホッパンの話じゃ、大統領は実際に衣服をいくつか持っているんだ。
で、もし、大統領の能力が俺たちをこの世界に連れてきたのだとしたら、

「その能力で、私たちを元の世界に返すことも、可能かもしれない」

だよな。俺たちの憶測が当たっていたら、の話だが―――

179: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:36:02.943 ID:uV5vYudV0.net
「しかし、俺たちを連れてきたのが大統領だとして……そんなことをして何になるってんだ?」

俺がそう言うと、ハルヒは少し考える様に宙に視線を泳がせた後、

「予想ならあるわ。―――『衣服』よ」

と、いくらか声のトーンを落としながら、

「大統領の目的は、私と、私の衣服を手に入れること。つまりね、もともとの世界でも、私は何か『パワー』を持っていた。そのパワーを感じ取った大統領が、それを手に入れる目的で、私たちをこの世界へ連れて来たのよ」

「う……」

……思わず、額に汗が滲む。ハルヒの思考が、俺たちの元々の世界の真実と、ニアミスと言っていいところまで迫っていた故にだ。
どう答えればいい、これは。俺が今口を開くと、何かボロというか、ハルヒが自身の絶対性に気づいてしまうような何かを言っちまう気がする。俺は縋るような思いで、朝比奈さんと長門に視線を投げた。
ミントティーを淹れていた朝比奈さんは、俺と似たようなことを考えたらしく、お茶を注ぐ手を止め固まってしまっている。なら長門の方は、というと―――

「常人にはない特別な因子を、あなたが持っていたことは、事実」

マジか、おい。長門の言葉に、俺はさらに全身から変な汗が噴き出してくるのを感じた。それって、言っていいやつなのか? 空になったスープ皿を見つめながら、長門はさらに、

「現在、あなたの持つ因子が、この世界全体に影響を及ぼしている」

今のリゾットに、自白剤でも入ってたんじゃないだろうな。冷汗が止まらねえぞ、おい。
しかし―――まあ、考えても見れば、世界旅行に能力使いと、現時点でここまで超常的な状況にあるんだ。もう多少のネタバレは、気にしてもしょうがないという気もする。

「ふうん。有希はどうしてそんなこと、知ってるの?」

問題はここだ。ハルヒが奇妙なパワーを持っている、くらいなら良いが、俺たちがそれを知っていて、ハルヒを囲っていた事までは、さすがに知られるとまずい。
ハルヒの問いかけに対する長門の返答は、

181: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:39:17.526 ID:uV5vYudV0.net
「……本で読んだ」

ホワイ?

「『ムー』で読んだ」

……長門なりの冗談なのか? 今のは。
俺がぽかんとしつつハルヒを見ると、ハルヒもまた、少々呆気に取られた様子で、空のスープ皿を持った長門を見つめていた。長門は手の中の皿を地べたに置くと、一瞬だけ俺に視線を送った後、ハルヒに向き直り、

「おかわり」

そう、短く訴えた。二秒ほど、たっぷりと呆然としたのち、ハルヒは、

「あ、う、うん」

狐に抓まれたような表情で、長門の膝の上から、スープ皿を取り上げ、中身を補充すべく、テントの出入り口へと向かっていった。……とりあえず、全バレの危機は去ったのか? 長門の変化球で、場はなんとなく誤魔化されたような空気となっていた。

「と、ところでよ」

先ほどの話題に回帰されるのを防ぐべく、ハルヒが長門へ二杯目のリゾットを手渡したと同時に、俺はどもりながら口を開いた。

「衣服はジョニィたちに取られちまったって言っていたが、次の衣服の場所は分かってるのか?」

「ええ、感じてる。シックスステージのゴールのすぐそばよ」

例によって、レースのコース上かい。確かこのステージのゴールは、湖の間の海峡を渡った先だったはずだ。ここから更に北へ上がっていく事になる。本格的に寒いだろうな。
それと、もう一つ気になることがある。

182: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:39:49.974 ID:uV5vYudV0.net
「ハルヒ、俺たちはとうとう四人になった。もうさすがに、俺の愛車に乗り切ることはできないと思うんだが」

俺が発言すると、ハルヒは少し眉間にしわを寄せ、胸の前で腕を組んだ。さすがのハルヒにも、四人乗りを強行する思考はないようで、俺はとても安心した。が、この問題は結構重要だ。衣服を追うためには、歩いて旅をするわけにもいかない。

「……できないわよ、誰か置いていくなんて。こんな十九世紀のアメリカなんかに」

ハルヒが言う。俺も、出来るだけそれはしたくないと思っているが、この状況では―――

「私は単独で行動する」

不意に、長門が口を開いた。単独行動? 長門が?

「あなたたちは衣服を追って。私は、ファニー・ヴァレンタインを追う」

雨音にも似た声が、俺たち三人を呆然とさせる。

「ファニー・ヴァレンタインの能力が、私たちを元の世界へ回帰させ得るものかどうかを調査し、可能なら接触もする」

長門は何でもないことのように言っているが、相手は大統領だぞ。俺たちみたいな一般人が簡単に接触できるとは思えない。

「侵入する」

どうやって?

「『能力』を使う」

たっぷり十秒ほど、沈黙が舞い降りた。それを破るのは、当然のごとく、

「『暗殺』する。場合によっては」

To be continued↓

183: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:40:31.377 ID:uV5vYudV0.net
前半終わり
もし明日スレが残ってたら後編投下する、残ってない場合は同じスレタイでスレ立てる
そういうことで。おやすみ
185: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/26 19:41:09.725 ID:uV5vYudV0.net
明日はちょっと忙しいから午後六時ぐらいから再開の予定
それじゃ
211: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 07:56:07.843 ID:d3LUbuSf0.net
保守感謝
今日の夜始められる時間が遅くて最後まで投下すると遅くなりそうだから
今お茶を濁す程度に投下する
212: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 07:58:02.811 ID:d3LUbuSf0.net
「駄目ね」

半ば凍り付いたマキナック海峡を行く手に臨みながら、ハルヒはため息混じりに、

「ここにあった私の『衣服』も、すでに誰かに取られてるわ」

と、呟くほどの音量で、落胆の声を発した。それに倣うように、俺も一つため息を吐く。
ミシガン湖で長門と別れてから、俺たちは豪雪と強風の中を、十日間かけて北上し続けた。いやはや、アリゾナ砂漠よりよっぽどキツかったよ。アリゾナにはたった二日しか居なかったというのもあるが。
いくら、俺の愛車にとって、雪道が何でもないものだとしても、視界が霞むほどの雪と、強烈な向かい風に見舞われたら、移動力は普段の半分、いや、それ以下まで落ちてしまう。
とは言え、天気と文字通り相談出来る朝比奈さんの能力のおかげで、キャンプの時などは、雪や風を弱めることができたのが救いだった。寒冷地用でないテントでも何とかやってこれたからな。
そうして、町の少ないシックスステージのコースを八割方走破し、俺たちはシックスステージの難関―――ハルヒが感じ取った衣服のありかでもある、マキナック海峡までやってきたのだ。
しかし―――今回も一手遅れちまっていたってか。原因は分かりきっている。俺が、ミシガン湖畔で熱を出し、数日そこでロスったことだ。

「すまん」

と、俺が短く謝辞を述べると、ハルヒは首を横に振りながら、

「責めてもいないのに謝らないで。しょうがなかったと思ってるんだから」

視線を水平線へと向け、すこし諦観の色が窺える声色でそう言った。
しかし、本格的に首が回らなくなってきたぞ。ハルヒ曰く、残りの衣服で、まだ誰の手にも渡っていないのは、あと一つしかないらしい。もしその衣服までもが、誰かに取られてしまったら……

「……ここまで来たら一緒っていう気もするわね。どのみち、私たちの目的は、衣服を『すべて』取り戻すことだもの」

そう―――もし、最後の衣服を手に入れることができても、結局は、他の衣服を手に入れるためには、他の所持者から奪い取らなくてはならないのだ。Dioやホット・パンツ、ジョニィだのジャイロだの、挙句の果てには大統領。
そんな面々と交戦し、衣服を奪還する―――そんなことが、俺や朝比奈さんに可能だとは、正直言って思えない。と、なると―――頼みの綱となるのは、もう一つしかない。
そう、長門有希だ。

213: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:02:02.599 ID:d3LUbuSf0.net
「……長門さん、大丈夫でしょうか」

ぽつり。と、朝比奈さんの口から、鈴の音の様な声がこぼれる。

「一人で大統領の事を調べるなんて……やっぱり危険だったんじゃ」

「……長門は、言い出したら聞きませんから」

不安げに表情を曇らせる朝比奈さんに、そんな言葉を返しながら、俺は心中で、十日と数日前、長門が残していった言葉を思い出していた。

「ファニー・ヴァレンタインは、少なくとも二つ、あるいはそれ以上の数の衣服を所持している。もし、ファニー・ヴァレンタインの能力が、私たちに不利益、有害なものであれば、暗殺し、衣服をすべて奪い取る。それが最も合理的」

長門の眼は、いつだかコンピ研とのゲーム対決で見せたような、少しばかりの憤りを孕んだ色をしていた。こんなヘンテコな世界に迷い込まされたという事に、長門なり腹を立てているんだろうか。

「……どうして先に大統領の衣服を奪うのよ? 私の知る限り、ホット・パンツが、最低でも三つ持ってるんだから、狙うならそっちだと思うけど」

少し考える様に、長門の言葉を吟味した後で、ハルヒが口を開いた。俺も同じようなことを考えていた所だ。
衣服の所持数もさることながら、相手は一国の大統領だ。一般人に攻撃を仕掛けるのと比べたら、手間も危険度も桁違いだぞ。
ハルヒの言葉を受け、長門は視線をハルヒの顔面へと移し、

「ファニー・ヴァレンタインについては、能力についての調査も必要なため。衣服の奪取と同時に行える」

と、淡々とした口調で述べた。確かに、大統領の能力について詳しく知れるなら、それに越したことはないが……それにしても無茶な作戦じゃないか? 調査するにしろ、攻撃を仕掛けるにしろ、一人で簡単に行えることじゃ―――

「私の『能力』なら可能」

214: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:06:04.771 ID:d3LUbuSf0.net
 言い切ったな、おい。
長門の能力。というのが、俺たちの世界で長門の持っていた、あの情報なんたら思念体が絡んだものだとしたら、確かに可能だろうさ。大統領なんか敵じゃない。しかし長門の口ぶりからすると、

「現在、リンクは不可能」

俺の思考を読み取ったかのように、視線を一瞬、こちらへ投げながら、短く呟く長門。やっぱりか。例の思念体とリンクができないって事は、長門はこの世界では、俺たちと同じ土台の上にしかいない、って事だ。
その上での、長門の『能力』とは―――どんなもんなのか、想像もつかないが、どうやら長門は、すでにその能力を持っていることを自覚しているらしい。

「言い方を変える。あなたたちの能力では不可能なこと。これが可能なのは私しかいない。許可を」

ハルヒもそうだが、長門もこうなんだよな。何かを言い出した時には、もう『本気』なんだ―――長門が許可を求めているのは、俺になのか、SOS団団長になのか。あるいは両方になのか。とにかく、長門は『やる気満々』だった。
俺は、ハルヒに視線を送ってみる。我らが団長様は、胸の前で腕を組み、険しい顔をして、じっと考えていて―――やがて、何かを諦めるかのように目を閉じ、一つ息をついた。
そして、

「一つだけ約束して。『暗殺』なんて物騒な真似はやめてちょうだい。私たちに必要なのは、大統領の首じゃない……あくまで目的は、衣服を奪うこと」

俺が言い添えようと思っていた点を、ハルヒがしっかり押さえてくれた。そう、長門に誰かを暗殺させるなんてのは天地がひっくり返ったってご免だ。俺たちが長門に求めているのは、そんなものじゃない。

「……危なくなったら、逃げろよ」

ハルヒの忠言が終わったのを見届けた後、俺が短くそう言うと、長門は二秒ほど時間をかけ、手の中のスープ皿を見つめた後、

「了解した」

と、俺とハルヒ、二人分の言葉を飲み込み、小さく頷いて見せた。

215: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:08:02.978 ID:d3LUbuSf0.net
 で、翌朝になったら、長門の姿はどこにもないと来たもんだ。行ってきますぐらい、言えってんだよな。

「有希なら大丈夫よ。あの子が約束を守らなかったことなんて、ないでしょ」

と、長門の身を案じ、俯いていた朝比奈さんの肩を、ハルヒが優しく叩く。そして、再びマキナック海峡の水平線へと視線を移すと、

「私たちも、私たちに出来ることを、やれるだけやらなきゃ。最後の衣服のありかは―――きっと、この町」

右手で、すっかり便利な収納空間となったマントの中から、地図を取り出し、それを広げるハルヒ。紙面の一点を指で示し、俺と朝比奈さんがそれを覗き込むという、この世界にやって来てから何度目かのやり取りを交わす。

「『ゲティスバーグ』……遠い、ですね」

俺が見て思って感じたことを、朝比奈さんが代わりに口にしてくれた。もうツッコむのも面倒だが、やはり最後もレースのコース上。馬鹿みたいに長いセブンスステージのゴールであるフィラデルフィアから、150kmほど西に離れたところだ。

「そう言や、レースは今頃どうなってるんだろうな」

ふと、このところ町がなかったせいで、レースの動向を探っていなかったことに気づく。確かシックスステージのゴールは、この海峡を越えて4~5kmくらいの地点にあったはずだ。

「とっくにセブンスステージに突入してるでしょうね。レースも佳境、ってところかしら」

と、ハルヒは続いて、左手でレースの概要の記された新聞紙を取り出す。この世界に来た夜、ハルヒがホット・パンツに貰ったという、まあ、旅のしおりみたいなものだ。

「ゴールのマッキーノ・シティに着いたら、新聞を買いましょう。もうあんまり意味はないかもしれないけど、上位が誰だったか気になるわ」

ハルヒが今少し触れた通り、俺たちは今となっては、レースに固執する理由はあまりないのだが―――とは言え、Dioやジョニィ、ホット・パンツなんかと接触しないよう注意するためにも、動向を把握しておくことは必要か。
実際のところ、俺はこのシックスステージの間中、そろそろDioが追いついてくるんじゃないかと思い、まさかの遭遇を避けて行動していたくらいだからな。

「もしあんたの言うように、Dioが先頭に復帰してたら……ゲティスバーグへ急ぐか、Dioとの距離を考えるか、悩むところだわ」

いっその事、俺たちは最後の衣服は無視して、ジョニィだのホット・パンツだのに取らせてやっちまうってのはどうだ? あとあといただく予定ならよ。俺が提言すると、ハルヒはキッと目を吊り上げ、

216: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:10:02.756 ID:d3LUbuSf0.net
「あんたね、面倒くさくなってるんじゃないわよ。そんなことして、最後の衣服がDioの手にでも渡って、あの恐竜能力が強化でもされたら、本当に勝ち目なくなるわよ」

ああ、そういう線もあったか……でも、ゲティスバーグを目指してるのは、マキナックの衣服を取ったジョニィたちだけなんじゃないのか?

「ミシガンとマキナックの衣服は、多分ジョニィとジャイロが取ったけど、それをDioが奪ってたりする可能性もあるわ。とにかく、油断はできないのよ。私たちが自分で手に入れるのが、一番安全なの」

「そりゃそうだ。それが出来れば、な」

「ここまで来て気を抜かないでよ。あんたがそういうスタンスだと、本当に誰かに、最後の衣服まで取られちゃう」

と、教育ママみたいな口調で俺を叱責するハルヒ。ああ、悪かった。本気のお前に、本気でなく付き合おうって、俺の怠け心が間違ってたよ。

「とは言え、Dioの馬の回復にはまだ時間がかかると思う。注意するべきなのは、セブンスステージの道中ね。とにかく、あんまりのんびりしていられない。シックスステージのタイムスコアだって気になるし、早く渡りましょう、このマキナック海峡を」

確かに、連中がこの海峡を越えたのがいつなのかによって、俺たちの進むペースも変わってくるしな。俺は一つ息をついた後、愛車のキーを回す。ドルドルと、いつでも元気よくエンジンがかかってくれるのが、俺の救いと言ってもいいかもしれない。

「よし、行くか、ゲティスバーグ」

俺が、星の欠片でも散らしながら、といった気持ちで、颯爽とそう言うと、

「あんた、その言い回し、気に入ってるの?」

と、唇を平たくしながら、ハルヒが言葉を返してきた。思わず顔が熱くなるのを感じる。なんだよ、俺だってたまには格好つけたっていいじゃねえか。

「ふふっ」

俺とハルヒのやり取りを見ていた朝比奈さんが、そよ風のように笑いながら、サイドカーに乗り込む。ハルヒが後部座席に着いたのを車体の揺れで確認した後、俺はアクセルを吹かした。

217: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:12:42.479 ID:d3LUbuSf0.net
 誰の姿もない、野良犬一匹としていない、閑静な野原の片隅を、南東へと駆け抜けてゆく。その途中、不意に、視界の端に人影と思しきものを捉え、ホット・パンツは手綱を引き、自身の愛馬を停止させた。
正確には、『それ』を捉えたのは視覚だけではない―――ホット・パンツの『能力』が記憶している、複数の『ニオイ』の内の一つが、反応を示したのだ。

「このニオイは……『涼宮ハルヒ』のものだ」

誰にともなく、そのニオイが示す、ホット・パンツの知る、一人の少女の名前を口にする。
涼宮ハルヒ。ホット・パンツ自身を含む、スティール・ボール・ランレースの参加者たち、そしてファニー・ヴァレンタイン大統領が追い求めている、『聖なる衣服』と同じ力を持つ少女。いや、正確には―――『衣服の一つ』と言うべきだろうか。
彼女と最後に出会ったのは、もう一か月ほど前になる。ホット・パンツが、ミシシッピーの岸辺で、ジョニィ・ジョースターとジャイロ・ツェペリから三つの衣服を奪った直後の事で、彼女の持つ力に気づいたのもその時だ。
あの時―――ホット・パンツは。衣服を追い求めていながらも、衣服のうちの一つである、涼宮ハルヒを連れ去ることはしなかった。一体、それが何故だったのかは、ホット・パンツ自身にも分からない。
ホット・パンツは、聖なる衣服を手にし、自らの罪を清める、ただその為だけにあのレースに―――いや、『あの日』から今日までを、生きていたと言うのに―――

「……いや、ニオイはアイツから微かにするだけだ……涼宮ハルヒ自身ではない。『最近涼宮ハルヒと接触した者』か?」

背後に積んだ荷物の中から双眼鏡を取り出し、その人影へ視線を注ぐ。人影は―――体格からして、大人の男性ではない。女性か、子供か―――そんな事を考えていた時、ホット・パンツはあることに気づく。

「あの服は……わたしの持つ『聖なるセーラー服』と似ている……そうか、アイツは涼宮ハルヒの仲間か。しかしなぜここに?」

その、荷物の一つすら携えていない、少女と思しき人物は、一方向を目指し、まっすぐに歩き続けている。ホット・パンツに気づいた様子はない。その向かう先は、どうやらフィラデルフィアのある方角のようだ―――

「フィラデルフィア……セブンスステージのゴール……『ヴァレンタイン大統領』が今、いるらしいな……もっとも、大統領の持つ衣服は、シカゴでわたしがあらかた『貰っ』たが」

218: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:14:16.416 ID:d3LUbuSf0.net
 そう言って、ホット・パンツは背に携えた布袋に意識を移した。そこには、聖なる衣服のうち、ジョニィとジャイロから奪った『ヘルメット』、『右靴』、『セーラー服』―――そして、シカゴで大統領から奪取した、『両靴下』、『スカート』が収められている。
大統領が今、所持しているのは、ホット・パンツが奪取できなかった『リボン』のみのはずだ。
あと少しだ―――あと少しで、『聖なる衣服』がすべて揃う。それがそろった時、ホットパンツはやっと救われるのだ。そして、ホット・パンツの人生は、そこから始まるのだ。そう、ホット・パンツは信じていた。
しかし、そのためにはあの少女を―――涼宮ハルヒを手中に収めなくてはならない。ミシシッピーの川辺で、一度は見逃したあの少女を。

「……なぜ『彼』は……あの時、涼宮ハルヒを『さし出さ』なかった?」

気が付くと、ホット・パンツの思考は、言葉となって唇から零れ落ちていた。『彼』―――涼宮ハルヒとともに、あのアリゾナ砂漠で出会った、ハルヒと同じほどの年頃であろう少年。
バイクを動かすことが彼の能力のようだったが―――彼は何故、あの時、あれほど強い目をすることができたのだろう。

「……わたしの罪は、清められなくてはならない。たとえ誰かの人生を犠牲にしてでも」

ホット・パンツがそう呟くと同時に、愛馬が一度だけ、低い鳴き声を上げた。―――そう、何も問題はないのだ。この正体の分からない『迷い』さえも、『その時』が来れば、解き明かされる。すべてが『白』になる。
名も知らぬ、セーラー服の少女は、フィラデルフィアを目指して歩き続けていく。愛馬に鞭を打ち、その背を追い越すつもりで、ホット・パンツは再び進みだした。聖なるセーラー服が示した、最後の衣服のある場所―――ゲティスバーグへ向かって。

219: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:16:14.650 ID:d3LUbuSf0.net
 ハルヒの予想した通り―――ホット・パンツの名前は、シックスステージの着順表からなくなっていた。ミシシッピーで言った通り、レースを離れ、大統領の持つ衣服を奪いに行った、という事なのだろう。その後どうなっちまったのかは、俺たちのうちの誰にもわからん。
俺の懸念していたDioの復活も、ハルヒが言った通り、まだ実現はしていなかったんで安心したよ。
一着がジャイロ、二着はその仲間のジョニィ、次にポコロコ。以下、その他大勢。それが、シックスステージの結果だった。俺は、マッキーノの地元新聞から顔を上げ一つ息をつく。

「ジャイロがゴールしたのが、おとといの昼。着順からいって、やっぱりマキナックの衣服を取ったのはこいつらよ」

つまり、この1300kmとかいうアホみたいに長いセブンスステージのどこかで、こいつらを抜き、先にゲティスバーグへたどり着けば、俺たちの初白星が実現するってことか。
今度こそ何とかなりそうなもんだけどな。フィラデルフィアまでの道のりは山道でも砂漠でもないし、馬の一日の移動距離は、せいぜい70kmってとこだろう。俺の愛車は、その気になりゃ一日200kmは走れる。

「キョン君、大丈夫? あんまり無理はしないほうがいいよ」

「少しくらい無理をしなきゃ、元の世界になんて帰れないわよ」

朝比奈さんが俺を労ってくれた直後に、ハルヒの厳しい一言。……俺の気のせいだろうか。ミシガン辺りから、この二人の関係がちょっとおかしい。 なんつーか、ハルヒが必要以上に朝比奈さんに突っかかると言うか―――

「す・ず・み・や・さ・ん」

「……ま、一日に100kmも走れば間に合うペースかしらね」

しかし、それでいて、朝比奈さんがちょっと優位というか。なんだろうな、これ? 女同士の関係ってのはよく分からんが、こういうものなんだろうか。

220: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:18:20.583 ID:d3LUbuSf0.net
「とは言え、安心なんてできないのよ。ゲティスバーグは、完全にレースのルート上というわけではない。もしジョニィやジャイロが、少しでもルートを外れたら、大統領は気球からの情報でそれをすぐ知り、行き先を読むはず」

気球? 気球って、あのやたら空に飛んでる奴か。そういや今まで気にしたことがなかったが、アレと大統領が何か関係あるのか?

「あんたホントになんも知らないわね……アレはレースの運営の監視よ。リタイアした選手を見つけたり、不正がないか見張ったりするためのね。大統領には気球の情報が直で行くの。今回みたいなパターンは筒抜けってこと」

おいおい、初耳にもほどがあるぞ。むやみやたらに飛んでるから、てっきり十九世紀ってのは、気球がそこら中に浮かんでるもんなんだと思っていたぞ、俺は。知ってるならなぜ教えてくれないんだ。

「別に、私たちはレースの選手じゃないもの。基本的には無関係よ。でも、今回はジョニィたちの動きが変則になるから、アイツらが衣服を取りにゲティスバーグを訪れるころには、大統領側からも刺客が送り込まれるはず」

そこでハルヒは、一度言葉を区切り、

「っていうか、正直に言って、私たちがゲティスバーグに向かうだけでも、大統領は事態を察知する可能性があるわ」

「ちょっと待て、俺たちはレースの参加者じゃないって、今言わなかったか? どうして俺たちの動きを、大統領が気にするんだよ」

俺のその発言に、ハルヒはハバネロ食らった小学生みたいな顔になり、

「あんたバカね。これだけしつこくレースについて行ってるんだから、私たちの存在なんて、とっくに大統領に知られてるわよ。ついでに、衣服のどれかを持っていて、さらに狙ってるとも思われているはず」

おいおい、とするとだ。俺たちがゲティスバーグに直行なんてしたら、大統領に、衣服はここだよーって教えてやるようなもんじゃないか。

「だから、余裕なんてないって言ってるでしょ。ゲティスバーグに行く、衣服を取る、大統領の追っ手から逃げる、この三つを、出来るだけ早く、スムーズに、滞りなく済ませる必要があるの」

221: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:20:01.864 ID:d3LUbuSf0.net
 ちょっと待ってくれよ涼宮さんよ。大統領が本格的に俺たちを殺しにかかってきたら、どんなのが来るか分からないぜ。Dioみたいな強力な能力のなんかが来られたら、冗談抜きに命があるか―――

「……あたしはそれでいいと思ってる」

……何?

「元の世界に戻れない―――あんたたちと一緒に、あの世界に戻れないくらいなら、死んだほうがマシよ」

それに対して、俺は何かを言い返そうとして―――ハルヒの眼に、気づいた。なんだ、この目つき。今までハルヒが、こんな眼をしてるのは見たことがないぞ。そこには、いつも通り、強気な光が灯っているのだが、それとともに、何かを慈しむ様な―――

「……あんたは、違うの?」

ハルヒの眼に注がれていた俺の意識を、現実に引っ張り戻す声。一瞬、その意味が分からず、黙り込んでしまう。なんだ、ハルヒは、元の世界に帰れないなら死んだほうがマシだって? そして、俺はそうじゃないのかと、そう訊いているのか。
そりゃ―――命がなきゃ、何にもならないだろう。

「……お前、少し疲れてるぞ」

「はあ?」

俺の言葉を払いのけようとするハルヒ。ジロ。と、こちらを睨んだ目を、真正面から見て、さらに言葉を紡ぐ。

「死んだほうがマシ、なんて言うなよ。もし、もしだぞ? 俺たちがもう、元の世界に帰れなかったとして……お前が死んで、俺たちだけがこの世界に残ったら、どうしてくれるんだよ」

「そんなの―――あり得……」

それが、あり得るんだっつーの。俺たちは、何しろ―――弱い。そう、もし、ハルヒ目当ての、強力な刺客と出会ったとして、そいつからハルヒを守り切ることができるかどうか怪しいほどに。
情けないことを言っているようだが、これは本当なんだ。俺にできることは―――せいぜい、ハルヒと朝比奈さんを乗せて、ひたすら逃げる事。走る事くらい。
だからさ、せめて逃げさせてくれよ。走らせてくれよ。お前を危ない状況に持っていくような道を、進ませないでくれよ。でなきゃ―――俺は。

222: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:22:02.677 ID:d3LUbuSf0.net
「キョン……」

ハルヒの眼が、その双眸が、俺の眼を見つめている―――俺は今、相当格好悪いこと言ってるな。と、自覚はしてる。
だが、それでも―――

「……あんたの言いたいことは分かったわ」

無言の時間が、十秒ほど続いただろうか。傍らの朝比奈さんも、何も言葉を発することなく、俺とハルヒの言い合いを、ただ見守っていた。途中からは、俺の一人語りだったけどな。
やがて、ハルヒはゆっくりと沈黙を破った。

「でも、ゲティスバーグには行く。負けないためには、勝つしかないから」

一瞬だけ、俺から視線を外し、したたかに言い放つ。こいつ、俺の言いたいこと、分かってんのか? と、俺が思ったその直後、ハルヒは、

「……ジョニィたちを囮にするわ」

「……囮?」

再び、俺の顔面に視線を戻し、ハルヒはそう言い放った。そして、その意味を、俺が訊ねようとするよりも早く、地べたに座り込んでいた体を、すっくと立ち上げる。

「そうと決まれば、やっぱりあんまり時間がない。キョン、ハウス! さっさと寝て、明日は早朝四時起き! ジョニィとジャイロを追い越す必要はなくなったけど、追いつく必要はあるわ」

「おい、お前が何を思いついたか知らんが、とりあえず……飯ぐらい食わせてくれ」

と、俺は、右手に持っていた、パスタの入った木の器を指で示し、立ち上がったハルヒに向かって、そう言った。―――話に夢中で、すっかり冷めちまったじゃねーか、朝比奈さんの作ってくれた、カラいトマトソースのペンネがさ。

「ぐす……ふふっ、温めなおしてきますね、キョン君」

と、何やら涙目になった朝比奈さんが、これまた何やら嬉しそうな笑顔で、俺の器を取ってくれた。……泣かすようなこと、言ったか? 俺。

223: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:24:02.082 ID:d3LUbuSf0.net

明くる朝。簡潔に言うと、『ジョニィとジャイロを、一定の距離を保ちつつ、気づかれないように追跡すること』―――それが、ハルヒが俺に下した使命の概要だった。
その追跡の果てに、何を狙っているのかは、俺には皆目見当がつかない。しかし、そこから先の作戦を、詳しく説明する気はまだないらしい。仕方がないので、従ったよ。抗ったって話が進まないしな。

「エンジン音が聴こえる範囲まで行っちゃ駄目。目で見えてもだめ。二人の馬の蹄の跡を追う、ぐらいの気持ちで進むのよ」

蹄ねえ。しかし、馬の蹄なんて嫌って程見てきたが、どの蹄がジョニィたちのモノかなんて見てわかるのか? 俺が訊ねると、ハルヒは少し得意げな表情を浮かべ、

「二人は十中八九、衣服を持って行動してる。蹄から衣服の気配がするかどうか、私にならわかるわ」

引力バンザイ。それだけ衣服の気配に敏感なのに、なんで俺たちはここまで、一つも衣服を取れていないんだかな……。

「早速だけど見つけたわよ」

と、ハルヒが手袋をした指先で、マッキーノ・シティからわずかに南の大地に刻まれた、一つの蹄の跡を指で示した。

「この足跡を追っていくのよ。気をつけてね、馬ふんとか踏まないように」

女子が馬ふんとか言うなっつーの。

「まず最初に、ジョニィたちを見つけるまでは、ガンガン進んでいいわ。二人だと思しき姿や、二人のキャンプなんかを見つけたら、そこからは距離を保ってついていく。あ、みくるちゃん、しばらく雨はよすように、空に言っておいてね」

「は、はい」

なんとなくだが、昨晩言っていた、囮ってのの意味が、俺にも分かってきた。要するに、ジョニィたちに先にゲティスバーグに行かせて、大統領の差し金とドンパチやらせて、その隙に何とか衣服を横取りしちまおうって言うんだろ?
そんな都合よく行くのか、実際のところ。確かに、大統領側がジョニィ&ジャイロに照準を定めてくれたら、俺たちは動きやすいが……

224: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:26:02.090 ID:d3LUbuSf0.net
「下手に先回りして、その真逆の展開になるのだけはご免だわ」

真逆。つまり、俺たちが大統領の刺客とすったもんだしているところに、ジョニィたちがやって来て、衣服を持っていかれるって事か。確かに、それは勘弁願いたいな。

「どこかでホット・パンツも絡んでくると思うし、すべて思い通りにいくかはわからないけどね。可能な限り安全に歩み寄った、私の作戦よ」

ハルヒのその発言に、俺は昨晩、自分がハルヒに投げた言葉を思い出す。なるほど、安全と攻めの両取りって事か。ハルヒが俺の忠言を聞き入れるとは珍しい。

「……そろそろ行きましょ。今日でもう、セブンスステージの三日目。結構進んでるはずよ、ジョニィたちも。それに、あんまり町に溜まってたら、そろそろ追い上げて来そうなDioに見つかっちゃう」

それも勘弁願いたいな。Dioの奴とは、できればもう顔を合わせたくない。まあ、アイツは『左靴』を持ってるわけだから、いつかはもう一度絡まなきゃ行けないんだろうけどよ。
それにしても―――先行きが不安だ。一体、この旅は、どこで終わってくれるんだろうか。俺は頭痛を覚えつつ、愛車のエンジンを掛けた。

「キョン君、昨晩のことなんだけど」

と、不意に、サイドカーの朝比奈さんが、華奢な手で、俺の肩をポンポン、と叩き、

「カッコよかったよ。多分、涼宮さんもそう思ってる」

と、プライスレスの笑顔を浮かべながら、言った。思わず、顔が熱くなる。

「何、何の話?」

俺と朝比奈さんのやり取りに、後部座席にちょうど跨ったところだった、ハルヒ口を挟んで来る。

「何でもねーよ」

と、無駄に何度もアクセルを吹かしたのは、まあ、照れ隠しなんだけどな。

225: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:28:02.749 ID:d3LUbuSf0.net
 びっくりするほど何事もなく、フィラデルフィアへの旅は、今夜で九日目を記録しようとしている。ターゲットである二人の馬乗りは、俺たちのいる地点から、300mほど離れた位置でキャンプをし、夜を明かすつもりらしい。

「なあ、ハルヒ。フィラデルフィアに近づいて来たぜ。あいつら、本当にゲティスバーグを目指してるのか?」

木陰に身を隠しつつ、俺が、数日前から抱いていた疑問を、隣で双眼鏡をのぞき込むハルヒにぶつけると、

「もしかしたら、あの二人の持つ衣服は、ゲティスバーグを示していないかもしれないわね」

と、何でもないことのように返されたのだが、結構デカい問題じゃないか? それ。

「アイツらがゲティスバーグに行かないんじゃ、囮もへったくれもないじゃないか」

いわゆる、作戦失敗って奴だろ、それは。おまけに、俺たちはもう、最短距離でゲティスバーグに向かうルートを見送り、丸一日ほど、ジョニィたちを追跡している。いわゆる、引っ込みのつかない状態ってわけだ。
ハルヒは、ミントティーと間違えてセンブリ茶を飲み干してしまったような顔をしながらも、

「もう少し様子を見るわ。大丈夫、私の感覚だと、またゲティスバーグの衣服は、誰の手にも渡ってない」

断言するハルヒ。俺はため息を吐きつつ、予備の双眼鏡で、ジョニィとジャイロのキャンプをのぞき込む。俺たちの視点からは、二人の顔は見えないが、どちらかのものと思われる足が、簡易型のテントからはみ出しているのが見て取れる。

「本当にあいつら、マキナックの衣服を取ったのか? ゲティスバーグに衣服があることに気づいている様子がねえぞ」

小声で俺がぼやくと、ハルヒは双眼鏡から目を離し、俺の眼をジロりと睨んだ。そして、

「衣服の気配の残った蹄の跡を追って、ここまで来たんじゃない。間違いないわ、あの二人は衣服を持っている」

じゃ、奴らは何でゲティスバーグをスルーしようとしているんだ?

「言ってるでしょ、衣服にも、持っている力の傾向があるの。アイツらが持っているのは、次の衣服の位置を教えてくれるタイプのものじゃない可能性があるわ」

そんな区分があること自体、俺は今初めて聞いたがな。ハルヒは、自身の衣服について、『まるで体の一部のこと』のように感じ取れると言っているが、言うことがちょくちょく変わるので、正直信用に足るものか怪しいと俺は思っている。

226: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:30:03.240 ID:d3LUbuSf0.net
「二人とも、スープ、もうできましたよ?」

300m先の世界に注がれていた、俺たちの意識を、朝比奈さんの声が、現実に引っ張り戻してくれる。今日は干し肉とトウモロコシの入ったコンソメスープだって言ってたっけな。
旅が長引くと、どうしても保存食だらけの食事になりがちなんだが、ハルヒと朝比奈さんは、なんというか、言い方は悪いが、そのあたりの誤魔化し方が上手いんだよな。最終的に満足できるメニューを供してくれるのさ。

「なあ、あいつら、今日はもう動かないだろ。俺らも飯にしようぜ」

「……そうね」

俺の提言を受け入れるようなフリをしつつ、ハルヒは双眼鏡を離さない。やれやれって感じだな。
実際のところ、ジョニィとジャイロの走行ペースは、ここまでかなりハイではある。予想行程日数が二十二日のところを、こいつらは十二日目で、フィラデルフィアまであと数日でたどりつけるであろう地点までやってきている。
確か、マッキーノで耳にした限りじゃ、現在、オッズで一番人気なのはジャイロだそうだ。次いでジョニィ。旅を進めていく様子を尾行した限り、人気が独り歩きしているというわけではなく、馬術や戦術面で、こいつらはなかなかハイグレードのようでもあった。

「はい、涼宮さん。少しの間、私が見張ってますから、ご飯、食べちゃってください」

朝比奈さんに声を掛けられ、ハルヒはようやく双眼鏡を手放した。目の周りに赤く跡が残るくらいに、長いこと遠くを見ていたためか、その目からは少し疲労の色が窺える。

「ありがと、みくるちゃん。悪いけどお言葉に甘えるわ、ほんの十分くらいでいいから、ジョニィたちを見てて」

「はい。あ、キョン君もね」

ハルヒから受け取った双眼鏡を目元に宛がい、300m先へと視線を注ぐ朝比奈さん。
見れば、たき火の横に、俺の分のスープも用意されている。ありがたく頂くとしよう。木製の皿を手元に引き寄せ、同じく木のスプーンで具材を掬い上げた―――その瞬間だった。

「あっ、えっ? あ、あの、涼宮さん、あれ」

つい今さっき、ジョニィたちを見張り始めた朝比奈さんが声を上げたのだ。俺は、口に運ぼうとしていたスープの具材を皿に戻しながら、何があったのかと訊ねる。すると朝比奈さんは、

「ふ、二人が荷物をまとめて……あっ、行っちゃいます!」

227: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:32:02.714 ID:d3LUbuSf0.net
 ジョニィたちが動き出したって? この、これから夜も深まるであろうって時間に? 何故だ?

「分からないけど、何か見つけたみたい……わ、私たちも、行かなきゃ!」

慌てて、双眼鏡から目を離し、キャンプグッズの片づけを始める、朝比奈さん。その手から落ちた双眼鏡を拾い上げ、俺はジョニィたちが居たはずの方角に視線を投げる。
朝比奈さんの言った通り、そこには、先ほどまで奴らがいた形跡はあるものの、すでに二人と、馬たちの姿はなくなっていた。

「ボサッとしない!」

不意に、ぺし。と、ハルヒに後頭部を叩かれた。振り返ると、仕事の早いもので、二人はすでに、キャンプ用品のあらかたをカバンに仕舞い終え、俺が愛車を発進させるのを待っているような状態だった。

「みくるちゃん、二人はどっちに行ったの!?」

ハルヒの声に、朝比奈さんは、

「あ、あっち! 方角で言うと、えと、南です! ちょうど、ゲティスバーグのほうです!」

と、舌ったらずな口調で言いつつ、サイドカーのシートに飛び乗った。俺もあわててカバンを背負い、愛車に跨る。ああ、俺の晩飯はとりあえずお預けか。恨むぜ、ジョニィ&ジャイロさんよ。

「キョン、こっからが本番! アイツらを追って、きっと大統領も動く! 私たちは正面からはぶつからないけど、状況はきちんと把握すること! 分かったら、出しなさい!」

へいへい。という返答を、アクセル音で代用しつつ、俺は愛車を発進させた。―――さて、どうなるか、だ。

キャンプ跡から、南へと続く、真新しい足跡を辿って走り始め、もう一時間ほどになるだろうか。すっかり夜も更け、愛車のライト無しでは、あたりや、大地の様子が分からないくらいだ。

「気球の監視が甘くなる、夜の間にコースを外れて、衣服を取りに行くつもりなのかしら……あっ、キョン。ちょっと停まって」

228: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:34:33.435 ID:d3LUbuSf0.net
 背後でブツブツ言っていたハルヒが、不意に俺の肩を叩き、そう声を上げた。言われるがままに、俺はブレーキをかけ、片足を大地の上に下ろす。

「どうした?」

「足跡が、三頭分になってる」

愛車のライトが照らす大地を、目を細めて睨みながら、後部座席から降り、ジョニィたちの馬の蹄の跡が刻まれた地面へ駆け寄ってゆくハルヒ。どうやら、足跡の数が問題らしい。よく気付くな、そんなところ。
別にどうってことはないだろ。昼の間に、誰かがジョニィたちと同じルートを、馬で走ったってだけじゃないのか?

「いや、三つとも、ついさっきって感じの足跡よ。おそらくだけど、ジョニィたちはこの足跡を付けたやつを追跡している。だから三頭の足跡が同じルートを辿ってるのよ」

それに、と、ハルヒは一つ息をつき、

「この、ジョニィとジャイロのものじゃない足跡から、衣服の気配がプンプンするわ。多分だけど、この足跡の主は―――」

ホット・パンツか。
俺がその名を口にすると、ハルヒは深く頷いて見せた。奴は現在、衣服を、少なくとも三つは持っている。ミシシッピーで、ジョニィたちから奪ったというヤツだ。
更に、俺たちが最後に出会った時、ホット・パンツは、大統領の衣服を奪いに行くと言っていたが、結局どうなったのだろうか。こうして、奴さんが付けた足跡が残っている以上、大統領の返り討ちに会って帰らぬ人に、という事はなかったようだが。

「ホット・パンツは、お前の言うところの『衣服のありかを示す衣服』を持ってるのかもな」

「あり得るわね。もしアイツが、本当に大統領の衣服を奪ったなら、相当な数の衣服を持ってることも考えられるわ。その後、誰にも奪われてないのなら、少なく見積もっても五つは持ってていいはず」

確か、衣服の総数は十個だと、ハルヒが前に言い洩らしていたっけな。靴下だの靴だのは、二つで一つと数えた場合の話らしい。さらに加えると、この個数は、ハルヒという存在自体をも、一つと数えた上での数だとか。

229: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:36:02.761 ID:d3LUbuSf0.net
「多分だけど、まだ見つかっていない最後の衣服は、私の『カチューシャ』だと思うわ。このところ、衣服の内訳が、はっきり感じられるようになったのよ。マキナックにあったのが私の『下着』だったと思う」

女子高生の下着を血眼で奪い合うとは、この世界の連中も、相当頭をやられてんな。
難しい顔をしたハルヒが、後部座席に戻ったのを確認し、俺は引き続き、ジョニィとジャイロ、そしてホット・パンツのモノと思われる、三つの足跡を追跡し始めた。

そうやって、更に一時間ほどの時間が経過しただろうか。俺たちは、ゲティスバーグの市街地へとやって来ていた。大地は、土から、石畳になり替わっていて、ここから先は、足跡から奴らを追跡することはできない。

「おいハルヒ、どうする」

俺が肩越しに、次なる指示を仰ぐと、ハルヒは、

「大丈夫、衣服の位置は感じてるわ。私の言う通りに進んで頂戴」

と、俺を見ず、周囲の街並みを見回しながら言った。そして、数秒ほど、そうして周囲を探った後、一方向を指で示して見せる。

「あっちから感じる」

随分アバウトな指示だが、指示待ち人間である俺は、それを鵜飲みにして進むほかない。夜なこともあってか、人影のない市街地を、愛車のタイヤを転がして進んでゆく。数度、ハルヒから方向転換の指示を受けた後―――

「ここだわ、この建物の中。見て、塀のところに、ジョニィとジャイロの馬がいる。あっちには、ホット・パンツの馬も!」

古めかしい建物が並ぶ中、一軒の館を指で示すハルヒ。
俺の眼には、どれが誰の馬なのかはさっぱり見分けがつかないのが本音なのだが、とにかくハルヒの言う通り、その建物の入り口周辺に、俺たちが追っていた連中のものらしき馬が停まっていた。

「ありゃ、ゴミ捨て場か何かだと思うが……こんなところに衣服が? どうする、入ってみるか?」

と、口では言っておきながら、俺は相当ビビっている。もしハルヒから、突入の指示があっても、とりあえず抗うつもりでいた。
何しろ、あのホット・パンツや、何かしらの能力を持っているであろう、ジョニィ&ジャイロだとかが溜まってるんだぜ? その上、大統領の刺客まで居るかもしれないんだ。
下手に侵入なんかしたら、どんな目にあわされるか、想像もつかない。ハルヒには、俺がそういう状況を避けたいと思っている旨は伝えてあるはずなんだが―――

231: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:38:01.767 ID:d3LUbuSf0.net
「……入りはしないけど、近づいて様子は見る。感じるのよ、あそこにある衣服に、『何かが起こっ』てる」

何かって、誰かに取られたって事か?

「そうじゃない―――と、思う。でも、そうじゃない『何か』よ」

ハルヒの言葉は、漠然としすぎていて、いまいち飲み込みにくいが、ここまで来て、何もせずに引き返すわけにもいかない。俺は愛車を、交差点の角に停め、同乗者二名とともに、そのゴミ捨て場に近づいて行った。恐る恐る、な。
近づくにつれて、その建物の内部から、物音やら、誰かの声やらが、漏れていることに気づいた。中に、人がいる気配がする―――それも、一人や二人じゃない。

「なあ、この中にいるのは、ジョニィとジャイロにホッパンだけじゃないのか? 何か知らんが、相当いるぞ」

俺が、小声でハルヒにそう問いかけると、

「大統領側の人間が送り込まれるっていう予想は、やっぱり当たったみたいね。多分、中で争ってるんだわ」

やがて、俺たちは、建物の外壁に触れるくらいの地点にたどり着いた。屋内からは、何やら奇妙な音が相次いで聴こえてくる。
それは、銃声のようにも聴こえ、俺は身震いをしたのだが、映画やドラマで聴いたことのある銃声よりは、いくらか音が軽い気がした。なんつーか、おもちゃっぽい?
建物の入り口は、開けっ放しにされていて、物音はそこから聴こえてきているようだ。俺は無言で、朝比奈さんとハルヒに、少し離れているよう合図を送った。額に汗がにじむのを感じながら、入口へと歩みを進めてゆく―――

「待ったッ!」

と、俺がその館の内部を覗き込もうとした瞬間、ハルヒが俺のマントを引っ張った。

「中から、誰か出て来る―――そいつが、『衣服』を持ってる!」

その言葉に、慌てて、入口から距離を取り、建物の影まで退避する俺たち。二秒ほど息を飲んだ後、石の壁に身を潜ませたまま、入口の方を見ると―――ハルヒの言った通り、誰かが入口から出て来た。何かを抱えているようだ。

「私の衣服―――それも、ほとんど『揃っ』てるわ!」

232: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:40:01.574 ID:d3LUbuSf0.net
 俺たちの居る場所からでは、視覚的に、それがハルヒの衣服であることを確かめることはできない。が、衣服のありかや、引き合う力を感じ取れるというハルヒが断言するのだから、きっとそうなのだろう。
今にも飛び出しそうなハルヒを手で制し、俺は状況を見る。少なくとも、衣服を抱えたその人物は、ジョニィやジャイロ、ホット・パンツらの誰かではないようだった。まあ、俺はジョニィとジャイロの詳しい風貌は知らないのだが。
そして、その手の中に、ハルヒ曰くほとんど揃った衣服―――

「―――今しかない! キョン、アレを奪うわよ!」

「待てって! あいつが、この館の中での戦いで、衣服を手に入れて、出てきたって状況だろ!? どんな能力持ちかもわからないんだ、簡単に奪えねえっての!」

「でも―――でも!」

ハルヒは歯がゆそうだが―――どうにもならない状況だと、俺は思う。そもそも、大した攻撃能力も持たない俺たちが、衣服の奪い合いに飛び入り参加しようってのが間違っていたのかもしれない。
おそらく、大統領の差し金なのであろう、その人影は、やがて、館から離れてゆく―――その、寸前に。
どう説明したらいいんだろうな、これは。破壊音だとか、物音は、ほとんどしなかったのだが―――簡潔に言うと、誰かの腕が、建物の壁から生えてきた。そして、謎の人物の手の中の衣服を、ガシッと音が出そうな勢いで、掴んだのだ。

「あ、あれ……」

「な、何?」

ハルヒと朝比奈さんが、小さく声を上げる。瞬間的に、俺はホット・パンツの、例の能力だと思ったのだが―――しかし、突如壁から生えてきた腕の、その手の中に、肉スプレーは握られていない。
何も持っていないその腕は、謎の人物と、衣服の引っ張り合いを繰り広げている―――これは、チャンスかもしれない。及び腰な俺でもそんな気がした。漁夫の利を狙うなら、今だ。

「ハルヒ、朝比奈さん、ここにいてくれ」

呟くほどの音量で、二人にそう告げ、態勢を整える。二人は、何らかの反応を俺に返してきたようだが―――それが俺の耳に届くよりも早く、俺は建物の影から飛び出し、衣服を奪い合う二人(?)に向かって駆け出していた。

「オラァ―――ッ! その手を放しやがれェ―――!」

恐怖を握りつぶすように、叫ぶ。壁から突き出た腕と、衣服を引っ張り合っていた男は、俺のその声に気づき、一瞬だけ視線をこちらへと投げてよこしたが、すぐに壁へと向き直り、ナイフらしき得物で、壁の腕と格闘をし始めた。ちくしょう、こうなりゃ力業だ。

233: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:42:28.605 ID:d3LUbuSf0.net
「こッの―――野郎ォ!」

人を殴る手法なんて、習ったことも、習いたいと思ったこともない。俺は何も考えず、握りしめた右腕を振りかぶり、謎の人物に殴りかかろうとした。

「キョン!」

背後で、ハルヒの声がするのも構わず、右の拳を振り下ろすことだけを考えて―――ついに、俺の一撃が、そいつの顔面を捉えようとした―――その、直前の事だった。

ガァァ―――ン

不意に、刺々しい、耳朶に響く音が、あたりの空間を揺らした。今にして思えば、それは紛れもなく、『銃声』だったんだな。

「がふっ! あ……ぐふ……ああっ……ウソ……何だと……」

その音が響き渡ったのと、時を同じくして。俺が殴り倒そうとしていた、見慣れない面をした男が、呻きながら、入り口のドアを巻き込み、大地に倒れ込んだのだ。
それに伴って、俺はその人影にちょうど隠れる形で、入口を挟んだ反対側の壁際に、誰かが立っていることに気が付く。

「あああ……あなたは……! あなたは! そんな……何で……」

館の出入り口の敷居の上に倒れ込んだ男が、そこにいたもう一人の人物を見上げ、さらに呻く―――滑り気を帯び、泡の立った声で。

「よくやった……アクセル」

夜の闇の中に浮かび上がってきた新たな人影は、どうやら肩ほどまでの長髪の男のようだった。その、低く、ドスの利いた声が、俺の耳を打つ。男の左手に握られているのは―――拳銃。

「君はまだ死なない……少し急所をはずして撃ったからな」

「だっ―――誰だッ!?」

念仏のような男の声に混じって、聴いたことのない、少しトーンの高い男の声がした。建物の中からだ。
長髪の男は、まるで、人間ではない―――はるかに位の下の生物を見るような素振りで、館の中を一度覗いた後、大地に倒れた、衣服を引っ張っていた男の腕の中から、『衣服』一式を、拾い上げた。

「何だと……ここに……この場所に!? お前はッ!」

234: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:44:01.578 ID:d3LUbuSf0.net
 あとから聴こえて来た方の男の声が、ふたたび、出入り口からこぼれて聴こえてくる。そこでようやく。気が遠くなるほどの回り道の思考の果てに、俺は現状を理解した。
こいつは、この長髪の男は、衣服を持っていこうとしている。まさか―――こいつこそが―――『大統領』なのか。
俺がその思考にたどり着いた時。ふと。それまでは、俺の存在など、気にもしていなかった長髪の男―――大統領が、俺に視線を投げつけた。
そして―――

ガァァ―――ン

突然の展開に、直前まで行おうとしていた行動さえ忘れ、竦みあがっていた俺の体―――その右脚、腿の部分に、強烈な痛みが走った。

「な―――ッ!」

さすがの俺でも、今何が起きたのか、くらいは、瞬時に察することができた。大統領が、左手の中の銃で、俺の脚を撃ち抜いたのだ。

「ぐあ……いっ―――テェェェ!!」

痛さと、熱さ。二つの感覚が、俺の身体中を駆け巡っているかのような気分だった。これが―――銃というものなのか。何かを考えようとしても、右脚から身体中に広がった、痺れのようなものが、それさえも許してくれない。

「キョンくんッ!」

背後で、朝比奈さんが、俺の名を呼ぶ声がした。その声が耳に届いたか、届かなかったかぐらいで、俺はその場に崩れ落ちてしまう―――立っていることなんて、出来るかよ。

「わたしは斧で襲いかかるそこの『アクセル』から、君を助けた―――」

大統領が、何かを誰かに言っているようだが、その意味は全く理解できない。そこでようやく、俺は右脚の、痛みを覚えている箇所に視線を移した。当たり前だが、穴が開いていて、そこから俺の血液が流れ、ズボンの生地を湿らせている―――

「う……あ……」

俺は、その光景を見ながら、大量の血を見て、失神するヤツがいるって話を、大昔に、そんな訳ないだろうと思って聴いたことを思い出していた。誰から聴いたんだか覚えてないが―――謝るよ。本当にそういうもんなんだな。
俺が覚えてるのは、そのあたりまでだ。

235: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:46:01.918 ID:d3LUbuSf0.net
 目を覚ますと、いつだか見たような……そう、この世界にやってきた初日、アリゾナ砂漠で見たのと似たような―――陳腐な言い回しだが、今にも降って来そうな星空が、目の前に広がっていた。
あの時と違うのは、俺が寝かされている大地が、アリゾナの砂塵ではなく、ゴツゴツとした石畳の上だったことと、すぐ傍らに、不安げな表情で俺を見下ろす、二人の人物の姿があったことくらいだろうか。

「キョン……大丈夫?」

泣き出しそうな顔と、震えた声で、そう問いかけて来たのは、ハルヒで、

「キョン君、ごめんね、ごめんね」

すでに、夜空のような瞳から、流星群のような涙をポロポロとこぼしているのは、朝比奈さん。
俺はどうなったんだっけ―――そうだ、確か、あの名も知らない男から、衣服を奪い取ろうとして―――突如現れた、大統領らしき男に、右脚を撃たれたんだった。そして、気を失ってしまった。
空を見る限り、夜はまだ続いているらしく、俺が意識を失っていたのは、そう長い間ではなかったようだが……

「動かない方がいいわ―――まだ肉が落ち着いてないから」

体を起こそうかとした時、不意に、どこかで聴いたような―――それでいて、初めて聴いたような―――誰かの声がした。視線を、声のした方向にずらすと、館の壁に背を預けて、こちらを見ている、見知らぬ女性の姿がある。

「あんたは……?」

「ホット・パンツよ」

俺が、その人物に投げた問いかけを、ハルヒが横からキャッチし、投げ返してくる。ホット・パンツ? だって、俺の目の前にいるのは、修道服に身を包んだ女で―――
しかし直後、その女性の手の中に、あの肉スプレーが握られていることに気づき、俺は状況を把握した。ホット・パンツ―――あの、不愛想な馬乗りの正体が、修道女だったってのかよ。
と、その事実はその事実で驚愕すべきことなんだが、俺はそれより優先すべき事象があることを、修道服ってワードで思い出した。

「衣服は……どうなった?」

「全部、持っていかれたわ。大統領にね」

誰にともなく訊ねかけると、今度もやはりハルヒが答えてくれた。あの長髪の男は、やっぱり大統領だったのか―――まさか、大統領が直々に衣服を奪いに出てくるとは思っていなかった。

237: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:48:01.783 ID:d3LUbuSf0.net
「わたしの持っていた衣服も、ジョニィたちの持っていた衣服も、すべて持っていかれた。大統領がまだ手にしていないのは、Dioの持つ『左靴』と―――そこの涼宮ハルヒだけよ」
普段とは違う口調で、何かを諦めたかのような表情で、ホット・パンツがそう言った。そうだ、ハルヒ―――ハルヒは、何もされなかったのか?
ジョニィはともかく、大統領は俺たちが衣服を持っていると思っているはずなんだろ? だったら、その場にいた俺たちからも衣服を奪おうとして、結果、ハルヒの持つ力に気づかれてしまってもおかしくない。
すると、ホット・パンツが、

「わたしが誤魔化したわ。咄嗟に、肉スプレーで『口』を、涼宮ハルヒのところまで移動させて、大統領とジョニィたちが去るまで身を隠しているように伝えたの」

口を移動。そんなこともできるのか、コイツの能力は。

「わたしはもう駄目よ……すべてをさし出してしまった。大統領の刺客であったアクセルに……これほど自分が弱いとは、思っていなかった」

浮ついた視線を、空中に揺蕩わせながら、ホット・パンツは、呆然とそう口にした。俺は、そこでようやく体を起こし、上半身をホット・パンツの方へと向ける―――ちょうど、目が合う。

「お願い、涼宮ハルヒを連れて、逃げて。おそらく、大統領は涼宮ハルヒが最後の『衣服』であることをすでに知っている―――あなたたちを狙って攻撃を仕掛けてくる。そうなる前に、どこか遠くへ逃げて」

ホット・パンツは、僅かにだが、涙を流しているようだった。その涙声が、続けて言葉を紡ぐ。

「わたしは……衣服を守ることさえもできなかったわたしには、もう、あなたたちが逃げてくれることしか、希望がない」

「……ホット・パンツ」

目の前で泣き崩れる修道女の名を、ハルヒが呟く。ホット・パンツの事情は詳しく知らないが―――コイツにとっては、衣服を手に入れることが、本当に『すべて』だったんだな。

「……だけど、あんたは私を助けてくれたじゃない」

不意に、嗚咽を上げるホット・パンツに、ハルヒがそう言葉をかけた。

「あんたがすべてをさし出すつもりだったなら、私に、身を隠していろだなんて教えてくれなかった。だけど、あんたは私にそれを教えてくれた……私を守ってくれた。それに、キョンの傷も治してくれたしね」

238: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:50:30.212 ID:d3LUbuSf0.net
 その言葉に、そういえば、先ほどから、あの全身を包む様な痛みがないことに気づく。
撃たれたはずの傷を見てみると―――穴ぼこの空いたズボンの下に、いつだか俺を窒息寸前までもっていった、あの『肉』でできた膜が貼られていて、傷口を綺麗にふさいでいた。こんなこともできるのか、あのスプレーは。
と、今しがたのハルヒの言葉に、ホット・パンツが、涙を帯びた瞳を、俺たちに向ける。

「ありがとう、ホット・パンツ。あなたが居なかったら、私はとっくに、大統領のものになっていたわ」

「う……うう……」

ハルヒの言葉を受け、再び泣き崩れる、ホット・パンツ。なんだ、こうしてると―――結構美人じゃないか。それに、なんとなく可愛らしくも見えてくるもんだな。能力はグロいけどよ。

「でも、悪いけど、私たちは逃げられない。私たちが元いた場所に帰るには、どうしても衣服が必要なのよ」

そう言いつつ、チラ。と俺を見るハルヒ。
―――そうなんだよな。ホット・パンツとは理由は違うかもしれないが、俺たちにとっても、衣服がすべてなんだ。
俺がそう口にすると、ホット・パンツはわずかに顔を上げ、

「あなたは……なぜそこまで、強いの……? 体を撃たれたっていうのに……いいや、これから大統領の衣服を狙うのなら、それだけじゃ済まないかもしれない……だというのに、あなたが決してさし出さないのは、何故なの?」

強い―――俺が? いや、ホット・パンツが俺の事を、どんな奴だと認識してるかどうかは知らないが、俺は決して強い人間なんかじゃないぜ。また銃で撃たれるのも勘弁願いたいと思っているしな。
故に、何と言い返すべきか、迷った。しかし、ここで、俺は弱い人間だと訂正するのも格好悪いだろうし―――しばらくモゴついた後、ようやく出てきた言葉は、

「ま―――最終的に、悪いようにはならないと思ってるのさ。ハルヒがそばにいるからな」

「なっ……」

俺の言葉に、ホット・パンツよりも早く、ハルヒが反応した。夜の闇でいまいちわからんが、またリコピンたっぷりな感じの顔色になってるんだろうか。

「そう……あなたたちは……『白』の中にいるのね。輝いて見えるほどに……『真っ白』」

239: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:52:02.296 ID:d3LUbuSf0.net
 涙を拭き、遠い景色を見るような目つきで、俺たち三人を見つめる、ホット・パンツ―――しばらくそうした後で、ホット・パンツは、何かを決心したかのように、表情を変えた、そして、修道服の中から何かを取り出す。

「……せめて。これを持って行って―――わたしの『肉スプレー』のひとつを、あなたたちに預ける」

肉スプレー? あの? あれって、俺たち……っていうか、他人も取り扱えるものなのか? 頭の中に『?』を並べる俺を他所に、ひょい。と、投げて渡されたそれを、ハルヒが右手で受け止める。

「重ね重ねありがとう、ホット・パンツ。私たちは大丈夫―――根拠とかはないけどね」

そう言って、俺と朝比奈さんに向き直るハルヒ。すこし厳しい表情で、俺たち二人の顔を順番に見た後、

「フィラデルフィアに行きましょう。Dioとジョニィたち、大統領は、きっとそこでぶつかるはず。それに、大統領のところに行った、有希の事も気になるわ」

長門。そうだ―――あいつは大統領の近辺を探り、可能なら衣服を奪うとも言っていた。
大統領は現在、セブンスステージのゴールであるフィラデルフィアに滞在してるんだろう。とすると、長門もフィラデルフィアに行った可能性が高い。

240: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 08:52:34.169 ID:d3LUbuSf0.net
「ただし、Dioはおそらくもう復活してる。フィラデルフィアで鉢合わせる危険はぬぐい切れないけど……でも、もう間誤付くのはやめよ。私たちからも、攻めていく」

ちょっとばかりだが、戦力も強化されたしな。ハルヒの手の中の肉スプレーに視線をやりつつ、俺がそう言うと、

「これはあんたが持っていて」

少し考える様に視線を泳がせた後、ハルヒはそれを俺に向かって突き出してきた。俺でいいのか? ハルヒが護身用に持っておくのが妥当だと思うが。

「いいから、あんたが持ってなさい。いざという時は、あんたが私のために戦うんだから」

そうかい。そこまで言うなら、受け取っておくよ。
この肉スプレーを近くでまじまじと見たのは初めてだ。思ったより軽い。無骨で、カッコいいポイントも何一つないのが、なんとなくホット・パンツの能力らしいって気がした。

「あんたが撃たれたのを見てたら、急に有希が心配になってきた。急ぎましょう」

と、ハルヒが俺を急かすのだが―――とりあえず、なんだけどな。

「ハルヒ、もう遅い、出発は明日にしよう―――俺、腹減ったよ」

今が何時なんだか知らんが、朝比奈さんのトウモロコシスープ、食いそびれたしさ。

To be continued↓

260: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:24:02.069 ID:d3LUbuSf0.net
 僧侶は肉を食わないっていうが、シスターってのは、肉を食ってもいいんだったっけか?
大統領が、あらかたの衣服を浚って行った、あの日の夜。俺たちは、ホット・パンツの持っていた食料で腹ごしらえを済ませ、一夜をゲティスバーグの街角で過ごした後、フィラデルフィアを目指して旅立った。
しかし、ホット・パンツはスゴイ。いつだか、奴はいいやつなんかじゃないと言い切った覚えがあるが、訂正しよう、ホット・パンツはとてつもなくいいやつだ。
スティール・ボール・ランレースやら、衣服の奪い合いやらに参加しながら、これだけ手が込んでいて、ウマい料理を作れる。まず、善人か悪人か以前に、その根性がスゴイと俺は思う。ローストビーフの塊を携えて旅をしている奴なんていないだろ、普通。

「わたしはもう、大統領に挑むことはできない……心が折れた。けれど、あなたたちがこの先へ進むというなら―――わたしにできる事があれば、言ってほしい。それが、わたしがあなたたちに表する、『敬意』というもの」

ホット・パンツの持っていたローストビーフと、朝比奈さんが所持していた乾パンで、簡単でありながら豪華な食事を済ませた俺は、右腿に僅かに癒えきらない痛みを感じながら、それでも一晩寝倒した。
就寝したのが午前一時ごろで、目覚めたのは、もう朝日の上り切った、午前七時。普段ならもう二時間は早く、ハルヒにたたき起こされるのだが、さすがに右腿を撃たれた俺を気遣ってくれたのか、この日は無理やりに朝日を拝まされはしなかった。
もうしばし、ゲティスバーグに残ると言うホット・パンツに別れを告げ、俺たちは、一度逸れたレースのコースへと戻るため、愛車に乗り込み、北上し始めたのだ。
目指すのは、セブンスステージのゴール地点である、フィラデルフィア。現時点で、おそらく大統領がいて、間もなく、Dioやジョニィたちがたどり着く。そんな、一種の修羅場のような場所に、俺たちはノコノコと出て行こうとしていた。

261: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:26:27.957 ID:d3LUbuSf0.net
「ケータイがないって、不便ね……どうしたら、有希と会えるかしら」

そう、昨晩も言っていたが、前述した連中の他に、フィラデルフィアには、長門もいると思われる。俺たちが危険を冒してまで、わざわざフィラデルフィアに出向くのは、長門と落ち合うためという目的もあった。

「有希と落ち合うことは、打倒大統領としては、とても重要よ。私たち三人の能力だけじゃ、大統領を倒すどころか、近づくことだって難しいもの」

ま、確かにな。長門の能力の詳細は知らないが、長門自身が、大統領へ接近する事も可能だと自称していたくらいだ。おそらく、半端じゃない能力なのだろうと思う。
戦力面を強化する、という意味で、長門と合流するのは、俺たちにとって大事な目標だ。……今、ハルヒが言ったことだけど。

「気になるのが―――大統領が、自分の能力を、一切見せなかったことね。あの場にいたジョニィたちや、私たちに、自分の能力を察知されないためだったんでしょうけど」

後部座席で、両腕を組みながら、ハルヒがそんなことを言った。危ないから、俺の体に捕まっとけと言っているのに。

「でも、逆に考えたら。大統領の能力にも、弱点はあるのよ。きっと、致命的な弱点が。それを見つけ出せたら―――」

「俺たちにも、目はあるってか」

ハルヒはおそらく、闘争心のこもった瞳で、後部座席にいるのだろう。視覚的には見えないが、気配でわかる。こういう時―――ハルヒは、あの目をするんだ。どこまでも『本気』な目をな。

「……見つけた」

長門有希が、この建物に侵入してから、すでに一時間ほどの時間が経過していた。
その場所に至るまでに、長門が攻撃し、無力化させた人数は、十五人にも上る。そこにいる、たった一人の命を守るためだけに、それほどの命が費やされていたのだ。
もっとも、長門は、その十五人たちから、命を奪ったわけではない。手際だけを考えれば、そうするのが適切だったのだが―――涼宮ハルヒと、『約束』をした故にだ。
だから、長門はここまで、たとえ野ネズミ一匹からも、命を奪いはしなかった。ただ、無力化させてきただけだ。

262: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:28:02.671 ID:d3LUbuSf0.net
「……君か。さっきから、わたしの周りの連中を騒がせているのは」

長門の視線の先に居る、その男は―――奏でられた弦楽器のような声色で、そう呟いた。その発言の内容に、間違いはない。長門は、その男を探していた―――そしておそらく、その男も、長門を探していた。

「あなたが『ファニー・ヴァレンタイン』」

と、確かめる様に、長門が呟くと、

「いかにも、わたしはこの合衆国大統領、ファニー・ヴァレンタインだ。失礼でなければ、君の名前もお教え願いたい……それが『公平』というものだ」

と、やはり、静かで、慎ましやかな声で、そう返してきた。

「……長門有希」

他人が聴けば、正直すぎると笑うであろう程正直に、長門はヴァレンタインの質問に答えた。やはり、呟くほどの音量で。その名を聴いたヴァレンタインは、フン。と、笑い飛ばすように、一つ息をつくと、

「良い名前じゃないか。日本人か? そのミス長門が、私にどんな要件があって、こんなところまで―――わざわざやってきたのかね?」

「衣服を奪いに」

間髪を入れず、長門がそう返すと、ヴァレンタインは少しだけ、驚く様に目を見開いた後、

「話が早いな。わたしと会話するのはつまらないか?」

「割と」

「フンッ」

264: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:30:02.882 ID:d3LUbuSf0.net
 再び、鼻で一つ息をつくヴァレンタインに向かって、長門は―――ゆっくりと、確かめる様に、一歩だけ、歩みを進めた。
そして、

「抵抗は無駄」

「なかなかオモシロいな」

静謐な空間に、長門とヴァレンタインが発した言葉の、余韻だけが揺蕩っていた。―――決して、動かない。物音ひとつ立てない。長門も、ヴァレンタインも。

「あなたを、処理させてもらう」

長い沈黙の果てに。長門がそう呟いたのが、切っ掛けだった。その瞬間、長門とヴァレンタインは、同時に、自身の体から『力』を溢れ出させた。

「『アイ・ワズ・スノー』」

長門は、自身の右腕を、ヴァレンタインに向けて突き出し、その名を―――自身の『能力』の名を呼んだ。それと時を同じくして、ヴァレンタインの体から、人間によく似た形をした『能力』が、姿を現す。

「『D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)』」

湿り気のある声で、呟くように、その名を呼ぶヴァレンタイン。その体から飛び出した、人型の、青白き能力の『ヴィジョン』が、長門との距離を詰めてきた。速い―――長門は、攻撃に専念させた意識の端で、そう考える。

「処理、開始」

人が持つべき身体能力を、遥かに超えた動きで、迫りくるそのヴィジョンに向け、長門はそう呟き、右手を握りしめた。程なくして、ヴァレンタインの『D4C』の、左の拳が、長門の右腕に触れる。
―――直後、氷が砕け散るような音とともに、長門の右腕の肘から先が、形を失った。
砕かれた長門の右腕に、一瞬だけ視線を移しつつ、続けて、ヴァレンタインの『D4C』が、腰を落とし、右脚を繰り出す。脚払いにも近いローキックが、長門の下半身を、『破片』へと変える―――

「このわたしに、むざむざ肉体を壊されるのが、君の能力かね?」

「間違いではない」

267: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:34:17.375 ID:d3LUbuSf0.net
 振り抜いた右脚を引き戻す、その一瞬の合間に、ヴァレンタインが叩いた軽口に対し、長門は短く、そう呟き返した。
直後、

「何ッ?」

ヴァレンタインの表情が、僅かに強張った―――『D4C』の右脚に、『砕け散った長門の破片が食い込んだ』からだ。
ムッ。と、短く唸り声をあげながら、自身の能力のヴィジョンを、傍らまで引き戻すヴァレンタイン。
そのヴィジョンの右脚に、無数の細かい傷が走っている。それに伴い、ヴァレンタインの、質のいい生地で作られたズボンに、血の染みが滲んできた。

「私の身体を破壊すれば破壊するほど、あなたの体が蝕まれてゆく」

ヴァレンタインが回避行動をとったことにより生じた、そのわずかな空白の時間を、長門が自身の発言で埋める。
程なくして、ヴァレンタインは気づいたようだ―――長門の周囲の空間が、飛散した『長門の身体の破片』で光り輝いていることに。

「私の身体は、『がらすの破片』へと変わる。それが私の能力、『アイ・ワズ・スノー』」

上半身のみを空中に浮遊させた姿で、長門がそう言うと、ヴァレンタインは、隠しきれないといった様子で、僅かに眉の端を吊り上げた。
長門の攻撃の間合いに踏み入るかどうか、逡巡している―――その隙を逃さず、長門は接近した。
予備動作なしに、『能力』によって、自らの上半身を前進させる。その接近に、0.5秒ほど遅れて、ヴァレンタインは、『D4C』の両腕を、自身の体を覆うように、目前で交差させた。
長門の右腕―――肘から先に該当する部分は、ない。『がらすの破片』となり、周囲に飛び散っているためだ―――
その先端の、とげとげしく輝く切り口を、全身の力を込め、『D4C』の防御の上に突き立てる。
肉の繊維が絶たれる、ざくり。という、滑り気を帯びた音が響き渡り、長門の右腕の先端が、『D4C』の腕へと食らいついた。

269: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:36:33.714 ID:d3LUbuSf0.net
「ヌゥッ」

再び、唸り声を上げるヴァレンタイン。先ほど脚に生じた血の染みが、ほどなくして腕にも生じるだろう。能力のヴィジョンと本体は、ダメージを共有する。それが、ヴァレンタインのようなタイプの能力のルールだからだ。
やがて、『D4C』の腕に突き刺さった、長門の体を振りほどく様にして、ヴァレンタインが飛びのいた。長門とヴァレンタインの間に、再び10mほどの距離が生じる。

「なるほど―――この『フィラデルフィア独立宣言庁舎』の警備をかいくぐり、わたしのところまでたどり着いただけの力はあるようだな。私の『身辺警護』の職にでも就く気はないかね?」

わずかに痛みにかすれた声で、ヴァレンタインが言葉を紡ぐ。その発言に対する返答の代わりに、長門は、

「もう一度言う。抵抗は、無駄」

「フンッ」

右腕の欠損した、上半身のみの姿となった長門を見つめながら、鼻を鳴らすヴァレンタイン。長門は、

「『約束』をしている。衣服をさし出せば、私は攻撃を中止する。拒否すると言うのなら―――」

そう言葉を紡ぎながら、空中に浮かぶ、自身の体の破片を操作し―――ヴァレンタインと自身の間に、絨毯の敷かれた大地と水平な、『刃』を作り出した。

「この、透明な『がらすのギロチン』が、あなたの首を落とす」

しばし、ヴァレンタインは考える様に、沈黙した。時間にして、ほんの二秒ほど―――『D4C』のヴィジョンを消さないまま、その場に立ち尽くした後、やがて、唇の端を歪めながら、口を開く。

「ミス長門。なかなか目の付け所がいい。このわたしに接近するのを許さないという戦術はけっこう有効だぞ。わたしの『D4C』の射程はあまり長いとは言えないからな」

と、一つ息をつき、

「だがしかしある意味マヌケだなッ。この距離で攻撃を仕掛けてこないということは、君の能力にも射程があるということを自白しているようなものだ―――もっとも、『射程のない能力』など、この世界には存在しないがな」

270: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:38:02.753 ID:d3LUbuSf0.net
 言葉を紡ぎながら、ヴァレンタインは―――左手で、腰に携えた、能力とは別の『武器』を取り出した。
その武器の名は―――『拳銃』。

「君の作る『がらすの破片』は、今のわたしと君の間の距離ほど、遠くまでは飛ばせない……精々射程は5mくらいか? このわたしを追い詰めるには狭すぎる射程だな」

左手の中の拳銃を、長門に向け、

「ならばわたしは、君の攻撃の届かない位置から、君を追い詰めるまでだ―――『能力』ばかりが戦術ではない」

ドォ。と、銃声が、庁舎内に響き渡るのとほぼ同時に、長門の顔面の右半分が砕け散った。長門は考える。たった今受けた攻撃―――拳銃による攻撃を、予備動作から予測し、回避することが可能かどうかを。
しかし、その計算が終わるよりも早く、ヴァレンタインはもう一度、手の中の銃に火を吹かせた。咄嗟に、長門は左腕を、前方に突き出す―――その手のひらの中心に、弾丸は命中した。
長門の左腕の、肩から先が砕け、中空に飛び散る―――周囲に光を反射させながら。この攻撃は、まずい―――『がらす』に変えられるのは、全身の90%程度までだ。ギロチンを分解し、肉体として『再構成』しなければ―――

「よし、見えた―――やはり『5m』!」

長門の思考を遮るように、短く、ヴァレンタインがそう言った。左腕を砕かれた直後であり、右腕も『ギロチン』の構成に使っている長門は、今、防御態勢を取る事が難しい。

「光の反射で『がらすのギロチン』の位置は分かったぞ―――そしてこのわたしが君に接近し、全身をくまなく叩き潰すまで、もう五秒もかからんッ! 貴様が全身を細かく砕かれても生きていられるのかどうかを試してやるぞッ!」

272: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:40:01.445 ID:d3LUbuSf0.net
 ドシュ。と、音を立て、ヴァレンタインが地を蹴り飛ばした。長門のギロチンの直前まで接近した後、『D4C』が放たれる―――空中に浮かべたギロチンと床の間を、体勢を低くしながら駆け寄ってくる、白いヴィジョン。
長門は、『再構成』を急ぐと同時に、接近してくる『D4C』に向け、周囲の空間に散らばった、自らの体の破片を飛ばした―――しかし、その破片たちは、『D4C』の体表を軽く傷つける程度で、決定打には至らない。
やがて、グシャァ。と、音を立てながら、『D4C』の右の拳が、長門の左胸に叩き付けられた。長門の身体が、音を立てながら弾け飛ぶ―――能力の『限界』は、目前まで近づいてきている。これ以上は『がらす』に変えられない。

「大統領閣下ッ! ご無事ですかッ!?」

不意に。それまで、長門とヴァレンタインの二人のみが存在していた、その空間に、数名の男たちがなだれ込んできた。長門の侵入に駆け付けた、警備の者たちだ。彼らは一人残らず、銃で武装しているはずだ。
現れた、四名の闖入者たちは、目の前の光景に息を飲んだ後、慌てて、ヴァレンタインの背後に並び、手の中の銃の砲口を長門に向け、射撃の体勢を整えた。
頭部のみとなった長門の姿を、三つの砲口が見つめている。そこから弾丸が発射され、長門の頭部に炸裂するまで、あと何秒かかるだろうか。
いや、それよりも早く、ヴァレンタインの『D4C』の腕が、長門の顔面を砕くか―――どちらにせよ、再構成は間に合わないだろう。

「貴様の負けだッ! くらえ―――『D4C』ッ!」

ヴァレンタインが叫ぶ―――勝者のみが上げることの許される雄叫び。しかし、『D4C』の左の拳が、中空に残った、長門の頭部を粉砕しようとし、同時に、長門へ向けられた砲口が、一斉に火を噴こうとした、その刹那。

「させませんよ―――なにしろ、これだけ近いのですからね。外しようがありません」

274: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:42:15.571 ID:d3LUbuSf0.net
 長門にとって、その声は、とても懐かしい声だった。とは言え、長門の体感時間としては、その声の持ち主と離れていたのは、ほんの十数日の事だったのだが―――

「何ッ!?」

長門は、その瞬間を見ていた。空中に残った、片方だけの瞳で。
声が発せられた方向へ振り向こうとした、ヴァレンタインの背に、血のように赤い色をした『光』が迸ったのだ。

「グハッ!?」

直後、ヴァレンタインの体が、長門の方向へと吹き飛ぶ。咄嗟に、長門は、空中に浮かべたギロチンを引き戻し、ヴァレンタインの体が、ギロチンの切り口に叩き付けられるのを防ごうとした―――が、僅かに間に合わず、

「ガッ……ぐ……」

ザグ。と、粘ついた音を立てながら、ヴァレンタインの首に、がらすのギロチンの切り口が、深く食い込んだ。
ヴァレンタインが、僅かに声を上げながら、ガクゥッと、絨毯の上に崩れ落ちる。即死とは言えないが、致命傷であることに間違いはない。
砲口を長門に向けていた警備員たちは、一体何が起きたのか、理解できないと言った様子で、

「だ、大統りょ―――」

呆気に取られながらも、吹き飛ばされ、首を切り裂かれたヴァレンタインを、視線で追い、声を上げようとした。しかし、その声を、さらに鳴り響いた、破裂音にも似た爆発音が遮った。

「ゲベッ!」

その声を上げようとした、警備員のうちの一人が、四人の群衆のなかから、何かに弾き飛ばされるように飛び出し、ヴァレンタインの身体に重なるようにして、床に倒れ込んだのだ。周囲に、先ほどと同じ、赤い光が飛び散る。

275: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:44:01.920 ID:d3LUbuSf0.net
 その瞬間、長門は気づいた。その赤い光は、目の前の、警備の男たちの中の一人が放っているのだという事に。―――見慣れない、警備員の制服を着込んではいるものの、その男の顔は、一度見ればそう忘れはしない。

「な、何だ―――グエッ!」「ゲハッ!」

警備の男たちが、次々に、声を上げながら、前方へと吹き飛ばされ、倒されてゆく―――やがて、残ったのは一人。
その人物が、帽子を脱ぎながら、数十メートル離れた位置に浮遊する、長門の頭部に視線を投げ、その片眼を閉じて見せた。

「どうやら間に合ったようですね。お久しぶりです、長門さん」

口元に微笑みを浮かべながら、古泉一樹は、手の中に浮かべていた、赤い光の玉を、ひょい。と、一度、手の中でバウンドさせた後、霧散させた。長門は少し―――数秒ほど、現れた古泉に投げかけるべき言葉を模索した後、

「『約束』を守れなかった」

と、片方だけの瞳で、床に倒れ伏したたヴァレンタインの姿を見つめながら、短く呟いた。すると、古泉は少しだけ、目を見開いた後、

「約束? ……なるほど、涼宮さんと会われたのですね?」

「そう」

がらすのギロチンを分解し、その他の破片と共に、肉体として再構成しながら、長門は古泉の言葉に、短く声を返した。

「ファニー・ヴァレンタインを生かしたまま、衣服を奪う。涼宮ハルヒとそう約束した。あなたは何故ここに?」

人の姿へと戻った長門が、そう訊ねかけると、古泉は、長門に歩み寄りながら、

「話すと長くなります。今はとりあえず―――この庁舎から脱出することを優先しましょう」

と、低い声で囁いた後に、ヴァレンタインたちの倒れている床へと視線を移した。
そして、

「なにしろ―――長門さんの言う『約束』は、まだ、破られていないのですからね」

277: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:46:03.339 ID:d3LUbuSf0.net
 古泉の発言に、長門は再び、床に倒れた男たちへ視線を向け―――直後に、気づいた。その場所から、ヴァレンタインの姿が消えていることに。

「逃げますよ、長門さん―――衣服を奪うのは、またの機会としましょう」

そう言って、古泉が、長門の手を取り、廊下の端に向かって駆け出す―――その直前、長門は視界の端に捉えていた。警備の男たちの身体と、絨毯の敷かれた床との間から、ヴァレンタインが這い出てくる光景を。

「…………あれは、異次元同位体?」

斜め前を駆ける古泉に、長門が、たった今眼にした光景から推測した考えを、言葉にして投げかけると、

「ええ、あれが、ヴァレンタイン大統領の能力です。今、すべてを話すには、少しばかり時間が足りませんが」

ドアを蹴破るようにして開き、階段を数段飛ばしで駆け下りてゆく。この階段を下り切り、20mほどの廊下を駆け抜ければ、エントランスに行きつく。

「それより、長門さん。僕らがこの世界へ来てしまったのは―――」

と―――そこまで話したところで、突然、古泉が立ち止まった。視線を階下の踊り場へと向け、数秒間硬直した後、たった今駆け下りてきた階段を、逆に駆け上ろうとし始める。
その理由を、程なくして、長門も理解した。階下からこちらへと上ってくる、足音が聴こえたのだ。

「『D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)』―――」

ゆっくりと、踊り場に現れた、その足音の主―――ヴァレンタインは、傍らに自らの能力のヴィジョンを携えていて―――その左手の中で、拳銃が、黒く光り輝いていた。
その砲口が、長門と古泉に向けられた瞬間、長門は、古泉の体に覆いかぶさるようにして、間もなく行われるであろう砲火から、古泉を庇った。直後に、銃声。長門の背中、左肩甲骨の上に弾丸が撃ち込まれ、左上半身が砕け散る。

「長門さんッ!」

「問題ない」

古泉の声に、そう、短く返答し、長門はヴァレンタインを振り返った。リボルバー式の拳銃を二人に向けたヴァレンタインは、右眉の端を吊り上げながら、

278: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:48:01.987 ID:d3LUbuSf0.net
「フン、このわたしの周りに、妙な動きをしている野ネズミが紛れ込んでいることは、気づいていたさ。レース選手の誰かだと思っていたが、それが『聖なる少女』の身内だったとはな」

カチン、と音を立て、撃鉄を起こしながら、ヴァレンタインは言葉を紡ぐ。

「衣服がすべてわが手の中に集まった今、貴様らは用済みだ―――わが目的は『聖なる少女』のみッ!」

銃声が、長門と古泉の耳朶を打った。右手を突き出し、その銃撃を受ける長門。長門の腕が、肩まで破壊され、その破片が、辺りの空間に光の粒のように散らばる―――その直後、長門は、

「『アイ・ワズ・スノー』」

そう呟きながら、砕かれた自身の身体の欠片を、いくつかのパーツに分けて、空中で結合しなおし、ディナーナイフほどの大きさの、『がらすの刃』を、無数に作り出した。

「ムッ」

「『がらすのシャワー』」

雨のように降り注ぐがらすの刃に向けて、ヴァレンタインは、『D4C』の両腕を振るった。長門が放った刃の半分ほどは、その腕に払いのけられたが、残りの半分が、『D4C』の体表をついばむように切り裂く。

「古泉一樹、距離を取って」

上階への扉がある踊り場に、上半身を乗り上げ、うつぶせに倒れ込んでいる状態の古泉に向けて、長門は短くそう告げると、足元を蹴り飛ばし、ヴァレンタインに向かって、重力に任せての体当たりを仕掛けた。

「チッ!」

長門の、揃えられた両膝が、『D4C』の身体に叩き込まれようとした、その直前に、『D4C』は、傷ついた右腕を薙ぎ払い、迫りくる長門の下半身を粉砕した。粉のようながらすの刃が、『D4C』とヴァレンタインの頭上に降り注ぐ。
その欠片を、ヴァレンタインに吸引させ、肺を破壊することが、長門の最大の狙いだったのだが―――ヴァレンタインは、すでにその考えに至っていたのか、空中に残った長門の頭部を攻撃することよりも、防御に専念したようだ。

280: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:50:25.554 ID:d3LUbuSf0.net
 その為、一瞬。ほんの僅かな時間だけ、ヴァレンタインの視界が、闇に包まれたのだ。その僅かな時間に、長門の背後で、体勢を整え終えていた、古泉が牙を剥いた。

「くらえ―――『ミステリック・サイン』!」

声とともに、古泉の右手が振り抜かれ、その手の中から、赤い光が迸った。古泉の能力によって作り出された、真紅の光球が、長門の欠片が舞い散る空間を抜け、『D4C』の身体へと叩き込まれる。
迫りくる光の玉に、ヴァレンタインは、『D4C』の両腕を、眼前で交差させることで、防御行動をとった。そのガードの上に、赤い光が炸裂する。

「ぬぅッ!」

どうやら―――古泉の『光球』の持つ威力は、ヴァレンタインが想定していたよりも、僅かに強力であるようだった。ガードを突破こそしなかったものの、ヴァレンタインと『D4C』の体が、光球の弾ける力に押され、僅かに後方へと移動する。

「長門さん、今のうちに、体を元に戻すんだ―――もう一発、行きます!」

続けざまに、古泉は左手の中にも、先ほどと同様の光球を作り出し、それをヴァレンタインに向けて解き放った。質量をもったエネルギーの塊が、ギャルギャルと回転しながら、『D4C』の両腕に食らいつく。
が―――

「フン―――子供の遊びだな。バカバカしくて付き合っていられんぞ」

その攻撃を、一身で受け止めながら―――ヴァレンタインが、ほんの、囁くほどの音量で、そう口にしたのを、長門は聞き逃さなかった。

「ムンッ!」

その直後、『D4C』が、組み合わせていた両腕を、解き放つように広げたと同時に、古泉の光球が、まるで、重さのない風船がそうされるかのように、古泉たちのいる方へと、弾き返されたのだ。
長門、そして古泉は、咄嗟にそれを回避する。二人の背後の、上階へ続く踊り場の壁に、弾き返された光球が叩き込まれ、獣が吠えるかの如き衝撃音が、あたりに響き渡った。

「参りましたね。ほんの少し本気になっただけで、ですか」

281: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:52:02.359 ID:d3LUbuSf0.net
 普段通り、柔和で丁寧でありながら、どこか張り詰めた声色で、古泉が呟く。分厚いコンクリートの壁に、外界へ続く穴を穿つほどの威力を込めた攻撃を、容易くいなされたのだから、無理もない。
長門は、欠片となり飛び散った体を引き戻し、肉体を再構成しながら、一瞬、古泉を振り返り、視線を交わした。―――仕方ない。長門はその時、そんな言葉を、言葉には出さず、胸の内のみで呟いていた。
そして、次の瞬間、

「―――逃げますよ、長門さん」

古泉、そして長門は、行く手を塞ぐヴァレンタインに背を向けないまま、床を蹴り、背後へと飛びのいた。向かう先は―――今しがた、古泉の能力によって生じた、壁の『穴』の中。
二人が、その穴を潜り、外界へと飛び出す直前、二発の銃声が響いたのだが、そのどちらもが、辛うじて、長門と古泉の体を傷つけるには至らなかった。

「『約束』は無事、守られましたね、長門さん?」

陽光が差し込む、『独立宣言庁舎前広場』の上空に、体を躍らせながら、古泉が、長門に向かってそう囁いた。しかし、長門は、

「私は、衣服を奪って帰るという『約束』もした」

その言葉を受けた古泉は、何か言葉を返そうとして、直後、少し呆気に取られたように肩をすくめて見せた。程なくして、長門と古泉の脚が、大地を捉える。着陸を無事済ませた二人は、顔を見合わせると、

「逃げましょう。付いて来てください、僕の『仲間』のところへ行きます」

「了解した」

捉えた大地をすぐさま蹴り、ヴァレンタインのいる庁舎と距離を取るべく疾駆した。庁舎の三階の壁から二人が飛び出してくる、その一部始終を目撃していた、数名の一般人たちの、奇異の視線を背に受けながら。

「『逃げ』たか……奴ら……『聖なる少女』の仲間たちは……」

壁に穿たれた穴から、上半身を覗かせ、去りゆく二人の人影を睨みながら、ファニー・ヴァレンタインは、忌々しげに呟いた。

「とは言え―――問題ない。わが能力は『聖なる少女』たちに知られてしまうだろうが……それも大したリスクではない」

283: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:54:02.040 ID:d3LUbuSf0.net
 ヴァレンタインは、脳裏に、『聖なる少女』の姿を思い浮かべ、僅かに口の端を吊り上げた。そして、自身の『能力』―――『D4C』のヴィジョンを体に引き戻す。
やはり『D4C』は、衣服の持つ力によって、『新たな力』に目覚めつつある。あと少しだ。『涼宮ハルヒ』さえ手に入れば、『D4C』、そして、ヴァレンタインの『計画』は完成する。
その喜びを思えば、どれほどの痛手を受けようとも、問題はない。『すべては正しくなる』のだ。

「衣服が我に示す事は、ただ一つ―――わたしが向かうべき場所は、『トリニティ教会』という事のみ。この天啓に従えば、その先に勝利があるだろう―――圧倒的勝利が!」

昂る気持ちは抑えきれず、それはやがて、言葉として、ヴァレンタインの口から洩れ出す。
不意に。ヴァレンタインの耳に、僅かなざわめきの気配が届いた。間もなく、庁舎中の人間が、騒ぎを聞きつけ、ヴァレンタインのもとへやってくるだろう―――今考えるべきことはその対応だ。

「……フン、野ネズミどもが騒いだおかげで、わたしの仕事が増えてしまった」

荒れ果てた踊り場を振り返ったヴァレンタインの頭の中には、すでに、たった今逃げ去った二人の事など、顔や名前に至るまでも存在していなかった。
彼らはヴァレンタインにとって、『取るに足らない存在』達なのだ。

「そう―――そんな者どもよりも……」

284: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:56:03.161 ID:d3LUbuSf0.net
 ヴァレンタインは、大統領業務へと引き戻そうとした、その思考の片隅で―――とあるレース選手の顔と名前を思い出し、奥歯を噛み締めた。
セブンスステージを一位で通過した、『ディエゴ・ブランドー』だ。
現在、『聖なる少女』自身を除いて、唯一、ヴァレンタインが手中に収めていない衣服である、『左靴』を所持している男。能力は『恐竜(スケアリー・モンスターズ)』。

「Dioめ……今になってもまだ、このわたしの衣服を狙いに来ない……ヤツも気づいているのか? 『聖なる少女』こそが、『衣服』の力の神髄を有していることに……」

厄介なのはこちらの方だ。Dioは―――平民から成り上がってきた、『飢え』を知る者。そして、『勝利』を掴むためになら、他の何を犠牲にすることさえも厭わないと思っている。

「Dioを叩き潰し、『左靴』を奪取したいッ! しかし、残りの衣服はすでに、スティール・ボール・ランレースの終着地、トリニティ教会を示している……果たしてどちらを優先すべきだ?」

ヴァレンタインは考える。たとえ、『衣服』がすべて揃っていなくとも―――『引力』は圧倒的にヴァレンタインの方へと傾いている。

「レースはすでにエイスステージへ突入している―――『聖なる少女』を迎え、このわたしが衣服を『総取り』する瞬間が、近づいてきているぞ」

そして、すべての『聖なるもの』を、ヴァレンタインが手中に収め、『トリニティ教会』へとたどり着いた時―――その時こそ。

「その時、この『世界』が―――わたしのいるこの『世界』こそが、新たな『基本世界』となるのだッ!」

285: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 18:58:41.865 ID:d3LUbuSf0.net
「ディエゴ・ブランドー、完全復活。か」

フィラデルフィアの地元新聞の一面には、そんな文句がでかでかと記されてしまっていた。セブンスステージを、二十一日目に、トップでゴールしたそうだ。ハルヒの予想は、例によって当たってくれちまったってことになる。
俺たちSOS団・十九世紀アメリカ支部は、数日前からフィラデルフィアにたどり着いていて、長門を探して町をうろついていたわけなんだが、

「Dioはおそらく、大統領に攻撃を仕掛けるために、フィラデルフィアに留まるはず……今この町にいるのは危険だわ」

例によって例のごとく、眉間にしわを寄せながら、ハルヒが言う。人影のない、フィラデルフィアの町の路地裏で、俺たち三人は、首を突き合わせていた―――呆然とな。

「それに……この感じ、何なのかしら。もう『衣服』は残っていないのに―――とても強く感じるのよ、『引力』を」

引力。またそれか。

「『ニューヨーク』―――『マンハッタン島』に、私の『行くべき場所』がある。その場所が、私を呼んでいるの」

行くべき場所。その引力とやらは、俺たちが元の世界に帰る事と何か関係があるんだろうか。俺たちは、ハルヒの言う『引力』に導かれるままに旅をしてきた。最初は、奇妙な能力を持っている奴を探して。次は、衣服を求めて。
それが俺たちが元の世界に帰るために必要なことだと、信じてやってきたわけだが、実際のところ、

「……それが正しかったのかどうかは分からないわ。でも、私たちにはそれしか寄る辺がなかったじゃない」

ま、確かにな。
それに―――俺たちをこの世界へ連れて来た要因の最有力候補であるヴァレンタイン大統領が、血眼になって衣服を集めていることを考えると、ハルヒの衣服が持つ力が、元の世界へ帰る方法と、何らかの形で関係していることは間違いないだろう。
そのハルヒが新たに感じ取ったのが、『マンハッタン』へ向かうことだと言うのだから―――ここまで来たら、それに乗っかるしかないわな。

286: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:00:32.337 ID:d3LUbuSf0.net
「え、でも、長門さんのことは、どうするんですか?」

俺と一緒に地図と新聞を見比べていた朝比奈さんが、遠い上空を見つめているハルヒに向かって訊ねかける。ハルヒは、すこし渋い顔で俺たち二人を振り返り、

「有希が大統領の事を追っているなら、きっとどこかで会えるわよ。多分、この『引力』は、衣服を所持している、大統領も感じ取ってる―――つまり、大統領もニューヨークを目指すはず」

大統領。先日、俺の体に、銃撃を食らうことの痛みを教え込んでくれた、憎たらしいアンチクショウか。
個人的には二度と会いたくないと思っているんだが、ヤツの能力が、俺たちを元の世界に帰せるという可能性もある以上、そういう訳に行かねえよな。

「私、思うんだけど……私たちをこの世界に連れて来たのが、大統領の意思っていうのは、違うんじゃないかしら」

え、そうなの?

「思うのよ。もし大統領が、私と、私の衣服を目当てに、故意に私たちを連れて来たのなら、連れて来るのは私だけでいいじゃない。でも、実際には、あんたやみくるちゃん、有希までこの世界に来ちゃってる」

ハルヒの言葉に、約一名、余計な人間の顔と名前を一瞬思い出したのだが、とりあえずそれは置いておくとして、まあ確かに言われてみればそうだが―――

「おそらくだけど、私たちが来たのは『事故』なのよ」

確かに俺とハルヒは、あの星条旗トラックと、事故ったと言えなくもないが、ハルヒの言いたいことはそういう事じゃないんだろうな。

「何かと何かがぶつかり合って起きた、『事故』……前に、私が、元の世界でも、何か特殊なパワーの様なものを持っていたのかもっていう話はしたじゃない?」

ああ、あの俺が冷や汗をかかされた話か。

288: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:02:03.470 ID:d3LUbuSf0.net
「例えばだけど、それが本当のことだとして。それで、この世界にも、それに近いパワーを持つ人がいて、その力が、お互いを、こう―――引っ張り合った。みたいな感じかしらね」

何となくだが、ハルヒの言わんとしていることは分かる。つまり、長門や朝比奈さんが言うところの、『情報爆発』や『時空断裂』みたいなものが発生したと考えればいいんだろう。もっとも、その考えが合っているか、ハルヒに確認することはできないけどな。

「でも、不思議なのが―――『衣服』があることよ。この世界で、どうして、別の世界から来た私や、私の衣服が、力を持っているのか」

そりゃ、お前がもともと持ってたっていうパワーが、この世界でも力を発揮しているってだけの事なんじゃないのか?

「何て言えばいいのかしら―――私の衣服も、私自身も、この世界に『元からあった』わけじゃないでしょ? なのに、私の衣服は、こんなにも、この世界で強い力を持っている。皆が奪い合うほどに。それが引っ掛かるのよ」

元からあったわけじゃない。言われてみれば確かにそうだな。この世界の人間―――特に衣服を集めている連中は、ハルヒや俺たちがこの世界に来る前は、何をしてたんだ?

「……例えば、よ? この世界が、『特殊な世界』だったとしたら」

改めて言うまでもなく特殊な世界だと思うが、とりあえず口を挟むのはやめて、俺はハルヒの次の言葉を待った。

「そう、『事故』よ。『あるはずのなかった世界』―――つまりね、この世界は、私の力と、他の世界の誰かの力が『事故』を起こして生まれた―――」

段々と確信に近づいてきたハルヒの言葉に、俺がそろそろ嫌な汗を額に滲ませ出した―――そんな時だった。
不意に、俺の視界の端を、何かが掠めて行ったような気がしたんだ。見間違いだと思って、俺は大して気にもせずハルヒの話の続きを待とうと思っていた。しかし、俺の隣の朝比奈さんが、

「え? 今の―――」

そんな声を上げた。
俺と同じものを見たのだろうか、だとしたら、今のは見間違いじゃなかったのか? だったら、何だったんだ? 俺の眼には、何かとても『速い』ものに見えたんだが―――

290: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:04:11.893 ID:d3LUbuSf0.net
「何? 二人とも―――」

俺と朝比奈さんが、自分の話でなく、何か別の事を気にしている様子を察知したのか、ハルヒが首を傾げながら、世界トークを一時中断した、その瞬間だった。
三角形に並んでいた俺たちの目の前に、ドザァ。という音を立てながら、『そいつ』は舞い降りてきたのだ。

「迎えに来たぜ―――涼宮ハルヒ」

俺は―――そいつの名を、知っていた。

「Dioッ!?」

突然に―――本当に突然に、俺たち三人の間に現れたその男は、既に『能力』を発動させているらしく、人と呼べる姿をしてはいなかった。
そして、俺たちに何かを考えさせる暇も与えずに、耳にまで到達する口を大きく開き、ハルヒを―――

「えっ―――かはっ―――」

その光景を見て、俺は、大昔に見た映画のワンシーンを思い出していた。どんな映画だったかをここで語れるほどしっかり覚えちゃいないのだが、それはそう、『吸血鬼』の映画だった。
その映画に出て来た吸血鬼は、ちょうど今のDioが、ハルヒにそうしているように―――体を抱きすくめながら、首筋に噛み付くのが得意技だったんだ。

「ひ―――いや……」

朝比奈さんが、虫の鳴くような声を漏らした。俺は―――声を出すことすら出来なかった。本当にすべてが、突然すぎて。恐竜化したDioの体に重なって、ハルヒの姿はほとんど見えないが、首から上だけはDioの肩の向こう側に覗けて、

「あぐ……キョ―――みくるちゃ―――」

その眼が、俺たちを順番に見て、唇の間から譫言の様なトーンの声が漏れ出た。その声を遮るようにして、Dioがハルヒの首筋に食らいついていた口を放すと―――
ブシュウゥゥ。と、音を立て―――ハルヒの鮮血が、首筋に刻まれた、いくつもの傷から迸った。

291: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:06:13.559 ID:d3LUbuSf0.net
「―――ハルヒィィィッ!」

俺の喉から声が漏れたのは、そこでようやくだった。Dioは、ハルヒの両肩に手を置いたまま、俺と朝比奈さんを振り返り、耳まで裂け、血で赤く汚れた唇を妖しく歪めながら、

「こうした方が持っていきやすい。こいつが生きている必要はないんだ」

低く、ひび割れた声でそう言った。そして、力なく崩れ落ちようとしたハルヒの体を、その両腕で担ぎ上げる―――この世界に来てから、何度目だ? 俺が、急すぎる展開に、頭の回転が追い付いていないのを感じるのは。
―――ナニガオキヨウトシテイルンダ。

「う―――おおおおおッ!」

はっきり言って、思考は置いてけぼりだった。ただ、今、目の前で起きた事は、俺にとっては、あまりにも信じられなくて、呆気のないことで……気づいたときには、そう叫び声をあげながら、ポケットの中の『肉スプレー』に手を伸ばしていた。
Dioは、そんな俺を、落ち窪んだ金色の瞳で一瞥すると、まるでもう、俺たちには何の興味もないとでも言うかのように、意識を失い、血を流すハルヒの体を抱えて大地を蹴った。『恐竜』の力なのか、人を一人抱えているとは思えない速さで遠ざかってゆく。
そこでようやく、肉スプレーを取り出し終えた俺は、もう一方の手を背後に停めていた愛車に伸ばした。グリップに触れたと同時に、エンジンがいななく音が辺りに響き渡る。
朝比奈さんがサイドカーに乗り終えていないことは分かっていたが、それを無視し、俺は愛車を発進させた。Dioの背を追って。
グリップを握りしめた片腕だけで、愛車に引っ張られながら、狭い路地を抜け、大通りに出る。周囲を歩いていた人々が、何事かと俺を見ているが、それを気にしている余裕なんざあるわけもない。
やがて、町を出ようと北向きに大通りを駆けて行く、馬に乗ったその後姿を見つけると、無我夢中でそれを追いかけた。俺の愛車は、ただの馬くらいになら余裕で追いつけるはずなのだが、何故か、Dioとの距離は縮まらない。

293: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:08:17.930 ID:d3LUbuSf0.net
「くそッ……くそぉぉッ!」

昂る感情に任せ、叫びながら、ひたすら愛車を走らせていると、ようやく、頭の中で、いろいろな整理がついてきた。
Dioが。あの恐竜野郎が、あの日―――朝比奈さんを連れて、俺たちの前に現れたあの日に言った通り、俺たちからハルヒを奪いに来たんだ。大統領の持つ衣服より、こっちを優先して。『ハルヒの命すら必要ない』と判断までして。
おそらくだが―――奴は大統領が、ハルヒと左靴以外のすべての衣服を揃えるのを待っていやがったんだ。そして、そのタイミングでハルヒを手に入れれば、大統領がそれを奪おうと接近してくると読んだ。
考えてみれば、万全の状態で塒にふんぞり返っている大統領の首を狙うより、ハルヒを餌に誘い出した方が、どこぞに侵入する手間も省けて、いいに決まっている。
それに、自分で衣服を取りに行ったり、ジョニィだのジャイロだのホット・パンツだのに散らばった衣服を狙うよりも、大統領一人に衣服が集中していた方が、Dioにとっては好都合だったんだ。その方がレースに集中できるから。
奴は北東へ向かっている。エイスステージのゴール、ニュージャージーを目指しているんだ―――前々から目をつけていたハルヒを手に入れて、ホクホク顔でレースの優勝まで持っていこうとしている。
わかる。わかるぜ、Dio。お前の考えていたことが、俺にも―――しかし、だから何になるってんだ。みすみすハルヒを奪われて、おまけにハルヒは死に体で、Dioに追いつくこともできなくて―――

「何なんだ……何なんだよ、ちくしょおォォッ!」

叫べど叫べど、誰も何も返しちゃくれない。何で追いつけないんだ―――俺の愛車が、ハルヒから離れちまったから、能力が弱まっているのか?
ちくしょう―――何でこんな時に、俺の頭は冴えて来るんだ。遅いんだよ。今からじゃもう、遅すぎるんだよ。Dioの奴が行っちまうんだよ―――

「誰か……Dioを、止めろぉ―――ッ!!」

自棄になりつつある頭で、そんな事を叫んだ。しかし、俺の周りには誰もいない。朝比奈さんは置いてきちまったしな。もっとも、朝比奈さんの能力じゃ、Dioは止められないと思うが―――

295: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:10:04.492 ID:d3LUbuSf0.net
 俺はどうして一人なんだ。何の力もない俺が、どうして、一人きりでこんな事になってるんだ。

「Dioォ―――ッ! 停まれッ! ハルヒはやる―――せめて、ハルヒを……ハルヒの命を助けてくれェ―――ッ!」

俺は叫んでいた。無論、Dioははるか遠くにいて、俺の声が聴こえたとは思えないが。
頼むよ。せめて―――ハルヒの命だけでも、助けてやってくれよ。ハルヒが、このまま死んじまったら……元の世界に帰れようが、帰れまいが、もう俺には何も―――何もかも。

「誰か……助けてくれェ―――ッ!」

涙が出てきた。正確には大分前から泣いていたんだが、気づく余裕もなかった。ただ、俺はその時―――涙の向こう側で、何かが光ったのを見た。
何だろうな。まるで、夜空の星がそうするみたいな光り方だったんだが、今は真昼だし、空を見ていたわけでもないし―――だが、確かに、何かが光り輝いたんだ。
まるで、遠ざかってゆくDioの後姿が、キラキラと光を反射させたような―――
そして、俺がその光に気を取られた直後。Dioが、突然、馬ごと路上にぶっ倒れた。

「え……?」

思わず、声が出た。何だ? 何でDioがぶっ倒れる? 俺は何もしていないのに。つまり―――『俺じゃない誰かが何かをした』のか?
結論から言って、俺のその思考は正解だった。

「『アイ・ワズ・スノー』―――『がらすの向かい風』」

声がしたんだ。Dioとはまだかなり離れているから、Dioのそばに現れた―――CGのように、頭から胴体、下半身にかけて、光り輝きながら現れたそいつの声が、俺に聞こえるはずはないんだが、それでも確かに聴こえた―――その声が。

296: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:12:06.098 ID:d3LUbuSf0.net
「長門……!」

光とともに現れた、そいつは―――長門有希は。まだ数十メートルは離れている俺を、真正面から見つめてくれた。俺が、いつの間にか大好きになっていた―――あの、遠く遠く離れた星が瞬くのを見つめるかのような眼で。

「ディエゴ・ブランドー。あなたを敵性と判断し、処理する」

憤りの色の秘められたその声が響き渡ると同時に、路上にぶっ倒れていたDioがむっくりと体を起こした。そして、少し離れたところに倒れるハルヒと、傍らに立つ長門。全速力で接近する俺を見比べた後、

「このオレを―――ナメてるんじゃあないぞ、ザコども」

眉間に、ロッキー山脈の崖のように深いしわを寄せ、こちらもまた、憤りに満ちた、真っ黒い声で、そう言い放った。
それと同時に、長門が俺に視線を送り、一つ頷いて見せた。そして、僅かに首を動かし、大地に倒れたハルヒを顎で示す。
そうだ、ハルヒ―――たった今、馬から落ちたハルヒは、無事なのか? いや、それ以前に、あの首の傷を、早くこの『肉スプレー』で塞いでやらないと―――
まるで、俺のその思考に重なるように。不意に、背後から、聴き覚えのある声が掛けられた。

「涼宮ハルヒを連れて、先へ行け―――Dioは、わたしと長門が始末する」

その声は―――強く、やわらかく、不愛想な、その声は。

「ホット・パンツッ!」

愛車を停めず、背後を振り返ると、俺のすぐ斜め後ろに、あの馬乗りの姿があった。右手の中に、俺が手にしているのと同じ『肉スプレー』が握られている。
最後に出会った時に着ていた修道服ではなく、革製の無骨な男物の衣服に身を包んだホット・パンツは、涙の気配など欠片もしない、信念に燃えた瞳で、涙目の俺に向かって、長門同様、短く頷いて見せた。
何だ。この感じ―――そうだ、確か、ゲティスバーグで、ホット・パンツが言っていた―――俺たちが、『白』の中にいる、と。その感覚が、俺にも理解できた気がする。
そして、あの恐竜野郎のDioは、『黒』だ。ああ、『真っ黒』だ。―――その真っ黒に、好き放題させてたまるかってんだよ。

298: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:14:07.045 ID:d3LUbuSf0.net
「長門、ホット・パンツ! 悪い―――恩に着る!」

ハルヒに近づくにつれて、愛車が加速して来た―――ハルヒは今、意識はないようだが、その身に秘めた引力とやらはまだ働いているらしい。アクセルをガンガン吹かしながら、俺は大地から起き上がりかけているDioの馬を追い越した。
続けて、どうも俺より早くハルヒを攫う気はないらしく、ゆっくり起き上がり、こちらを睨みつけていたDioのいる地点を越え―――肉スプレーをポケットに押し戻し、空いた右手でハルヒの腕を掴み、車上へと引っ張り上げる。

「ハルヒッ!」

朝比奈さんを連れてこなかったため、空いていたサイドカーの上に、ハルヒの体を横たわらせ、今しがたポケットにねじ込んだ肉スプレーを再度取り出す。すぐにでも停車して傷の治療をしたいが―――まだもう少し、Dioから離れなくては。

「頼む、ハルヒ―――死ぬなよ……!」

アクセルを吹かし、俺は前方へと向き直った。フィラデルフィアの町からはすでに出ているらしく、行く手には、何処までもと言わんばかりに、何もない野道が続いている。そんな光景の中を、俺はひたすら、北東に向かって愛車を走らせた。

朝比奈みくるは―――この世界に来てから、一体何をしたというのだろうか。
フィラデルフィアの街角に、たった一人残された朝比奈は、走り去る『彼』の後姿を見つめながら、そんなことを考えていた。
涼宮ハルヒが、ディエゴ・ブランドーに襲われた時、もっとも近くにいたのは、朝比奈だった。だというのに―――何一つできることはなかった。自分の名前を呼びかけた涼宮ハルヒに、声を返すことさえもできなかったのだ。

「キョン君……わたしは……」

小さくなってゆく『彼』の背を見つめていた、自分の眼に涙が溜まってゆくのが感じられた―――それを止める事さえも、きっと朝比奈にはできないのだろう。
たった一人、この十九世紀のアメリカ大陸に残された朝比奈が、Dioを追っていった、彼を助けることなど出来るはずもない。

300: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:16:28.465 ID:d3LUbuSf0.net
「私にできるのは……『おしゃべり』すること、だけ……」

朝比奈は、数週間前の夕暮れ時の出来事を思い出していた。―――それは、長門がこの世界に現れ、彼が熱を出した時。朝比奈が聴いた、ハルヒの言葉。そして、朝比奈がハルヒにぶつけた言葉。

―――まったく、『たったこのくらいの事』でヘバッちゃうなんて。

―――運転手にもならないキョンなんか、何の使い物にも―――

―――涼宮さん! どうして……そんなことが言えるんですかッ!

―――キョン君は、涼宮さんと私のために、こんな世界でも、頑張り続けてくれて。

―――なのに、そんな事……たとえ、涼宮さんが神様だって、言っちゃダメです!

あの時。朝比奈の言葉に、涼宮ハルヒは少し驚いたように表情を変えた後―――拗ねたような表情で、朝比奈に背を向けた。たったそれだけのやり取り。
けれど、その日から少しだけ、ハルヒは変わったように思えた。『彼』に少しだけ、優しくなったのだ―――本当に。
ハルヒが、朝比奈の言葉を受け入れてくれた、そう思うと、心が軽くなった。ただ、足手まといなだけだった朝比奈が、少しだけ救われたような気がした。
そして、『彼』は、朝比奈の言葉を聴くと、決まって優しそうに微笑んでくれた。朝比奈が食事を作れば、必ず喜んでくれた。時々失敗した時は、朝比奈を励ましてくれた―――それらは、この世界にやってくる前からの事ではあったけれど。
そう―――あの二人こそが、この奇妙な世界に、朝比奈が『いる』事の証だったのだ―――だから朝比奈は今日までを生きてこられた。
けれど、

301: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:18:04.411 ID:d3LUbuSf0.net
「うっ……ううう……涼宮さん……キョン君……」

朝比奈の言葉を聴いてくれる者は、もう、そばにはいない―――朝比奈を一人残して、二人ともどこかへ行ってしまった。一人はDioに攫われ、もう一人は、それを追って、朝比奈の事を気にも留めず、走り去ってしまった。
彼は―――心から、ハルヒと朝比奈のために、今日まで走り続けて来てくれた彼は。朝比奈の言葉を受け止めてくれた涼宮ハルヒを、もう一度、後ろに乗せて、帰って来てくれるだろうか―――

「寂しいよ……何もできないよ、私……」

気が付くと、周囲には雨が降り始めていた。行き交う人々が、雨脚から逃れるために建物の中に身を隠してしまうと、朝比奈は本当に、たった一人ぼっちになってしまった。
雨音に紛れて、遠くから、誰かの馬の蹄の音が聴こえてくる。どこかを『目指し』ている足音だ。朝比奈は―――どこを『目指し』て歩けばいいというのだろうか?
身体が雨に濡れてしまうと―――涙をこらえようとする必要さえ、なくなってしまった気がした。涙は、雨に流れてしまうだろうから。

「ひぐっ……うううっ……」

肩を震わせながら、嗚咽を上げ始めた朝比奈の背に―――不意に、『声』がかけられた。

「君を『探し』ていた」

それは、低く、野太く、どこか―――優しい声。
突然かけられた声に、朝比奈が涙をぬぐいながら振り返ると―――そこに、馬に跨った、一人の『男』の姿があった。顎にひげを蓄えた、髪の短い男。その男の口にした言葉が、朝比奈の脳に染み渡るまで、僅かに時間がかかる。―――朝比奈を、探していた?

「あなたは……?」

やがて、朝比奈が口を開くと、

「オレの名前はどうでもいい。ただ―――君を『迎えに来た』んだ。『古泉一樹』に頼まれたのでな」

男が口にしたのは―――朝比奈にとって親しみ深く、僅かに懐かしい名前。やはり、その名が示す彼も、この世界へやって来ていたという事なのだろうか。

303: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:20:09.681 ID:d3LUbuSf0.net
「悪いがあまり時間がないんだ―――急いで馬に乗ってくれ。これから、」

男は、そこまで話し、一つ息ついた後、

「『大統領』を追う―――君が、オレとともに」

「『してはいけないこと』を、あなたは、した」

涼宮ハルヒとともに『彼』が走り去ってから、僅かな時が経ち、長門有希と、ディエゴ・ブランドーのいる大地には、雨が降り始めていた。その場に舞い降りていた、長い沈黙を破ったのは、長門だった。
その言葉を受け、敵は―――ディエゴ・ブランドーは、『恐竜』の能力を解除したのか、満月に似た色から薄い青色へと変わった瞳を、ぎろりと長門に向ける。

「あなたを生かしておくという約束はしていない」

雨に打たれながら、長門は、淡々と、脳裏に走った言葉を口にした。Dioは何も言おうとしない―――ただ、紡がれる長門の言葉を、そよ風を受けるかのように聴いていた。
やがて二人のもとに、蹄の音を鳴らしながら、ホット・パンツが到着する。彼女は愛馬に跨ったまま、Dioと、長門に、一度ずつ視線を送ると、

「Dio。わたしはあなたに、具体的な恨みがあるわけじゃない―――けれど、わたしは『白』でありたい」

その言葉を耳にし、Dioの青い瞳の矛先が、長門からホット・パンツへと移る。

「わたしがさし出すのは、もう、わたし自身だけだ」

「フンッ」

ようやく。長く沈黙していたDioが、声と呼べるようなものを、口ではなく、鼻先から漏らした。

305: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:22:49.246 ID:d3LUbuSf0.net
「ホット・パンツか。オマエのことは、衣服を集めていたらしいとは知っているが……レースから消えてからは忘れてた」

続けて、声を放ちながら、Dioはちらりと、視線を長門、そして、泥まみれとなった自身の愛馬に向け、

「オレも、貴様らに恨みはない―――と、思っていたが、たった今できたぜ。このオレの馬を傷つけ、地に伏させるとはな」

声とともに、Dioの皮膚が、少しづつ、人間のそれではないものに変わってゆくのを、長門は視線で捉えていた。『恐竜(スケアリー・モンスターズ)』が、発動したのだ。
実際に目にするのは初めてだが、長門もその能力について多少の知識はある。自身や他者の身体を、恐竜へと変化させる能力。

「わが愛馬『シルバー・バレット』を侮辱した罪ハ、重イゾ」

Dioの声が、低くひび割れたものへと変わってゆく。長門が、一度、地を踏みなおすのと同時に、ホット・パンツが、腰から自身の能力である『肉スプレー』を取り出した。

「ブッ殺シテヤル―――『スケアリー・モンスターズ』! オマエラノ首ヲ、二ツ並ベテ、コノ雨ニ晒シテヤルゾッ!」

Dioが、恐竜へと変化したその肉体で、長門に食らいつこうと動き出した―――その瞬間、長門は自身の体を『分解』した。下半身を、雨粒に混ざるほどに細かな欠片へと変化させ、人間の出せる速度を遥かに超えた速さで繰り出された攻撃をいなす。
宙を切り裂くDioの右腕に、長門は分解した自身の欠片を叩き付ける。しかし、恐竜のそれと化したDioの肌は硬質化しており、思うように食い込ませることは叶わなかった。

「ギャァァァース!」

もはや、声ではなくなった声で、Dioがいななき、腕を振り抜いた勢いに任せ、体を半回転させる―――直後、長門の上半身に、Dioの尻尾が叩き付けられた。身体が音を立てながら、破片の集まりへと変わってゆく。
首から上のみを残して全身を砕かれた長門は、Dioがさらに体を回転させる様子を見て取り、後退した。長門の眼元に触れる寸前の空間を、Dioの前足の爪が切り裂いてゆく。速い。

306: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:24:19.815 ID:d3LUbuSf0.net
「『ゲッツ・アップ』―――くらえ、Dio!」

その直後、Dioの背に、蹄が泥を踏む音を立てながら、ホット・パンツが向かってくるのが見えた。馬ごと突進を仕掛けるつもりなのだろうか―――
しかし、恐竜となったDioは、聴覚までもが人間を超越しているのか、その蹄の音を耳ざとく聞きつけ、空中へと高く飛び上がった。

「キシャァァァ―――!」

Dioの跳躍は、馬上のホット・パンツよりも、さらに高い地点へと及んだ。直後、舞い降りて来るDioのかぎ爪のような後ろ足が、ホット・パンツへの頭上へと差し迫る。

「くらえ―――Dioッ!」

どうやら、Dioが跳躍することと、恐竜化したDioの身体能力の高さを先読みしていたらしいホット・パンツは、眼で追うのがやっと、という速さで飛び上がったDioを正確に視線で追い、降り注ぐかぎ爪に向け、手の中の肉スプレーを唸らせた。
ブジュウウ。と、耳につく音とともに、噴出口から飛び出した肌色の泡が、Dioの後ろ脚に纏わりつき、その瞬間からDioの体の一部となった『肉』が、Dioの身体の自由を奪う。

「ギィィィ!」

後ろ足の攻撃を防がれたことを察したのか、Dioは続いて、重力に任せて体を回転させながら、両前足による攻撃を繰り出した。それを見受けたホット・パンツは、

「『クリーム・スターター』!」

と、猛るように声を上げながら―――ぬかるんだ大地へと向けた『肉スプレー』で、自身を『噴きつける』事で回避した。スプレーの噴出口を伝い、ホット・パンツの肉体が、肌色の泡へと変わって、地の上へと移動してゆく。

308: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:26:02.531 ID:d3LUbuSf0.net
 後ろ足、前足と、続けて攻撃を失敗したDioが、大地へと降り立った。後ろ足は、ホット・パンツの肉スプレーによって繋ぎ止められていたが、

「ギャァッ!」

そう、一声上げると同時に、Dioは躊躇なく、前足の爪で、両足を繋いでいた『肉』を断ち切り、無力化して見せた。チッ。と、馬上から大地へ移動したホット・パンツの、短い舌打ちが、長門の耳にも届く。

「『アイ・ワズ・スノー』……『がらすの刃』」

Dioが再び動き始めるよりも早く、長門は宙に舞ったままの自身の欠片を、無数の刃へと変化させ、その切り口をDioに向け、解き放った。銃撃よりは遅いが、長門が自身の体を動かすほどの速さを持った透明な刃が、Dioに牙を剥く。
しかし、

「シャァァッ!」

一声。Dioはいななきながら、自身の腰から延びた巨大な尻尾を一振りし、迫りくるがらすの刃を、正確に叩き落とした―――今回もやはり、恐竜となったDioの皮膚に、長門の作る『刃』が食い込むことはない。
空中に残った欠片を引き戻し、肉体として再構成しながら、声も上げず、表情も変えないまま、長門は胸の内で呟く―――Dioを斃すには、

「その『がらす』を、オレの『口の中』に潜り込ませるか?」

まるで、長門の思考を読み取ったように。Dioが言葉を放った―――先ほどまでの恐竜の鳴き声とは違う、人間としてのDioの面影を残す声で。その発言の内容は、長門が思い浮かべていたことと、一致する。

「だがオレには、貴様の身体の欠片の動きなど、止まったボールのように見えるぞ―――無駄ァッ!」

309: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:28:03.058 ID:d3LUbuSf0.net
 そう叫びながら、再び長門に矛先を向け、地を蹴り飛ばすDio。右腕と胴体のみを空中に残し、人型に戻った体で、長門は迫りくるDioに、再構成したばかりの左腕を向けた。

「『アイ・ワズ・スノー』」

言葉と同時に、辺りを漂う長門の破片が、長門とホット・パンツの前方―――ちょうど、Dioの首の高さへと集まり、そこに、幅の広いがらすの刃を作り出す。恐竜化したDioは、静止したものを視認する力が弱くなっているはずだ。なら、この『がらすのギロチン』は―――

「無駄無駄無駄無駄……貴様の小細工は、この『雨』の降る中では通用しないッ! 雨粒はお前の体の破片の位置を教えてくれるぞッ! それも無駄だァッ!」

刃の切り口に、Dioの体が触れようとした瞬間、Dioは後ろ足と尻尾で大地を蹴った。ギロチンの存在する空間を飛び越え、長門たちの頭上へと、巨体が差し迫る―――それに対し、長門とホット・パンツは同時に動いた。

「『アイ・ワズ・スノー』……『がらすの槍』」

長門は、残った自身の体を欠片へと分解し、いくつかの槍の形へと構成しなおし、その先端を重力に任せて降りて来るDioに向け、

「『クリーム・スターター』ッ!」

ホット・パンツは、スプレーを操り、迫りくるDioの目元へ向けて肉の泡を吹き付けた―――二人の攻撃は、どちらも有効だった。
空中から舞い降りて来たDioの後ろ脚には、長門の槍が深く食い込み、同時に、ホット・パンツの放った肉は、狙いを定めた通りDioの目元へと炸裂した。

「ギャァァース!」

声を上げながら、Dioは飛び退こうとしたようだが、脚に突き刺さった長門の槍がそれを阻んだために、ほんの一瞬、Dioの動きが止まった。

「今だ―――『肉スプレー』ッ! Dioを窒息させろ―――ッ!」

地響きのような声を上げるDioの、耳まで裂けた口に向け、ホット・パンツが、自身の能力を放つ。しかし―――

311: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:30:35.820 ID:d3LUbuSf0.net
「シャァァッ!」

Dioは、片足に深く、がらすの槍を突き刺されながらも、その場で体を横に一回転させ、巨大な尻尾を、ホット・パンツに向けて振るった。攻撃を放った直後であるホット・パンツはそれを回避することができず―――

「がぁグッ!」

獰猛な牛の突進のような勢いで、Dioの尻尾がホット・パンツの体を、右から左へと打ち付けた。
衝撃に任せて吹き飛ばされ、少し離れた大地の上に、泥をまき散らしながら叩き付けられるホット・パンツ。腰の骨が折れる音がした―――意識は失っていないようだが、体を動かすことはできないだろう。

「グギャァァース!」

ホット・パンツを薙ぎ払った直後、Dioはがらすの槍を脚から引き抜きながら、再び跳躍し、長門からわずかに離れた位置へと降り立った。しかし、その動きに先ほどまでの異常な俊敏さはない。長門の攻撃で、後ろ足が傷ついた影響だろうか。
それと同時に、ホット・パンツの攻撃により、Dioの視界は閉ざされている。長門は再び、自身の胸から下を分解し、その破片で『ギロチン』を作り出し、Dioと自分との間に浮かべた。

「これで、あなたは私に近づくことはできない」

呟くほどの音量で、長門がそう口にすると、Dioは目元の肉をはぎ取ろうとしていた手を、一瞬だけ止めたようだった。そして再び、人間の声と辛うじてわかるほどの声色で、

「オレヲナメルナトイッタハズダ」

と、唸り声にも似た声を上げた。そして直後に、傷を負った後ろ足で大地を蹴り、三度、長門へと向かってくる。空中のギロチンを、Dioは視認していないはずだ―――しかし、Dioは、

「ギャァァァ―――ス!」

雄たけびを上げながら、自身の腕に該当する前足を突き出し、その前足で、目の前の空間を払いのけながら、長門へと接近してきた。
ザグ。と、滑った音を立てながら、その前足がギロチンの切り口に触れ、骨まで到達していると思われる、深い傷が生じる。

313: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:32:16.789 ID:d3LUbuSf0.net
 ―――しかし、Dioは前進をやめなかった。

「この腕は―――オレの未来への『犠牲』とするッ!」

閉ざされた視界の中、ギロチンの食い込んだ腕を、我武者羅に振り抜くDio。傷口はやがて、切断面へと変化し―――Dioの右の前足の先端が、空中へと撥ね飛ばされる。

「キシャァァァ―――!」

たった今、腕を切り飛ばされたとは思えない、きわめて攻撃的な動きで、Dioは残ったもう一方の腕を、ギロチンの表面へと叩き付けた。ガシャァ。と、刺々しい音が響き渡り、がらすのギロチンが破壊される。

「シャァァァッ!」

長門が、破壊されたギロチンの破片を、微細な刃へ変え、Dioの口の中へと滑り込ませようとしたが、その直前。Dioは、前進する勢いを殺さないまま、身体を回転させ、その尻尾で、長門の破片で光り輝く空間を薙ぎ払った。
霧雨が風に吹かれて舞うように、光を反射させる長門の欠片が、その攻撃で舞い散ってゆく―――後に残ったのは、上半身のみの長門と、その長門に牙を剥くDio。

「クイ殺シテヤルッ! 『スケアリー・モンスターズ』ッ!」

巨大な上弦の月の様な口を限界まで開き、長門に食らいつくDio。その牙が、長門の喉に食い込み―――頸動脈の千切れる音が、辺りの空間に響き渡った。

口の中に、血の味が広がっている―――その味から、『勝利の美酒』という言葉を連想し、ディエゴ・ブランドーは、少女の首に食らいついている口の端を僅かに歪めた。
身体を砕かれても、痛みの声の一つも上げなかった、その少女の身体から、ガクリと力が抜け、何らかの力によって空中に浮遊していた肉体が、重力に引っ張られ始める―――少女のもとに、『死』がやってきたのだ。

314: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:34:02.608 ID:d3LUbuSf0.net
 その少女が何者であったのか、Dioは知らない。知りたいとも思わない。ただ、少女は、Dioの道を阻もうとした。それだけで、Dioが少女を殺すには十分すぎる理由だ。
Dioはそのまま、顎にさらに力を籠める。メシメシと音を立てながら、少女の首の骨が軋み、さらに多くの血液がDioの口の中にあふれた。
得物を捕食する、飢えた獣がそうするように、Dioは顎の力のみで、胸像のような姿となった少女の体を空中に引っ張り上げ、空中に泳がせた後、泥の大地にたたきつけた。少女の体が、ベシャァ。と音を立て、地面と接触する。
前足で少女の頭を掴むと、Dioはそのまま首を引き、少女の喉の肉を食いちぎった―――ブシュウウ。と、音を立てながら、少女の首から大量の血液が噴き出し、Dioの顔面を汚す。

「WRYYYYYYYッ!」

それは、勝利の雄叫びだった。今だ肉スプレーに視界をふさがれているDioは、ドバドバと音を立てながら自身の顔面に降り注ぐ血の熱さに、自分の身体が、皮膚が、魂が奮い立つのを感じていた。
そう、勝利の甘さに酔ったDioは―――閉ざされた視界と、その興奮故に、次の瞬間起きることを予見することができなかった。

「Dio……オマエの、負けだ」

不意に、Dioの背後で囁くような声がした。そして直後、ブジュウウ。と、耳につく音が、Dioの鼓膜に届く―――それはホット・パンツの能力、肉スプレーの噴出音だった。

「なッ―――グッ……」

突然。口の中に違和感を覚えたDioは、大きく開いていた口を閉じようとした。しかし、『それ』はDioの口の中にすでに忍ばされていた。
その正体は―――ホット・パンツの腕だ。自身の能力で、腕を分離させたホット・パンツが、その腕を、Dioの口の中に忍び込ませていたのだ。

「『肉スプレー』で腕を細かくし、長門の『体内』に隠しておいた……オマエが長門のギロチンと遊んでいる間に、すでにだ……」

316: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:36:01.788 ID:d3LUbuSf0.net
 次の瞬間。ブジュウウ。と、スプレー音が再びDioの鼓膜に届くと同時に―――Dioの口腔内に『肉』が溢れてくる。

「がッ―――ホット・パンツ、貴様……ぐあ……息がッ……でき……」

「長門は命を賭して、このチャンスをわたしにくれた―――この『肉』はわたしの身体の肉だ。ありったけ、オマエに食わせてやる……望み通りな」

長門と呼ばれていた少女の体が、ドシャァ。と音を立てて大地に落ちる。Dioが、少女を掴みあげていた前足を放したからだ。
ホット・パンツの『肉』は、水がスポンジに染み込むかのように、Dioの口腔と同化してゆく。いや、それより更に奥、器官までもを塞ぐつもりらしい―――

「キサマ……らのような……ザコどもに……このオレが……ッこの……Dio……が……ッ!」

Dioは言葉を発しようとしたが、口の中に肉が溢れかえっている故に、それは声にはならず、胸をわずかに膨らせるのみに終わった。
Dioは勝っていた。勝っていたのだ。あの少女は死んだ。首から血を流して―――そして、ホット・パンツも。これほど大量の肉をスプレーから絞り出せば、自身の身体が大きく失われる―――
既にこの後、命を保っていられるかどうかという所まで、到達しているはずだ。

「う……ぐ……あ…………」

「わたしがさし出すのは、もう―――わたし自身、だけだ」

Dioの意識が遠のいてゆく中―――自分自身も、意識を保つのが厳しい状態になっているであろうホットパンツが、最後に口にした言葉の意味は、Dioには理解できなかった。
やがて、すべて闇に包まれた。すべての感覚が闇に包まれたのだ。思考さえも。ディエゴ・ブランドーの人生は、そうして終わりの時を迎えた。

318: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:38:17.077 ID:d3LUbuSf0.net

Dioと長門、ホット・パンツの姿が、視認できないほどまで遠くなったのを確認して、俺は気の遠くなるようなスピードで走らせていた愛車を停め、座席から飛び降りた。
サイドカーのある側へと回り込みながら、握りしめたままになっていた『肉スプレー』に意識を向ける。

「ハルヒッ! 大丈夫か―――ハルヒッ!」

サイドカーのシートの上に横たわるハルヒ。その肌は、陶器のように青白くなっていて、首の傷からあふれた血液に汚れた部分と、奇妙なコントラストを作っていた。Dioの牙は、辛うじてハルヒの頸動脈を傷つけてはいなかったようだが、それでも出血量はかなりのものだ。
俺は、ホット・パンツの見様見真似で、スプレーの噴出口を、ハルヒの首の傷に向ける。ブジュウウ。と音がして、ハルヒの首を肌色の泡のような物体が包み込んだ。これで出血は止まったはずだ。しかし、既に流れ出てしまった血液はどうしようもない。
ハルヒの身体を少し揺さぶってみる。が、意識を取り戻した気配はない―――まさか、と思いながら、俺はハルヒの唇に頬を近づけてみた。
しかしその『まさか』は―――

「ウソだろ……おい、ハルヒ……」

呟きながら、ハルヒの頬に指をあてる。―――冷たい。閉じられたハルヒの瞼から、眼には見えない『何か』が、立ち上っているような気がした。それはまるで―――『命』というものが、煙のようなものへと変わって、ハルヒの身体から抜けて行ってしまっているような―――

「―――ハルヒ……ハルヒ! ……ハルヒ」

冷たくなったハルヒの頬が、ピクリと動くことを祈って―――動かなくなったハルヒの瞼が、不意に開かれることを祈って、俺はその名前を呼んだ。しかし―――ハルヒは、動かない。何も答えてくれない―――

319: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:40:19.438 ID:d3LUbuSf0.net
「し、心臓マッサージ―――心臓マッサージをッ!」

馬鹿か、俺は。動かなくなっちまった―――死んじまったかもしれない人間の名前をいくら呼ぼうと、何にもなるわけがない。
今やるべきことは、現実を見て、現実的な範囲で残された望みに、すべてを託すことだ。
俺は、サイドカーによじ登り、ハルヒの胴体に跨って、その左胸に両手をあてた。脈動している気配を一切発していない、その、びっくりするほど薄い胸に、全身の力を込めて、何度も衝撃を与える。その度に、俺の愛車が、ギシギシと、壊れそうな音を立てた。
確か、人間は心臓が止まり、脳に酸素がいかなくなってから、五分以内なら、息を吹き返す可能性がある―――そんな話を聞いたことがある。
しかし、出血がひどい場合は、その法則は適用されるんだろうか。そもそも、体を流れ、脳に行く血自体が足りてないんじゃ―――

「―――ちくしょう……ちくしょおォ!」

血に染まった、ハルヒのマントに額を当て、叫ぶ。何で、こんなことになっちまったんだ。どうすれば、こんなことにならずに済んだんだ。あんな―――たった一瞬で。たったの一瞬の出来事で、ハルヒは―――ハルヒは。
遠くから、列車が近づいてくる音がする。ついに姿を現した大西洋の、さざ波の音がする。ぽつり、ぽつりと、雨が降り始めた。誰もいない、俺とハルヒの抜け殻しかいない空間に。
もし、俺が―――Dioの野郎と真っ向から戦えるような。ハルヒがDioに襲われた時、咄嗟に動き、ハルヒを救えるような、そんな力を持っていたら。そうだ。すべては、俺が弱いからいけなかったんだ。
だから、ハルヒは……俺を叱って、叩いて、励ましてくれたハルヒは―――もう二度と目を覚まさない。
―――アノ野郎。
俺はその瞬間、胸の内に芽生えた思いに、抗うことができなかった。その感情の名は―――『殺意』だ。

321: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:42:04.835 ID:d3LUbuSf0.net
 ハルヒを殺した、あの恐竜野郎を―――現在、おそらく、長門、そしてホット・パンツと交戦しているであろう、『ディエゴ・ブランドー』を、俺の手で殺さなければ気が済まない。

「Dio……Dio―――Dioッ!」

―――殺してやる。
あの男―――Dioから、俺の手で、すべてを奪ってやる。あいつは、俺のすべてを奪っていったのだから。

「Dioぉッ!」

その瞬間、俺は―――本気だった。心の底から、Dioの野郎を潰し、砕き、殺してやるつもりで、愛車のグリップに手を伸ばし、体を半回転させたのだ。あの男の元へ戻るために。
けれど。その直後―――Dioのいるであろう方角へ振り向いた俺の鼓膜に、パァン。と、何かがはじけるような音が届いた。

「え…………?」

その音が響き渡った瞬間、俺は―――三つ。突然、俺の感覚に届いた、三つの、予想していなかった現象に、心を奪われ、立ち尽くした。
一つは、前述した音が耳に届いたこと。二つ目は、俺の頬に、何かに刺されたような、熾烈な痛みが走った事。そして、三つめは―――背後を振り返った俺の目の前に、その男が立っていたこと―――だ。

「自分を、見失わないでください」

俺の頬を叩き飛ばした右手を、ゆっくりと戻しながら―――そこにいた古泉一樹が、涙を浮かべ始めていた俺に向かって、そう言い放った。
まただ―――また、俺は感じている。『目の前の出来事に、理解追いつかない』という現象を。

「涼宮さんは―――『そんなこと』を望んではいないはずです」

323: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:44:17.844 ID:d3LUbuSf0.net
 雨の向こうから―――いつも、どこか人を小馬鹿にしているようだと、俺が感じていた双眸が、真剣そのものといった光を湛え、まっすぐに俺を見つめていた。
どうして―――古泉が、ここにいる? いや、考えるまでもない。俺たちがこの世界にやってきてしまったのと同じことなんだろう。正直、こいつが俺たちの前に現れるっていう展開を予想していないわけではなかったさ。しかし―――このタイミングでかよ。
そう考えた直後、俺の脳がようやく、古泉の発言の内容を噛み砕き始める。ハルヒは、俺がDioを殺すことを望んでいない―――そう言いたいのか? 古泉は。

「……どうしてお前にそんなことが分かる」

「涼宮さんという人物のことを、よく知っているからですよ」

俺が訊ねかけると、古泉はいつもそうしていたように、顔面に、僅かな微笑を浮かべ、

「あなただって知っているはずです。涼宮さんは、『そんなこと』を望む人ではない、とね」

……そうだな。
古泉の言葉に、俺は声を詰まらせ、一つ息をつくことしかできなかった。 ―――確かにそうだ。ハルヒは、俺に、Dioの首を取ってくれ、なんて言いはしないだろうさ。
あいつは。自意識過剰な、涼宮ハルヒという生き物は。きっと、こんな場合には、自分が信じ、目指していたものを、実らせてほしいと願うだろう。それはつまり―――現状で言うなら、

「……元の世界へ、帰ること」

俺が呟くと、古泉は満足そうに頷いて見せた。そして、俺の顔面を捉えていた、どこか安心したような視線を、俺の右側の空間へと逸らし、

「ディエゴ・ブランドーのことは置いておきましょう。長門さんたちを信じて―――僕らが向き合うべき相手は、別にいるのですから」

324: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:46:01.656 ID:d3LUbuSf0.net
 そう言って、ゆっくりと背後を振り返った―――そこで俺はようやく、先ほど耳に捉えた、『列車が向かってくる音』が、大きくなりつつあることに気が付いた。
これまでは気づいていなかったが、俺たちを挟んで、大西洋と反対側の大地に、『線路』が敷かれていて、音を立てて近づいてくる列車は、そのルートを辿り、間もなく俺たちのいる位置を通り過ぎようとしているようだった。
その線路の伸びる先によく目を凝らしてみると、地平線に、ポツリ。と、黒く光るシルエットが見て取れて、それは、馬や、俺の愛車の全速力を上回っていると思われるスピードで、こちらへと近づいてきていた。
その列車に乗ってくる者が、誰なのか―――察しの悪い俺にさえ、十分予想が付いたよ。

「あなたは、『先』へ行ってください―――大統領は、僕が食い止めます。命を懸けて」

迫りくる列車の影を行く手に臨み、古泉がふと、俺を振り返り、そう囁いた。先ってのは、つまり……ハルヒが感じ取っていた、俺たちの行くべき場所―――『マンハッタン』を目指せっていうのか。

「お互い、出来ることをしましょう。僕が戦いますから、あなたは―――逃げてください。涼宮さんと共に、ね」

肩越しにこちらを見ながら、そう言った古泉の眼は―――なんだろうな。まるで、今にも泣き出しそうなのをこらえている、子供の眼のように見えた。そうだよな―――何しろ、俺たちのそばにいるハルヒは、もう……

「……任せるぜ、古泉」

俺自身もまた、瞳の奥が熱くてたまらない感覚を覚えながら、目の前の男に向け、握り拳を突き出した。すこし驚いたように、俺の行動を見つめていた古泉は、やがて、諦めたような微笑みを浮かべ、俺の拳に、コツン。と、自身の拳をぶつけた。

326: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:48:02.521 ID:d3LUbuSf0.net
「―――『シックス・センス・アドベンチャー』!」

俺が、その名を叫ぶとともに、停止していた愛車のマフラーから、熱が溢れ出し、エンジンがドルドルと音を立てる―――俺は、サイドカーに横たわるハルヒの体にほんの少しだけ触れ、前方がよく見える様に向きを直してやった。

「ご武運を」

古泉が、そう短く呟くのが聴こえたが、俺は―――これ以上ここに居たら、これから溢れ出すであろう涙を、全部古泉に見られちまう気がして、まるで逃げる様に愛車を発進させた―――
ハルヒが目指していた、『マンハッタン』のある、北東に向かって。

「やはり―――Dioは、『聖なる少女』を殺したか」

雨の降る、ニュージャージーを目前とする大地の上に一人立つ、古泉一樹の目の前で―――古泉の『光球』によって、大地に敷かれた線路を大きく外れ、横転した車両の中から、その男はゆっくりと這い出てきた。
少し巻き毛気味の長髪。清潔そうな衣服。他人の心を見透かしたような瞳。おそらく、その風貌を見知らぬものは、このアメリカ大陸に誰一人としていないだろう。

「やはり、奴のことを優先して潰すべきだったか―――しかし、この世界のために、涼宮ハルヒの『命』が不必要であることを突き止めたのは、けっこう大した働きだな」

凄惨な横転事故に見舞われたにもかかわらず、体に傷一つ追っていないファニー・ヴァレンタインは、その鋭い双眸で、ギロリ。と、古泉一樹を睨みつけながら、

「『聖なる少女』の持つ『引力』は、本人が死した今もなお存在し続けている―――やはりあの少女は、『わが世界』のために存在していた」

329: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:50:02.276 ID:d3LUbuSf0.net
「それは違いますね」

その言葉を古泉が一蹴すると、ヴァレンタインは、古泉を見つめる視線に、僅かな苛立ちの気配を混ぜながら、

「フンッ―――貴様らのような異世界人には、『わが世界』の理など、理解できなくて当然ッ」

「ええ、その通りです―――あなたにあなたの事情があることは知っていますが、生憎、僕らにも僕らの事情というものがある」

禍々しい光を灯した双眸に負けぬよう、目一杯に殺気を込めた瞳で、ヴァレンタインに視線を返しながら―――

「僕らは、『回帰』を求めています。たとえそれが、『あなたたちのいる、この世界の消滅』を意味していてもね」

古泉の言葉に、一瞬、ヴァレンタインは動きを止めた。胸の内で、禍々しさを練り合わせるように、五秒ほど沈黙を揺蕩わせた後、

「貴様……どこまで知っている?」

「それはもう―――あなたの目論見も含めて、すべてですよ。それが、僕の持つ『能力』なのですから」

たった今言い放った通り、古泉は『すべて』を知っている。この世界が、どうやって生まれたのか。何が世界を動かしているのか。ヴァレンタインが、この世界をどうしようとしているのか―――その、すべてを。

「言っておきますが、あなたに恨みなどありませんよ。むしろ、同情したいくらいです。『世界を行き来する能力』などという物を持っているせいで、『世界を作り出す能力』を持つ、涼宮さんと引き合ってしまったのですからね」

「フン、本当に『すべて知っている』ようだな―――野ネズミがッ」

雨に濡れた肩ほどまでの髪の毛を、右手で払いのけながら、ヴァレンタインは眉を吊り上げた。
―――『引力』。

330: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:52:11.061 ID:d3LUbuSf0.net
「なぜ、『聖なる少女』だけではなく、貴様らのような不要因子までもが、この世界へ呼ばれたのか。その理由が、たった今、わかったぞ」

そこまで話し、一つ息をついたヴァレンタインは―――直後、

「貴様らは『試練』だ―――このわたしが、『真』へと進む、その道中に設けられた『試練』ッ! たたきつぶしてくれる―――『D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)』ッ!」

まるで、猛獣がそうするかのように、大地を蹴り飛ばし、俊敏に古泉に迫ってきた。それを迎え撃つべく、古泉も自身の能力を発動させ―――両手の中に、『光球』の原型となる光を作り出す。

「『ミステリック・サイン』―――僕らには、『帰るべき場所』がありますッ!」

ヴァレンタインの身体から、青白く光る『ヴィジョン』が飛び出したのと同時に、古泉はヴァレンタインに向け、手の中の光を放った。バスケットボールほどの大きさの、赤く艶めいた光の球が、僅かに弧を描きながら、ヴァレンタインの身体へと突き進む。

「ムゥンッ!」

迫りくる光球を、ヴァレンタインは『D4C』の右腕を一振るいすることで、いともたやすく弾き返して見せた。ギャルギャルと音を立てながら、軌道を真逆に捻じ曲げられた赤い閃光が、自らを生み出した主の元へと帰ってゆく。

「貴様の能力は子供の遊びだと言ったろう」

「そうですか―――では、『これ』ならどうです?」

古泉は、その言葉と共に、両足で大地を踏みしめ、右腕を振りかぶり、広げた手のひらを、自身の眼前まで弾き返されてきた光球に叩き付けた。速度を増した鮮血色の礫が、再びヴァレンタインへと向けて放たれる。

332: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:54:01.747 ID:d3LUbuSf0.net
「フンッ、『キャッチボール』か? 少しボールが大きいが―――このファニー・ヴァレンタインを付き合わせるには幼稚すぎるッ!」

「いえ―――『千本ノック』です」

古泉がそう言葉を放った直後。ヴァレンタインの立つ大地へと向かって突き進んでいた赤い光球に変化が現れた。その球形の輪郭が、僅かに凹凸を帯び始めたのだ。

「何? ―――ムッ!」

その直後。古泉の光球が―――パァァンと音を立て、弾け飛んだ。『無数の小さな球体』へと、分解されたのだ。そうして生じた赤い礫の雨が、ヴァレンタインへと差し迫る。

「『D4C』ッ!」

自らを標的として放たれた真紅の雨に向け、『D4C』は鋭敏な動作で腕を繰り出し、その半数ほどを撃墜したが、防ぎきれなかった幾つかの光弾が、『D4C』の体表に傷をつける。

「チィッ!」

身体に痛みが生じたことから、ダメージの発生を察知し、『D4C』をわずかに後退させるヴァレンタイン。その歪められた表情に向け、古泉は薄く笑いを浮かべたまま、

「僕は、このまま、あなたを『拳銃』の射程外まで押し出し続けるだけです。みすみすあなたに接近を許しはしません―――さて、どうやって僕を退け、涼宮さんを追いかけます?」

と、右手の人差し指で、拳銃を示すジェスチャーを作りながら、言い放った。ヴァレンタインの右眉が、ピクリと反応を示す。

「フンッ―――わたしを聖なる少女から遠ざけるため、足止めをするのが貴様の役割か。しかし、このわたしはすでに、聖なる衣服を手にしている」

その言葉と同時に、ヴァレンタインが、自身の身に着けた濡れたコートの裾から、何かを取り出す―――古泉には、それが、『星条旗』の描かれた、身を隠せるほどに巨大な布切れのように見えた。

334: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:56:15.496 ID:d3LUbuSf0.net
「貴様は知っているだろうが―――」

空中を、取り出した星条旗で薙ぎ払いながら、ヴァレンタインは言葉を紡ぐ。

「このわが『世界』は、『基本世界』や、貴様らのいた『聖なる世界』とは、いわば、『別の宇宙』に生まれた世界だ」

古泉は、20mほど離れた位置に立つヴァレンタインの言葉を遮ることはせず、しばし、それに耳を傾けた。ヴァレンタインの星条旗が、古泉の目線から、ヴァレンタインの体を覆い隠すように、僅かに雨風になびく。

「故に。わが『D4C』の持つ『世界を行き来する能力』は、何の効果も持たない、『死に能力』だった。しかし、私が手にした『聖なる衣服』はッ! 『涼宮ハルヒ』の衣服は、このわたしを新たなステージへと導いてくれたぞッ!」

その言葉と共に、ヴァレンタインは、空中に水を吸った星条旗の布を広げた。そして、まるで、古泉や長門、朝比奈がこの世界に連れてこられた瞬間のように―――大地へと舞い降りる星条旗の下に身を隠したのだ。
次の瞬間、

「『D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)』」

星条旗の下から、ヴァレンタインの姿が消滅した―――大地と星条旗の間に挟まれ、その空間に吸い込まれるようにして、かき消えたのだ。古泉は、手の中に光球の原型を作り出しながら、周囲を探る―――
やがて。古泉の目の前で、その現象は発生した。

「どじゃアァァァァ―――ん」

大地に広げられた星条旗が、モコモコと膨らみ、たった今消えたはずのヴァレンタインが、星条旗と大地の間から這い出して来る―――
『何人も』だ。

「何―――だと?」

336: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 19:58:01.719 ID:d3LUbuSf0.net
 古泉は思わず、額に汗をにじませ、声を漏らした―――
ヴァレンタインの『D4C』……世界を行き来する能力が、この『閉鎖した世界』の中でも、何らかの形へと変わって存在していることは、先日、フィラデルフィア独立宣言庁舎で交戦した際に察していたが―――

「そう、この宇宙に『別世界』は存在しない」

「しかし―――涼宮ハルヒの『創造』の力は」

「その源となる力を秘めた『衣服』を手にしたこのわたしは」

「『無』から『有』を作り出すことができる―――」

「たった今。わたしはこの宇宙に『別世界』を作り」

「そこからわたし自身を『連れて来た』ぞ」

「『十一人』ほどな」

現れた十一人のヴァレンタインが、次々と口を開く。声が何重にもなり、鼓膜に届く―――古泉は、自身の胸に『焦り』が灯るのを感じた。

「わが『D4C』は新たなステージへと到達した」

「この、基本世界とは別の宇宙上に生まれた世界は」

「わたしが『涼宮ハルヒとその衣服』のすべてを手にしたとき」

「新たなる『基本世界』へと昇華されるのだ」

「その時は近づいている―――貴様ごときに邪魔はさせんッ!」

ズア。と、音を立て、十一人のヴァレンタインが、次々と腰から何かを取り出そうとする―――『拳銃』だ。

「『ミステリック・サイン』ッ!」

古泉は、手の中の光を、先ほど放ったのと同様の『礫』へと変化させ、それをヴァレンタインたちに向けて放った。接近を許せば、古泉はハチの巣だ。
距離さえ保てば、勝てる―――十一人という人数は恐ろしいが、それでもまだ、ヴァレンタインたちには弱点がある。それは、『D4C』の存在。

338: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:00:02.227 ID:d3LUbuSf0.net
「あなたが何人来ようと―――『能力』はひとつ。僕の攻撃を、『D4C』で防御できるのは、ひとりのはずです。生身で僕の『球』を防ぐことができるでしょうか?」

真紅の雨を放ちながら、古泉が囁くと、ヴァレンタインたちは口々に、

「フンッ馬鹿を言え」

「誰が貴様とのボール遊びに付き合ってやるといった?」

「たった今、わたしの作り出した世界の『わたし』が、『イイモノ』を持ってきてくれたぞッ!」

「ぱんぱかぱァァァ―――ん」

古泉は、視界の中に捉えていた。その言葉の直後、ヴァレンタインたちのうちの一人が、背に携えていた―――『ライフル』を取り出す様子を。

「くッ―――『ミステリック・サイン』ッ!」

冷や汗が額に滲むのを感じながら、古泉はもう一波、赤い礫の雨を放った。しかし、ヴァレンタインたちは、自らの体を盾にし、ライフルを持ったヴァレンタインを赤い礫から逃れさせる。
手早い動作で、ライフルを組み立てたヴァレンタインは、古泉の光弾を受けて倒れてゆくヴァレンタインたちの背後から、その砲口で、古泉を狙っている―――正確に。

「さらばだッ『赤球使い』! せめてもの慈悲で『ヘッド・ショット』で葬ってやるッ!」

スコープに片目を当て、古泉へと照準を定め終えたヴァレンタインが、高らかに叫ぶ―――しかし、その直後。鳴り響くはずだった銃声を、何かが遮った。ヴァレンタインの後方から放たれた、『何か』が。

340: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:02:38.950 ID:d3LUbuSf0.net
 ギャルギャル。と、音を立てながら、その『何か』が、ライフルを構えたヴァレンタインの体を『掠め』―――直後、ヴァレンタインの体が右半分を残し、『失われ』たのだ。

「何ッ!」

それにより、ヴァレンタインがバランスを崩し、ライフルの銃身が大きくぶれる。何が起きたのか分からない、といった様子で、声を上げるヴァレンタイン―――古泉は、状況を、ヴァレンタインより一足早く把握し、

「間に合ってくれましたか―――」

いつの間にか、ヴァレンタインたちの背後に差し迫っていた―――馬にまたがるその男に向け、呟いた。

「『壊れゆく鉄球(レッキング・ボール)―――左半身失調』」

脱線した列車の脇を、馬の蹄をビシャビシャと鳴らしながら―――古泉の『仲間』が、こちらへと駆けてくる。作戦が滞りなく進んでいるなら、おそらく、その背後には『彼女』の姿もあるだろう。

「こっ、古泉くぅ―――ん!」

古泉の思考より一瞬だけ遅れて、雨音に紛れたその甲高い声が、周囲に響き渡った。その二人の名は―――『ウェカピポ』と、『朝比奈みくる』。
ウェカピポは、今しがたヴァレンタインに投げつけたらしい、『鉄球』を手の中に戻しながら、手綱を引き馬を停止させた―――そして、背後の朝比奈に短く何かを告げると、

「古泉、待たせたな。だが『切り札』は連れて来たぞ」

と、大地に降り立ちながら、低く、研ぎ澄まされた声で、古泉に向け言い放った。その声を受け、古泉は一つ、短く頷き返すと、ヴァレンタインたちに再び視線を向ける。

341: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:04:19.070 ID:d3LUbuSf0.net
 十一人いたヴァレンタインたちは、その内六人が古泉の放った光弾を受け、泥の大地に倒れていた。残りは五人―――『失調』中の、ライフルを携えたヴァレンタインは、忌々し気に顔をゆがめながら、

「ウェカピポか……貴様が噛んでいたとはなッ!」

その言葉と同時に、周囲のヴァレンタインたちが、腰の拳銃を抜き、その砲口をウェカピポへと向ける。が、直後、ウェカピポの手の中の鉄球が回転し始め、

「『硬質化』だ」

放たれたその言葉と共に、ウェカピポの全身が、まるで鋼鉄の様な光を帯びた。数発の銃声が響いた直後、放たれた弾丸がウェカピポの体表に弾き飛ばされる、金属音にも似た音が、辺りの空間を切り裂く様に揺らす。
ヴァレンタインの攻撃が途切れたことを察知すると、ウェカピポは、左半身を失っているヴァレンタインに向け、手の中の鉄球を放った。
ズギャァ。と、鈍い音を立てながら、ヴァレンタインの抱えていたライフルが、ぬかるむ大地の上に弾き飛ばされる。
ヴァレンタインたちの注意がウェカピポに向かっている―――今なら倒せる。少なくとも、『D4C』を持っている以外のヴァレンタインは。古泉はそう確信し、両手に赤い光を迸らせた。

「『ミステリック・サイン』―――食らえ、大統領ッ!」

その声に、五人のヴァレンタインたちが、一斉に古泉に振り返る―――しかし、回避行動をとる時間はなく、赤い光が炸裂し、五人中、四人のヴァレンタインが、新たに地に倒れ伏した。残るは―――一人。

344: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:06:02.782 ID:d3LUbuSf0.net
「チィッ」

ヴァレンタインが、舌打ちをしながら、再び星条旗を広げようとコートの内側に手を伸ばす―――しかし、それをウェカピポが放った、二球目の鉄球が妨害する。ベギィ。と、鈍い音を立てながら、その左腕がへし折れ、『失調』が始まった。
ドシャ。と音をたて大地に落ちる、星条旗と拳銃。その拳銃を、駆け寄ったウェカピポの右足が、はるか遠くへと弾き飛ばす。

「オレたちを撃ち殺すとか、また新たに『自分』を連れて来るとか、そういう事はさせない」

浴びせられた、ウェカピポの短い言葉に、右側のみとなった顔を歪める、ヴァレンタイン。古泉は、再び光球を放つ準備を整えながら、

「あなたを『挟む』ものは、もう何もありませんよ―――ウェカピポ、大統領から離れてください」

チィッ。舌を鳴らし、その場から飛びのいたウェカピポと、離れた位置にいる古泉に、順番に視線を巡らせるヴァレンタイン―――彼に残された攻撃手段は、『D4C』による、近接格闘能力のみのはずだ。

「あなたが『近づいていい』ものは、ここには何もありません」

古泉の言葉に重なるように、雨雲に包まれた空から、轟くような音が降り注いで来た。『失調』の時間が終わったのか、ヴァレンタインの左半身が、少しづつ元の姿へと戻ってゆく。そして、直後―――

「ふ……フフフ……フハハハハッ」

ヴァレンタインが、笑った。

346: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:08:02.152 ID:d3LUbuSf0.net
「近づく必要などない―――『引力』は、向こうの方から来てくれているぞ―――勝利すべきもの、この、ファニー・ヴァレンタインの元へとなッ!」

そう言い放ち、視線と手のひらを頭上へ……『空』へと向けるヴァレンタイン。その言葉を合図とするかのように―――ヴァレンタインの体が、『消滅』し始める。『雨に打たれ』た部分から。

「なんだと―――まさか、雨粒と地面の『間』に―――そんなことまでッ!」

声を上げながら、ウェカピポが手の中の鉄球を、ヴァレンタインに向けて放つ―――しかし、それよりわずかに早く、雨粒がヴァレンタインの姿を完全に消滅させた。
そして、ほんの一瞬―――雨音のみが響き渡る時間を挟んだ後、

「『作り出し』たぞ」

「このわたしの『D4C』が」

「この『宇宙』に」

「新たなる『世界』を」

「そして『連れて来た』ぞ―――」

ヴァレンタインが現れたのは―――古泉、ウェカピポの周囲。『大地と雨粒に挟まれた空間』から。

「―――『百八人』だッ!」

347: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:09:13.008 ID:d3LUbuSf0.net
 群衆。
たった今の瞬間まで、古泉、ウェカピポ、朝比奈の三人が、取り残されたかのように立ち尽くしていた空間に―――古泉らを取り囲むように、無数のヴァレンタインたちが現れたのだ。
ヴァレンタインによって作られた『別世界』から呼ばれて来た『群れ』。幾億と降り注ぐ雨粒が、彼らを『連れて来』た。

「く―――気を付けろ、古泉! ヴァレンタインの狙いは―――『拳銃』でオレたちを撃つことなんかじゃない、奴は―――」

無数のヴァレンタインたちの姿を挟んだ向こうで、ウェカピポが叫んだ。しかし、その声が途中で遮られる―――おそらく、ヴァレンタインの『攻撃』によって。

「げはッ!」

直後に、呻き声。そして、

「このまま貴様らを『108vs3』で甚振ってもいいが―――『聖なる少女』を手にするためには、手早く済ませなくてはいけない」

「グゥッ!」

ヴァレンタインの声と、打撃音。さらに、ウェカピポの物らしき二つ目の呻き声が、相次いで古泉の耳に届く、ヴァレンタインの群れによって視界は遮られ、何が起きたか、確認することはできないが、おそらく、ウェカピポがやられたのだ。

「そしてわたしの『D4C』は―――この百八人のファニー・ヴァレンタインの元を『伝っ』て、すぐ貴様のそばまでも行くぞッ! 古泉とやらッ!」

ドシュ。と、大地を蹴る音とともに、ヴァレンタインの群れの頭上に、『D4C』の耳にあたるパーツが飛び出し、それが徐々に、古泉の元へと近づいてくるのが分かった。
ヴァレンタインから、隣のヴァレンタインへ。そこから、さらに次へ。次々と受け渡されながら、古泉の元を目指しているのだ。

348: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:10:04.622 ID:d3LUbuSf0.net
 そして、それは―――古泉が、接近してくる『D4C』に備え、身構えてから、ほんの五秒ほど先の未来の出来事だった。古泉と接近して存在していたヴァレンタインのうちの一人が、古泉に向き直り、叫んだのだ。

「『D4C(いともたやすく行われるえげつない行為)』ッ! はらわたを抉り出してやるッ!」

声を発したヴァレンタインの身体から、屈強の男性のような姿をした『D4C』が現れ、その拳が、古泉の腹部に叩きつけられた。おそらく、いくつもの内臓が破裂しただろう。
古泉は、その瞬間、口の中に、苦みばしった、血液の味が広がるのを感じていた。

「ぐ―――はっ……」

「わたしは突き進むぞ―――この国、この世界、この宇宙をッ! 『真』へと昇華させるためになッ! 貴様らはその『礎』となったのだッ!」

雨音をかき消すほどに強く、ヴァレンタインは叫んだ―――古泉は、全身が、この世から消え去ってしまったかのような、虚無感にもにた感覚を覚えながら―――それでも、腹部に突き刺さった、『D4C』の腕に両手で掴みかかった。

「ムッ」

異常を察知し、ヴァレンタインが声を上げ、古泉に突き刺さった『D4C』の腕を引き抜こうとするが―――古泉は、自身の体に残された『能力』で、それを繋ぎとめた。真紅の光が、古泉と『D4C』、ヴァレンタインの姿を包み込み始める。

「チッ、悪あがきを―――」

「ありがとう……あなたに―――あなたの『D4C』に、こうしてもらうために……僕はこの世界に来たんです」

350: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:12:02.838 ID:d3LUbuSf0.net
 その声を発すると、同時に。古泉は、ぼやける意識の中、自身らを包んだ赤い光の球を、ゆっくりと―――気が遠くなるほどにゆっくりとした速度で、『大地から持ち上げ』始めた。

「何ッ―――これは!」

突如、足元から大地の感覚を失ったヴァレンタインが、周囲を見渡しながら、声を上げる。古泉が『空中』へ連れて行くのは、自分自身と、目の前のヴァレンタイン。そして―――『D4C』のヴィジョン。

「たとえ―――あなたが、何人で来ようと。この『D4C』さえ斃すことができれば良かった。いわば、あなたの『能力』の本体は、この『D4C』の方なのですから、ね」

人の背の高さを大きく越えた高度へと、古泉たちは『上昇』してゆく―――その瞬間。空が轟く音を聴き、ヴァレンタインは『理解』したようだ。古泉の、最後の『狙い』を。

「ッ―――貴様、まさかッ! このわたしの『D4C』をッ!」

「あなたは……『電気椅子の刑』です……『椅子』なんて……何処にもありませんが……ね……」

古泉の意識は、ついに途切れようとしている。生と死、その限りなく死に近い場所で、古泉は、残された大地の上に立つ―――一頭の馬と、その馬にまたがっている、その人物に視線を送った。

「お願いします―――空よッ! 私の願いを、聴いてください―――たとえ、これが最後になってもいい! 私の『声』に、答えてッ!」

古泉の合図を受け、その人物が、甲高い声で―――今にも泣き出しそうな表情で、古泉たちの姿を見つめながら叫んだ。

「くッ……やめろ、考え直すんだッ! このわたしが―――このわたしの『D4C』なくして、この世界は―――!」

352: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:14:04.463 ID:d3LUbuSf0.net
 ヴァレンタインがもがき、『D4C』が再び古泉の体に拳を叩き付ける。しかし、古泉は、『能力』を解除しない。空中に留め、上昇させ続ける―――『D4C』と、ヴァレンタインを。

「『勝利』なんていらない―――ただッ! 私に一度だけ、『力』を貸して―――ッ!」

おそらく―――朝比奈は、悲しむだろう。
この、古泉と朝比奈の最後の『攻撃』が終わった後には―――多くの『痛み』が残るのだから。
『D4C』を斃すことができても、古泉とウェカピポは恐らく息絶え、Dioと交戦している長門も、すべてを無事に済ませることはできないと思われる。そして、涼宮ハルヒは―――もう、この世にいない。
けれど、それでも―――古泉には、朝比奈には、『希望』が残っている。たった一人―――この閉鎖された世界で、涼宮ハルヒを乗せて、今日まで走り続けて来た、『希望』が、たった一つ残っている。
だから―――これでいい。『彼』になら、すべてを任せられるから。

「お願い―――『サムデイ・イン・ザ・レイン』ッ!」

やがて、両眼から宝石のような涙をあふれさせながら、朝比奈がその名を叫んだとともに―――古泉たちの頭上に、押しつぶされそうなほどの轟音が降り注いできた。空が―――朝比奈の声に、応えたのだ。

「やめろ―――やめるんだァァァ―――ッ! このわたしを―――誰だと思っているッ!」

不意に、古泉の身体から、痛みというものが消え去った様な気がした。古泉の、命が―――あの『女神』へと捧げ続けられていた、そのちっぽけだった命が、終わろうとしているのだ。

353: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:16:02.372 ID:d3LUbuSf0.net
「また……会いましょう……朝比奈さ……また……部室……で……ね……」

―――最後に、古泉はそう呟きながら、朝比奈に視線を送り、必死で微笑みを浮かべようとしたが―――その笑顔と声が、朝比奈に届いたかどうかはわからない。
その瞬間、天から舞い降りて来た『雷』が、古泉と、ヴァレンタイン。そして、『D4C』を、強く強く打ち付けたからだ。

静かで、誰も居なく、何もない空間を、バイクでただひたすら走るってのは、思うに、バイクに乗りたがる奴ら全員の夢なんじゃないだろうか。この世界に来て、飽きるまでそうしていられた俺は、ある意味じゃ幸せ者かもしれない。
そして、同じくバイク乗り垂涎のものであろう、心から親しい仲間や、見目麗しい異性を、後部座席やサイドカーに乗せて走るって夢まで叶えられた。たった、バイクを手に入れてから、二か月ほどでだ。
前に、ハルヒと朝比奈さんと、トウモロコシ&ポテトチップス談義をしながら、長閑な農耕地帯を走った時、俺は確かに『幸せ』を感じていた。
こんな訳の分からん世界に放り込まれ、話の合わない連中と、衣服の奪い合いなどという物騒なやり取りをさせられながら、俺はあの時、『幸せ』だったんだよ。
だから、もし―――今、俺の後部座席で、あの涼宮ハルヒが何やら企んでいて、サイドカーのシートの上で、朝比奈さんが微笑んでいたとしたら、きっと俺は、今だって『幸せ』を感じていたと思う。

355: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:19:03.785 ID:d3LUbuSf0.net
「ハルヒ……寒くないか?」

三十分ほど降り続いたあの雨がやみ、大西洋から吹き付ける潮風が、濡れネズミの俺と、真っ白になったハルヒの肌をぶしつけに撫でていくようになっていた。
ハルヒの身体は、俺が途中でマントを脱がせ、代わりに雨具をかぶせてやった為、それほどは雨に濡れていないが、それでも―――言葉を発さない、寝顔にも似た表情を湛えたハルヒが、『寒い』と言っているような気がしたんだ。
少し考えた後、俺は愛車を停め、カバンの中からシカゴで買った赤いマントを取り出し、それをハルヒの体にかけてやった。暑すぎるだろうか?

「もうすぐニュージャージーだぜ。レース選手たちは、ボートで海を越えるらしいが、俺のこの愛車で、ランタン湾を渡ろうとしたら、さすがにみんなびっくりするだろうな」

水滴のついた雨具をしまい込みながら、ハルヒに話しかける―――変な話なんだが、ハルヒがもう何も言わないと、分かっていても。
それでも、こうして話しかけていたら、何か一言でも帰ってくるんじゃないかと、未だに思ってるんだよな、俺は。まあ、よくある話っちゃそうなんだけどさ。
涙は、雨の中を走っている間に、ほとんど流し尽くしてしまったはずだったのに―――こういうことを考えていると、まだ、目の奥にこみ上げてくるものがあり、俺はつくづく、自分が弱い人間だという事を思い知らされる。

「俺は『温厚』じゃなくて、『ヘタレ』って、前にお前が言ってたよな。あれ、正解だったみたいだな」

357: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:20:29.673 ID:d3LUbuSf0.net
 ハルヒに語り掛けていると、ふと、愛車のミラーに映った、自分の顔が目に入った。ミラーに映った俺は、俺自身が、こんな微笑み方ができたのか、なんて、びっくりするような表情をしていて―――
だけど、そんな驚きも次の瞬間に忘れるようなものを、鏡に映った背後の空間に見つけ、俺は息を詰まらせた。
俺の愛車の轍が残った大地の上を、馬に乗った誰かが、こちらへ向かって走ってくるのが見えたんだ。それだけ考えたら、別に驚くような事でもない。
俺が走っていたのは、レースのエイスステージのコースその物なのだから、選手の誰かが通りかかっても、おかしいことは何もないんだが―――
まだ、誰だか確認できないほど遠くにいる、そいつが誰なのか。俺にはなぜかすぐにわかった。

「……ハルヒ。すぐ―――すぐ終わるからな」

ハルヒの、閉ざされた瞼にかかっていた、濡れた前髪を除けてやりながら、俺はそう告げ―――程なくして、俺の目の前までやってきた、その男に向き直った。

「お前が……『ジョニィ・ジョースター』か」

俺はそいつの事を知っている。一時期は、尾行していたこともある。だというのに、真正面から顔を見たのは、それが初めてだった。脚が動かない身でありながら、レースに参加し、ここまでのステージで上位にガンガン食い込んでいる男。
そして―――『衣服』を集めていた者たちの一人。

358: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:22:01.395 ID:d3LUbuSf0.net
「―――君は、あの日……ゲティスバーグで」

馬から降りないまま、ジョニィは青色の瞳で、俺と、俺の愛車を順番に見た後、譫言の様な語調でそう呟いた。ゲティスバーグ……そうだ、俺が大統領に撃たれた時、こいつは俺のすぐそばに居たはずなんだよな。

「ああ、俺はあんたの顔は見ていなかったがな」

俺が、短くそう呟き返すと、ジョニィは、

「そうか―――『聖なる少女』は? 一緒じゃないのか?」

「話が早いな、ずいぶん」

苦笑しつつ、俺がそう漏らすと、ジョニィはそこでようやく、俺の愛車のサイドカーの上にハルヒが横たわっていることに気づいたらしい。

「彼女は―――そうか、Dioに……」

俺は、黙って頷き返す―――それにしても、こいつはハルヒ自身が、最後の『衣服』だってことを知っているようだが、何処で仕入れた情報なんだろうか。

「Dioやホット・パンツから聴いたのか? ハルヒの事を」

俺が、どうせ答えは返ってこないだろうと思いながら、そう訊ねかけると、

「いや、ヴァレンタイン大統領から聴いたよ」

え、ヴァレンタイン大統領?

360: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:23:10.452 ID:d3LUbuSf0.net
「そうだ。フィラデルフィアでな……そして、『この世界』のことも。―――ハッキリ言おう、僕は大統領の遺志を『受け継いで』ここまで来た。この世界を『定着』させるために、君から『聖なる少女』を奪う―――これから」

―――ちょっと待て、ジョニィたちと大統領は、睨み合っていたような仲じゃなかったか? それが何故いきなり、ジョニィが大統領の遺志を受け継いだ、なんて話になる? それに―――『世界を定着』ってなんだよ。

「知らないのか? 君は『聖なる少女』とともに、『聖なる世界』からやってきた者でいながら。この世界の成り立ちを。そしてこれから、この世界に起きようとしていることを」

ジョニィのその言葉を受け、俺は思いだした。ハルヒが―――まだ、Dioに攫われる前に、言いかけていたことが有ったことを。確か、この世界が、ハルヒの力と誰かの力が引き合って、どうのこうのというような話だったはずだ。

「……僕は大統領がしようとしていたことはどうでもいい。アメリカ国や民衆のこともな。しかし―――この世界を『消滅』させる事だけはさせないつもりだ」

ジョニィは、俺が話を飲み込んでいないことを分かっているのかどうか知らんが、構わず次から次へと言葉を放つ。俺はそれに何かを言い返そうとして―――ジョニィの眼に滾っている光の色に気づき、息を飲んだ。

362: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:24:02.228 ID:d3LUbuSf0.net
「たとえ何があっても、僕は『この世界』を『定着』させる。この―――僕とジャイロが生きて来た世界を」

執念にも近い意思の込められたその瞳には、どんな言葉も掛けづらく―――と、ジョニィがその人物を示す名前を口にしたことで、俺は初めて気付く。

「ジャイロ・ツェペリは……一緒じゃないのか?」

「ジャイロは、ここまでは来れなかった。衣服を手に入れた大統領が『作り出し』た『別世界』から、自分自身を連れてこられて―――死んだよ」

ヴァレンタインが……世界を作り出した? それが、ヴァレンタインの能力だったのか? もしそうだとしたら、それじゃまるで―――いや、待てよ。
そうか―――『だからハルヒの衣服だった』のか?

「ジャイロが死んだ後、僕は聴いたんだ。聖なる少女が『回帰』し、この『宇宙』から失われれば、世界は『消滅』すると。―――けれど、この世界の誰かが、衣服と、聖なる少女を『トリニティ教会』へ連れていく事ができれば」

俺の思考とは無関係に、ジョニィは言葉を紡ぎ続ける。

「その時、『この宇宙』は、『本当の意味での宇宙』になるそうだ。聖なる少女の力によって守られた、調和した宇宙に。大統領が死んだ今、それができるのは、僕しかいない」

世界が消滅する。
念仏のように聞こえるジョニィの言葉の中で、たった一つ、俺にとって心当たりのある文句があった。ハルヒが去年の春にやらかそうとした事だ―――自分で創造した世界へと鞍替えし、元いた世界を消滅させる。

363: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:25:01.851 ID:d3LUbuSf0.net
 そうか、つまり―――俺たちが元いた世界で、古泉や朝比奈さん、長門らが、世界の消滅―――崩壊を防ぐべく奮闘していたように、このジョニィ・ジョースターという男も、今、ハルヒを連れて行こうとしている―――世界のために。

「悪いが、僕は本気だ。君が僕の邪魔をするというのなら―――君を殺してでも、聖なる少女を連れていく。この世界には、その少女が必要なんだ」

―――ああ、そうかい。よく分かったよ、お前の言いたいことが……実際は半分も分かっちゃいないが、肝心なポイントだけは把握出来たんじゃないかと思う。つまり、ハルヒが元の世界に帰っちまったら、この世界が消えちまうって事なんだろ?
俺がジョニィに返すべき言葉は―――たった一つだ。

「俺も本気だ。お前にハルヒは渡さない」

たとえ、この世界にいるすべての人間が、ハルヒがこの世界に残ることを望んだとしても。ハルヒが望んでいたのは―――『元の世界へ帰る』ことだからさ。
こればっかりは―――譲れないんだ。

「…………わかった」

ゆっくりと―――手綱を握った手を開き、俺に指先を向けるジョニィ・ジョースター。俺は、愛車のグリップに手を伸ばし、強く―――強く、それを握りしめる。決して放さないように。
―――世界のために戦う者と、世界を消滅させるために戦う者か。これじゃ、俺がラスボスみたいだな。

「―――『爪(タスク)』ッ!」

「『シックス・センス・アドベンチャー』ッ!」

365: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:26:01.708 ID:d3LUbuSf0.net
 ジョニィが声を上げるとともに、俺に向けられた指先から、銃弾のような『何か』が迸った。それと時を同じくして、俺の声で呼び起こされた愛車が、雄叫びを上げるかのようにエンジン音を放つ。
まっすぐに向かってくる弾丸を、俺は、愛車を前進させることで、かろうじて回避した。空中で身を翻しながら、座席に跨り、アクセルをいななかせる。
ジョニィの能力は、よく分からんが、あの指先から弾丸らしきものを放つ能力のようだ。今はなんとか躱すことが出来たが、真正面からぶつかって、俺に勝機があるとは思えない―――もどかしいことにな。

「ぶっ飛ばすッ!」

今の『ぶっ飛ばす』は、ジョニィの野郎をって意味でなく―――愛車をニュージャージーに向かってぶっ飛ばすっていう方の『ぶっ飛ばす』だ。俺に出来るのは、精いっぱいの小細工を仕掛け、『逃げる』事のみ。

「『スロー・ダンサー』ッ!」

パァン。と、ジョニィが、手の中の鞭か何かを鳴らすと同時に、ジョニィを乗せた馬が大地を蹴り、北東へと駆けだした俺の事を追いかけて来始めたのが、ミラー越しに見て取れた。
ハルヒの体が、サイドカーから落ちていないことを確認すると、俺は、ポケットにねじ込まれていた例の物を取り出す。使い方がまだイマイチわからんが、武器と呼べるようなものは、これくらいしか持っていない。

「食らえッ! 『肉スプレー』だッ!」

366: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:27:15.758 ID:d3LUbuSf0.net
 ブジュウウ。俺は背後を振り返り、もはや親しみ深いものとなっちまった怪音を鳴らしながら、空中に肉の泡を振り撒いた。何処も狙わずにな。しかし、苦し紛れに放ったわりにその攻撃は有効で、

「くっ」

俺を追うジョニィは、馬の体に肉が付くのを避けたかったのか、その場でたたらを踏んだ。ホット・パンツのやつなら、この隙に腕を分離させて、馬上に潜ませるとか出来るのかもしれないが、俺には無理だ。多分。
ジョニィが一時停止したことで、距離が20mほど空いた。俺は、次なる小細工をどう仕掛けるか、周囲を見回しながら考える。実はもう『奥の手』は考えてあるんだが―――これは俺自身、どういう結果になるか分からないので、できれば避けたい。
と、いうか、俺はジョニィをどうすればいいって言うんだ? さっきの様子を見る限り、ジョニィをいくら説得しても効果は無いだろう。そりゃそうだ、自分も含めた世界が消滅する道を選ばせる説得なんて、古泉の口八丁でも不可能だ。
じゃあ、せめて無力化させる方法は、何があるか?
―――たとえばだが、あの馬を何とかすれば―――しかし、それはあまりにもどうなんだろうか。この世界に来てから、俺は誰かが他人の馬を攻撃する光景を、一度として見ていない。
さっきの肉スプレーは馬に食らわそうとした感じになっていたが、アレは車上の俺からでは、馬上のジョニィの高さを攻撃するのは、どうしたって難しいという事。
それと、放った攻撃がほとんど嫌がらせの様なものだった点を考慮して、ギリギリセーフという事にしておいてほしい。

367: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:28:08.047 ID:d3LUbuSf0.net
 じゃあ―――残る道は、一つしかない。ジョニィの馬を狙わず、説得もせず、ジョニィを『倒す』方法―――

「やるのか……俺が」

歯噛みしながら、愛車をドリフト気味に停車させ、敵を振り返る。肉スプレーの嫌がらせは案外効いたらしく、ジョニィはまだ間誤付いている―――しかし、『そんなこと』が、出来るのか? この俺に。

「……君がもし、僕を『殺せない』とか、そういうことを考えているなら」

不意に。ようやく肉スプレートラップから逃れたらしいジョニィが、停止している俺を見て、思い出したように口を開いた。

「もしもそうだとしたら―――君にはまだ、覚悟が足りないって事だ」

ジョニィは、俺の思考を見透かしたように、

「僕は、『もし君に殺されたとしてもかまわない』―――そういう覚悟を既にしている。だから『撃てる』……いくらでもな。『殺す』というのは、『そういうこと』だ」

覚悟? ―――俺は、自分の胸の内に、そういったものが転がっていないか、数秒かけて考えてみた。この場で、ジョニィに殺されてもいい覚悟?―――そんな物、あるわけねえだろ。この世界のプッツンした連中と一緒にしないでくれよ。

369: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:29:01.480 ID:d3LUbuSf0.net
「……そんなもんが無い俺には、お前を殺せないってか」

「そうだ」

ずいぶんと人をナメた態度とセリフだが―――その通りかもな。
そういやいつだか、ハルヒに言ったことがあったっけ。『命がなきゃ何にもならない』ってな。そうさ。俺たちは―――『五人揃って元の世界に帰る』ために、その為だけに、このプッツン世界を旅してきたんだ。
少なくとも、俺は―――この世界で、一度として、誰かに『勝ちたい』がために行動したことなんてない。ただ、あるべき場所へ帰るために必要なものを探し求めていた―――時には、それを他人から奪おうとしたこともあったけどさ。
そう―――俺は『勝利』なんて欲しくないんだ。この世界の連中、レースに出ている連中が、血眼になって欲しがっている、『勝利』なんてものは。ただ、この世界で野垂れ死んじまうなんて言う、『敗北』だけは、受け入れられなかった。
そして―――気が付いたらこうなっていた。
俺の目の前には、Dioだの、ホット・パンツだの、大統領だのが現れ―――勝ちたくなんてない俺たちを負かそうと、あの手この手で攻めてきて、その結果ハルヒは……
だって言うのに。この上、まだ俺たちを負かそうと……俺たちから奪おうとしているのが、目の前のこの男なんだ。
この男に負けちまったら、本当にすべてを奪われる。何もかもを。『負けないためには、勝つしかない』―――ハルヒが言ってたっけな。いつだか……忘れちまったけど、まだ、ハルヒが話せて、怒れて、笑えてた時の話だ。

370: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:30:01.603 ID:d3LUbuSf0.net
「……どうして泣くんだ? 敵である、僕を目の前にして」

ジョニィに訊ねられ、俺は初めて……今日何度目になるか分からないが、両眼から涙が溢れ出していることに気が付いた。俺は、こんなに泣き虫じゃあなかったはずなのにな。ただ―――何で、こんなことになっちまったんだと思ったんだ。

「お前が……最後なんだよな?」

俺が呟くと、15mほど離れた位置にいる馬上のジョニィが、少し眉を顰めた。俺は肉スプレーを握った腕の袖口で、目元の涙をぬぐい、

「お前が、最後で……その後はもう、『敵』なんてのは来ないんだよな?」

突然の俺の言葉に、ジョニィは本当に困惑しているらしく―――手綱を握る手をわずかに緩め、首を傾げた後、

「少なくとも―――Dioは死んだ。大統領もだ」

死んだ。ディエゴ・ブランドーと、ファニー・ヴァレンタイン大統領が。それはつまり―――長門や古泉、朝比奈さんたちが、それを『やった』って事なんだろう。つまり、アイツらにはジョニィが言う所の、『覚悟』があったんだな、きっと。
ここで俺が、勝つことを求めなかったら。『覚悟』をしなかったら、あいつらの決めた『覚悟』とか、場合によっては『犠牲』とか―――そんなものまで、意味がなくなってしまうって事だ。
だけど―――だけど。ハルヒが―――あいつが求めているのは、きっとそんな物じゃなくて、

371: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:31:02.783 ID:d3LUbuSf0.net
「―――ちくしょう……ちくしょぉッ! 行くぞ―――ジョニィ!」

分からなかった。俺には、何も。
だから、俺はせめて―――もし、『死後の世界』とかが有ったとして、そこにハルヒがいたとして、そこにいるアイツが悲しんだり、後から行った俺が、出会い頭にひっぱたかれたりするような選択だけは、したくないと思って。
だけど、それでも、俺には―――ハルヒをさし出すことなんて、できないから。俺は、止まらない涙で滲んだ視界の先―――ジョニィ・ジョースターがいる地点に向かって、アクセルを吹かし、猛突進した。
せめて―――ちゃんと狙えるように。ジョニィの弾丸が、ちゃんと、一発で終わってくれるように、

「『シックス・センス・アドベンチャー』ァ―――ッ!」

「―――ッ! 『スロー・ダンサー』ッ!」

俺の突進に、さすがのジョニィも焦ったらしい。何しろこのまま接触したら、ジョニィもそうだが、馬が無事じゃ済まないだろうからな。
ジョニィは、まっすぐに突っ込んで来る俺を、馬を斜めに前進させることで躱し、愛車に跨って移動する俺とすれ違いながら、

「『爪(タスク)』ッ!」

いらなかったんだ―――『勝利』なんて。

373: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:32:13.005 ID:d3LUbuSf0.net
 ウェカピポの馬から降りた、朝比奈みくるの目の前からは―――何もかもがなくなっていた。ヴァレンタインの姿が大地に落ちると同時に、その空間に群れを成していた『ヴァレンタインたち』の姿は、大地に吸い込まれるようにして消え去ってしまった。
そして、ヴァレンタインと同時に地に落ちたのは、ヴァレンタインともども、落雷に打たれた古泉一樹の肉体。そこから少し離れた場所に、ウェカピポの姿もあるが、古泉同様、腹部にあれほどの攻撃を受け、雨を受けた大地が染まるほどの血を流していれば―――

「うっ―――うううっ……うわあああッ……古泉く……ウェカピポさん……涼宮さ……わあああああ―――!」

朝比奈が、ぬかるんだ大地に顔を伏し、泥で汚れることもかまわずに泣き始めたのと、ほぼ時を同じくして、空を覆っていた雨雲は姿を消したのだが、それに気づくこともなく、朝比奈は泣き続けた。
何もかも―――何もかも。
何故、すべてがなくなってしまった後に、朝比奈は残されてしまったのだろう? ただ胸が痛いだけ―――誰もいないのに、誰かに助けてほしいだけ。この奇妙な世界の、誰もいなくなった大地の上で、ただ朝比奈が涙を流すだけ。

「うっ……うううっ……」

朝比奈の頭に思い浮かぶ名前は、もう、たった一つしかなかった。
『彼』に―――『彼』に会いたい。彼はきっと、朝比奈の目の前で起きたことを知って、傷つくだろうが―――それでも、彼に会いたい。この胸の痛みを、誰かと共有したい。

374: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:33:01.848 ID:d3LUbuSf0.net
 しかし、彼を追いかける術など、朝比奈には―――

「え……?」

不意に。朝比奈の突っ伏した泥の大地を伝って、何かが朝比奈に近づいてきていることを感じ、朝比奈は顔を上げた。
それはウェカピポの馬に乗せられている間に、嫌というほど耳にした、馬の蹄が泥の大地を打つ音のようだったが―――

「あっ―――」

周囲に視線を張り巡らせ、やがて朝比奈は気づいた。遠くから―――馬がやってくる。一頭の馬が―――その馬に、朝比奈は見覚えがあった。

「あれは、ホット・パンツさんの―――」

ホット・パンツの馬―――『ゲッツ・アップ』という名のつけられたその馬の事を、朝比奈はわずかに知っている。ゲティスバーグで、ホット・パンツと共に一夜を過ごした時に、彼女からその馬の話を聞いたのだ。
やがて、ゲッツ・アップは、数分の時間をかけて、朝比奈の目の前へとやってきた。朝比奈が目を奪われたのは、その口に咥えられていた『何か』―――その正体は、程なくして分かった。

「これは―――涼宮さんの、左靴……Dioさんの持っていた……」

375: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:34:01.636 ID:d3LUbuSf0.net
 ゲッツ・アップは、その言葉と同時に、首を低く下げた―――口に咥えた左靴を、朝比奈に手渡すかのように。一瞬躊躇った後で、それを受け取る朝比奈。

「そうだ―――『衣服』は。ヴァレンタイン大統領の持っていた衣服はッ!」

朝比奈は、ヴァレンタインの亡骸に視線を移す。『衣服』の力がヴァレンタインに味方をしていたというのなら、その衣服はこの場のどこかにあるはずだ―――ヴァレンタインが、衣服を身に着けていた様子はない。となると、

「この『列車』の中―――? あっ、左靴が―――」

古泉の攻撃を受けて起きたのであろう横転事故の現場を、朝比奈が振り返った瞬間、手の中の左靴が僅かに光を放ち始めた。引き合っているのだ―――衣服同士が。
朝比奈は、その光に導かれるままに、列車の先頭車両の横転した出入り口によじ登り―――ほどなくして、座席と座席の間に押し込められた大きな布袋を見つけ出した。

「涼宮さんの『衣服』が、ついに『揃っ』た―――これで!」

雨に濡れた石炭の奇妙なにおいが充満した空間から、布袋を引きずり出す朝比奈―――中を覗いてみると、そこには朝比奈にとっても馴染み深いデザインの、セーラー服やスカート―――
それに、ハルヒのトレードマークであるカチューシャや、ブルーのヘルメットなどが収められていた。

377: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:35:02.645 ID:d3LUbuSf0.net
 そして、それらはいずれも、僅かに光り輝いている―――『引力』が働いているのだ。すべての衣服を手にした朝比奈には、衣服が引っ張られてゆく方角が分かる―――北東。

「届けなきゃ―――キョン君に! そうすれば、きっと私たちは、元の世界に帰れる―――!」

それ以上躊躇う事はしなかった。衣服を抱きかかえた朝比奈は、二頭の馬をその場に残し、雨にぬかるんだ大地を駆け始めた。『彼』と、涼宮ハルヒの元へ向かって。

顔面からいき、口の中に泥がもろに入った俺は、しばらく大地の上で悶絶した。愛車の座席から弾き飛ばされた際に口の中を切ったらしく、そこには血の味までもが混じっている。
俺はどうなったんだ? ジョニィに向かって、何も考えずに突進して―――そうだ、確か、ジョニィが撃ったのは、

「……バイクの『タイヤ』を撃った。これ以上、君が動けないように」

378: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:36:01.685 ID:d3LUbuSf0.net
 ぶるる。と、馬が息をつく音とともに聴こえた、ジョニィの声。どうやら、大地にうつぶせに投げ出されたらしい俺は、体を起こし、状況を把握しようとする―――
泥の地面の上に、愛車が横転している。サイドカーのある側を上にして。
そして、僅かに離れた場所に、ハルヒが―――俺のかけてやったマントと共に、泥にまみれて横たわっていた。俺も大概泥まみれだったが、慌てて体を起こし、地に伏したハルヒへと駆け寄り、頬に付着した泥を拭ってやる。

「……どうして、俺を撃たなかったんだ」

数秒の沈黙の後、俺は、10mほど離れた位置から俺とハルヒを眺めていたジョニィに、そう訊ねかける。するとジョニィは、少し諦めたような表情で、

「これからいくらでも撃てるさ―――君が、僕に聖なる少女をさし出さないというのなら」

そう言って、俺の目の前で馬から降り始める。こいつは脚が動かないはずじゃなかったのか―――などと、俺が考えていると、ジョニィは俺に一瞬だけ視線を送った後、

「君は『聖なる世界』から来た。『聖なるもの』を撃とうとしたのは、今が初めてだ―――だから、まずはそのバイクで試した、それだけさ」

そう言って―――左手を馬の胴体に当ててバランスをとったまま、自らの足を大地に着け、再び俺に指先を突き付ける。

「最後に訊かせてもらう。君は、これでもまだ、その聖なる少女を『さし出』さないか?」

379: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:37:02.331 ID:d3LUbuSf0.net
 やや高めだった声色を、これまでよりもわずかに低いものへと変え、ジョニィは言った。
ハルヒをさし出す、か―――それができりゃ、話は早いんだろうけどな。俺が黙って首を横に振り、ハルヒの体を強く抱えなおすと、ジョニィは―――遠い遠い、果てしなく遠い場所を飛ぶ、鳥を見つめるような瞳をして、

「君には君の事情がある―――よく分かった。悪いけど、僕は僕の決めた道を進む―――君とはこれで、さようならだ」

大地にべしゃっと座ったままの俺。その腕の中のハルヒ。馬の脇から、俺の体に指先を向ける、ジョニィ・ジョースター。聴こえるのは、さざ波と風の音。時々、鳥の声―――。

「ああ」

俺が短く、言葉を発しながら頷くと、ジョニィもそれに頷き返してきた―――さようならだ。この世界と。
奇妙で、恐ろしくて、不気味で、不思議で、えげつなくて―――
けど、わずかにだけど、幸せや、楽しみもあったこの世界から、俺はいなくなるんだ。これから、わずかな時間が経った後で。本当に―――何でこんなことになっちまったんだかな。

381: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:38:01.960 ID:d3LUbuSf0.net
「君は、これまで僕が出会ってきた、誰よりも……弱いようで、強いようで―――うまく言えないやつだな」

ジョニィがぽつりと、そんなことを口にする。
てっきり、銃声が真っ先に来るもんだと思って、来るであろう痛みだとか、死への恐怖だとかを、胸の内でこねくり回していた俺は意表を突かれた。いつの間にか閉じていた瞼を開け、ジョニィを見る。

「でも―――おそらく『強い』……今この状況で、そんな『微笑み』を浮かべられるというのは……君のいる世界では、それが『強さ』だったんだろう」

え、今、俺、笑ってた?
強い、か―――それは前に、ホット・パンツにも言われたっけな。

「そうだと、少しうれしいかもな」

そう言って、再び目を閉じようとした俺に、ジョニィが続けて、

「『名前』を聴かせてくれ。名前も知らない相手を撃つのは―――そう気が引ける事でもないんだが、なぜか今だけは、君の『名前』が知りたい」

名前、ねえ。

「ジョン・スミスとでも呼んでくれ」

382: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:39:01.880 ID:d3LUbuSf0.net
「そうか。知ってるだろうけど、僕はジョナサン・ジョースター……愛称はジョニィ―――さようなら、ジョン・スミス」

そこまで言って、ようやく俺に、目を閉じることを許すジョニィ。ああ、言われてみれば―――俺は今、微笑みを浮かべているようだ。
さあ、さっさと済ませてくれよ。俺は今度こそ、『死』がやってくるのを待ち始めた―――不思議だが、案外悪い気がしないんだ、これが。
俺に出来ることは―――やったしな。

「…………」

沈黙―――俺には、何処までも長く感じられる沈黙を、やがて、破ったのは、

「…………ジョン、スミスが―――いるの?」

383: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:40:01.658 ID:d3LUbuSf0.net
 もし、『奇跡』というものがあったら、と、考えたことがある。
そんなの、誰だって一度くらいはあるだろうって話なんだが―――俺はその時、とてつもなく切実に『奇跡』が起きることを願ったんだよ。
あれは、俺の妹が―――シャミセンとかが来るよりもっと昔に、子猫を連れて家に帰って来た時だ。連れて、と言っても、その子猫はもう―――

「―――カラスにやられたんだ。きっと親猫のところから離れちまったんだな……高いところからウッカリ落とされて、もう死んじまってる」

妹は泣いたよ。高らかに。今よりももっと甲高かった声で、それはもう―――泣かれすぎて、俺は途中から苛立ちすら覚えていたけど、今思えば、やっぱり子猫は可哀そうで―――
奇跡でもなんでも起きればいいと思った。死んだ生き物が動き出しちゃいけないなんて決まり、何処のバカが作ったんだって本気で思ったんだ。けど―――死んだ生き物が動かないのは、やっぱり当たり前で、

「うわああああ―――ん!」

こんな小さな俺の妹が、どうしてそんな『現実』を突きつけられて、絶望しなきゃならないのか―――心底理不尽に思った。この世界を『司っ』てる奴なんかがいるんなら、そいつを殴り飛ばしてやりたいと思った―――。

385: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:41:01.646 ID:d3LUbuSf0.net
 なのに、どうして。
あの時は起きなかった『奇跡』が―――今、俺の目の前で起きようとしているんだろう。これじゃ、あの日の妹に申し訳なくなっちまうじゃないか。

「ジョン・スミスが―――いるのね、そこに……今行くって……伝えてちょうだい」

そう、妹に申し訳ないけど―――それでも、やっぱり俺はうれしくて、また新しい涙が出てきて―――止まらなくて。
もしかして、このプッツン世界になら『奇跡』だってあるって話で、それなら、あの日の妹を……あの日死んじまった、あの子猫と一緒に、この世界に連れてきてやりたいとか、そんなことを思っていて―――
訳が分からないけど、気が付いたら、俺は、その『名前』を呼んでいた。腕の中で、たった今言葉を発した、そいつの体を、強く強く抱きしめながら。
俺が、この世界で―――いや、たとえどの世界に行こうと、一番好きなんであろう、その『名前』を。

「ハルヒ……ハルヒ―――ハルヒぃっ!」

ハルヒは、たった今、南極の氷をブチ割って這い出してきたみたいに冷たい身体をしていたが、それでも瞼を開き、俺の眼をまっすぐに見つめながら、

「―――キョン? ……ジョン、スミスは……? いや、今分かったわ……あなたがそうだったのね……キョン……」

387: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:42:15.884 ID:d3LUbuSf0.net
「そのコ……生きていたのか? いや、僕の眼にも死んでいたように見えた―――しかし」

ジョニィが何か言っているんだが、正直、それを気にする余裕はなかった。だって―――ハルヒが、蘇ったんだ。確かに止まってた心臓が、また動いている。呼吸もしている。

「……ジョニィ・ジョースターもいるのね……大体……わかったわ」

その言葉と同時に、俺の腕の中でガックリとしていたハルヒの体に、急に力が入った。身体を持ち上げ、足を大地に着け、立ちあがろうとしていようだ。慌てて俺はそれを助ける……肩を貸してやろうとしたら、何故かペシっと脇腹を叩かれたけど。

「……ヴァレンタイン大統領が死んだのね……だから、かな。多分だけど―――この世界は、私に『傾いた』んだわ」

そのあたりで、俺はようやくハルヒの口にしている言葉の内容に意識が向いた。そうか、ジョン・スミスって言葉は、コイツのいろんなものを呼び起こしちまう禁句だったんだが……いつかの冬のように、この世界ではそれが『鍵』となって―――

「正直言って、まだ整理がついてないけど……頭の中がね。でも、いまするべきことは分かった」

慌てだした俺の思考をよそに、ハルヒは、俺と、ジョニィと、大地に横たわる愛車を見比べ、

388: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:43:31.598 ID:d3LUbuSf0.net
「ジョニィ・ジョースター。とりあえず、あんた罰金。百万ドルね。私の運転手の愛車をパンクさせて、横転させるなんて、許されないことだわ」

と、およそこの状況で、一番優先すべきではない事象に視線を注ぎ、その事故が発生した原因である男をビシィっと指さしながらそう言い放った。
ジョニィは―――多分、俺より現状が理解できていないであろうその男は、そこでようやく、俺に向けていた指先を下ろした。うわ、今まで攻撃態勢だったのかよ。

「君たちの言っていることはわからない……しかし、どうも君は今、『復活』したみたいだな……さっきまで身体に力が入ってなかったのに。そして、今僕がやったことを咎めているのか……」

復活―――その単語で、俺は欧米では一般的であるという、日本人の俺にはあまり馴染みの深くない行事を連想した。のだが、そんなこととは全く無関係に、ハルヒは、

「咎めるに決まっているじゃない。キョンまで……いや、私の身体まで泥だらけじゃないのよ。クリーニング代は別に請求するから、お金を工面する方法、考えておきなさい」

と、そこまで矢継ぎ早に言葉を紡いだ後、何かを考える様に黙り込み、

390: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:45:01.805 ID:d3LUbuSf0.net
「―――ま、いいわ。どうせあなたはこれから『ミリオンダラー』になるんだしね」

と、今度はよく分からんことを言い始めた。ミリオンダラー? 大金持ちって事か?

「何から話したらいいかしら―――とりあえず、キョン、この世界の事は少しは理解できた? ジョニィの話で」

ジョニィの話……さっき聞いた、世界が定着するとか、消滅するとかっていう話の事なのか。その話をしてた時、ハルヒは意識がなかったわけだが―――とりあえず今はその点に突っ込むのはやめ、

「いや……ほとんど……つーか、全然」

「でしょうね」

ハルヒは何かを考える様に、こめかみに指をあて―――

「この世界は、私とヴァレンタイン大統領の能力が、爆発を起こして生まれた。そこまでは話したわよね、私が。覚えてる?」

Dioに攻撃される直前にしていた話の事なら、辛うじて覚えがあるが、その意味を飲み込めたかというと、それほど飲み込めてもいない。何しろ、あれから怒涛の如く時が流れ、気が付いたら今に至るって展開だったんだ。

391: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:46:32.931 ID:d3LUbuSf0.net
「この世界の『源』は、その爆発によって発生した『光』のようなものなのよ。私とヴァレンタイン大統領の力は、引き寄せ合い、一瞬ぶつかり、また離れて行った。その二つの力っていうのが、ヴァレンタインの言う基本世界と、私たちのいた世界のことなの」

爆発。火だの煙だののあれを想像していていいんだろうか。俺はとりあえず、記憶の引き出しの中に突っ込まれていた、ありがちな『爆発』を脳裏に浮かべた。導火線に火が付き、火薬まで至り、直後に爆発。煙が出て、火がはじけ、

「『光』が発生する。その光に、世界が『映し出され』た。それは、自身の能力をよりよく理解していた、ヴァレンタイン大統領側の……つまり、『基本世界』の形を強く映し出し、そこに、もう反対側にいた私たちが映りこんだ」

つまり……なんだ。よく分からんが、写真のフラッシュみたいなものか?

「あ、あんたにしてはいいこと言ったわね。そう、写真よ。この世界は、大統領のいた『基本世界』が、一瞬、私の能力と重なって生じた『光』に映し出された、写真のような世界……いや、世界を映し出した瞬間の、『光そのもの』なの。わかるかしら?」

ハルヒは、大分俺の脳みそに歩み寄った言葉を選んでくれているんだが……そもそも俺はヴァレンタインの能力もろくに理解していないし、基本世界とやらも今初めて聞いた。故に、ピンと来るところがない。

393: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:48:01.715 ID:d3LUbuSf0.net
「一瞬の『光』……そうか、だからこの世界の大統領の能力には」

「『隣の世界』がない。そういう事よ、ジョニィ。そもそも、この現象で発生した光が、たとえどんなに小さな力でも、『世界』の形を保っていることがおかしいことなの。―――その原因は、『元の世界』にいた、私の力が働いたから」

俺には分からない何かを、ジョニィは理解したらしい。ヴァレンタインの能力については、さっきも言ったが珍紛漢紛以前にろくな予備知識がないので、とりあえず俺は黙っておくことにする。

「私の『世界を作り出す力』が、その『光』に反応して、無意識に―――そもそも意図的にやったことはなかったんけど、とにかく無意識に、その光の映し出した光景を、『世界』として『作り出し』てしまった」

この辺りで、やっと俺の知っている単語が出て来た。要するに―――この世界は、ハルヒが作った世界なんだ、っていう初日に考えた俺の予想が、丸ごと当たってたって事だろう? しかし、何でそんな面倒くさいことをわざわざ?

「言ってるでしょ、無意識にって。私の力が、急に起きた爆発に、びっくりして作っちゃったのよ。そして、その際に生じたこの世界を、世界の形に保とうとして、自分の力の一部を紛れ込ませた。―――無意識によ?」

395: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:49:32.272 ID:d3LUbuSf0.net
 びっくりしてって……ま、ハルヒが無意識にどえらいことをやらかすのは、今に始まったことじゃないがな。

「だから、この世界では私の衣服、そして私自身が強い力を持っている。この世界を世界の形に保っているのが、私の力なのよ。私から離れれば、この世界は―――消滅するでしょうね」

「……無責任すぎる」

と、ジョニィが頭を押さえながら、呟くほどの音量で言った。確かに―――無責任だ。この世界は以前ハルヒの作った新世界とは違って……命があって、人がいて、営みがある。
たとえハルヒの能力から生じたものだとしても、ジョニィや、ホット・パンツのような、この世界の人々には、ハルヒが世界から離れることを容認できるとは―――

「わかってるわ。だから―――私は、残ることにするわ、キョン」

――――――何だって?

「私は、自分の起こしちゃったことの責任を取る。この世界に残るのよ、世界を秩序立てる、力の源として」

ハルヒは―――一体、何を言っているんだ?

400: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:51:02.416 ID:d3LUbuSf0.net
「救い、だったのがね。私が、涼宮ハルヒ自身じゃなくて、涼宮ハルヒの『力の一部』だったことよ。さっき言ったでしょ、涼宮ハルヒの力の一部が、この世界に紛れ込んじゃったって」

俺の思考が追い付いていないことなど構う様子もなく、ハルヒは淡々と言葉を紡ぐ。ジョニィが何かを言おうとしたが、それを遮ってまでハルヒは、

「つまり、『涼宮ハルヒ』は、まだ元の世界にいるの。正確には、『爆発』が起きた瞬間から、元の世界は『凍結』されている―――この状態なら、きっと、私の力を僅かに含んでいる、あんたたち四人が『回帰』すれば、世界はまた動き出すわ」

ちょっと待ってくれ、つまり―――俺の目の前にいるお前は、ハルヒじゃない。そう言いたいのか?

「そう……ハルヒの分身、力の欠片。それが、私なの。ついさっき、ヴァレンタイン大統領が死ぬまで、それは分からなかったけどね」

と、自分の力の至らなさに、苦笑するような表情を作るハルヒ―――いや、ハルヒじゃない?

「そんな訳あるか―――だって、お前は現に、今日まで俺と―――俺と、朝比奈さんと……」

「……安全装置が働いたのよ。『爆発』の瞬間、『涼宮ハルヒ』は、自分の力の一部を切り離すことで、まるごと引き込まれることを免れたっていうこと」

そんな―――ことが。

401: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:53:03.308 ID:d3LUbuSf0.net
「……本当なら、私の『力の一部』は、『衣服』のみの姿で、この世界に紛れ込んだはずだった。それでも、この世界を維持するっていう条件は満たせたはず。でも、『引力』があんたたちをも引っ張りこんだから。みんなの『私』のイメージが、私を『象っ』てくれたのよ」

象った―――俺たちが、俺たちの知るハルヒの姿に、ハルヒの力の一部とやらを形作ったって言いたいのか?

「そう。だから、私をこの世界に『作っ』てくれたのは、あんたたちなの。」

「だって、そんなことをしなくたって……つーか、そもそも俺たちはどうして、この世界に―――」

「『引力』なのよ。あなたたちが、この世界に引っ張られたのも、私がこの『姿』でこの世界に来たのも。すべて、引力に導かれるがままに、だったってわけ」

そこで一つ、息をつくと、ハルヒは大西洋の果てへと視線を移し、

「もし、そこに、意図的な『理由』があるとしたら、多分、涼宮ハルヒは、爆発によって、元の世界が『凍結』されるのを感じ取った。それで、あんたたちをこの世界に『避難』させたんだと思う……無意識に」

凍結―――避難。

「そう。あんたたちがいる世界が、そのまま『凍結』されたら、それを『再始動』させる人が、誰もいなくなっちゃうでしょ? だから……なのよ、きっと」

403: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:54:24.081 ID:d3LUbuSf0.net
 そう言って、ハルヒは微笑んだのだが―――その微笑みに向かって、俺は言った。

「だったら、お前も、帰ればいい。俺たちと一緒に、帰ればいいだろ。俺たちがいた、凍結された元の世界とやらに。そして、『再始動』させれば―――それも、不可能なことじゃないんだろ?」

「……言ったでしょ。私は、『責任を取る』って」

ハルヒがそう囁くと同時に、俺の周りのすべてのものが止まった気がした。動かない。風も吹かない、海も鳴らない。もちろん、俺の身体も、口も、ジョニィのそれらも、決して動こうとしない……『音』がない。

「私は、この世界を『作り出』してしまったんだから。その、『責任を取る』のよ」

「だって―――」

お前の他に、『涼宮ハルヒ』がいて。そのハルヒが元の世界にいることも分かったさ。けど……だけど、今、俺の目の前にいる『お前』は、ここにしかいないって、そういう事じゃないのかよ。
だったら、俺がこの世界に来てからお前と培ったものは―――そういう、すべてのものは、

「……大丈夫」

ハルヒは、そう呟いた後で、ただ、微笑みを浮かべたまま、俺に、僅かに近寄って来たんだ。少しだけ唇を窄めて。そして、小鳥のくちばしのような唇の中心を―――ほんの一瞬だけ、俺の唇に、触れさせたんだ。

404: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:55:55.618 ID:d3LUbuSf0.net
「これで、あんたの事を忘れない。あんたの象ってくれた……生かしてくれた私は、ずっと、『ここ』にいるから」

いつの間に、俺はまた泣き出していたんだろう。いや、泣き止むタイミングもなく、ただ泣き続けていただけの事なのかもしれない。
ハルヒは、その、宝石よりもずっと綺麗な瞳から、まるで、この宇宙に浮かぶ、すべての世界を照らす『光の粒』のような涙を零しながら、

「これで、あんたを……忘れずにッ……この世界で、生きられるから」

そう言って、俺の体を強く抱きしめたんだ。まるで、そう―――俺の愛車の後ろに跨った時みたいに。そして、その身体の暖かさで、俺は思い出したんだ。
ハルヒがこうして俺に暖かさをくれるときは、いつも決まって―――こいつは、『本気』なんだっていう事を。

「……ジョン・スミス、涼宮ハルヒ」

気が遠くなるほど長い間、俺とハルヒは、そうしていた気がする。やがて、ジョニィの声がそれを遮った。ジョニィが言いたいことは分かってるよ、さすがの俺でも。何しろ、ハルヒ本人がこう言っちまってるんだから、抗いようがない。
俺はすべてをハルヒに任せ、ハルヒが口を開く瞬間を待った。ハルヒは、俺が何も言うつもりがないという事を察すると、

406: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:57:02.628 ID:d3LUbuSf0.net
「―――勘違いしないでね、ジョニィ・ジョースター。あんたには、私を手に入れるだけの代償を払ってもらうから」

俺の身体から腕を放したハルヒは、もう、俺の顔面には目もくれず、その視線と指先をジョニィに向け、

「あんたはこれから、誰より早く『トリニティ教会』に行くのよ。このスティール・ボール・ランレースのゴール地点へ―――私をのせて『優勝』ッ!」

「それは分かって―――って、君をのせて!?」

「当たり前じゃない。『聖なる少女』が、『聖なる衣服』と共に、『トリニティ教会』へとたどり着いた時。その時、この世界の命運が決まるのよッ! こんな風にグダグダしてる時間なんてないのよ、本来」

その言葉を受けたジョニィは、戸惑いと、そして僅かに、申し訳ない。といったような色の秘められた視線を俺に向け、そして、

「―――ああ、僕は行くよ。彼女を連れて、このレースの終着地へと」

俺は―――その言葉に、ただ頷くことしかできなかった。そう、弱かったんだ、俺は。
たったひとり、ハルヒの決めた道を、その場で説得するっていう手段を持っていながら、その道すら選べないほどにさ。
と、その時、

407: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 20:58:42.266 ID:d3LUbuSf0.net
「涼宮さぁーん! キョンくぅーん!」

少し離れた場所から、馴染みの深い、鈴の音に似た声が聴こえて来た。俺がフィラデルフィアの町に置き去りにしてしまった朝比奈さんが、俺たちの元へと追いついたのだ。

「みくるちゃん―――衣服を持ってきてくれたのね」

「は、はぁーい……はあ……よかった、涼宮さん、無事、だったんですね……」

荒く息をつきながら、朝比奈さんは、抱え込んでいた布袋をハルヒと俺、どちらに渡したものかと迷った後、そこでようやくジョニィの存在に気づき、

「あ、えっと……こ、これは、涼宮さんの衣服とかじゃなくてッ、その……」

と、しどろもどろし始めた。朝比奈さんなりに現状を誤魔化そうとしているようだが、正直あんまり効果は期待できない。

「大丈夫よ、みくるちゃん。衣服は私が受け取るから。ジョニィも了解済みよ」

ハルヒがそう言うと、朝比奈は安心したように表情を和らげ、ハルヒに、腕の中の布袋を手渡した、その瞬間、ぱぁっ。と、ハルヒの体が光を発し始める。

「揃った―――『聖なるもの』が」

光り輝くハルヒの姿を、尊いものを見るような表情で強く見つめながら、ジョニィが呟いた。そして次の瞬間、その光が止んだかと思うと、

409: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:00:05.875 ID:d3LUbuSf0.net
「―――よしっ!」

ハルヒの腕の中からは、その布袋は消え去っていて―――ハルヒの体は、俺にとってずいぶん懐かしいものとなった、あの『セーラー服』に包まれていた。カチューシャだってちゃんと着けてる。おお、懐かしいな、それ。おまけに、例のSOSヘルメットまで小脇に抱えている。

「これで、『私』は完成したわ。―――ジョニィ、行きましょう。さっきも言ったけど、こんなところで間誤付いてる暇はないんだからね」

真・ハルヒが、呆然とそれを見つめていたジョニィに向き直り、そう言い放つ。ジョニィは、二秒ほどたっぷりと無言で、ハルヒを見つめた後、

「そうだな。もうニュージャージーまですぐだ……今にレース選手たちも集まってくる。行こうか、聖なる……いや、『涼宮ハルヒ』」

ジョニィの言葉に、朝比奈さんが眉毛をハの字にし、

「えっ、涼宮さん、えっと、行くって、何処へ?」

「ん、ちょっとね。―――大丈夫よ、みくるちゃん。あなたたちを、元の世界に返すために、ちょっと寄らなきゃいけないところがあるだけ」

410: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:01:02.293 ID:d3LUbuSf0.net
 戸惑う朝比奈さんに、笑顔でお茶を濁すハルヒ。―――朝比奈さんには、言わない方がいいって事なんだろうか? ここにいるハルヒが、ハルヒ本体じゃないって事や―――ハルヒがこの世界に残るってことを。
俺は、ジョニィに手伝われながら、なんとか馬に乗ろうとしているハルヒの背中に、何か言葉をかけようとして―――だけど、どんな言葉をかければいいかまるで分らなかったから、黙ってそれを見つめていた。
と、不意に。

「へ……はえっ!?」

傍らの朝比奈さんが声を上げた―――視線を朝比奈さんに向けると、なんだ、こりゃ。朝比奈さんの体が、さっきのハルヒのように光り輝いている―――そして、次の瞬間、

「は、ハルヒ―――朝比奈さんが消えちまった」

「大丈夫よ。『回帰』が始まっただけ。あんたたちが、元の世界に戻り始めてるのよ―――有希と古泉君も、すでに『回帰』した。残るは、あんただけよ」

戸惑う俺に、ようやく馬に跨り終えたハルヒが言葉をかけてくる。そうか、本当に―――俺たちがずっと願っていた、『元の世界に帰る』っていう目標が叶おうとしているんだ。

411: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:02:05.379 ID:d3LUbuSf0.net
 そして、ハルヒが俺じゃない誰かの後ろに乗って、俺の元から去ってゆく瞬間もまた、目の前まで近づいている。もう二度と、目の前にいる『このハルヒ』には会えなくなる……そんな瞬間が。

「キョン……忘れないで。私は―――あんたが象ってくれた私は、この世界で、生きている」

と、朝比奈さんが消え去った後、ジョニィが馬を出す直前に、馬上のハルヒが俺に囁いた。こんな時になっても、やっぱり俺は、何を言ったらいいか皆目分からない。
別れを告げるのも、礼を言うのも、謝るのも、どれを選んでも、俺はまた、ぐしゃぐしゃになるまで泣いちまいそうな気がして―――
そんな風に逡巡していたら、ハルヒは僅かに目を潤ませながら、

「あの日は言えなかったけど、今なら言える。今日まで……『ありがとう』。あんたのおかげで、私はここまで来られた。そして、これから、生きて行けるの。だから―――」

413: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:03:04.464 ID:d3LUbuSf0.net
 結局、その言葉のそこから先を聴くことはできなかった。ハルヒがそこで言葉を切り上げ、ジョニィに発進の合図を送ったからだ。少し戸惑った後で、ジョニィはその合図に従って、馬を発進させた。―――北東へ向かって。
そして、俺は―――ただ、俺は、ジョニィの後ろに乗って、遠ざかってゆく『涼宮ハルヒ』を見つめていた。本当に、見えなくなるまで、ただ見つめていたんだ。
たった一人で、いつまでも。

不思議だったのが―――朝比奈さんや、長門、古泉に至るまで、あの世界での記憶をまるで持っていないという所だった。
それが、あの世界に残ったハルヒが意図的にそうしたのか、ただの偶然の産物なのかは分からないが、俺はそれでいいんじゃないかと思った。
朝比奈さんはまだしも、長門や古泉に、あのプッツン世界で暴れた記憶を持っていてほしいだなんて、俺は思わない。
一緒に旅をした朝比奈さんが、それを丸ごと忘れてるってのは、ちょっと寂しかったけどさ。

414: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:04:28.658 ID:d3LUbuSf0.net
 そうして―――現代の日本、九月初旬の世界に帰ってきた俺は、納車したばかりの愛車が、いつの間にかパンクしているという謎の現象に見舞われ、納車してから一週間が経った昨日、ようやく愛車に跨ることが出来た―――この世界で。
わかっちゃいたことだが、あの世界で培った運転技術なんてのは、現代の公道では大して役に立たないものだった。この世界には法定速度があり、一方通行があり、交通標識がある。1890年のアメリカの野道には、そんなものなかったからな。
『クマ注意』の標識ならロッキー山脈にあったけど。

「近頃、あなたは少し変わりましたね」

不意に。俺と向かい合って、碁盤を睨みつけていた古泉が、顔を上げ、俺にそんなことを囁きかけて来た。
変わった、か―――そりゃそうだろ。二か月以上掛けて、アメリカ大陸をほぼ横断した経験のある日本人男子高校生なんて、世界広しと言えども俺ぐらいだろうからさ。マッキーノの寒気だって、アリゾナの熱気だって知っている。
しかし、それを目の前の男に言ってもおそらく通じないと判断した俺は、

「そうかもな、いろいろあったんだよ」

「ふむ?」

416: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:05:17.685 ID:d3LUbuSf0.net
 俺の適当なレスポンスに、古泉は何を思ったのか知らんが、とりあえずその話をそれ以上続ける気はないらしく、再び、頭の中を次の一手のことでいっぱいにしたようだった。

「私もそう思います。キョン君、なんだか大人になったなあって。免許を取ったせいなのかな?」

と、一度は切り上げられた短い会話を拾い上げ、真夏だってのに編み物をしていた朝比奈さんがそんなことを言う。
すると、一度は碁盤へと意識を戻した古泉が、ワルノリで、

「涼宮さんとの間に、なにやら喜ばしいことでもあったのでは?」

何でそこでハルヒが出て来るんだ―――と、思ったのだが。あながち間違ってもいないな。あの世界で俺の身に起きた出来事は、すべて、ハルヒとともにあった。言うなら、あの世界に残った、ハルヒの分身と共に歩んだ『物語』だったんだ。
何しろ、ようやく愛車に跨れた昨日、俺は背後にハルヒが乗っていないと落ち着かないな、なんて考えたくらいだったからな。サイドカーもついてないし。
俺は、あの世界で、あのハルヒと共に、いろんなものを培った―――言い合ったり、助け合ったり、叩き合ったり、照れ合ったり、疲れ合ったり、笑い合ったり。

417: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:06:11.784 ID:d3LUbuSf0.net
 だけど―――それは、俺の記憶の中にしかない。それを寂しいと思うのは、仕方ないことだと思わないか?

「……別に何も」

すこし考えた後、俺が古泉の囁きに返答しようとした―――のと同時に、バァン。と、ドアをひっぱたく様に開ける音が部室内に響き渡った。当然、入ってきたのは、

「やっほー!」

なにやら、資料―――古新聞やらなにやらを抱えた我らが団長が、部室内に飛び込んできたのだ。当然、俺と古泉の会話はそこで切り上げられる。別に、これ以上続けたい内容じゃなかったから、構わないけどな。

「今度は何を持ってきた?」

頭を掻きながら、俺が訊ねると、ハルヒは、

「バイクの歴史の資料」

お前はバイクについて卒業論文でも書くつもりなのか、六年ぐらいの時を飛び越えて。
ハルヒは、苦笑する俺を無視し、以前、バイクのカタログやらをそうしたように、俺と古泉の着いている長机の上にそれを無造作に放り投げると、団長席へと駆け寄り、パソコンの電源を入れた。

418: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:07:13.411 ID:d3LUbuSf0.net
 何の気はなしに。本当に何気なく、俺はその無造作に積まれた資料の中から、一つ、冊子を手に取って、その紙面に目を落とし―――そして、愕然とした。

「……ハルヒ、お前、これ」

「ああ、それ? 何か、昔アメリカであったレースの記録よ。あんまりバイクと関係ないんだけど、そのレースと同じころに、当時じゃ考えられない機能のバイクが走ってたっていう記述があったから、一応持ってきた」

「何か興味深いものでも?」

古泉が俺にそう訊ねかけて来たんだが、それを無視し、俺はその冊子のページを捲った―――俺の視力に問題がなければ、その冊子の表紙にはこう書かれていた。『スティール・ボール・ランレース全記録』と。

「結構奇妙よね。私ね、そのバイクは、タイムスリップした未来人が乗ってきた、タイムマシンの一種なんじゃないかと思うのよ」

タイムマシン。あながち間違っていないかもしれない。だって、この冊子に書かれていることが本当だったななら、『あの世界』は、『この世界』と……? それじゃあつまり、あの『ハルヒ』は、俺たちが今いる、『この世界』で―――

419: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:08:04.869 ID:d3LUbuSf0.net
 そこまで考えた後、俺はあの世界での記憶の最後の部分が、エイスステージの途中で終わってしまっていたことを思い出し、レース全記録のページの最後の方を探った。そして―――数秒後、『それ』を見つけ、またもや言葉を失った。

「優勝……『ジョニィ・ジョースター』……」

あいつは―――ハルヒを乗せて、俺の元から去り、マンハッタンを目指して駆けて行った、あの男は―――本当に優勝しやがったんだ。
名前の横には写真まで乗っている。多くのマイクを突き付けられながら、誇らしげに笑う、あのジョニィの姿がそこに写されている。
そして、そいつは、まるで見せびらかすように、小脇に抱えていた―――人の頭よりもわずかに大きいほどの『ヘルメット』を。

「おや……そのメットは、涼宮さんのものと似ていますね」

俺の向かいから紙面をのぞき込んだ古泉が、不思議そうに呟く。無理はない。だって、カラー写真でこそないものの、そこに載っているヘルメットは、『衣服』のうちの一つでもあったらしい、あのハルヒのヘルメットと同じ光を放っていて、

「あ、本当だ、『SOS』って書いてありますよ、涼宮さん」

421: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:09:01.622 ID:d3LUbuSf0.net
 と、俺の背後から紙面を覗き込んだ朝比奈さんの言葉に、ハルヒが、何か面白そうなものを見つけた時の顔になり、

「何、何、見せて!」

溌剌とした声を上げながら、席を立ち、俺のそばと駆け寄って来たもんだから―――ただ、目が潤んじまっていることをバレないようにするのが大変だったさ。

SUZUMIYA BALL RUN 完

423: ◆2oxvcbSfnDfA 2017/05/27 21:10:22.899 ID:d3LUbuSf0.net
終わり
保守支援に感謝
ヒガシガタには陳謝
SSは豚足食いながら投下するもんじゃないと思った
427: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2017/05/27 21:42:57.917 ID:ziSR70dR0.net
両作品好きなのがよくわかって面白かった
428: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2017/05/27 22:16:01.423 ID:LbIxhiOv0.net
ハルヒの方は知らなかったけど面白かったわ
429: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2017/05/27 22:54:46.515 ID:rLb/eyUyd.net
面白かったよ


元スレ
タイトル:ハルヒ「スティール・ボール・ラン?」
URL:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1495783718/
掲載サイト:2ch.scに投稿されたスレッドの紹介です

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