男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】 | SSマンション-SSのまとめブログ-

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男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】

その他

1: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 20:00:48.85 ID:1bqYoAB70
書き溜めなし、安価有、地の文有。

思いつきのみで形成されております。

ゆるくまったり進めていけたらと思いますので、お付き合いの程をよしなに。 

 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509966048


2: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 20:05:38.82 ID:1bqYoAB70
浮気調査、動物探し、盗聴器ハント、簡易的な身辺保護。

平々凡々な探偵業をこなしていると、しがない依頼しか大抵は来ないものだ。

自分の掲げていた理想のハードボイルドと呼ぶには程遠い。

まだサラリーマン時代の方が楽だったのかもしれないとまで思っている。

霞でメシを食わないと仏様になってしまうような日々を過ごしていた。

だからこそ、今日の依頼人が提示してきた仕事には度肝を抜かれてしまう。

「マフィア殲滅のために情報収集を依頼したい。
 報酬は貴方が会社員を続けていた頃を基盤とした生涯年収分で如何ですか」

内容から察して詳細なんか聞かずとも、超弩級にきな臭い案件以外の何物でもないじゃないか。

それにこんな赤貧探偵に頼むなんて、どう考えても鉄砲玉のようにしか扱われないに決まってる。

即々でノーと返事を出してお引き取り願おう。

頭じゃ理解していても、心に宿る愚かな自分が吠え猛るのだ。

これこそがハードボイルドの真骨頂だろう、と。

震える指先を誤魔化すように煙草に火を点け、大きく吸い込み、溜め息のように煙を吐き出す。

「その仕事、請け負いましょう」

退路は断った。

後は野と成れ山と成れ、だ。

 

3: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 20:19:17.95 ID:1bqYoAB70
依頼の概要はこうだった。

“マフィアの元締めが来日する日付は七ヶ月後。
 それまで構成員に成りすまして内部調査を行なってほしい。”

俗に言うスパイというやつだ。

ターゲットとなる組織内に従属して、武器の貯蔵や構成員数、幹部のマル秘ネタなど、

出来得る限りの事柄を詳細に報告してほしいとの事。

有り体に言って自分には無理だと思った。

素人に毛が生えたくらいの人間に、そんな大それた事が出来るものかと。

ただ、向こうはどうやら自分が今までこなしてきた依頼を調べ上げており、

その功績や実績を何故かやたらと高く評価してくれていた。

先方は言う。

出来得る限りでいい。それに、構成員の中には既に君と同じように潜り込んでいる人が複数人いるから安心してくれと。

なるほど自分と同じような境遇の輩がいるのか。

先駆者がいるなら多少は安心だ。きっと同じように蓮っ葉な扱いをされている人達なのだろう。

ちなみにどういった経歴の方が紛れているのか訊ねてみた。

「FBIです」

この仕事を断るのは今からでも遅くないのではないかと本気で考える良いキッカケになる一言だった。

吐いた唾を飲めないのがハードボイルドの辛い所である。

 

4: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 20:34:18.63 ID:1bqYoAB70

先駆者のスパイらしき人物からの勧誘により、組織内には割とスムーズに侵入する事が出来た。

様々な人種がいたが、みな流暢に日本語を喋っている。

どうやら自分が潜入したのは日本支部のような扱いをされている場所のようで、

そこにイタリア本部からボスが視察にくる所を一網打尽にする予定なのだとか。

それからというもの、地獄のような日々が始まった。

ミスしたら即座に消される。正に文字通り。

不安と緊張が鎧のように体を重くして、血と硝煙の香りが鼻腔と脳内を率先して狂わせてくる。

依頼達成のための意地と根性で篩い立ち、親しくなりなくもない奴らとコミュニケーションを取って、

幹部の情報や武器の売買先を確認して定時連絡を取る。

お金と酔狂という飾りのようなモチベーションで、どうにか毎日を過ごしていた。

そんなある日の事、麻薬中毒者(ジャンキー)の構成員がいきなり後ろからガッツリ肩を組んでくる。

内心では死ぬほどビビっていたが、なんだよブラザーとヘラヘラ笑いつつも平静を装う。

すると、虚ろな目をしたそいつは、誰にも聞こえないようにこそこそと話してきた。

「Hey,bro. 聞いたか?今日ようやく本商品が届くんだってよ」

一体何の事だ?

あまり良い予感はしなかったが、そいつの次の一言で予感は確信に変わった。

「糞以下の金持ち共に売り払う用の、愛玩動物(クソガキ)共の事だよ」

 

5: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 20:54:56.54 ID:1bqYoAB70
なるほど、本商品とはそういう事か。

確かに組織は潤沢な金銭を抱えている。潤沢すぎるほど、金の流動を見せていた。

その謎の財源はどこから来ているのかと思えば、その子どもたちの人身売買が出処だったのか。

なるほど、なるほど。

握り拳の隙間から血が滴るのを隠しつつ、そのジャンキーに詳細を聞いてみた。

現状は船のタコ部屋で軟禁状態。

船に乗せる前から長期間“しつけ”を行なっているので、暴れる奴はいない。

ボスの到着と同じ日に〇〇港に着く予定なので、ボスが子ども達を出迎える手筈になっている、との事。

貴重な情報が聞けた事の小さじ一杯ほどの感謝をしつつ、どうして只のジャンキーがここまで情報を握っているのか訊ねてみた。

曰く、彼は幹部と飲み仲間で、且つこういう情報を小耳に挟んで組織内を立ち回る情報屋だった。

ある日新人から勧められた薬が非常にハマってしまい、

そいつから薬を貰う代わりにこういう情報を喋ってしまうので、ついつい口が滑ってしまったんだ。

わひゃわひゃわひゃ、と心ここに在らずのような笑い方をしながらそのままジャンキーは去っていった。

どうやら自分の同業者には素晴らしいマキャベリストが居るようだ。

手段はさておき、顔も知らない彼の手練手管に感心しつつ、ホットな報告を依頼人に送った。

「承知しました。つい先ほど貴方と同じ情報が入ったので、信憑性はヒトマルですね。
 不審な船の調査を急ぎます。元締め退治と奪還は同時に行う作戦に変更です」

了解、と残して通話終了。後はもう少しだけ情報を探るとしよう。

この組織の壊滅も近い。

なんとなく、そんな気がする。

 
 

6: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 21:14:35.03 ID:1bqYoAB70

運命の日。それはあっけなく終わった。

元締めが来日し、そのまま港に足を向け、そこで待ち構えていた警察たちに彼はあっけなく捕縛される。

彼の両手に手錠がかけられたタイミングで船が寄港し、その際に多少のドンパチはあったものの

こちら側に然したる被害もなく収まった。

そのドンパチに加担した身としては、弾が当たらなくて何よりだった。

久々に撃った感覚は変わらず気持ちの悪いもので、相変わらず苦手意識は変わっていない。

船に乗り込んだ際、どうやら配置の都合上、自分が子どもたちのいるタコ部屋に一番近かったらしく保護の役目を担う事になった。

これは依頼内容に含まれていないから後で追徴しようなどとボヤきつつ、その部屋に突入する。

そこには三人の子どもがいた。

どの子も将来は見目麗しい素敵な女性になるのだろうと思わせるような見た目だった。

体中に刻まれた夥しい数の傷跡さえなけば。

その子ども達は、自分を見るや否や震え出した。

何か恐ろしいものを見るような目で見つめられ、うち二人は頭を抱えて泣き出した。

ごめんなさい、ごめんなさいと絞り出すような嗚咽を漏らしながら。

そして自分の前に一人の少女が両手を広げて立ちはだかった。

手入れのされていない黒髪を振り乱し、澱んだ瞳孔をこちらに向ける。

後ろで泣いている子を庇うかのような立ち振る舞いだったが、

小鹿のようにやせ細った両足が大仰に震えており、必死で恐怖と戦っているのが見て取れる。

「いたいこと、するなら、わたしが、うけます」

その惨たらしい献身を見て、体中の力が抜けた。

守れて良かった、という思いと。

護れずに済まなかった、という想いで。

気付けば自分は、大粒の涙を零しながら、その子どもを抱きしめていた。

 

7: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 21:26:06.15 ID:1bqYoAB70

しばらくして抱擁を解くと、少し息苦しかったのか、けほけほと咳き込んでいた。

すまないと思わず謝った。力加減が分からなかったのだ。

その黒髪の少女は一体何をされていたのだろうといった表情で呆気に取られている。

「君たちを、助けにきた」

そう伝えて、髪をくしゃくしゃと撫でてみる。

眼前の黒髪の少女の瞳に一瞬だけ光が戻り、その子が逆にこちらの胸に飛び込んできた。

そして、そのまま大声で泣き始めた。

奥で震えていた子どもたちも次々に抱き着いてきて、しゃくりを上げて大泣きしてきた。

目先のお金と恰好つけで始めた仕事にしては、随分と貰える報酬の多さに驚いている。

死ぬほど辛くて、何度か本当に黄泉路を歩きそうになったけれど。

請けて良かった。あの時の自分の判断こそが正しかったのだと、ようやく実感できた。

 

8: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 21:38:00.79 ID:1bqYoAB70

それから約一か月後、日射しの気持ち良い秋晴れの頃。

依頼人が自分の事務所を訊ねてきた。

「依頼達成、お疲れ様でした。請け負ってくれて有難うございます」

事務所の安革ソファに腰を下ろし、労いの言葉をかけてくる。

気にしないでください、お役立てできて何よりです。

そんな言葉を返すと、眼前のスーツ姿の青年は、にこりと会釈を返してくれた。

「貴方が身を粉にしてくださったおかげで、一つの大きな組織が滅びました。
 子ども達も無事に保護できて何よりです」

あの子達は元気かどうか聞くと、今はまだ療養中との事だった。

「元々あの三人は、組織お抱えの娼婦たちがそれぞれ捨てた孤児だったのです。
 身寄りどころか戸籍もなく、組織内で文字通り飼われていた子でしたから……。
 劣悪な環境下で育っていたので、日本の病院の綺麗さを天国だと言ってました。
 まぁ確かに天国へ繋がっている人も居るかも知れませんがね。 はっはっは」

いや、はっはっはじゃないだろう。地味なブラックジョークは止めてほしい。

 

9: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 21:51:39.96 ID:1bqYoAB70

「世界にはお金で狂った人が大勢います。
 道徳心を亡くした小金持ちは子どもを愛玩や嗜虐の道具で欲しがる、歪んだ人々もいます。割といます。結構います」

神妙な面持ちで、スーツ姿の青年は語りかけてくる。

「あの子たちは、奴隷として飼われており、奴隷として買われるところでした。
 貴方はその子どもを助け、世界を美しくする一端を担ってくれました。
 本当に、本当に有難うございます」

そういって、深々と頭を下げてきた。

流石に恐縮してしまう。

いえいえ、人として当然の事をしたまでです。頭を上げてください、というので精一杯。

そういえば、あの子たちはどうなるのですか。

気恥ずかしさで話をすり替えるために別の話題を振ってみた。

「そうですね……あの中の二人は、アメリカの孤児院に行く事になっていまして……」

何故か急に歯切れが悪くなった。あまり聞いてはいけない内容だったのか。

では報酬の話にでも移ろうかと思った瞬間、スーツ姿の男が洗練された営業スマイルを向けてきた。

「ところで少々話は変わって、物は相談なのですが。追加依頼を受けて頂けないでしょうか」

 

10: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 22:15:14.82 ID:1bqYoAB70

「助けて頂いた子のうち二人はアメリカに行く事が決まりました。
 ただ、もう一人の子はこの国への残留を強く望んでおりまして。
 それで、この国の戸籍を準備するのが少々手間取っている現状ですね」

ほぅほぅ、難儀な事ですね。

そう言いつつも手元のコーヒーを優雅に啜ってみる。

「それでですね、こちら側が戸籍を準備するまで、その子を預かって貰えないでしょうか」

飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。

男一人で侘しくものんびり暮らしていた生活なのに、そこに住人一人増えるのはたまったものではない。

断固反対、絶対不可。これを心情に断ろう。

「その子、いたく貴方を気に入っているんです。
 実は今日も連れてきていまして……。入っておいで」

スーツの青年が事務所の出入り口に声をかけて、少しだけ間の空いた後、おずおずと入ってきた一人の少女。

変わらずボサボサだが、変わらぬ綺麗な黒髪。華奢な肢体に少しだけ血色の良くなった顔。

あの日、船の中で自分が助けて、抱きしめた子だった。

「……迷惑だったら、断ってください」

その子は、涙を浮かべて不安そうな瞳を向けてくる。

自分の事は自分が一番よく分かる。

ノーだというのは、きっと無理だろう。
 
 

11: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 22:25:49.34 ID:1bqYoAB70

……期間は、どのくらいですか。

諦めたように依頼人に告げた。

ぱぁっ、っと少女の表情が明るくなり、依頼人はネクタイを正して商談に入るような姿勢を向けてきた。

「まぁ、組織内の情報を洗う意味で少々時間を空けて、一年です。
 延びるかもしれないし、短くなるかもわかりません。」

報酬は如何ほどになります?

「そこは要相談で。ああ、ちなみに彼女の生活費はこちらで出しますので、そこは気にしないでください」

ふぅ、と思わずため息をついた。

腹をくくったからには、まぁそれなりに過ごしていこうと思う。

それに、あの船で出会ったときに感じた、あの気持ちは未だに忘れていない。この胸で燻っている。

大人として未熟な身だが、出来得る限りこの子が幸せになれるよう、自分なりに最善を尽くそう。

出入り口で立ったままの少女に向き合い、言葉をかける。

「初めまして。君の名前は何ていうんだい?」

少女は、おずおずと口を開いた。

「わ、私の名前は……>>14です……」

 

14: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 22:27:10.84 ID:t2BjLYsM0
サンディ
15: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/06(月) 22:47:57.10 ID:1bqYoAB70
>>14

「私の名前は……サンディ、です……」

少女は俯いたまま、ぼそりと呟く。

可愛い名前だね。

そう率直な感想を告げると、さらに身を縮こまらせて耳を真っ赤にしていた。

「仲睦まじいようで何よりです。では、私はこの辺りで失礼させてもらいますね」

ああ、そうだ。報酬は忘れないでくださいよ。

そう釘を打つと、彼は微笑みを返してくる。

謎の不安が胸をよぎるが、まぁここは信用しておこう。

そして依頼人は去り、中に残されたのは自分と、少女……サンディの二人。

これから一年間の同居人に向かって、とりあえずは声をかけてみよう

「ずっと入口に立ってると寒いでしょ? 汚い事務所だけれど、まぁお入りなさい」

「お、お邪魔します……」

「これから宜しくお願いするよ、サンディ」

「は、はい、ご主人様……」

変な言葉が聞こえてきたのは気のせいだと願いたい。

前途多難になりそうだが、まぁ楽しくやっていきたいところだ。
 

彼女がほんの少しでも幸せで在るよう、祈りを続ける日々がこうして幕を開けた。

 

20: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 06:41:20.02 ID:lfj9bXFJ0

仕事場でもあり居住地として使用している我が根城。

事務所兼自宅に男が一人だけ。

そこに暮らす輩が無精者だとすれば、それはまぁ見事に散らかっているもので。

顧客を招く職場としての事務所は辛うじて綺麗な環境を保ってはいるが、

これぞハリボテと呼ぶのが正しいものだろう。

少し裏に回れば掃き溜めの如き環境が広がっている。

ここに年頃の娘を住まわせるのか?

……え、ここに?

 

21: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 06:48:30.54 ID:lfj9bXFJ0

否、断じて否。

部屋の散らかりは心の散らかり。美しい場所でこそ凛とした育ての場に相応しい。

元から性根の腐っている自分ならまだしも、これは子どもを預かる環境としてはあまりに不適切。

「サンディ。もしかしなくて、今日から早速一緒に住むって事でいいのかな?」

「は、はい。ご迷惑でしたら、適当に野宿をしながらでも生きていきますので……」

彼女の目じりに涙が一気に溜まる。

人に泣かれる事なぞ滅多にないので、ついあわあわと狼狽してしまう。

「いやいや、違う違う。もしそうだったら、ちょっとお願い事があってね」

「あ、しょ、承知いたしました。私に何なりとお申し付けください」

サンディは目元の涙を腕でごしごしと拭った後、スカートの端を軽くつまんでお辞儀をしてくる。

なんとも優雅な身のこなしだ。堂に入っている事が妙に胸をざわつかせるが、それは現状まぁ置いといて。

はい、どうぞと。彼女の両手にそれぞれハタキと空のバケツを持たせる。

そしてそのまま玄関先に向かい、OPEN札を裏返しておく。今日は早々に店じまいだ。

「……部屋の片づけ、一緒にやってもらってもいいかい?」

「お任せください。謹んでお受け致します」

普段から綺麗にしておかないから別嬪さんに迷惑かけるんだよ、と。

今は亡き母が空から怒っているような幻聴がした。

うむ、ごもっとも。

この情けない現状は自分だって心苦しいし恥ずかしいのだ。

とりあえずは、えっちな本だけ先に片付けておくことにしよう。

 

22: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 07:14:10.65 ID:lfj9bXFJ0

彼女を招いたのがお昼過ぎくらいの頃だったか。

今やすっかり日も傾いて、もう夜の帳が下りそうな時間だ。

もっとこう、時間もあれば多少は片付けて招けたのだが……などと、心の内で言い訳だけ噛み砕く。

彼女の尽力のおかげで、居住地だけではなく、トイレ、風呂、果ては事務所の隅々まで見事に綺麗になっている。

久々に自分の部屋の床が見えて感動していた昼下がりの自分が、また何とも残念な大人っぷりを醸し出していた。

サンディは、未だに事務所の床をモップで一所懸命に磨いている。

そんなに擦ると摩擦係数がなくなるんじゃなかろうかと思ってしまう程だ。

「お疲れ様、サンディ。まだしんどいだろうに、初日から無理させてごめんね」

「いいえ、ご主人様。私如きがお役に立てるのならば幸いです」

滔々と彼女は言う。

滅私奉公が義務のような言い方だ。

そんな言葉を使い慣れているのが、今までの環境を想起させてくる。

「君が居てくれて良かった。今日はこのくらいにして、夕飯にでもしようか」

そんな素直な感想を伝えると、彼女は一瞬ピタっと動きを止めて、目を大きく見開いて驚いていた。

何か不味い事でもあったのかと心配していると、

「……今、なんと?」

と、訊ねてきた。

「いや、もう今日は終わりにして、ご飯でも食べようかって……」

「いえ、その、前の、言葉です……」

「ああ、君が居てくれて良かったっていうあれか。 うん、僕の正直な気持ちだよ」

「……っ」

彼女はその大きな瞳から、滂沱の涙を零し始めた。

とめどなく流れていくそれを抑えようと、サンディは両手を顔に添えて必死に堪えている。

「も、もったい、ない、おこ、おことば、です……。
 あ、あり、ありが、……うっ、ありがどう、ございまず……」

当たり前の言動で心が震えてしまうほど。

虐げられてきたのだろう。傷ついてきたのだろう。

今まで辛かったのだろう。

かける言葉は、今の自分には見つからない。

ただ今日の夕飯は、とても美味しいものを準備してあげたい。

そう心に決めた。

 

23: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 07:34:15.98 ID:lfj9bXFJ0

涙を流していたサンディを事務所のソファに座らせ、手元にティッシュを添えてやる。

その対面に自分は腰をおろして、感情の起伏が治まるのを待ってみた。

「お見苦しいところを、失礼いたしました」

ずびっ、っと鼻を啜りながら彼女は謝罪を口にする。

ようやく泣き止んでくれた頃には、辺りは既に真っ暗になっていた。

時刻は十八時を回って少々。秋の半ばは夏に比べると宵の口が早くなる。

「いいよ、気にしないで。ゆっくり慣れていけばいいさ」

「お心遣い、恐縮です」

不器用に頭をかくん、と下げてくる。彼女の年相応な本意の礼だろう。

何とも不慣れなのが妙に可愛らしい。

「それで、今日の夕飯なんだけれど。何か食べたいものとかあるかい?」

「いいえ、特に。……それで、私は何をすれば宜しいのですか?」

「え、いや別に。何もしなくても、出前で適当に頼もうかなって」

「そうではなく。食べ物を貰うときは、相応の何かをするという事でいつも貰っていたので」

「そういうのは要らないし、受け取らないよ」

冷えた言葉が口から漏れた。

彼女の過ごした環境への憤りが、つい態度に出てしまう。

こういう点が自身の幼い所で、改善しなければならないところだというのに。

猛省しながらサンディを見ると、やはり空気が変わってしまった機微に触れている。

緊張していただろう体が更にこわばっており、顔面蒼白になっていた。

「も、も、申し訳ありません……ご主人様への不快な発言をしてしまい、まして……」

彼女のスカートの裾が大きく皺になる。両手で握りしめているから。

早々に誤解を解かねばならない。

「ああいや、違う、違うんだ。君に怒っていたんじゃない。
 君がいた昔の場所を考えて、僕はつい変な空気にしてしまった。そして、不安にさせてしまった事を心から謝罪する」

赦してくれとは言えないが、誠意が伝わりますようにと思いながら大きく頭を下げた。

 

24: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 07:49:42.18 ID:lfj9bXFJ0
彼女の返答を待つまで頭を下げていたが、一向に答えが返ってこない。

嫌われてしまったか。

それも已む無しと思いつつ、ふと顔を上げると。

両手をあわあわと振りながらも、言葉に詰まって慌てふためく彼女の姿があった。

「あ、あの、あのその! お、お気にならさず、なさらず!?
 わ、私如きに頭を下げるというのは滅相もないというか何というか
 そういう風にされるのは生まれて初めてだからどうすればいいのか分からないというか私はそのあのそのその…!!」

一気にまくし立てて喋るから、後半は何を言ってるのか正直分からなかった。

だが、何とも愛くるしいその様に、つい吹き出してしまう。

嫌われていないのが分かっただけでも、こちらの心も随分と軽くなるものだ。

「ゴメンよ、サンディ。次から気を付ける。
 付けるついでに取り直して、夕飯の相談をしよう」

「しょ、承知しました……」

尻すぼみな返答をしつつ、何となく「ここでは何もしなくても良い」と伝わってくれたようだ。

後は何か美味しいものでも食べよう。

食事というのは、それだけで心を満たしてくれる。

「ところで、君は何か好きな食べ物とかあるのかい?」

「す、好きな食べ物ですか……?」

「うん、ご飯を食べるついでと言っちゃ何だけれど、これから一緒に暮らすんだから、趣味嗜好とか知っておきたいんだ」

「出されたものは何でも全て食べていましたから、嫌いなものはありませんが……。
 好きなもの、というのは存外難しいです……」

「まぁまぁ、何でもいいよ。インタビューみたいなものさ。 あくまで、好みだけ教えてほしい」

「そう、ですね……。今まで食べて来られたもの、で、美味しかったものと言えば……」

「>>27、ですかね」

 

27: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 08:41:03.41 ID:CpKmnU3DO
お魚
28: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 09:14:24.06 ID:lfj9bXFJ0
>>27

「お魚、ですかね」

これはまたずいぶん漠然とした好物だ。

種類は何か、調理方法はどういったものが好きか、味付けはソースと塩のどちらが良いのか。

色々と聞きたい所はあるが、まずは彼女の好きな物が分かっただけでも良しとしよう。

「そうか、君は魚が好きなのか」

「はい。特に食べ方のこだわり等はありませんが、お魚さんが好きです」

お魚さん。なにそれ可愛い。

こほん、と誤魔化すための咳払いを一つ。

「何で魚が好きなのか、聞いてもいいかい?」

「私は物心が着く頃辺りまで港町に住んでいたのだと思います。
 もう記憶も朧気なので、どこに居たのかまでは思い出せないのですが。」

「ほぅほぅ」

「そこで覚えているのは、活気のある町と、顔も思い出せない母の手、そしてお魚さんを使った色んな料理。
 だから、魚を食べているときだけは、何となく昔を思い出してもいいような気がしまして……」

「なるほどね」

「失礼致しました。つまらない話をして申し訳ありません」

「いや、いいんだ。話してくれて有難う。
 おかげさまで出前のメニューがようやく決まったよ」

まだ報酬の振り込みが確認できていないからほとんど素寒貧だが、今こそ見栄の張り所。

サンディ、君にはジャパニーズ海鮮料理の金字塔こと“SUSHI”の魅力を存分に堪能してほしい。

 

29: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 09:28:46.63 ID:lfj9bXFJ0

「……綺麗」

届いた特上寿司を見た彼女の感想だ。

美味しそう、ではなく、綺麗というのがまた何とも奥ゆかしいというか。

薄いピンクの霜降りが垂涎を誘う大トロ、こんなに並んでいるのは自分でもほとんど見た事がない。

イクラが宝石と喩えたのは一体誰だったか。今なら非常に共感できる。

眺めているだけで垂涎を誘う素晴らしい光景、お預けのままでいるのはあまりに惜しい。

「よし、では一緒に食べよう」

「?」

サンディは首をかしげてこちらを見てくる。

はて一体どうしたのか。

「一緒に食べても、宜しいのですか?」

「いいよ。むしろ君に食べてもらいたいから準備したんだ。遠慮はダメだぞ」

「……すいません。あまりにも普段と違う環境なので、その、どうしていいのか分からなくて」

「うん。 これから少しずつ慣れていけばいいさ」

そう言いながら、彼女の頭をくしゃりと撫でてみる。

こそばゆそうな、でもどこか嬉しそうな顔で撫でる手を享受してくれた。

「では、いただきます」

「い、いただき、ます……?」

自分が手を合わせるのを見たサンディは、その仕草を真似たのちに寿司に向かって頭を下げる。

そう。美味しい物を食べるという当たり前の日常。いや、寿司は当たり前ではないが。

人が日々の中で過ごすそんな幸せに、少しずつ、慣れていってほしい。

 

30: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 09:34:51.89 ID:lfj9bXFJ0
昨今の出前寿司は、ワサビ抜きがデフォルトになっている。

別個でワサビは準備されており、それを醤油入れ用の小皿に分けて好みの量を取るのが普通なのだ。

ただ、きっと彼女の食べた一口目はきっと例外でワサビがてんこ盛りだったのだろう。

泣きながら寿司を食べる人を初めて見た。

それでも美味しそうに食べているその様は、お腹よりも、心を充分に満たしてくれた。

まだ食べていないのに、何故かこっちまで泣きそうになってしまうのは困りものだ。

 

31: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 09:50:17.57 ID:lfj9bXFJ0

「少し横になっても良いですか?」

それを承諾すると、お腹いっぱいになったらしい彼女は充足したようにソファに横たわった。

どうやら食べ過ぎたらしい。

もともと線の細い少女だと思っていたから、これからどんどん食べてほしいものだ。

「こんなに美味しいものを食べたのは、とっても、久しぶりです……」

くりくりの大きい瞳を目蓋が覆い隠そうとしている。

どうやら眠気が襲ってきたようだ。まるで子どものようだと思いつつ、そういえば子どもだったなと再確認する。

食後のお茶でも準備するために席を立ち、再び戻ってきた頃には対面の少女は穏やかな寝息を立てていた。

就寝用のベッドは一つしかないから、彼女にはそれを利用してもらい、自分は事務所のソファで寝ることにしよう。

寝室には後から運ぼうと決め、まずは一服しようと自分が淹れた玄米茶を軽く啜る。

気持ちよさそうに眠っているサンディを見ると、心が温かくなる。ふっと自分の口元がたわんでしまう。

これは傍から見たら事案になるのか。などと変な事を考える前に、窓際にかけてあるカレンダーに視線を移した。

今日の日付は、十一月十一日。語呂も良くて覚えやすく良い日だ。

同居人というか居候が突然増えた日。

おおよそ一年という期間が長いのか短いのは今は分からないが、とかく、大切に過ごそうと思った。

 

32: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 09:56:55.52 ID:lfj9bXFJ0

【今後の呼ばせ方について】

1:ご主人様のままで構わない

2:先生、お兄さん、など特定の呼び名(要安価)

3:主人公の名前(要安価)

>>33-40までの間、多数決にて検討。
 

41: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/07(火) 12:34:07.81 ID:lfj9bXFJ0
では、2番の「兄さん」にて採決を。ご協力に感謝。

ご主人様枠がレスで一つも無いという皆の優しさほんとすき。

のんびり書いているので、ゆるりとお茶でも飲みつつお待ちください。

感想やご意見などあれば是非ぜひ。

 

43: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/08(水) 15:00:34.01 ID:q2+5VjSt0
【追加設定】

サンディの年齢は?(10~15歳の間)

>>45

連れて行ってあげたい場所

>>47

45: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/08(水) 15:16:57.88 ID:BORsb27Ro
11
47: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/08(水) 15:21:27.42 ID:ZXD2NsuDO
動物園
50: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/09(木) 23:12:53.01 ID:o6ummrG70

ハードボイルドの朝は早い。

東雲の空に有明の月が少しだけ白を残す頃、僕はゆるりと目が覚める。

カーテンを開けると未だに外は静かなまま。静寂の帳があける前の時間帯。

今日はソファで眠ったので、少し姿勢が悪い寝方をしていたようだ。背伸びをすると軟骨が音を立ててくる。

くあぁ、と軽く欠伸を噛み潰すと、緩い虚脱感に抱かれているような心地良い気分を覚える。

寝起きで覚束ない足取りのまま、事務所の戸棚からコーヒー豆を取り出した。

それをミルで砕くと芳醇な香りが広がり、目覚まし代わりの気付けになってくれる。

今日の豆は粗挽きで仕上げてみた。コーヒーメーカーを起動させて、夜明けの一杯としけこもう。

出来上がるのを待つまでの間に微睡のゆりかごに揺られていると、ぴーぴーと機械音が聞こえてきた。

少し温めておいたカップにコーヒーを注いで、鼻先に近づけてみる。

ほろ苦さを醸し出す匂いが鼻腔をくすぐる空気を楽しみ、そのまま口元へ。

ずずっ、と一啜り。

これぞ朝の醍醐味。美味しい以外の感想なぞ野暮というものだ。

そしてそのまま淹れたてのコーヒーを嗜むため、次は一口目よりも少し多めに含んでみると。

< ええええぇぇぇぇぇーーーーーーーー!!!!

寝室からの絶叫でそれを盛大に吹き出した。

ハードボイルドな朝は終わりを告げたようだ。

 

51: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/09(木) 23:22:56.59 ID:o6ummrG70
すぐさま引き出しの拳銃を握りしめて駆け出した。

昨日は彼女をベッドに運んで、僕はそのままソファで眠っていた。

だからこそ、さっき寝室から聞こえてきた大声はサンディだろう。

一体なにがあったのか。もしや組織の残党が連れ戻しに来たのか。

口元に垂れたコーヒーと頭に浮かぶ不安は拭えぬまま、急いで寝室に駆け込んだ。

「サンディ、無事か!?」

そこで見たものは。

ベッドの上で深々と土下座をして迎えてくれた、年端もいかない少女の姿だった。

なんちゅう美しいフォームで頭をさげるんだこの子は。

 

52: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/09(木) 23:34:17.71 ID:o6ummrG70
気まずい雰囲気の際は時が止まる、というのは比喩表現ではなかったようだ。

自分の手には拳銃、目先には土下座スタイルの少女。外からうっすら聞こえてくる鶏の声。

体感的にだが、今たぶん確実に時間は停止している。凄まじい空気が部屋に漂っているぞこれ。

何なのだこれは、どうすればよいのだ。

一体どうやって声をかけようかと寝起きの頭を無理やり動かそうとする前に、彼女はゆっくりと頭を上げた。

そして、絞り出すように声を発する。

「……ご主人様より先に眠ってしまい、あまつさえ、寝室を占領するような体たらくで申し訳ありません」

一気に肩の力が抜けた。溜息をつきながら、ドアにもたれかかり、そのまま尻もちをついてしまう。

大事じゃなくて何よりだ。頭の中で思い描いた悪い想像が杞憂に終わってホッとした。

「いいよ別に、主従関係とか僕らにはないから気にしないで」

「ですが……」

「それより、サンディ。大事なことを一つ忘れてるよ」

「はい……?」

「おはよう。良い朝だね」

目の前の少女は目をまん丸にして、狼狽しつつも手元の枕を抱きしめる。

そして、とっても照れくさそうに、恥ずかしそうに、言葉を返してくれた。

「お、おはようございます……!」

 

53: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/09(木) 23:44:50.58 ID:o6ummrG70

予想外の形ではあるが、まぁ良い目覚ましにはなったかなと思う。

そのまま洗顔を済ませて朝食の準備に取り掛かる。

私にも何か手伝えることはありませんか、とはサンディ談。

特にこれといって手伝うものは無いというと彼女は気を遣うだろうから、とりあえずお皿を並べるようにお願いした。

朝食はトーストと目玉焼き、そして簡素なサラダ。

僕はコーヒーを、サンディには牛乳を準備して食卓に並べた。

彼女は目をキラキラさせながら朝食が出来上がる様子を眺めている。

「どうしたの?」

「私も食べて、いいんですか……」

「もちろん。ああ、でもパンは今この二枚しかないから、おかわりが無くてゴメンね」

彼女は首を大きくブンブンと何度も横に振り、ついでに手もパタパタさせる。

「いいえ!いいえ!お気になさらず!!こうしてご主人様からお恵みを頂けるだけで幸せです!!」

そんなサンディの頭に手を置き、軽くクシャクシャと撫でてみる。

そうすると、こそばゆそうな、でもちょっぴり嬉しそうなのが見て取れた。

俯きかげんな表情から覗ける口元がもにゅもにゅしているから。

「顔を洗っておいで。それが済んだら朝ごはんにしよう」

「は、はい!!」

 

55: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/09(木) 23:59:49.17 ID:o6ummrG70

「では、いただきます」

「い、いただきます」

昨日食べたお寿司の時と同じく、ご飯を食べる前の自分の動作を彼女も真似てみた。

たどたどしい身ぶりだが、これから時間が経つ毎に慣れていくだろう。

それにしても、とても美味しそうに食べてくれるなぁ。

作った身としては割と嬉しかったりする。

頬をぷっくりさせて一心不乱にもぐもぐしている様は、まるでハムスターみたいだ。

「ご飯は逃げないから大丈夫だよ。喉に引っ掛けないようにね」

「ふぇ!? ふぁ、ふぁい! 行儀が悪くてすいません……」

あまりに微笑ましいので、くっくっとつい笑いつつも一言告げてしまう。

サンディはあわあわしながら急いで牛乳を飲んで口内の食べ物を流し込んだ。

空になったコップにおかわりの分を注ぎ足すと、頭をぺこぺこ下げてお礼の動きを見せてくれる。

上司にビールを注がれたサラリーマンの動きそのものじゃないか。

くっはっは、とまたしても笑ってしまった。失敬失敬。

サンディは何が面白くて笑っていたのか分からなかったようで、キョロキョロしながら赤面していた。

 

56: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 00:13:00.19 ID:uuR+QXp40
「ところでさ、サンディ」

「ご主人様、どうされました?」

朝食を終えてホッと一息ついた頃。

僕は片手に朝淹れたコーヒーを、サンディはオレンジジュースを持って、

お互いソファに向き合うように座っている。

「僕をご主人様って呼ぶのはそろそろ止めてみないかい?」

「え……? でも貴方様は私を助けてくれた恩人なので、貴方のモノとしてこれから生きていくのが普通では?」

「いやまぁ、そりゃ確かに助けたのは事実だけどさ。君に奉公されたくて動いたわけじゃないんだ」

「では、どうして助けてくださったのですか?」

「どうして助けた、か。 うーん……」

これはまた難しいな。どうして助けたのか、とは難しい。

誰かを助けるのに理由はいるかい、などと言うのはヒーローみたいだが、ハードボイルドではないな。

いや別にそこ(ハードボイルド)にこだわらなくてもいいんだけれど。

どうして助けたのか。仕事のためだ。

でも、きっとそれだけじゃない。

仕事のためというのは後出しの理由だ。本音を言うなら、たぶん。

「助けたかったから、かな」

「……」

サンディは訝しんだ顔をしている。理由になっていないからだろうか。

そう取られても仕方ない。確かに論理的ではないからね。

でも、あの時自分に浮かんだ感情なんて、そりゃもうシンプルなもの。

助けたかったから。

人の手を取る理由なんて、そのくらいの緩いスタンスで良いと僕は思うんだ。

 

57: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 00:35:54.77 ID:uuR+QXp40
少しの間、サンディは黙ったままだった。何かを考えている様子だ。

それから、ぽつりと声を漏らした。

「私は、今まで生きてきた環境で、道具のように扱われてきました」

「うん」

「気に入られなかったらひどい事をされて、ご主人様の機嫌が悪くてもひどい事をされて。
 機嫌が良いときこそ悲鳴が聞きたくなるという理由で、痛い事をされてきました」

「……そうなのか」

「ある日、その気まぐれで拷問を受けました。今までに一回だけ、本当に惨たらしい事を受けました。
 その日の夜は死ぬ事ばかり考えていました」

「……うん」

「気まぐれというのは悪いものしか呼ばないと思ってました」

そしてサンディは、顔を上げてこちらを見つめてきた。

目には涙が今にも溢れんばかりに溜まっている。

「だから、そんな優しい気まぐれがあるなんて、思いませんでした」

涙の膜が張られた瞳は真珠のように淡く輝いて、美しかった。

「私は、ご主人様を、信じても、いいんですか……?」

僕はコーヒーを軽く啜る。彼女の気持ちに答える言葉を発するために喉を潤した。

「ご主人様、なんて呼ばせるような輩は信じちゃいけない」

「……」

「だから、この“お兄さん”を信じなさい」

「……!! はい、はい……! 信じます、信じます……! 信じさせて、ください……!!」

コーヒーを机に置いて席を立ち、そっと彼女の横に座る。

そのままゆっくり抱きしめて、胸の中に収めてみた。

朝方に零した淹れたてのコーヒーよりも熱いものが胸元を濡らしてくる。

ぽんぽん、出来るだけ優しく彼女の背中を叩いてみると、そのたびに胸にうずまった後頭部から嗚咽が響いてくる。

今まで辛い思いばかりの彼女が、ようやく年相応に泣くことが出来ているのかも知れない。

そう思うと何故だが僕の頬も濡れてしまう。涙を貰ってしまったようだ。

ハードボイルドとは程遠い朝だが、今日くらいは許してほしい。

 

62: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 05:09:20.93 ID:uuR+QXp40

それからしばらく経って、ようやく落ち着いた頃、幼い顔が懐から離れる。

ぐずぐずの顔になっているサンディにティッシュを渡した。

びろんと鼻水がワイシャツに染み付いたのを恥ずかしがりながら、彼女は慌てて鼻をかむ。

一呼吸のちに、すん、と鼻を鳴らしながら言葉を紡いだ。

「泣いてばかりで申し訳ありません」

感情を流水、それを受け入れる心を器として喩えるなら。

きっとサンディの心は割れ物なのだ。

ほんの少し感情の起伏があるだけで、心の器が受け入れきれずに

涙となって溢れてしまうのだろう。

だからこそ、涙を流すことについてお咎めなんてある筈も無く。

それこそ嬉しかったり楽しかったりしたときに零れるならば致し方ないだろう。

63: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 05:12:16.61 ID:uuR+QXp40
「気にしないで」

そう言いながら僕は彼女に微笑んでみる。

心に形は無いから、先ほどのはあくまで例え話の一環。

これから彼女に起こるのは幸せな事柄ばかり。祝福の花吹雪で毎日を過ごすのだ。

たった一年の間だけとはいえ、僕がそうしてみせる。

その度に泣かれては脱水症状でも起こしかねない。

僕がしてあげられそうなのは、サンディの傷ついた心と体をこれからゆっくり戻すこと。

今まで生きてきた結果で積み上げられた心身を大事にしながら、また新しく形成していけば良いだけ。

結論は至って単純。シンプルこそが難しくも美しいのだ。

 

64: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 05:50:55.29 ID:uuR+QXp40
さて、今日はもともと探偵事務所が休みの日付だ。

折角ならサンディを連れてどこか外出でもしてみようか。

ふと改めて彼女の恰好をまじまじと確認してみる。

藍色を基調とした無地のパーカー、飾り気のない白いスカートに黒いタイツ。

これは服の下にある古傷を見せないための配慮なのか。

それとも見立ててくれた人の輝きすぎるセンスなのか。

後者ならばそっと目を瞑ろう。

何にせよ、将来はモデルか芸能人にでもなるような整った顔立ちに対して少々無骨すぎるファッションだ。

彼女も立派なレディ予備軍。ここはひとつ外出用やら部屋着やらで洋服を見立てるとするか。

「よし、今日は軽く出かけるとするか」

「はい、いってらっしゃいませ」

危うく前のめりにこけるところだった。ノータイムでお留守番の返事と来たか。

「いや、君も来るんだよ」

「私がついて行っても宜しいのですか?」

「もちろん。これから一緒に住むんだから、君の日用品とか買い足そうと思ってね。
 好みの問題もあるだろうから一緒に選んでくれると嬉しいな」

「そ、それは恐縮ですが……では、ご一緒させて頂きます!」

そう言ってサンディはびしっと姿勢を正す。うむ、善き哉善き哉。

 

65: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 06:13:35.91 ID:uuR+QXp40
本日の予定が決まった後は準備をしなければ。

部屋着から外出用の服に着替え、髪のセットや髭剃りなど身支度を整える。

その間にサンディはテレビをずっと見ていた。

朝のニュースは芸能界の何某な話題にシフトしており、彼女にとっては馴染みのないネタだと思うが

どうやらテレビ自体を見ることが物珍しいらしく

キャスターの話にうんうんと首を縦に振りながら頷いていた。なんてキュートな仕草。

自分は身支度している一環で歯ブラシを口に加えつつ、昨日チェックをし忘れていた郵便受けの中身を確認するため玄関へ。

そこには一通の封筒が投函されていた。

差出人は例の依頼人。丁寧に折られた便箋を解くと、中には手書きの文章が。

それを確認すると、歯磨き粉で泡立つ口元がさらにだらしなくポカンと開いてしまう。

> あの子の生活費は各月の十五日と三十日の隔週ごとに支払います。二月は月末予定で。
  保護者である貴方の分も少し色を付けておりますが、無駄遣いはなさらぬように。

  振り込みが満期を全うしたのちに、本来の報酬を振り込みます。

即日振込じゃないのか、とか。

結局は幾らくらいの金額が振込されるのか、とか。

いの一番に本報酬を支払ってほしいんですが、とか。

突っ込みたい事が山のようにある。

だが、まずは一つ。

絶望的に字が汚い……。

次からはパソコンで文章書いてくださいってどこにお願いすれば良いんだろうか。

 

66: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/10(金) 06:36:04.06 ID:uuR+QXp40
どうにか読解を終えて、軽くため息。なんか無駄に頭を使った気分だ。

ふと手元に握った封筒から何かの紙切れがヒラヒラと落ちていく。

そのまま自分の足元に着地したので拾い上げてみた。

ほぅ、なるほど。これは割と良い物かも知れない。

「ただいま」

「おかえりなさ……どうかされましたか?」

「……いや、なんでもないよ」

玄関から帰ってきた僕に向かって、サンディは心配の表情を見せてくる。

さっきの手紙を読んで変に疲れたのが表に出てしまったか。反省せねば。

まぁ近いうちに金銭面の心配が少しは和らぐのも分かったことだし、物事が前進したと捉えておこう。

手紙にはもう一つ。チケットが同封されていた。

これは郊外の動物園の入園チケットだ。割引券ではなくタダ券というのが太っ腹。

ただ、期限が今日だという点で見事に太っ腹な部分が帳消しになっている。

「サンディ、動物って好き?」

「はい、好きです。好きですが……何かあったのですか?」

「いや、ちょっと予定を追加しようと思って。買い出しがてら、動物園に行かないか?」

「……!?」

彼女の目がシイタケみたいに一瞬キラっとしたのを見逃さなかった。思った以上の好感触じゃないか。

グッジョブ依頼人、全力のサンクスを貴方に。

まずは動物園に足を向けて、その後にでも服と食料品を買うとするか。

あと三日は生き延びれるくらいは預金もある。

今日は可愛いものや楽しいものをサンディに見せてあげることが出来るよう、財布の中身を仮初めの潤沢にしておかねば。

現在時刻は七時五十分。

銀行が開く時間までは、とりあえず家で待機かな……。

 

85: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/12(日) 23:50:49.06 ID:s+xF8aIN0

何だかんだでダラダラと過ごしていると、気づけばもう九時を回ろうとしていた。

仕事中は一秒が体感三分にも感じられるのに、朝の時間はどうして過ぎるのが早いのか。

既に出かける準備は済ませておいたので、サンディに外出するよと声をかけて事務所を後にする。

玄関を出てから対面側の敷地にある月極駐車場。

そこには先代所長から受け継いだビビットピンクのハスラーが駐車されている。

結婚適齢期を迎えた年頃として、引き継いだ当時は乗り回すのを中々に恥ずかしがったりもしたが、流石にもう慣れたものだ。

当時の所長が「可愛いからハードボイルドだな」という謎すぎる理論のもとに購入していたのを思い出す。

「可愛い車ですね」

とはこれから助手席に乗り込もうとしているサンディ談。

それが気遣いから出た言葉ならば花マルを差し上げたい。

だが、どうやら彼女は本心で告げていたらしく、この車に乗る際にウキウキしている様が目にとれた。お気に召したようで何より。

まずは銀行でお金を引き落として、それから洋服を買い、そして動物園。

良い一日になりますようにと少しだけ願いつつ、僕は車のエンジンを起動させた。

 

87: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 00:03:55.02 ID:grI1dH9y0
車のカーステレオから流れているラジオは今日の天気を教えてくれた。

どうやら秋晴れが続くらしく、ここ一週間は出かけるのにうってつけの日取りだとか。

雨が降らないだけでも有難いのに、晴れ間にも恵まれているのは上出来だろう。

フロントガラスの先に見えるのは鼻歌でも歌いたくなるような青空だ。

季節柄だろうが日射しも強すぎず、日向ぼっこのような心地よい温かさが上半身を包んでくれる。

ふと横のサンディを見ると、シートベルトの根本に寄りかかるようにして目を閉じていた。

耳をすませば聞こえてくるのは穏やかな寝息。

よく考えるとやたら朝早く目覚めて、朝食を取り、この気候で車に乗っている。眠くなるのも頷ける。

普段よりも加速と減速に気を使い、今まさに育っている寝る子を起こさないよう早めに銀行の用事を済ませておこう。

しかし何だろうか。

助手席で心地良く眠られると、こちらもなんだか睡魔に肩を掴まれているような錯覚に陥る。

朝に補充したコーヒーのカフェインをゴリゴリ消費するようなイメージで戦わねばなるまい。

くわぁ、と生欠伸を一つ。

うん、良い天気だ。

 

88: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 00:24:13.16 ID:grI1dH9y0
銀行からぼちぼちの金額を引き落とし、そこから走ること更に十五分。

目的地の一つである場所に到着した。

そこは全国でチェーン店が展開されている洋服屋の一つで、様々なジャンルの服を取り扱っている。

店内を少し見渡すだけでもキッズ用の衣類は散見されており、これなら色々と見繕えるだろう。

彼女の気に入る服はあるかなと思い、ふと横をみるとサンディがいない。

慌てて探すと入ってすぐのドアで口をあんぐりさせていた。

店の広さになのか、それとも服の種類の多さにだろうか。

「お、大きいですね……」

「そうだね。君の好きな服が見つかるといいな」

「でも、私なんかがこんな贅沢をしていいのでしょうか、ご主人様……」

僕はサンディの鼻先を傷つけない程度に優しくちょこんと指先で弾く。

「サンディ、僕はご主人様じゃなくて?」

「は、はい、そうでした……」

何やらもじもじしている。恥ずかしがっている様子だ。

「お、……おにい、さん……!」

頬を真っ赤にしながら、彼女は告げる。これから口にするべき僕の呼称を。

そう言ってくれたサンディの手を軽く握る。手を繋いでいれば、なんとなく年の離れた兄妹に見えてくれるだろうか。

彼女は俯き加減の姿勢になり、表情が見えなくなってしまった。

長い髪から覗く耳の赤さと、僕の右手に伝わる体温の温かさが気になるところだが、まぁ今は置いておこう。

入口から動かす意味合いと、好きな洋服を選んでほしいという気持ちで、僕らは手を繋いで売り場に向かうことにした。

 

89: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 00:39:14.76 ID:grI1dH9y0
ファッションには疎いうえに、さらに子ども用の服なんてコーディネートした事も無く。

果たして一体どれがサンディに似合うのだろうか。さっぱり分からない。

まぁこの子は傍から見ても美形だ。目鼻立ちもくっきりしており、小顔で華奢ときた。

将来は美人になるのが容易に想像できる。

そんな彼女だからきっと何を着ても似合うのだろうが、それはそれとしてだ。

餅は餅屋というし、こういうのはショップの方に相談するのが一番だろう。

辺りを見回すと、手透きの女性店員を一人見つけた。早速声掛けしてみよう。

「すみません、この子に服を何点か見繕ってほしいのですが」

「はい、畏まりました。 こちらのお子さんですね。 ……あら、綺麗な子! お名前は何ていうの?」

店員は腰を屈ませて、自分の視点をサンディと同じ高さに持って行った。

当の彼女は急に大人に話しかけられてしどろもどろになっている。

「え、あ、うぅ……その……」

この子はサンディって言うんですよ、と軽く助け船。

素敵な名前ですね、と微笑みながら店員は言う。嫌味もなく、感じが良くて素晴らしい。

店員自体も綺麗な方だし、洋服はこの方に任せても大丈夫そうだ。

 

90: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 00:53:36.29 ID:grI1dH9y0
「じゃあ僕は適当にレジ前のベンチにいるから、外出用と部屋着の洋服を最低三点ずつ選んだら教えてね」

「は、はい!承知しました!」

そういってサンディの頭を軽く撫でて、店員にお願いしますと声をかける。

そして少しだけ補足事項を伝えておいた。

「私はこの子の保護者ですが、あの子は過去の経験で古傷がありまして……露出の高い服は控えてくださると幸いです……」

「……畏まりました」

おおよそ察してくれたのか、深々とお辞儀をして僕に頭を下げてきた。色々な意図が見受けられるお辞儀だ。

きっとこの人は良い人なのだろう。

頭を上げてからすぐに女性店員はサンディに向かって声色高めに話しかける。

「さぁサンディちゃん! お兄ちゃんからOK貰ったから、いっぱい可愛い服を着ましょうね!!」

「え、え、えぇ……!?」

戸惑うサンディの肩を掴んで、キッズ用のラインナップが並ぶ棚に連れて行ってくれた。

うん、あとはのんびり待つことにしよう。

何となく子を持った親の気分だ。いや、親戚の子と遊んでるような感じが近いのか。

 

91: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 01:07:01.74 ID:grI1dH9y0
それから一時間ほど後に、店員とサンディが手を繋いで歩いてきた。

いつの間にそんなに仲良くなっていたんだ……。

店員を見ると、なんだか目元の化粧がちょっと厚くなっている。気になる点が増えてしまった。

「お待たせ致しました。それぞれ日常用とレジャー用で着回しも出来る服を持って参りました」

「有難うございます、ファッションに疎いんで助かりました」

「いえいえ、お気になさらないでください。あ、あとこちらもどうぞ~」

そういって手渡されたのは、数枚の割引券。

受け取っていいものかどうか考えていると、今日の新聞の折り込みに入っているので皆さんも使われてますよとの事。

そうであれば有り難く好意を頂こうとその券を貰い、そのまま精算する事に。

レジの前には人が列になっており、自分は五番目に位置している。

財布の確認をしていると、サンディがぽつりと零す。

「あのお姉さん、いいひとです」

そうだね、良い人っぽいね。

そう僕が言うと、いいえ、いいひとです、と彼女は言い切る。

「服を試着する際に上着を脱いだとき、背中の傷を見られました。
 そしたら……お姉さん、泣いてしまいました」

「そして、ゴメンなさい。ほんの少しだけ、お兄さんの所にいる経緯を話してしまいました」

ああ、なるほど。目元の化粧が濃くなったのと、割引券をくれた理由がなんとなくわかった。

「お姉さんも、お兄さんも、良い人です」

そう言ってくれるサンディに、僕は返事の代わりに繋いだ手をほんの少しだけ強く握り返してみた。

 

92: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 01:21:23.65 ID:grI1dH9y0
割引券と店員のチョイスのおかげで、自分が想像していた額の倍ほど安く買い物は済んだ。

会計を済ませて店を出る前に、ふと思い立つ。

「ねぇ、サンディ。せっかくなら買った服を着て動物園に行かないかい?」

「宜しいのですか……?」

「うん、試着室もあるし、いいんじゃないかな」

「で、では、袖を通すのが勿体なくも感じますが、着てみます!」

購入した服が入った袋を抱きしめて、そのまま試着室に駆け出していく。

服のタグはレジで取ってもらっているので大丈夫だろう。

それからしばらく、試着室の奥から聞こえてくるのは「えーと、うーんと、これと……これと……」というサンディの声。

お洒落を楽しんでいるのか、声が弾んでいるのが分かる。可愛い。

それからしばらく後、カーテンの端からぴょこんと顔を出してきた。

「その、……着てみました」

「どんな服になったのか、楽しみにしてるよ」

僕がそう言うと、意を決したようにカーテンをシャッと勢いよく開けた。

彼女が選んだのは、フランネルチェックのシャツに、ガウチョパンツ。アウターに白いセーター。

清楚に納めてきたファッションだ。とてもよく似合っている。

「サンディ」

「は、はい」

「似合ってる、可愛いよ」

それを聞いた瞬間、勢いよくカーテンが閉まる。

そして奥から聞こえてくるのは「ふぅぅぅぅう~~……ふぅぅぅぅぅぅう~~!」と悶えるような声。

「だ、大丈夫!?」

「はい!大丈夫です! 大丈夫ですが、息ができないので少しだけお待ちください!」

「いやそれ大丈夫じゃないでしょ!」

「大丈夫です!!」

「は、はい……」

思わず押し切られてしまった。本当に大丈夫なのだろうか……。

 

93: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 01:36:14.95 ID:grI1dH9y0
待つこと数分、未だぜぇぜぇ息を切らすサンディが試着室から出てきた。

「お、お待たせしました……」

「お、おぅ……」

謎の圧を感じながらも、改めて彼女の手を取り、歩き出す。

出口方面ではなく、店内に。

最初は不思議な顔をしたサンディもすぐに察し、辺りをキョロキョロ見回していた。

そして、

「ご主人様、あれ」

「こら」

「す、すいません。お兄さん、あれを」

サンディが指さした先には、お世話になった店員がいた。

接客中でも棚の整理中というわけでもなさそうだったので、声をかけてみる。

「すみません、お世話になりました」

「あら、お兄さんとサンディちゃん!!」

店員は軽く屈んでサンディをハグする。当の本人はわたわたと両手をバタバタさせていた。照れ隠しだろう。

それからふと彼女の恰好を見て気づく。自分が見立てた服を着ていることに。

「あら、これはさっき一緒に試着室で着た……」

「改めて、有難うございます。おかげさまで良い買い物ができました。お忙しいところ失礼いたしました」

「いえいえ、とんでもないです」

「それとついでに、お気遣いのほど、有難うございました。それを伝えたくて」

僕が言い終えると同時に、サンディは軽くガウチョパンツの裾をつまんで優雅に一礼する。

「ありがとうございました。素敵なおねえさん。わたしは、あなたのような優しい大人になりたい」

店員の目に涙が溜まるのが分かる。それを誤魔化すような素振りで、こちらに向けて再度深々と頭を下げてくる。

「こちらの方こそ、少しでもお役立ちできて光栄です。またのご来店、お待ちしております」

 

94: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 01:57:36.38 ID:grI1dH9y0
店を出てから、車を郊外方面に走らせる事おおよそ四十分。

その間に途中でドライブスルーに寄って昼食を車内で食べたりもした。

ハンバーガーを物珍しそうにもっきゅもっきゅと頬張って食べる助手席の小動物の可愛さに心奪われながらも

今回の第二の目的地である動物園に到着した。

そこは正確には動植物園と呼ばれるような施設であり、名前の通り動物園の施設が半分、植物園の施設が半分になっている。

車を動物園側の駐車場に停めて、無料入園券のチケットを準備し、いざ中に入ってみた。

大人二枚と子ども一枚ですね、と係員からの問い掛けにイエスと答える。

お連れ様が小学生以下の場合は風船のサービスがあるという。

……そういえばサンディって何歳なんだ?

「ねぇ、サンディ。君って今いくつだい?」

「確か十一歳か十二歳だったと思います」

「うん、ありがとう」

十一歳か十二歳、か……。

係員に十一歳と伝えて、手持ち風船を貰う事に。

それを彼女の右手に渡して、空いた片方は僕が握ってみた。

手を繋ぐ際は相変わらず照れる彼女に、つられて僕も照れてしまう。

僕が照れるのは、きっとこういう柄じゃないからだろう、きっと。

今日は休日という事もあったので親子連れがちらほら散見され、まぁまぁ活気を感じられる程度には人の気配があった。

動物園なんて何年ぶりだろうか、などと昔を思い返していると、僕の右手がきゅっと締まった。

横のサンディを見ると、まるで夢でも見ているかのように惚けたような目をしている。

「サンディ、どこから回ろうか?」

「えっと、キリンさん、見たいです!」

ノータイムで答える辺り、本当に見たいのだろうという気持ちがこれでもかというほど伝わってくる。

パンフレットを確認し、まずはキリンのコーナーから見ていく事にした。

 

95: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 02:21:51.08 ID:grI1dH9y0
パンフレットを眺めて思った事がある。

ここの動植物園はかなり広く、それぞれの施設を回るだけで半日が潰れそうだ。

どちらも楽しもうと思うなら、それこそ丸一日は使わないと周り切れ無さそうではある。

今回はまず動物を堪能して、また別の機会に植物園の方を周ることにしておこう。

さてさてキリンのコーナーは、と。

なるほど端の方か。縮尺から考えて、大人の足でここから十分ほど。思ったより少々歩かなければならない。

ただ、サンディは服を選ぶことで気疲れしてそうではある。

さて、一体どうするべきか検討してみよう。

1:背中におんぶして向かう

2:肩車をして向かう

3:このまま手を繋いで向かう

【>>97】

97: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 03:27:52.99 ID:V0rYhPwY0
1
98: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 03:54:48.61 ID:grI1dH9y0
>>97

おもむろにサンディの前で屈んでみた。案の定、彼女は意図が分からぬようで。

頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが想起される。

「キリンの所までちょっと距離があるから、背中に乗っかっておいで」

「ふぇっっっ!?」

目を丸くして驚いている。まぁ今までの傾向から、すぐすぐ乗らないであろう事は予想していた。

「はい、じゅーう、きゅーう、はーち……」

「あ、あわわ……!」

謎のカウントダウンをしてみる。もちろんゼロになっても何も起こる筈など無い。

だが急に始まった事によりサンディはあわあわと焦っている。

残りカウントが五秒を切ったところで、意を決したような声が後ろから聞こえてきた。

「えいっ!」

という掛け声と共に、背中に筋張った感触を覚える。

首元に締まる細い手、後頭部に感じる顔の輪郭骨。

彼女が勢いよく飛び乗ってきたようだ。バランスを崩さなかった自分を少しだけ褒めたい。

立ち上がってみると本当に何か背負っているのか疑わしいほど負担もなく。有り体に言って軽すぎる。

冬の身支度で先日押入れから引っ張ってきた羽毛布団のほうがよほど手ごたえがあった。

背中でサンディが狼狽しているのが分かる。腕に抱えた足元がバタバタしているから。

「あ、す、すいません……。 重いですよね、重いですよね!! すぐ降りますから、調子に乗ってすいません!」

「サンディ、そのまましっかり掴まっててね」

「へ?」

足を腕にかっちり挟んで固定したまま、それいけと言わんばかりに馬になった気持ちで僕は走り出す。

うひゃぁ、と可愛い悲鳴を聞きながら、そのままキリンが見物できるコーナーを目標に駆け出していた。

年端もいかない子を背中に抱えたアラサー男子。

傍から見たらどんな絵面になっているだろうか。

犯罪の香りだけはしませんように。

何と言われようと今くらいは彼女の為に只のお兄さんになってやる。

動物園にいる間くらい、普段の渋くてダンディを纏うハードボイルドな自分は休憩しておくことにした。

 

99: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 04:08:49.20 ID:grI1dH9y0
普段から鍛えている事が功を奏し、息を切らす事無く目的地に到着。

背中からサンディを降ろしてみれば、なんだか嬉しそうな顔をしていたのに気づく。

どうしたの、と訊ねてみると。

「お兄さん、すごい。しゅぱぱぱぱ、って、まるで飛んでるみたいでした」

「足の速さをそこまで喜んでくれるのは予想外だよ」

幼い子は足が速い男子が好きとはいうが。サンディも例に漏れないということか。

それよりほら、と前を指さしてみた。

「わぁ…………!!」

実際に目の当たりにしたキリンに感嘆の声を上げた。

サンディの大きな目が目映くキラキラ光っているような錯覚を覚える。

「大きいですね」

「うん」

「首が長いです」

「うん」

「目がぱっちりしてて、かわいいです」

「そうだね」

「かわいい……かわいいなぁ……」

嬉しそうにサンディはキリンを見つめている。

そんな彼女の気持ちなど何処吹く風で、キリンはマイペースにエサを食んでいる。

むっしゃむっしゃと食べるその様までたまらないようで、僕の服の裾をくいくいと引っ張ってくる。

「キリンがエサを食べてます」

「うん、食べてるねぇ」

「可愛いです」

「うん、可愛いね」

「あ、こっち見ました。可愛いです」

「そうだね」

「あ、かわいいです」

「うんうん」

当初会った頃から日本語が堪能だと思っていた彼女だが、どうやらキリンを見ていると語彙力が低下していく事が分かった。

 

100: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 04:24:03.27 ID:grI1dH9y0
サンディは僕の服の裾を掴んでいる事にも気づかずに、夢中でキリンを凝視している。

そしてキリンを見始めてしばらく時間が経過した。

どれくらい過ぎたのかというと、僕は目蓋を閉じても黄色と茶色のまだら模様が浮かぶくらいずっとそこにいた。

それから更に時間が経ち、園内のチャイムから本日の業務時間がもうすぐ終わる放送が流れて来た。

僕はそこで意識をようやく取り戻す。

隣のサンディはまだずっとキリンの様子を目で追っていた。

「サンディ、もうすぐ動物園が閉まるんだって」

「…………」

「サンディ、サンディさん」

「…………」

「おーい、さーんでぃー」

「……はっ! す、すいません!キリンさんを見るのに集中していました!」

頭をびくんと縦に振ってサンディは僕を見つめてくる。

そして、ようやく自分が服の裾をがっしり掴んでいた事に気付いたようだ。頬を真っ赤にして慌てて手を放した。

なんとも微笑ましい。

「よし、じゃあ帰ろうか」

「は、はい……」

彼女は頷くものの名残惜しそうにキリンに何度か視線を送っている。

別に悪い事をしていないのだが、なんだか申し訳ない気持ちが沸き起こる。

そこで一つ妙案が浮かんだ。

「帰る前に寄りたいところがあるんだけれど、いいかい?」

「もちろんです。何処までもお供します」

軽くガウチョパンツの端をつまんで、恭しく一礼。

奴隷の頃にメイドの立ち振る舞いでも訓練していたのだろうか。

堂に入ったその動きは長い間培ってきた何某を思わせる。

彼女が辛かったであろう頃の面影が脳裏をよぎったので軽く頭を振り、

僕はサンディを動物園の売店まで連れて行く事にした。

 

101: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 04:40:09.68 ID:grI1dH9y0

サンディを店の入り口で待機させて、僕は閉店の準備で忙しそうな売店に滑り込む。

店員に心の中で謝りつつも目当ての品を探してみた。

お土産コーナーの一角にそれを見つけ、プレゼント用に包んでもらう。

これ以上手数をかけないようお店を足早に後にして、外で待ってくれたサンディに駆け寄る。

「何か探していたものは買えましたか?」

「うん、どうにかね」

「それは何よりです」

「サンディ、手を出して」

「?」

疑問には思っただろうが、大人しく彼女は右手を差し出してくる。

その手の平に僕はラッピングされたものを置いてみた。彼女の手に包まるくらいの小さなサイズだ。

「これは?」

「まぁ、ラッピング破って開けてみてほしい」

言われたように彼女は丁寧にラッピングを解いていく。

そして、その全貌が分かったとき、息を飲んだ。

「これ、は……」

「キリンのキーホルダー。安物だけれど、今日の記念って事でさ」

「これ、わたしに……?」

「僕が使えるにはちょっと年を取り過ぎたからね」

あまりこういうのを誰かにしたことが無い身なので、照れ隠しに頬を軽く搔いてしまう。

好みかどうか分からないし、勝手に買ってしまった物だから受け取って困ってなければいいな、と心配ばかりが浮かんでくる。

「…………私の、生涯の、宝物が、………出来ました」

キーホルダーを両手に包んで、それを胸の真ん中に添えて、彼女は言う。

瞳からは感情が零れている。ぽろぽろと、ぽたぽたと。

感情は数値化されないから分からない。様子でだけしか判断できない曖昧なものだけれど。

サンディは、喜んでくれた。そうだと思う。

彼女の心に少しでも届いたのなれば、そうであれば、僕も嬉しい。

 

102: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 04:52:49.95 ID:grI1dH9y0
閉園時間のギリギリで僕らは動物園を後にした。

一日ずっと歩き詰めになるかと思ったが、サンディがあそこまでキリンが好きとは思わなかった。

おかげでそんなに動かずに済んだ。

まだ暮らし始めて二日目だが、今日で好きな動物が一つ分かった。

こうやって、少しずつ、互いに互いを知っていけたらいいと思う。

サンディが幸せになりますように。

出会って間もなく、知り合ってすぐではあるけれど、僕は切に思っている。

今こうして車に乗って帰路に着くなか、無表情に街のネオンをずっと見つめる彼女にふと問いかけてみた。

「ところでさ、サンディ」

「どうされました?」

「キリン、好きなの?」

「はい」

「どの辺が?」

「……強いて言うなら、耳ですね」

「……マニアックだね」

僕らの二日目は、こうして緩く終わっていく。

別れの日まで、約三百六十二日。

 

104: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 06:05:24.94 ID:grI1dH9y0
【連れて行きたい場所】

>>105

【視点:男 or サンディ】

>>107

【二人の寝床:一緒 or 別々】

>>109

105: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 07:25:27.02 ID:+6uoFwsAo
ケーキバイキング
107: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 08:47:02.44 ID:RXltBsd90
サンディ視点
109: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 08:53:09.63 ID:rRg8hJyA0
一緒
111: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/13(月) 12:06:41.48 ID:grI1dH9y0
【連れて行きたい場所】

ケーキバイキング

【視点:男 or サンディ】

サンディ視点

【二人の寝床:一緒 or 別々】

一緒

承知しました。ケーキバイキング、良いですね。
時間を空けてから再開しますので少々お待ちを。
 

116: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 06:10:40.98 ID:OiSFZpw30

私の名前はサンディ。名前だけしか持たない奴隷。

遠い昔にどこかの港町で母と暮らしていたような気がする。

以前の記憶は曖昧で、全ての事柄に薄ぼんやりとした霧がかかっているみたいだが、

私自身としては振り返るつもりが毛頭ない。

どこで、何をして、どんな事をされてきたのか、

思い出しそうになると凄まじい嘔吐感を覚え、腕の皮膚を搔きむしりたくなってくる。

だから昔は思い出さない事にした。

綺麗だった母の顔も、もしかしたら居たかも知れない友人も、あの懐かしい磯の香りも。

それはきっと。

逃げる事すら許されなかった私の脳内で生まれた、愚かな幻。

きっと実際は暗い橋の下あたりで拾われて今に至るのだろう。

一番鮮明な記憶は、鞭を振るわれた背中の痛み。

人生で残せてきたのは、体に刻まれた醜い傷跡だけ。

幸せの意味さえよく分からないまま、ずっと長いあいだ虐げられてきた。

日本へ売り飛ばされる際に乗ってきた船で、あの人に出会うまでは。

 

117: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 06:25:43.02 ID:OiSFZpw30

私は夢を見ない。

恐ろしい夜が早く過ぎ去りますようにと願いながら目を瞑り、そのまま気づけば朝になっている。

夢で起こる事柄はどれもひどいものばかりで、いっそ見なくなればいいと思ってから随分経った。

私はいつも夜に電源が落ちて、朝に電源が勝手に点く機械のようなものだ。

何某かの夢を見ているのかも知れないが、思い出すつもりもない。

ちゅんちゅん、と鳥の囀りがどこか遠くから聞こえてくる。

目蓋の重さをこじ開けるように見開き、朦朧とした意識が徐々に温まってきた。

掛け布団の重さに未だ違和感を覚えながらも、そのままむくり、と目が覚める。

時刻を見ると朝の六時四十分。

七時までに起きてくれば朝ごはんの準備をするよ、とはお兄さんの言伝。

ふかふかのベッドから身を起こして、先日購入してもらった部屋着に着替える。

部屋の出口にある姿見に映るのは、煤や垢まみれのみすぼらしい姿な自分ではなく、

きちんとした身なりで、まるで人並みの生活を過ごせているかのような私。

そのまま右の頬をむにゅ、と摘まんでみた。姿見の自分の滑稽な顔が見える。

そして少し力を入れてみると。

良かった、痛い。

私は夢を見ない。

ただ、今のこの現状は、まるで夢を見ているようで。

どうしようもなく胸がいっぱいになる。

 

118: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 06:35:52.28 ID:OiSFZpw30
事務所に繋がる扉を開けると、鼻腔を何やら良い匂いがくすぐってくる。

この香りはいつもお兄さんが飲んでいるコーヒーというものの匂いらしい。

鼻先だけで苦みを覚えてしまいそうなのに、それが無骨に心をほぐしてくれる。

香りの出処は、ソファで新聞を広げている人物からだった。

その方は私が起床してきた事に気が付くと、新聞を置いて、ふわりとたわむような優しい顔を見せてくれる。

「おはよう、サンディ」

この笑顔を朝から見ると一瞬で目が覚める。それと同時に、何故だか胸の動悸まで起こしてくれる。

おはようございます、と敬意を込めて一礼を交わす。

そのまま目線をずらして暦を見ると、今日の日付は十一月二十五日。

お兄さんの下にお世話になり始めてから二週間が経過していた。

 

119: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 06:55:31.28 ID:OiSFZpw30
お兄さんはコーヒーを軽く啜り、再び新聞に目を通し始める。

前にちょっとだけ飲ませてもらった時はとっても苦かったけれど、

私用に改めてコーヒーを淹れ直して、それにミルクと砂糖を混ぜてくれたら

驚くほど美味しい飲み物に変わったのを覚えている。

でもお兄さんはコーヒーを真っ黒いまま飲めている。不思議だ。

「それ、黒いままでも美味しいんですか?」

なんとなく聞いてみる。お兄さんは困った顔をしながら答えてくれた。

「あんまり美味しくないね。僕は甘党だから、本当はミルクと砂糖があった方が好き」

「では何故に入れないのですか?」

「ハードボイルドのコーヒーはブラックと相場が決まっているんだ」

お兄さんは、ふふん、と鼻を鳴らすようなポーズでまたコーヒーに口をつけた。

ハードボイルド。その単語は聞いた事がないので辞書でめくってみた事がある。

卵の固ゆでが語源になった、冷静だったり冷酷だったりする人を現すらしい。

現状だとほぼ間違いなく正反対だと思う。

物腰も柔らかくて穏やか。誰かのために涙を流せる人。

お兄さんは、ソフトマイルドの方がしっくり来るような気がする。

そして、それを言ったら何となくお兄さんががっかりしそうなので、私はグッと胸に秘めておくことにした。

 

120: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 07:12:26.25 ID:OiSFZpw30
新聞を読み終わったら徐に立ち上がってキッチンに向かうお兄さん。

私はカルガモのように後ろをとてとてとついて行く。

振り返って嬉しそうな顔をしながら私の頭を撫でて、今日の朝ごはんのリクエストを訊ねてきた。

私如きがご飯を食べるなんて滅相もない、というとお兄さんはとっても悲しそうな顔をするので、

その言葉を飲み込みながら伝える。

なんでもいいです。なんでも嬉しいです、と。

それが一番難しいなぁ、と顔をふにゃっとさせながらお兄さんは戸棚からフライパンを取り出した。

私も早く料理が出来るようになりたい。切にそう思う。

そのままお兄さんが朝食を作り、私がお皿を並べる。

これが朝食前の風景になり始めた。心の芯が温かい。また泣きそうになってしまう。

それから少々時間が経つと、部屋に美味しそうな匂いが充満してきた。

「では、サンディ。号令よろしく!」

「はい、では僭越ながら……いただきます」

「いただきます!」

いただきます。とっても良い言葉だと思う。

知識として前々から知ってはいたが、いざこうして自分が使う方の立場になるなんて思わなかった。

毎日三食のご飯を食べる事が出来ているのは今までの自分の人生では考えられない奇跡だ。

本当は日本に着いたときの船で起こった銃撃戦で既に私は死んでいて、日本でいう鬼籍に入ったのかも知れない。

それならそれでも構わない。

神様と一緒に過ごせているという事に変わりはないのだから。

 

121: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 07:37:24.67 ID:OiSFZpw30
食事を終えてからのひととき。

緑茶の淹れ方は先日覚えたので、お兄さんに新茶の一杯を持っていく。

ソファで新聞に挟まれていたチラシを整理していたので、手元から少し遠ざけて置いてみた。

ありがとう、と一言が返ってくる。

たったこれだけで心の柔らかい所がグッと掴まれたような錯覚を感じる。

この感覚の正体をようやく最近思い出した。

うん、嬉しいのだ。純粋に。

お気になさらず、とお兄さんに返しつつも、私はキッチンに駆け込んだ。

感情の処理の仕方が分からないので、そのまま衝動に任せてぴょんぴょん跳ねてみる。

そして二度三度ほど跳ねたら急に気恥ずかしくなった。控えよう。

持って行ったお盆で口を隠すようにして、少し呼吸を落ち着ける。

これから何かお兄さんの役に立てるような仕事はないかと探していると、

お兄さんが私を呼んでいる声が聞こえてきた。

今行きます、と返事をして、また駆け足で向かう。ペタペタと音を立てるスリッパがもどかしい。

そして彼の元まで向かうと、折り込みチラシを読みながら訊ねてきた。

「サンディ、今日はケーキバイキングに行かないか?」

私は首をかしげた。ケーキは分かる。砂糖が宝石の形になる食べ物だ。

ただ、バイキングが分からない。大男の作るケーキという事なのだろうか……。

詳細の程はよく分からないが、お兄さんの嬉しそうな笑顔を見ると、体が自動的に首を縦に振っていた。

 

122: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 07:49:06.92 ID:OiSFZpw30
車内にてバイキングがどういうものかを教えてもらった。

色んな食べ物をお皿にとって好きなだけ食べてもいいものだ、と。

信じられない。今までの食生活を鑑みれば眉唾ものだ。

だが、お兄さんが言うのならば嘘ではないのだろう。

いや、本当にそのような話があるのだろうか。

奴隷として飼われていた頃にそのような食事をするというのは

暗に最後の晩餐だと言わんばかりの事柄だから、何となく身がこわばってしまう。

元々死んでいるような身なので、もし今日がそれならば、せめてお兄さんの役に立ってから死のう。

そんな覚悟を決めて、“死地(ケーキバイキング)”へと歩みを進める事に。

そして目的地に着いたとき、桃源郷の意味を知った。

 

123: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 08:08:40.47 ID:OiSFZpw30
「ふわぁ…………!」

思わず声が漏れる。

これでもかと言わんばかりに並ぶ、古今東西の様々なケーキ。

一口サイズのものから、ピース型、ホールごと丸々置いていたりと形もそれぞれ。

カットフルーツの傍にはチョコレートの噴水が湧き出ている。

ボタンを押すと温かいバニラの飲み物まであるようだ。

昔、遠い昔、絵本を読んでくれた人がいた頃、そこに描かれていたときの世界。

童話の中に迷い込んでしまったのだろうか。

取り皿を持ってみたものの、どれから取ろうかと悩んでしまう。

私が取ってもいいのかな。

首輪で繋がれていたような、畜生の扱いしかされていなかったような、浅ましい私でも。

わたしがさわっても、きたないっていわないかな……?

心にモヤがかかり、俯いてケーキの群れから背を向けようとしたら、

手元の取り皿にふと重みを覚えた。

そこには、一口サイズのショートケーキが置かれている。

「サンディ、なに食べる?」

朗らかな声で、お兄さんが笑いながらケーキを一欠片、取ってくれたのだ。

私の暗い気持ちなど素知らぬように。知っていても見ないフリをしてくれているかのように。

「これだけあったら迷うよね。僕もどれにしようかずっと考えてて、結局こうなっちゃった」

そして私に見せてくれたのは、取り皿にてんこ盛りのケーキの山。

所狭しと並んでいるどころか、三段くらい詰まれたそれは、見栄えなんか考えていませんと体現しているかの如く。

こんな量が食べられるのだろうか。周りの人もなんかヒソヒソお兄さんの方を見ながら言ってるような……。

大人なのに妙に愛らしい。まるで無邪気な子どものようだ。

「ぷっ……ふふ、ふふふ………あははは、あはははは!」

気付けば、私は笑っていた。笑ってしまった。

とても素直に笑えていた。

 

124: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 08:20:17.28 ID:OiSFZpw30
「おいおい、急に笑うなんてどうしたのさ?」

「だ、だってお兄さん……ケーキ、取りすぎ……ふふ、うふふ……!」

「そ、そうかな? 甘党だったらこれくらい普通じゃないかな?」

お兄さんは困ったように頬を軽く掻いている。

本人が食べられるといってる分には問題ないのだろう。

「サンディ、君も気にしないで好きなだけ取ればいいよ」

「はい、お兄さん。いっぱいとって来ますね!」

「よしよし。じゃあ、先に席を確保しておくから、ゆっくり選んできてね」

「あ、ありがとうございます!」

お兄さんは手をひらひらと振って、そのまま飲み物コーナーに向かっていった。

私は軽く頭を下げる。そして、目の前に沢山ある宝石箱へ向かい合った。

軽くほっぺを摘まんでみると、ちゃんと痛かった。

夢じゃない。 嘘みたいだが、夢じゃない。

私もお兄さんを見習って、いっぱい、いっぱい、食べてみよう。

 

125: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 08:23:09.34 ID:OiSFZpw30

「……」

「……」

「……サンディ」

「……はい」

「……食べ過ぎたね」

「……はい」

顔色が悪くなるまで食べた結果、帰りの車でグロッキーになっている二人がいた。

 

126: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 08:36:33.25 ID:OiSFZpw30

帰りの車内でも甘い匂いが充満していたので、やたらと酔いそうになりながらも無事に帰宅した。

確かに食べ過ぎた節もあるが、ケーキそのものは美味しかった。本当に美味しかった。幸せだった。

折り込みチラシに入っていた「ケーキバイキング半額デー」には感謝してもしきれない。

ただ、お兄さんは食べ過ぎたのを非常に後悔していた。

どうやら私がちょっぴり具合が悪くなったのを気に病んでいたらしい。

こちらとしては、私を幸せにしてくれる人が縮こまってしまうと萎縮してしまう。

いつものソフトマイルド、もといハードボイルドに早く戻ってほしいものだ。

「ゴメンね、サンディ……」

「いえ、素敵な時間でした。今日みたいな光景を夢で見てみたいです」

「とりあえずお茶でも淹れるけれどさ、何か僕に出来る事ある?」

「何か、ですか?」

「うん、なんでも聞くよ」

「なんでも……」

なんでも、というのは難しい。

ご飯のリクエストでお兄さんが困っていた理由が今更ながら理解できた。

では、一つだけ。いつも思っていた事を言ってみようか。

叶うかどうか分からないし、とても恥ずかしい事だから、躊躇いはあるけれど。

「では、お兄さん」

「うん」

「そのですね」

「うん」

「あの、そのですね……その………」

「うん」

「夜は寂しいから……私と一緒に寝てください……」

「いいよ」

即決だった。

照れていた自分が今一番恥ずかしい。

 

127: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 08:48:10.82 ID:OiSFZpw30

その日の夜。

私一人では広すぎるベッドが、有効に活用されるようになった。

「ん、そっちは狭くない?」

「は、はい……」

私の横にお兄さんが寝ている。

お風呂上りで石鹸の香りがする。

なんだか妙にそわそわして、顔がまともに見れない。

思わず掛け布団の中に頭まで埋まってみる。

「顔ださないと苦しくなっちゃうよ」

「あ、す、すいません……」

お兄さんから引きずり出された。

確かに少しだけ息苦しくなったので、ぷはっ、と声が出てしまう。

これは諦めるしかないのだろう。

「お、もう良い時間だね、そろそろ寝よっか。電気消すよ」

「分かりました」

お兄さんが手元のリモコンで消灯ボタンを押すと、部屋がオレンジ色の豆球で薄暗くなった。

顔が見えなくなる分、気恥ずかしさは緩くなるので有難い。

ふと頭に手の平の感触を覚えた。お兄さんが撫でてくれている。

「サンディ、おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

私は夢を見ない。

恐ろしい夜が早く過ぎ去りますようにと願いながら目を瞑り、そのまま気づけば朝になっている。

夢で起こる事柄はどれもひどいものばかりで、いっそ見なくなればいいと思ってから随分経った。

私はいつも夜に電源が落ちて、朝に電源が勝手に点く機械のようなものだ。

何某かの夢を見ているのかも知れないが、思い出すつもりもない。

でも今日は。

今日みたいな幸せな日は。

夢をみたいな、と生まれて初めて思った。

 

134: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 18:47:15.05 ID:OiSFZpw30
【連れて行きたい場所】

>>136

【視点:男 or サンディ】(多数決)

>>137-141

【サンディの料理の腕前】

01~40:簡素な料理を覚えた程度。
41~85:レシピ本を見るとあらかた作れる程度。
86~00:抜群の味付け。料理に関する才能有。

>>143のコンマ数

 

143: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 19:20:21.08 ID:5HHRZcqDO
147: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/14(火) 19:26:47.62 ID:OiSFZpw30
ご協力サンクスです。下記が安価結果になっております。

【連れて行きたい場所】

知り合いの喫茶店

【視点:男 or サンディ】(多数決)

男 ※m→manで解釈

【サンディの料理の腕前】

>>143:簡素な料理を覚えた程度。
    これから上達していく模様。

 

151: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 22:41:00.65 ID:PX2kAcV30

ハードボイルドの朝は穏やかだ。

外に広がる曇天の空模様は、太陽を隠すことで夜を長く見せてくれているのだろう。

未だ少し寝惚けた頭を覚ますために、空気の入れ替えがてら窓を開ける。

仄かに香っていた金木犀はなりを潜め、今は凛と澄んだ冬のアトモスフィアが呼吸を心地よく満たしてくれた。

そのまま軽く背伸びをして、腰を左右に一捻り、肩をぐるぐる回して、メンテナンスのように体を動かしてみる。

痛みや重さは感じる事無く体調は普段通りの模様。

ふと、奥のキッチンから何やら香ばしい匂いが漂ってきた。

今日はサンディが朝食の準備に挑戦している。

以前に「私も料理を覚えたい」という事を告げられ、

いくつか簡単なレシピを教えてみたら割とすんなり覚えてくれたのだ。

昨晩眠る前に、今日は卵焼きに挑戦してみると意気込んでいたから

この油とバターの香りはきっとそれなのだろう。

まだ教えていない料理ではあるが、お兄さんの横でずっと見てたから上手くいくと思います、とはサンディの言葉。

出来上がるのが実に楽しみである。

それまでに時間もかかるだろうから、どれタバコでも吸おうかと先端に火を点けた辺りで、

< うひゃぁっ!?

と可愛らしい悲鳴がキッチンから聞こえてきた。

次の瞬間には、煙を一吸いすることなくタバコを急いで揉み消して彼女の元へ駆け出した自分がいた。

ハードボイルドの朝は穏やかだ。

たまに賑やかな事もある、というのを注釈しておこう。

 

152: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 22:54:06.96 ID:PX2kAcV30

今日の朝食は、トースト、サラダ、こんがりベーコン、スクランブルエッグ。

最後の一品に関しては、スクランブルというかエマージェンシーな焦げ具合になっている。

たぶん強火にあてすぎた事と、卵を巻くタイミングが分からずに戸惑ってしまったのが要因か。

これはこれで食べごたえがあって良いものだ。

当のサンディは、肩をしょんぼりと落としている。

美味しいよと素直に伝えてみるが、俯いて何度も溜め息をついていた。

「私、本当にダメな奴隷で……申し訳ありません……」

「自分を奴隷だと思っているのはダメな点だけれど、それ以外は最高だよ」

「あ、申し訳ありません……」

またしてもサンディは肩を落とす。ずーん、という効果音が聞こえてきそうだ。

さてはきっと元卵焼き、もといスクランブルエッグを味見してないなこの子。

味付けそのものは本当に美味しいのだ。

だからこそ多少カリカリでも食べ甲斐が出てくる。

僕はスプーンで少量を掬って、彼女が火傷しないように軽く息を吹きかけて覚ましてみる。

「ほれ、サンディ」

「え?」

「あーん」

「…………え!?」

彼女の頬がみるみるうちに真っ赤になっていく。色合い的には秋の紅葉と良い勝負をしているかも知れない。

やってはみたものの、かくいう僕も実は結構恥ずかしかったりする。

気障(きざ)だと思うなかれ、ハードボイルドなら当たり前の所業なのだ、と自身に言い聞かせた。

 

153: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 23:14:13.99 ID:PX2kAcV30
「あーん」

「……」

「あーん」

「……」

「ほら、口開けてみて」

「……ぅ、……うぅ」

匙を出してしまった手前、もはや後には引けない僕の心境。

ごり押し気味にでも食べさせてやろうという気概すら生まれてきた。

サンディは落としていた肩をきゅっと縮こまらせて、手元をもじもじさせている。

何かを躊躇っているようだ。

何を躊躇うことがある、さぁ、ぱくっと、パクッと来るんだ。

セクハラじゃありませんように。

そう願うクールな自分を尻目に、彼女の口元にスプーンを差し出してから大よそ三十秒。

意を決したような顔つきを一瞬見せて、サンディは目を瞑ったまま、はむっとスプーンを咥えた。

「あ……、美味しい……」

「でしょ? 味付けが満点なんだから、気にしなくていいよ。これからもっと上手になるよ」

「は、はい!」

そして朝食は再開した。サンディは美味しそうにパンを齧りながら、ベーコンと卵を胃に詰めていく。

もっきゅ、もっきゅ。本当に美味しそうに食べている。

彼女の表情筋が一番動くのは、もしかするとご飯のときなのかも知れないな。微笑ましい。

そう思いながら、僕はサンディが淹れてくれたコーヒーをごくりと飲む。凄まじいエグ味が舌を襲う。

そして盛大に吹き出した。 

「サンディ、なにこれ」

「お兄さんはコーヒーには砂糖を入れないみたいなので、代わりに塩を入れてみました」

屈託のない顔でそう言われたら、有難うとしか言えない弱気な自分が大好きだ。

だがこれは後でやんわりと訂正しておかねばなるまい……。

 

154: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 23:30:34.47 ID:PX2kAcV30

朝食が片付き、今度は何も混入されていないブラックのコーヒーを食後の一杯で飲んでいる。

サンディはホットミルクだ。砂糖とハチミツを入れてまろやかに仕上げてみた。

ほぅっ、とした穏やかな顔でそれを飲む彼女は、実に年相応だ。

あの子の心に負った様々なものが、僕との暮らしで少しでも削がれてくれたのなら嬉しい。

美味しいかい、とつい聞きたくなってしまう。

はい、と首を二度ほど軽く縦に振ってサンディは綻んだ顔で答えてくれた。

二人で暮らし始めてから一か月ほど経ったが、

住み始めた当初と比べると笑顔の数が少しずつ増えてきているような気がする。

 

155: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 23:38:34.56 ID:PX2kAcV30
彼女はまだ、治っていない。

時折フラッシュバックで体がガチガチに硬直したり、滝のような脂汗を流しながら青ざめた顔をする事もままある。

ぶるぶると震える彼女は、嫌でも昔を思い出しているのか、「ゆるしてください、ごめんなさい」と虚に唱えてしまう。

その都度「大丈夫だよ」と軽く抱きしめ、頭を優しく撫でてみる。何度も、何度も。

容体が落ち着いたら、組織から二週間ごとに投函される薬の中の一種にある安定剤を飲ませている。

そも簡単に治るのならばトラウマなどという言葉は生まれない。

医療機関で診断させろと組織に言いたいが、連絡手法もなく、向こうから一方的に封筒が届くだけ。

戸籍のない少女を病院に連れて行けば別所の輩に目を付けられますと事前に釘をさされている事もある。

僕が最善の治療薬になっている、とはたまに送られてくる封筒に添付された汚い字の文面に書かれているが、本当だろうか。

そうとしか信じるものもないのが現状だ。

とかく、サンディを一所懸命に守ってあげたい。

優しいこの子が幸せになりますように、と祈りながら護るのだ。

 

156: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/15(水) 23:53:48.99 ID:PX2kAcV30

「お兄さん、どうされましたか?」

ふと気づき、意識が再びサンディに向けられる。

ぼんやり考え事としていたのが顔に出ていたのか、対面に座る彼女から不安な目線を送られる。

大丈夫、気にしないで。そう伝えて、誤魔化すようにコーヒーを一啜り。

それなら良かったです、とサンディも僕を真似るように手元のホットミルクに口づける。

飲む仕草の際に、長い前髪がぱさりと垂れて、彼女の表情を隠してくる。

改めて彼女をまじまじと眺めてみた。

うん、やはり気のせいじゃないな。

「サンディ」

「はい?」

「髪、伸びたねぇ……」

「そうでしょうか?」

「どのくらい切ってないの?」

「日本に来るときに切られて以来なので、だいたい二ヶ月くらいです」

出会った当初は無造作に切られていた印象の強いボサボサの髪の毛だったが、

それゆえ現状は変な部分が長かったり、ボリュームが出過ぎてサイドがもっさりしている。

それに何よりも前髪だ。

目隠れ、という昨今で流行しているヘアスタイルのジャンルを聞いた事はあるが

流石に前髪が鼻先についた状態だと日々の生活でも邪魔になってしまうだろう。

綺麗な顔なのに隠れているのも勿体ない。

これは近いうちに美容室にでも連れて行ってあげなくちゃいけないな。

 

157: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 00:04:41.19 ID:qrdjbAqX0
「サンディ、今度髪でも切りにいこうか」

「……」

「ん、どうしたの?」

「……」

ホットミルクの入ったカップを見つめながら、何やら黙考している様子。

それから少し間を空けて、彼女は僕に告げてきた。

「お兄さん、一つ質問を宜しいでしょうか」

「う、うん。どうぞ」

「お兄さんは……お兄さんは……」

「うん」

「どういう髪型の人が好きですか!?」

これは流石に予想外の質問だった。思わず面食らってしまう。

鼻息がちょっと荒めになっているサンディは、ふんす、と興味深そうな眼差しを向けてくる。

僕の好みを教えたところでどうなる事でもないが、サンディも変なところに食いつくなぁと思う。

まぁお洒落に目線が向くのはいい事だし、あくまで僕の好みだけを簡素に伝えてみよう。

「うーん、そうだね……」

【好きな髪の長さ】

・ショート
・ミディアム
・ロング

>>158-164のレスにて多数決

 

165: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 01:02:00.37 ID:qrdjbAqX0

「ミディアム寄りのロング、かな……」

少し考えてみたが、こう、前はぼちぼち長い程度、後ろは肩甲骨にかかるくらい辺りか。

セミロングとはまた違うというか何というか。

「ど、どのくらいの長さなのでしょうか?」

サンディはいまいちピンと来ていないようで、食い気味に訊ねてくる。

これは僕の説明が不足しているのが悪い。

だが、これを語り始めたらフェチの話になって恥ずかしいんだよなぁ。

「まぁ、髪はどちらかというと長い方が好きかな」

と、曖昧に濁しつつも回答する。

ふむふむ、とサンディは何度か頷いた。何某かの参考になったのならば幸いだ。

 

166: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 01:18:19.57 ID:qrdjbAqX0
そんな事を話しながらものんびりとした時間を過ごしていると、気づけばお昼の準備が必要な頃合いになってきた。

天候は曇り。今日の気温的にも外はさほど寒くない。

どこか食べに出てもいいかも知れないと思いながら、

そういえば最近顔を出していない店があった事をふと思い出す。

「よっし、そろそろお昼の時間だね。今日はどこかに出かけようか」

「はい。お供いたします」

微笑みながらサンディは立ち上がって、玄関口に駆け出した。

入口の靴箱の上に置いていた、サンディ用のこの家の合鍵を持ってきたのだ。

その鍵には動物園で買ったキリンのキーホルダーが付けられている。

最近は出かける際にサンディが家の戸締りを確認し、扉のロックまでしてくれるのは有り難い。

彼女なりにここを我が家と感じてくれているんだろうか。

意図は分からないけれど、家の鍵を閉める際になんだか得意げな顔をするのが可愛らしいので

施錠の確認はそのまま彼女に任せている。

窓よし、裏口よし、玄関よし。指差し呼称までばっちりだ。可愛い。

そしていつもの駐車場まで手を繋いで歩き、ハスラーに乗っていざ出発。

「ところで、今日はどちらに向かうのですか?」

車の中でサンディが問いかけてくる。

運転中なのでよそ見はできないが、視界の端で首をかしげた様子が伺えた。

「今日はね、喫茶店でご飯を食べようか」

「喫茶店、ですか」

「そう。そこの料理は美味しいんだよ」

「楽しみです……♪」

声が弾む調子が分かる。僕も久々にあの喫茶店の料理が味わえるのが楽しみだ。

「ところで、そこのお店は何が美味しいのですか?」

「スクランブルエッグかな」

くっくっ、と笑いながら冗談を喋ってみる。

むぅ、と膨れたサンディが可愛いので、軽く頭を撫でてみた。

 

167: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 01:41:13.43 ID:qrdjbAqX0
車で十五分。平日という事もあり、さほど混み合う事無くスムーズに到着した。

住宅街の一角にあるその喫茶店は、周りにツタが生い茂っており、外から伺える店内は観葉植物が散見されている。

相変わらずロハスな雰囲気の喫茶店だ。

一つ惜しい所を挙げるとすれば、店の中の七割が花と観葉植物で覆いつくされているところか。良し悪しな部分だ。

季節ごとに花や植物が変わっているので、夏頃に来たらジャングルでコーヒーを飲んでいる気分になった事がある。

今は冬の花に染まっているようで、

外に咲く山茶花が僕らを出迎えてくれる。

カランコロンと入口のベルを鳴らすと、そこに見えるのは緑を基調とした観葉植物たち。

それに混ざるカランコエの橙色が良いアクセントになっていた。

今年の冬場はセンスが良いじゃないか、マスター。そんな事を独り言ちる。

「良い香りのするお店ですね」

サンディは花の匂いを楽しんでいる。お気に召してくれたようで何よりだ。

僕はおもむろにカウンターに座り、奥でコーヒーの豆を挽いている店主に声をかける。

「マスター、久しぶり」

「……おぅ」

横にいたサンディが、振り返った彼を見てびくりと身をすくませる。

痩せぎすの長身、無骨な顔立ち、そして頬に十字傷。どこの剣客かと。

いや、良い人なんだけれど、確かに初見だとカタギには見えないよなぁ……。

 

168: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 01:58:46.38 ID:qrdjbAqX0
マスターがお冷を二杯、カウンターごしに渡してくる。

僕はそれを手に取って少し喉を潤した。

不敵な笑顔が対面に見える。笑いかた一つとっても迫力ある人だ。

「えらく久しぶりじゃねぇか、一年ぶりくらいだな」

「ちょっと長丁場な事件を請け負っちゃってね。ここが潰れてなくて安心したよ」

「ふっ、ぬかせ。常連のマダムたちがいる限りは安泰よ」

僕らが軽口を交わすなか、サンディは未だ気後れしているのか下を向いてテーブルをじっと見つめている。

マスターは彼女をちらりと見て、それから僕に目線を向けた。

それからくるりと踵を返して、ご注文は、と催促してくる。

空気の読める人だ。あまり詮索しないからこそ、ここは居心地がいい。

「じゃあ、オムライス。サンディは?」

「わ、私も同じもので……」

あいよ、と返事が一つ。

久々に絶品のオムライスが楽しめるのを心待ちにしつつ、隣のサンディに話しかける。

「ああいう見た目だけれど、凄くいい人だよ」

「そ、そうですね。見た目で判断しちゃいけませんよね」

「そうそう。パッと見だとお勤め上がりの極道さんだけれど、あの人って花と絵本が大好きだから」

「!?」

サンディが驚いた表情を見せる。そして厨房から、

「おい聞こえてんぞ、情報漏えいで訴えるぞポンコツ探偵」

と野次が聞こえてきた。

ハードボイルド私立探偵をポンコツ呼ばわりとは失礼な。

だがポンコツと呼ばれる事は身に覚えは幾つかあるので、そっと押し黙ることにした。

 

169: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 02:13:38.96 ID:qrdjbAqX0

それからしばらく。

僕は持参の小説を読みつつ、サンディは店内に置いてある絵本を読みながら料理の出来を待っていた。

お互い手元の本をあらかた読み終えた頃に、お待ちどうさん、とタイミングよくオムライスが運ばれてきた。

産地直送のものをふんだんに使用したふわとろ仕上げの包み玉子、たっぷりの自家製デミグラスソース。

マスターがこだわり抜いて作成したチキンライス。

相も変わらず絶品だ。

オムライスに限らず、ここの料理は全品当たりでどれも美味しい。

サンディもうっとりした顔で舌鼓をうっている。

連れて来た甲斐があったというものだ。

あっという間に平らげて、胃が落ち着いた頃に食後のコーヒーが運ばれてきた。

サンディは食後の飲み物はアップルジュースにした模様。

ここのコーヒーは美味しい。僕がブラックで飲めるようになったのは、マスターの影響が大きいだろう。

そんな事を思っていると、彼の大きな手が一皿なにかを持ってきた。そのお皿をサンディの前に置く。

そこに乗っていたのは、苺のタルトケーキ。彼のお手製だ。

注文していないデザートが届いて、サンディは狼狽している。

「ああ、こりゃ余っちまったから勿体無くてな。お嬢さん、食べてくれるかい」

「よ、宜しいのですか?」

彼は返事の代わりに薄く微笑んだ。僕よりほんのちょっぴりハードボイルドみを感じてしまう。

サンディは何度も頭をペコペコ下げて、お礼の意を表している。

よせやい、早く食えと言わんばかりに手をしっしっとマスターは振った。相変わらず不器用な人だ。

 

170: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 02:18:09.21 ID:qrdjbAqX0
タルトを一齧りしたサンディの目がキラキラ輝いた。

目は口程に物を言うというのはこの事か。なんて分かり易いんだろう。

うん、人のものが欲しくなるというのは、大人として流石にそれはない。

ただ、少しばかりタルトが美味しそうなので、もしかしたら僕にも取っておいてあるんじゃないかとも思ってしまう。

一縷の望みを抱きつつ、訊ねてみた。

「マスター、僕の分は?」

「520円だ」

「ですよね」

 

171: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 02:33:23.37 ID:qrdjbAqX0
サンディがタルトを食べ終えるまでの間に、コーヒーをおかわりしてみた。

手慣れた手付きで彼はモカマタリを注いでくれる。

ふと、ポツリと僕だけに聞こえるように訊ねてきた。

「まだ、見つかんねぇのか」

「うん」

「そうか、早く手がかりが掴めればいいな」

「ありがとう」

そう言って、僕は手元のモカを一啜り。深みのあるコクがたまらない。

マスターは僕らに背中を向けて、食器洗いと仕込みの作業に戻った。

ふとテーブル奥にある時計に目を向けると、割といい時間になっていた。つい長居をしてしまったようだ。

サンディもタルトを食べ終えて、ホッと一息ついている。

もう少し味わいたかったが、そろそろ腰をあげるとするか。
 
まだ冷め切っていないコーヒーを飲み干して、勘定を済ませる事に。

「また来いよ」

帰り際、彼のバリトンボイスが耳に響く。

これからも二人でちょくちょく来るよ、と返事を返す。彼は破顔一笑、いつでも来いと言ってくれた。

サンディも強面には慣れたらしく、ドアから出る前に彼へ手を振っていた。

また美味しいものが食べたくなったり、落ち着きたくなったら、この喫茶店に通うことになるだろう。

マスター、今後ともご贔屓にさせてもらいます。ご健勝で。

 

173: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 03:27:28.75 ID:qrdjbAqX0

【連れて行きたい場所】

>>174

【視点:男 or サンディ】(多数決)

>>175-179

【サンディのクリスマスの願い事】

>>181

174: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 05:24:07.75 ID:5lbcQn2Ko
遊園地
175: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 08:14:45.76 ID:U2xlXYpJ0
サンディ
180: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 17:03:16.71 ID:P5V49ZMDO
このままお兄さんと一緒に幸せな日々を過ごしたい
181: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/16(木) 17:17:29.30 ID:MJBkpOdd0
>>180+孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように
192: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 02:50:37.61 ID:uKzXp4eX0

【連れて行きたい場所】

遊園地

【視点:男 or サンディ】(多数決)

サンディ

【サンディのクリスマスの願い事】

孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように
(このままお兄さんと一緒に幸せな日々を過ごしたい)

 

193: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 03:18:56.14 ID:uKzXp4eX0

魔法を見た。

夕暮れの薄暗い世界が、色彩鮮やかに目映く輝く瞬間。

もみの木の頂点に大きなガラス細工の星が飾られていて、

そこから天の川みたいな煌びやかさでライトが掛け降ろされている。

明るくなった影響で周りにいた人々の顔も照らされていく。

道行く人、誰かを待っている人、スーツ姿であくせく歩く人。

みんなが笑顔で包まれていた。

世界が平和でありますように、と。

そんな事が聞こえてきそうな、優しい光。

「綺麗ですね、お兄さん」

「うん」

イルミネーション、というものらしい。

生まれて初めて見た私は、感嘆の声を上げるほかなかった。

こうして見つめているだけで、胸の奥底がじんわりと温かくなってくる。

ふと横にいるお兄さんを見上げてみると、目が合ってしまった。

ずっと私を見ていたのだろうか。などという想い上がりを抱きそうになってしまう。

お兄さんは優しい目を薄くたわませて笑顔を向けてくれる。

じんわりと温かかった胸が、心拍数の上昇と共にどんどん熱くなってきた。

私は何故だか恥ずかしくなって、そっと俯く。

顔が見れない代わりに、お兄さんと繋いでいた手を少しだけギュッと握ってみた。

季節は十二月。年の瀬が背中を突いていく頃。

クリスマスという日まであと一週間。

 

194: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 03:33:30.34 ID:uKzXp4eX0
今日はお兄さんの買い物がてら、二人で街に出ていた。

目的の物を買うのに時間がかかるという事だったので、お付き合いしますと言ったものの

「サンディはここで待機ね」

「え……?」

と、待機場所を命ぜられたのは、美容院という所だった。

そこはどうやら髪を切る場所のようで、美人ばかりが所狭しと往来していた。

奴隷身分で場違いな私は凄く気が引ける。

ここで勝手に待っていてもいいのかとおろおろしていたら、

何やらお兄さんが受付の方と二言三言と言葉を交わしている。

それからすぐに、こちらですと店の中に案内された。

「じゃあ、髪でも切って待っててね。
 僕も用事を済ませてくるんで、あとから迎えに来るよ」

そう言ってお兄さんはヒラヒラと手を振って店を出る。

自分にとって髪は、荒っぽく掴まれたり、気まぐれで焦がされたり、乱雑に切られるだけのもので

こんなに煌びやかな場所で整えるなんてやった事がない。

いざ席に着いて、如何されますかと言われても、あ、う、う、と言葉に詰まってしまう。

しどろもどろになっていたら、自分の隣の座席から急に声が聞こえてきた。

「サンディちゃん!!?」

自分の名前が呼ばれた事に驚きながらも横を向くと。

そこには、以前私に洋服を見繕ってくれたあのお姉さんがいた。

 

195: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 03:46:18.14 ID:uKzXp4eX0
お姉さんとの再会を喜ぼうにも、どう言葉を交わしていいのか分からない私は、軽くぺこりと会釈をする。

当の本人はテンションを高くして喜んでくれる。

なんだか照れ臭い。頬が染まってしまう。

お姉さんも髪を切りにきたのかと訊ねてみると、『ごうこん』のために髪をセットしに来たのだという。

よく分からないが凄い気迫を感じるので、後程たぶん大事な場に赴くのだろうか。

そんなお姉さんは私を見て、むふふと笑う。

「サンディちゃんは、どんな髪型にするの? あの大好きなお兄さんの好みのタイプに?」

しゅぽん、と。頭から湯気が出る音がした。

あ、な、な、あ、あ、あぁ……!

何か言おうとしてみるものの、言葉が紡げない。

「あら図星!? やだもう、お姉さん全力で応援するからね!
 あの人なんだか朴念仁そうだし、落とすのは困難と思うけれど、ファイトよ、ファイト!!」

そんなつもりじゃないのだが、確かに自分の髪型なんて気にした事はほとんどなかった。

だから、せっかくならばお兄さんが見ても不快な気持ちにさせないというか、

ちょっと、いいな、って思ってくれたら、私は、ちょっぴり、嬉しい、かもしれない……。

私はお姉さんの言葉にこくり、と頷いた。

気が付けば、お姉さんの他にも、後ろで待機していた店員さんまでニマニマしていた。

顔から火が出そうだ。

 

196: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 03:51:20.64 ID:uKzXp4eX0
「ではお客様、素敵に仕上げますのでご安心を。ご希望の髪の長さはありますか?」

そう言ってくれる店員さんがとっても頼もしく感じる。

さて髪の長さはどうしようか。

そういえば以前、お兄さんが好きな長さを聞いた事があったような。

確かミディアム、なんとか。あまり聞きなれない言葉だから、それっぽく言えば伝わるだろうか。

「すいません、ミディアムレアにしてください」

注文を間違えたのはすぐわかった。

それを横で聞いていたお姉さんが、五分くらい爆笑していたから。

 

197: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 04:03:22.26 ID:uKzXp4eX0
紆余曲折はあれど、どうにか意図は伝わったようで、やや長めくらいの髪型に仕上げてもらう事に。

お姉さんは早々にセットが終わって、先にお店を出ていった。

とっても可愛い髪型だったし、何よりも、また会いましょうと私に向けて微笑んでくれたあの笑顔が素敵だった。

大人は怖いけれど、それだけじゃないというのが日本に来て分かってきた。

あのお姉さんにはまた会いたいな、と思う。

それから髪を霧吹きで軽く濡らして、ちょきちょきと小気味のいい音が自分の耳元から聞こえてくる。

足元にぱさりと落ちてくる黒髪が、今こうしてカットされている様を物語っていた。

以前は乱暴に髪を引っ張られてじょきじょきと錆び付いたハサミで切られていたから凄く痛かったのに

何故だか今こうして髪を切られるととても心地いい。

目蓋がとろんと重くなってきてしまう。

不意に睡魔が肩を掴んできたと思えば、次の瞬間には店員さんから肩をゆすられていた。

「大体の形が出来ましたが、如何でしょうか」

鏡の前に映るのが一瞬誰なのか分からなかった。

前とサイドはボブテイスト、後ろは長さを残しつつ、ロングに伸ばしてもおかしくないようにしたとの事。

不思議だ。髪型一つでこうも心が躍るのか。

早くお兄さんに会って、見せてみたい。そんな事を思ってしまう。

 

198: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 04:15:20.64 ID:uKzXp4eX0
「おぉ、サンディ。また一段と綺麗になったね。似合ってるよ」

お店に迎えに来てくれたお兄さんは、開口一番にそう言って褒めてくれた。

私は心からのお礼を申し合げる。有難うございます、と。

こうして美容院を後にした私たちは、そのまま手を繋いで、街を少しだけ歩いてみることにした。

その途中にて、クリスマス企画でもみの木にイルミネーションを点灯させるという行事に巡り合ったというわけだ。

「ふわぁ……」

イルミネーションを眺めていると、またしても声が漏れる。

青一色になったかと思えば、次はオレンジ色の暖色に切り替わり、そして紫の光の濁流に変わる。

去年の今頃は、寒さとひもじさで震える体を薄手の毛布で包んで寝ていた事しか記憶にない。

今こうして寒さに震えないのは、お兄さんのおかげ。

彼から先日買ってもらったマフラーを軽く触ると、ふわふわしている。

幸せだなぁ、幸せだなぁ。

胸がいっぱいになると不意にイルミネーションが滲んできた。

手袋を私なんかで汚すのは勿体ないので、急いで外してごしごしと目元を拭う。

ふと頭に優しい感触を覚える。お兄さんの手だ。

髪を切って軽くなった私の頭を撫でてくれる。嬉しい。

 

199: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/23(木) 04:29:50.33 ID:uKzXp4eX0

「そういえば、もうすぐクリスマスだね」

お兄さんが独り言ちる。少し遠い目をしていた。

そうですね、と私は言う。

自分には今まで縁のないものだったから、正直なところよく分からないのだ。

「クリスマス、何か欲しいものはある?」

いいえ、何も、何も要りません。

ずっと貴方の傍においてください。

そう言うとお兄さんはきっと困るだろうから、私は首を振る。

「いいえ、特に」

「欲が無いなぁ。お兄さんをサンタさんと思ってくれていいんだよ」

「いいえ、本当に何も無いのです」

「そっか。 うーん……保護者として、何かしてあげたいんだよなぁ……」

するとお兄さんは、何か閃いたような顔をした。

そしてにっこり笑って私に告げる。

「よし、サンディ。宿題を出そう。
 明日までに何か願い事を書いておくように。可能不可能は度外視で!」

「……え?」

貴方がいればいいのです、と早く言ってしまうべきだったか。

いや無理だ。面と向かって言うのは恥ずかしすぎる。

満たされている私にとって、とても難しい宿題が言い渡された。

 

204: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:04:36.09 ID:KdyHe2Zm0

わたしが生きていた轍には、吹きさらしの傷口が無数にある。

冷たい風を浴びるとじくじく疼くから、同じ痛みを持つ者同士で寄り添いあい

温め合ってそれを誤魔化すしかなかった。

ヤマアラシのように体に針がなくて良かったと思う。

もしそうだったら、私たちは血塗れで抱きしめ合う事になっていただろうから。

205: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:06:36.06 ID:KdyHe2Zm0
コンクリートの冷たい床、薄手の毛布、首輪と鎖。

自分が過ごしてきた寝床として思い出せる記憶だ。

寒さとひもじさで最初は泣いていた。

泣いていると折檻をされるから、次は笑うようになった。

笑っていても折檻をされるから、次は怒るようになった。

怒っていても折檻をされるから、次は喜ぶようになった。

喜んでいても折檻をされるから、もうどうしようもなかった。

もう、どうしようもなかった。

 

206: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:13:31.64 ID:KdyHe2Zm0
だから、心を空っぽにした。

そうして一日が早く過ぎますようにと願いながら

寒さをしのげるように、奴隷だった私たちは固まって眠るようになる。

ドブ鼠のような様だなと前のご主人様は笑いながら、真冬の夜に冷水をその集塊に浴びせてくることもあった。

その時は体温が下がるのを防ぐために一層固まって擦り寄った。

唇が真っ白になる子を輪の中心に、体を一所懸命こすり合わせて温めた。

他の子にそうしてもらい、他の子にそうしてあげていた。

死なないように生きる事に、私たちは必死だったのだ。

最初は十五人いた。

別所へ競売にかけられたり、冷たくなっていった子がいたりして、どんどん人数は減っていく。

結局そうして生き残って無事に日本に来れたのはたった三人。

たった三人だった。

一緒に船に乗ってきた子以外の顔立ちを頭の中で描こうとすると、ペンで塗りつぶされたような漠然としたものに仕上がる。

散った皆の事を考え出すと心が砕けそうになるから。

今は思い出せない。思い出してはいけないのだろう。

 

207: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:16:14.11 ID:KdyHe2Zm0
ふと思う。

お兄さんに保護されて、私だけこの国に留まらせてもらうことになったけれど。

離れ離れになったあの子たちはちゃんと温かい毛布で眠れているんだろうか。

どこか知らない土地で寂しく泣いていないだろうか、と。

そう思うと無性に顔を見たくなった。

あの二人を振り返るために想起すると、泣いている顔しか思い出せないのが、とても悲しい。

 

208: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:18:25.10 ID:KdyHe2Zm0

サンタはいない。

でも、もしいたとしても、プレゼントはいらない。

たった一つだけお願い事を聞いてほしい。

“孤児院に行った二人が幸せに暮らせていますように”

私はお兄さんから渡されたメモ紙にそう書いて、

事務所の中に準備してくれた『サンタさんへのポスト』へ就寝前に投函した。

もうサンタなんて信じる年頃ではないが、優しさを無碍にしたくないのでそれは置いておこう。

願い事は何でもいいとは言われたものの、我ながら漠然とした内容だ。

これは叶えるのが難しいな、と少し困った顔をするであろう人物が思い浮かぶ。

それはふくよかで白鬚を口元にたくわえた虚像ではなく。

柔らかい笑顔の似合う、とっても素敵で、ソフトマイルドなサンタさんだった。

 

209: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/11/25(土) 12:21:48.28 ID:KdyHe2Zm0

投函した次の日から、お兄さんは色々な所に電話をかけていた。

そして電話をかけた数に呼応するかのように外出する事が多くなった。

曰く「今まで探偵業を休んでいたから、年明けに再開をする為の準備中」との事だ。

手伝えることは何かありませんかと訊ねてみれば、じゃあお留守番を頼むと言われた。

頑張りますと答えたら、彼はにっこりと私の大好きな微笑みを向けてくれる。

そして大きな手で頭を撫でられた。

私は非力だけれど、全力でお兄さんのおうちを守ろうと心に決めた瞬間だった。

それから、あれよあれよという間に時間は過ぎて。

気付けば暦は十二月二十四日。クリスマスを迎えていた。

 

223: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/05(火) 16:52:38.62 ID:uO7JY89I0
【幕間】

「私も早く大人になって、泣き虫を治したいです」

料理を教えているときにサンディがふと呟いた。

よくよく見てみると、大きな目からポロポロと雫が頬へ垂れている。

今日のメニューはカレーライスだ。

玉ねぎを刻むのが不慣れなら、そりゃ涙も出るさ。

そう伝えながら、手元のキッチンペーパーをティッシュ代わりにして

涙を拭うついでに鼻水も噛ませてみる。

「え゛う゛、ごべんなしゃい……」

鼻を噛んでるときに喋るものだから、なんとも間の抜けた可愛い声が漏れた。

彼女もちょっと恥ずかしかったようで、耳を赤くして俯いてしまう。

しばしそのまま立ちすくんだかと思うと、ふるふると頭を振って再び玉ねぎと格闘を始めた。

傍から見ずとも微笑ましい光景だと思う。

しかして、さっきの台詞は本心なのだろう。

それについてはサンディが大人になる前に訂正をしなければならないな。

“私も早く大人になって、泣き虫を治したいです”

大人は泣かなくなるんじゃない。

隠れて泣くのが上手になるんだよ。

224: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/05(火) 16:59:31.08 ID:uO7JY89I0
上手に出来上がったカレーを二人で食べ終えて、湯を張ったお風呂にそれぞれ浸かり、

夜更かししないように早々と就寝することに。

体質的には夜型の身だが、サンディと住むようになってから

随分と人間らしいルーティンで日々を過ごせるようになったものだ。

「おやすみなさい、お兄さん」

「おやすみ、サンディ。今日はゆっくり眠れそうかい?」

「はい。今日もゆっくり眠れそうです」

そう言って彼女は嬉しそうに薄く微笑む。

軽く頭を撫でたあとに部屋の灯りを消してみると、

羊を数える間もなく隣から規則正しい呼吸音が聞こえてきた。

君が穏やかな寝息を立てて眠ってくれているとき。

僕は静かに泣いている。

悲しいからではない。切ないからでもない。

ただ、涙が零れてしまう。

皆が享受する当たり前の幸せを、一生懸命に日々かみしめる健気な姿を見ていると。

願わずにはいられないのだ。

きみの瞳が美しいもので輝きますように。

きみの心が温かいもので満ちますように。

僕は多分、君から愛を教わっている。

~~~~

 

233: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 00:55:06.57 ID:sLz/PBVL0

クリスマスイブ。薄曇りの空模様で、普段よりも少し肌寒い気温が世界を包む。

今日はお兄さんの提案で出かける事になった。

行先を訊ねてみれば、内緒の一言だけ。

どこへ行くのかもちろん気にはなっている。

ただそれ以上に、お兄さんと一緒に外出できるだけで心が弾んでしまうのだ。

駐車場に向かう自分の足が浮いているような気さえする。

「スキップするのはいいけれど転ばないようにね」

後からお兄さんの声が聞こえてきた。……スキップ?

どうやら本当に浮いていたようで、心どころか足さえ無意識に弾んでしまったらしい。

はしゃいでいるのを見られてしまい、否が応にも心拍数が上昇する。

顔中が火照るように熱い。両手でパタパタと扇いでも治まる様子はない。

自分の頬と耳が赤くなっているのが手に取るように分かってしまう。

恥ずかしさを隠すために車の元まで駆け出してみた。

お兄さんが到着するまでに早く浮かれた熱を冷まさなければ。

 

234: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 01:12:10.92 ID:sLz/PBVL0
深呼吸を幾度か繰り返して平静に戻る。

ちょうどその頃合を見計らったかのように、お兄さんも車の駐車してあるスペースに辿り着いた。

そこに停めてある桃色の車に乗り込む前に、

サイドミラーを覗き込んで手櫛でサッサッと前髪を整える。

髪型はおかしくはないだろうかと自問自答。

答えは当然返ってこない。

初めて出会ってからずっとボサボサの髪で過ごしていた手前、今更という感はある。

でも、お兄さんは髪を切り終えた私に向かって綺麗だと言ってくれた。

嬉しかった。とても嬉しかったのだ。

だから、あの時の気持ちを忘れないように、不慣れな手付きで髪をセットする。

そうするとまるで自分が女の子だった事を思い出すようで、少し照れくさくなる。

それと同時に胸が温かくなるのだ。

とっても不思議な感覚。

何度か前髪の分け目を弄っていると、ふと後ろに視線を感じた。

サイドミラーの視線を自分の髪から後ろに少しずらしてみると、

ほほぅ、と何か感心したような顔立ちでお兄さんが覗き込んでいる。

「綺麗だよ、サンディ」

そう言ってお兄さんは運転席側に移行して、車の中に入り込む。

私は思わずしゃがみ込んだ。

頬の熱さがぶり返してきたから。

 

235: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 01:29:38.93 ID:sLz/PBVL0

それから一呼吸だけ間を置いて私も助手席に乗り込む。

私がシートベルトを着用したのを確認し、お兄さんは今回の目的地に向かうために車のエンジンを点火した。

しばらく走っているうちに、この車は郊外に向かっている事が分かった。

道路の案内板から察すると市街地のテーマパークらしき場所が目的地のようだ。

未だ行ったことのない場所なので、そこに何があるのか皆目見当がつかない。

車が風を切っているその間、私は車窓の内側から外の景色を眺めている。

街路樹に巻かれた電灯が美しいイルミネーションになっていてとても綺麗だ。

天国へ続く道は、もしかするとこんな光景かも知れない。

歩道を歩く人達はみな寄り添いあって、それぞれが幸せそうな顔をしている。

本の中でしか見た事のない尊い世界を覗いているようだ。

もし本当に神様がいるならば、この中に私が一人くらい混ざっても許容してくれるだろうか。

隣で車をのんびり運転する私の神様に、そう訊ねてみたくなった。

 

236: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 01:45:19.98 ID:sLz/PBVL0
車を走らせること大よそ一時間ほど。

“遊園地”と呼ばれている大規模なテーマパークに辿り着いた。

目的地に着いてその中に入場をした私は思う。

地球にはこんなにも人が居たのか、と。

「うはぁ、凄い人の多さだ……」

お兄さんも絶句していた。どうやら人の多さに関しては予想外だったようだ。

 

237: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 01:47:44.59 ID:sLz/PBVL0
「いやぁ、最近ちょっとバタバタしていたからどこにも連れて行けてなくてさ。
 今日はクリスマスイブだから何かしようと思ってたけれど……裏目に出ちゃったかな?」

「いいえ、とても素敵なところに連れてきてくださって嬉しいです」

「サンディは優しいなぁ……」

お兄さんは大仰にほろりと泣くような素振りを見せて、私の手を繋いでくれる。

その大きな手をぎゅっと握り返した。離さないように、離れないように。

 

238: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 01:58:36.16 ID:sLz/PBVL0
人の多さが影響しているのだろう。

遊園地のアトラクションは軒並み待ち時間が多かった。

特にジェットコースターという乗り物には、どれも約三時間待ちという看板が立っている。

さてどこから回ろうかとお兄さんはパンフレット片手に悩んでいた。

貴方と一緒にいれるだけで私は嬉しいのに。

現在地は遊園地の中央区にある噴水前。

噴き出す水が光に照らされて彩り鮮やかに変化していく。

綺麗だなぁ。ずっと眺めていても飽きない。

ふと視線を外して周りを見ると、様々な人が楽しそうに往来している。

カップルと呼ばれる男女のつがいよりも、親子連れの家族の方が多かった。

子どもはみんな嬉しそうに親と手を繋いで、暖かい恰好ではしゃいでいる。

そんな子どもを見て、親は嬉しそうに目を緩ませている。

瞬きするだけで世界はこんなにも美しい。

私の視界は今、幸せで満たされていた。

 

239: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 02:14:53.76 ID:sLz/PBVL0

お兄さんが熟考をして出した結論は、

『とりあえず空いているアトラクションを端から回ろう』という内容だった。

ただ、観覧車にはとりあえず乗っておきたいという彼の要望で、

一番最初に観覧車の整理券をもらい、順番が巡ってくる二時間後までは別所を巡る段取りに。

そして今、私はメリーゴーラウンドという乗り物の順番待ちをしていた。

曰く「年を取った男は乗れないもの」だそうだ。

なのでお兄さんは外で待機して、私が乗る様を楽しむとの事。

改めて一緒に並んでいる子を見ると、小さい子ばかり。私が最年長のような気がしなくもない。

順番が回ってきて係員の方から案内をされる。

馬を模倣した乗り物に跨るように言われ、言葉のままに乗ってみる。

そのまま手すりのポールを離さないでという注意喚起を告げられたかと思うと

途端にファンシーな音楽が流れ始めた。

「えっ、えっ、えっ……!?」

あたふたしながらポールをギュッと抱きかかえる。

そして地面と乗り物が動き始めた。

地面は地球の自転のように回り、それに呼応するように馬は上下に動いている。

ちょっと楽しい。

周りの風景は緩やかに移行して、遊園地の煌びやかなイルミネーションを楽しめる様になっていた。

そんな幻想的な風景を楽しんでいると、ふと何か呼びかけられたような気がする。

「おーい、サンディー! こっちこっちー!」

お兄さんがアトラクションの外側で、手を振りながら迎えてくれる。

なんとなく気恥ずかしいけれど、少し浮かれた私はおずおずと手を振り返してみた。

お姫様みたいでなんだか照れてしまう。

 

240: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 02:19:48.26 ID:sLz/PBVL0

そのままお兄さんのいた景色を置き去りにして、回転木馬はのんびり回る。

そして二周目、再びお兄さんの待っている景色へ。

「サンディ、こっち向いて!」

言葉のまま彼の方を向いて手を振ると、パシャリと彼の携帯電話で写真を撮られた。

ちょっぴり気恥ずかしさを残しながら三周目。

次はいつの間に持っていたのか本格的なカメラを向けて私を待ち構えていた。

パシャ、パシャ、パシャ、パシャ。連続したシャッター音が聞こえてくる。

お兄さんは周りの人の注目を浴びているのに気づいていないのかも知れない。

流石にもう撮られる事は無いと思っていた四周目。

録画状態のハンディカムを持って、キラリと光る大きなレンズを私に向けていた。

「可愛いよ、サンディ! 手を振って、ほらほら!」

周りの人はお兄さんの大きな声に驚いていて、必然的に私も注目を浴びることに。

顔から火が出そうだ。でも、お兄さんの要望には応えたい。

作り物の白馬のうなじに顔をうずめながら、ぱたぱたと頑張って手だけは振ってみる。

後の周回は、お兄さんの待ち構える付近になったらポールを抱きしめて

恥ずかしさで死にそうになっている様をビデオカメラで撮られ続けていた。

メリーゴーラウンドから降りたあと、私は一目散にお兄さんの元へと駆け出した。

そして何故か満足げな顔をした彼の背中に回り込み、ぽかぽかと軽く叩いてみる。

恥ずかしかったけれど、楽しかったのもまた事実。

なので、これは私なりの照れ隠しと抗議の合わせ技だ。

次の乗り物は一緒に乗ろう。そう決めるのには充分な出来事だった。

 

242: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 02:46:10.33 ID:sLz/PBVL0
その後はコーヒーカップという乗り物の所へ行き、お兄さんと一緒に乗った。

ぐるぐる回るそれも楽しくて、ついはしゃぎすぎた結果、二人して思わず回し過ぎた。

アトラクションから降りる際にお兄さんの足元がふらふらしていたのも

何だかとっても面白くて、つい笑ってしまった。

そして遊園地の中にある売店で軽食のサンドイッチと温かい飲み物を購入した。

私はホットココア、お兄さんはコーヒー。ハードボイルドのこだわりは相変わらずだ。

再び中央区の噴水前に戻り、そこに備えられてあるベンチに座ってサンドイッチを食べた。

パンに挟まれてあるのは、レタス、ハム、チーズという至極シンプルなものなのに

どうしてこんなにも美味しいのだろうか。

私はつい率直な感想を呟いてしまう。

「サンドイッチ、美味しいです」

「お、じゃあ今度一緒に作ろうか」

「はい、これなら私も間違えずに作れると思います」

「随分と頼もしい返事だね。これは最高のサンドイッチを期待しても良さそうかな」

「あ、えと……そこまでは、ないかも知れません……。
 美味しくなるよう、お兄さんへの気持ちは多めに挟んでおきますね……」

急にハードルが上がると自信を無くしてしまう。

愛情だけは劣りません、という上手な言い回しが分からないので、つい語尾が弱くなる。

お兄さんは優しく微笑んで告げる。

「ありがとう、サンディ。お腹よりも胸がいっぱいになりそうだなぁ」

そう言いながら、私にむけてカメラのレンズを向けて、パシャっと一枚シャッターを切る。

サンドイッチを食べている状態だったので、凄く無防備なところを撮られてしまった。

急いでもふもふとサンドイッチを詰め込んで、ホットココアで流し込む。

ようやく食道に収まった頃に、お兄さんから急に抱き寄せされた。

「ほら、携帯のレンズを見つめて……はい、チーズ!」

カシャ、と無機質な音が鳴る。

そこに映っていたのは、にこやかで楽しそうなお兄さん。

そして、急な出来事で大混乱していて、グルグル眼の真っ赤な顔をした私だった。

なんとなく。

なんとなく、だけれど。

年の離れた兄と妹で撮ったような。

まるで、家族みたいな写真だった。

 

243: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:05:27.83 ID:sLz/PBVL0

それから少し遊園地の飾りつけを見て回り、気が付いたら観覧車に並ぶ良い時間となっていた。

係員の方に整理券を渡して、優先列に並ぶ。

ものの十分と待つ事も無く、ゴンドラに乗り込むことができた。

ゆっくりと頂上に上がるそれは、人工的に色づいた夜光を置き去りにしていく。

私の足元には、先ほどまで見上げていたイルミネーション。

気付けば燭光のように小さくなっていた。

空が近づいているのだろうが、夜闇ではどの程度まで高くなっているのか分からない。

ふと、夜の黒に白色が紛れてくる。

あまりに綺麗な真白だったので、星が落ちて来たのかと思った。

よくよく目を凝らしてみると、どうやら雪が降り始めたようだ。

牡丹雪のようで、一粒一粒が大きい。明日は積もるかも知れない。

「綺麗ですね、お兄さん」

「うん。まさかのホワイトクリスマスになったね」

そう言いながら、お兄さんは鞄の中を漁り始めた。

そして少しの間を空けたあと、ラッピングされた何某を私に手渡してくる。

「メリークリスマス、サンディ。サンタさんからのプレゼントだよ」

「あ、ありがとう、ございます……!」

私はそれをおずおずと手に取る。

薄手ながらに固い感触のするそれは、CDケースのようだった。

「家に帰ったら空けてね。サンタとの約束だよ」

ふぉっふぉっふぉ、とでお兄さんは笑いながら、

生えていない白鬚を触るような仕草でそう告げる。

私はコクコクと頷くので精一杯だった。

 

244: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:19:53.26 ID:sLz/PBVL0

プレゼントに対して、私は何か返せるものがないのか訊ねてみた。

お兄さんは「気にしないで」の一点張り。

そして私の頭を軽く撫でて、伝えてくれる。

「君がプレゼントの中身を見てくれたら、僕はそれだけでいいんだ」

それから、私はお兄さんと他愛もない事を話した。

明日のクリスマスは雪が積もるのか、とか。

お兄さんの好きな映画の話、とか。

どうやったら美味しいご飯が作れるのか、とか。

そうこう話し込んでいると、観覧車のゴンドラはあっという間に一周を終えた。

外の景色は綺麗だったけれど、それ以上にお兄さんの顔を見ていた時間の方が長かった気がする。

雪は牡丹雪から粉雪へと変わり、いつの間にかすっかり止んでいた。

私たちが観覧車に乗っているときにだけ降ってくれたかのようだ。

お兄さんとしては先ほどの物を私に渡すのが一番のミッションだったようで、

さて後のプランはどうしようかと悩んでいる様子。

だから私は答えた。

「家に帰って、プレゼントの中身が見たいです」と。

 

245: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:21:42.94 ID:sLz/PBVL0

素敵な時間はあっという間に過ぎていく。

遊園地にもっと長くいたいという気持ちは強い。

だからこそ、名残惜しいくらいが丁度いいのだろう。

去年の今頃は、明日さえ分からないような刹那を生きていた。

奴隷だった身からすれば、楽しすぎるのは怖いのだ。

満たされ過ぎると悲しくなる。

だから、今はこの場所に願いだけ置いておこう。

きっとまた、お兄さんと一緒に来れる機会がありますように。

 

246: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:50:39.93 ID:sLz/PBVL0

家に戻ると、お兄さんはいそいそと何かの準備を始めた。

その間に私はラッピングされたプレゼントを開ける事に。

包み紙の形を崩さないように丁寧に開けると、そこに見えたのはやはり簡素なCDケースだった。

ただ、『親愛なるサンディへ』と書かれているのが気になるところ。

お兄さんはどうやらテレビにDVDプレイヤーを接続しているようだ。

ではこれはCDではなくて、何らかの映像が記録されているDVDなのか。

中身を知らないので、私は恐る恐るそれをセットして、再生ボタンを押してみた。

 

247: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:53:11.57 ID:sLz/PBVL0

まず最初に映っていたのは、どこかの大きな施設。

色んな人種の子どもたちが楽しそうにはしゃいでいる姿が映し出されている。

ふと、カメラがとある子どもに向かってズームを始めた。

そこに映っていたのは。

私と一緒に日本へ来た、孤児の生き残りの二人だった。

彼女たちは朗らかに、声をあげて笑っている。

どうやら友達が出来たようで、ボールを蹴りながら一所懸命にそれを追いかけていた。

そしてカメラは一度暗転したかと思うと、次は食事のシーンを映してくる。

子どもたちは机に向かって美味しそうにご飯を食べている。

あの二人もしっかりパンとスープ、お肉やサラダなど好き嫌いなく食べていた。

とても、とても美味しそうに食べていた。

楽しそうだった。

幸せそうだった。

 

248: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 03:54:37.49 ID:sLz/PBVL0
そして次の場面転換では、空いた部屋に二人が並んで座っていた。

二人はまじまじとした顔でカメラを見つめている。

物珍しい、を体現するとこうなるのか。

カメラを回している人が小さな声で、オッケー喋って喋って、と言ってるのが聞こえてきた。

 

249: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:03:48.71 ID:sLz/PBVL0

“あー、いま、もう撮れてるの? 撮れてる? なら良かった。

 サンディ。元気にしてる?

 私たちは今、アメリカの孤児院で暮らしているわ。

 ここの先生たち、とっても優しいの。神様みたい。

 お行儀が悪いと怒るけれど、鞭で叩かないし、

 意味もなく生爪を剥がしてレモン汁に浸して泣かせてくる、みたいな事もないの。

 今のところはね。

 人間なんて分からないから信頼なんて出来ないけれど、

 ちょっとだけ、ちょっとだけ信じてみてもいいかな、って思ってる。

 今ね。

 人生で、一番幸せなのかも知れないわ。”

 

250: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:07:29.79 ID:sLz/PBVL0

『やっほー。サンディ、私のこと忘れてないよね?

 私もイザベルと一緒の孤児院にいるんだ。

 ここはね、温かいよ。

 身を切らずにご飯も出るし、それぞれにベッドとふかふかの毛布が分配されてるから

 寒くて死んじゃうこともないんだー。

 この前はすっごい雪が降ったけれど、院のみんなで雪かきして、集めた雪で遊んだんだ。

 すっごい面白かったよ!

 ここにいる子どもたちもね、私たちとおんなじような子ばかりでね。

 夜に泣いている子がいると、みんなで集まってぬくぬくするんだ。

 私たちが生きてたあの部屋を思い出しちゃうけれど、

 サンディたちと温め合ってこうして生きて来れたこと、いっつも感じるの。』

 

251: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:09:14.53 ID:sLz/PBVL0

“それとね。あたし達、貴方にどうしても伝えなくちゃいけない事があるの”

『うん、どうしても伝えたかったの』

せーの、と息を合わせる合図の後、その言葉は紡がれた。

 

252: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:10:25.69 ID:sLz/PBVL0

 サンディ、助けてくれて、ありがとう。

 

253: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:12:07.22 ID:sLz/PBVL0

『辛かったとき、一緒にぬくぬくしてくれて、ありがとう』

“日本にくるとき、あの船の中で私たちを庇ってくれて、ありがとう”

『サンディ泣き虫だから、きっと誰よりも怖かったのに』

“貴方がいてくれたから、きっと私たちは生きていられたの”

“生きていれば、また会えるから。

 きっといつか、会いましょうね。”

『私たちは適当に幸せに過ごしているから安心してね。

 優しいサンディが、幸せに過ごせていますように、って祈ってるよ。ずっと。』

 

254: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:15:17.99 ID:sLz/PBVL0

二人は満面の笑みで、カメラに向かって手を振っている。

映像はそこで終わっていた。

私は途中で二人の顔が見えなくなっていたから、もう一度見直さなければならない。

ただ、今の所は、何度見ても最後まで顔を見据える自信が無い。

幸せな二人を見る度にきっと私は泣いてしまうだろうから。

 

255: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:29:11.03 ID:sLz/PBVL0

涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。

お兄さんはティッシュの箱を持ってきてくれたが、それを使い切りそうな勢いだ。

泣きすぎて息ができないから、おぅ、おぅ、とオットセイみたいな声が出る。

もはや恥も外聞もなく、私は枯れ果てるまで涙を流そうと決めた。

それからしばらくの間ののち、ようやく少し落ち着いた私に向けて

お兄さんはホットミルクを差し出した。

「いやぁ、そこまで感激してくれるとサンタ冥利につきるね」

「いづ、グスッ……、ずみ゛まぜん、いつ、の間に……、準備したんですか?」

「きみが願い事を投函した翌日から準備を進めてたよ。
 組織の連絡先を調べていたら、色々と時間かかっちゃってさ」

「ありがとう……、ありがとう、ございます……。叶うなんて、思ってませんでした……」

未だ涙が少し溢れる私をお兄さんは優しく抱きしめてくれる。

温かい。ぬくぬくだ。

お兄さんは、私を腕の中に収めながら告げてくる。

「実はね、この映像をくれる代わりに一つだけ取引があったんだ」

「とり、ひき……?」

「それを聞いてくれるかい?」

「何でもいいです。私で出来ることは、何でも受け入れます……」

「“あの二人にサンディの現状を伝えてほしい”ってさ。
 今日撮った写真、送っていい?」

「恥ずかしいからダメです」

「手の平大回転!? なんでもって言ったじゃんサンディ!」

「それはそれ、これはこれ、です」

「便利な日本語を知ってるね……!」

 

256: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:40:31.81 ID:sLz/PBVL0

それから数日後。年の瀬も近づいた頃。

「じゃあ、カメラ回すよ」

「えっと、どのタイミングで喋ればいいですか?」

「ゴメン、もう回ってる」

「ええ!?

 

257: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:43:54.79 ID:sLz/PBVL0

ええ!? もう始まってるんですか!!

あと、その、えーと。

イザベル、クロエ。元気ですか。

えっと、サンディです。

私は今、あの船で助けてくれたお兄さんの元で居候になっています。

お兄さんはとっても優しくて素敵です。

普段はにこやかなのに、キリッとした時の表情が凄く恰好いいです。

とっても良い匂いもします。

それに私の知らない事をいっぱい教えてくれて、

沢山の愛をいつも注いでもらっています。

え、あ、ちょっと、お兄さん、照れないで……。

私も本人が目の前なのに本音を言い過ぎました……自重します……。

あ、え、えと、そうだ!

最近はご飯も少しずつだけれど作れるようになりました。

昨日はサンドイッチを作ってみました。二人にも食べてもらいたいです。

あと、えーと、あとは……。

話したいことが沢山あって、全然まとめられません。ごめんなさい。

たまにこうして、やりとり出来たら嬉しいです。

また会いましょう。

ぜったい、ぜったい会いましょうね。

ふたりとも。たすけてくれて、ありがとう。

いま、わたしは、しあわせです。

 

258: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 04:59:33.85 ID:sLz/PBVL0

~~~~

それから大晦日を越えて、年の始めの元日を迎えた。

明けましておめでとうございます。

二人でそう伝えあい、年越し蕎麦というものを食べる。

お兄さんお手製のお蕎麦は薄口でとても美味しかった。

鐘の音が鳴り響く境内、深々と降る雪の中を参拝する人々がテレビに映される。

とても厳かに感じるが、それ以上に私が感じているのは眠気だ。

時間を見ると午前零時を少し跨いだあたり。

お兄さんの下でお世話になって以来、こんなに遅くまで起きているのは初めてだ。

先に眠る旨をお兄さんに伝えると、明日はごろごろ過ごすから好きな時間に起きていいとの事。

お兄さんはしばらく夜更かしをしてテレビを見るらしい。

おやすみなさい、と私は先に伝えて就寝。

彼がいつ潜り込んできても良いように、お布団を温めておくのだ。

そして次に目が覚めたのは、午後三時。

久しぶりに飛び起きる。いくらなんでも寝すぎてしまった……。

 

259: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:08:52.14 ID:sLz/PBVL0
「おはようございます……元日早々から寝坊して申し訳ありません……」

「おはよう、サンディ。僕も起きたばかりだし気にしないで」

お兄さんは朗らかに笑いながら、ご飯の準備を進めている。

おせち、というものを取り寄せていたようで、お雑煮というのを作り終えるまで

それを摘まんで待っていてほしいとの事。

私は重箱に入っている彩り鮮やかなその中から、不思議な形の食べ物をぱくりと食べてみる。

おお、かまぼこだ。美味しい。

「それにしても、よく寝てたねぇ。今日の夜が初夢になるから、その調子だといい夢を見れそうだね」

「あ、はい……」

私は夢を見ない。

お兄さんにそれを伝えていないから、もちろん知る筈も無く。

「今日はお兄さんの夢を見れたら嬉しいです」

と付け足してみる。

「嬉しいこと言うねぇ。じゃあ僕はサンディの夢を見ようかな。
 あ、お餅は何個ほしい?」

「えっと、六個です」

「いいねぇ、僕は餅あまり食べないから助かるよ」

少々食い意地が張ってしまったような気がしなくもない。

運ばれてきたお雑煮が大きいドンブリに入っていた辺りで、少しだけ後悔した。

そんな穏やかな元日をお兄さんと過ごす事が出来た。

 

260: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:24:28.46 ID:sLz/PBVL0

潮騒の音が聞こえてくる。

気が付くと私は、砂浜に立っていた。

足元には海水が寄せては引いている。

私の来ている服装は白いワンピースに麦わら帽子。

随分と肌を露出する恰好だ。

気になって左手を水平に上げてみると、拷問を受けた際に付いた大きい切り傷がなくなっているではないか。

よくよく見てみれば、体に刻まれた鞭の痕が随分と薄くなっている。

ふと後ろから声が聞こえてきた。

私を呼ぶ声なのだろうか。

耳を澄ますと、少年の声が聞こえてくる。

おかあさん、おかあさん、と。

はて一体誰を呼んでいるのだろうか。

そう思いながら振り返った直後、腹部にどしんと振動がくる。

先ほどの声の主であろう男の子が飛び込んできたのだ。

そして私に向かって告げる。

「おかあさん」、と。

なんとなく、腑に落ちる。

よく分からないが、私はきっとこの子のお母さんなのだ。

その子に手を引かれるまま、私は何処かへと足を進める。

どこへ行くのか訊ねてみれば、僕らのおうちへ帰るんだと言う。

おとうさんも待ってるよ、と嬉しそうに言うから、なんだか私も嬉しくなる。

砂浜から歩いて間もない所に建っている白い家。

そこの玄関を開けて、ただいまと男の子は元気に入っていく。

私も、なんとなく、ただいま、と言ってみる。

家の間取りは分からないのに、足の赴くままに進むと、リビングに通じていそうなドアの前まで来ていた。

男の子の声が聞こえる。お母さんが帰ってきたよ、お父さん。

お父さんと呼ばれた人は答える。よし、じゃあ二人で出迎えようか。

私は恐る恐る、そのドアを開ける。

そこには。

「おかえり、サンディ」

お兄さんが、その男の子を抱きかかえて、私を迎えてくれた。

 

261: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:32:21.46 ID:sLz/PBVL0

ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。

目覚まし時計のアラームが枕元で鳴っている。

私はむくりと起き上がり、寝惚けた頭でおもむろにそれをオフにする。

横を見ると、とても気持ちよさそうな顔でお兄さんが寝ていた。

いったい何の夢を見ているのだろうか。

良い夢だといいな、と思ってしまう。

顔を洗うために起き上がろうとしたその時、ふと頬が濡れているのに気付く。

何故に私は泣いていたのだろう。

原因を思い出そうとするが、分からない。

ただ、なんとなく、幸せだった事は分かる。

潮騒の心地良い港町で、不思議な男の子に出会っていたのだ。

ああ、なるほど。

私は夢を見たのだ。

――あれはきっと、初夢だったのだ。

 

 

262: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:34:45.89 ID:sLz/PBVL0
読んで頂いてありがとうございます。

とりあえず、第一部完という事で。

【エンディング曲】

https://www.youtube.com/watch?v=A-D3pRQMiNw

 

263: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:49:58.57 ID:hyUP4s/FO

初夢が正夢になるかそれとも別の幸せを見つけるか…
サンディにはどんな形でも幸せになって貰いたい
264: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 05:58:16.99 ID:53AlL6imO
乙、貼ってる歌の出だして泣きそうになった
初夢は誰にも喋らなければ叶うというジンクスがあるぞ
266: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/12(火) 15:33:11.09 ID:sLz/PBVL0
乙レス、感想など有難うございます。嬉しい限りです。

「虐げられてきた者が夢見る少女に変わるまで」という当初の脳内目標までは書けました。

スレはこのまま残して二人の幕間などをつらつら綴ろうとも思いましたが

内容的にキリも丁度良い頃合でしたし、一旦ここで〆ておくことにします。

次回作、または探偵と元奴隷の小話続編でお会いしましょう。

重ね重ね、お時間をかけて読んでくださって本当に有難うございました。 依頼を出してきます。

269: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:09:58.48 ID:DwkAWVf50

【番外編~秘密の探偵物語~】

ここは喫茶店、リーブル・ド・イマージュ。

フランス語で絵本という意味らしい。

僕は今この店のカウンター席に座り、モカマタリを堪能している。

芳醇な味わい、コクと深みのある香り。苦みすらも愛おしい。

マスターの淹れるコーヒーは間違いなく一級品だ。

店に来てから注文以外に言葉を交わさず、各々が思い思いの時間を過ごしている。

顧客と店主の距離感としても最高だ。

彼から情報を買う以外にも、普通に客として足繁く通ってしまうのは不可抗力というものか。

 

270: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:11:14.05 ID:DwkAWVf50

人は沈黙を恐れる生き物だ。

しかして、僕とマスターは言葉を交わさずとも互いの心情を理解する仲だ。

彼はいま背中を向けて食器の手入れをしているようだが、

その後ろ姿の哀愁から察するに、さも人生の何某を僕に向けて語りかけているのだろう。

彼はふと磨いていたコップを置き、僕の方へ振り返る。

そしてこう告げた。

「一杯のコーヒーで三時間も粘る客に語る言葉なんてねぇよ」

どうやら今までのモノローグは口から全部出ていたようだ。

長い時間をかけて飲み干し、もはや水滴ほどしか残っていないコーヒーを無理やり啜る。

ハードボイルドは何事も冷静に。

恥ずかしさを誤魔化すことすら一流なのだ。

 

271: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:12:52.43 ID:DwkAWVf50

さて、そもそもどうしてコーヒーをこんなに時間かけて飲んでいるのか。

理由は二つある。

「そういや、今更だけれど例のお嬢さんは一緒じゃねぇのか」

「ああ、彼女は事務所でDVDを見ているよ」

アメリカの孤児院から届いたビデオレターを改めて見たい、と

今日の昼飯の最中にサンディから頼まれたのだ。

彼女にDVDプレイヤーの使い方を教えてあげた後、

その間に僕は野暮用を済ませると嘯いて外出することに。

たぶん僕がいると気を遣うだろうから、ゆっくり一人で見せてあげたかったのだ。

他にも自分の部屋にあったサンディでも見れそうなお薦めDVDを渡しておいた。

探偵物語、探偵はBarにいる、名探偵コナン、ジュマンジ。

我ながらチョイス的には一部の隙も無い完璧な布陣だろう。

そして時間をかけているもう一つの理由。

財布を忘れてしまった事をどう伝えればいいのか悩んでいたのだ。

 

272: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:14:27.34 ID:DwkAWVf50

もはやコーヒーから醸し出されていた湯気すらも飲み切っているような気がする。

ここは正直に言ってしまうか。

「マスター、申し訳ない。財布を忘れたから今回だけツケといてもらえないかな」

「はぁ? 仕方ねぇ奴だな、この赤貧ポンコツ探偵は」

頭をがしがし搔きながらも、マスターは了承してくれた。

有難い。なので言葉の後半部分は聞かなかった事にしよう。ハートには効いているが。

「支払いはトサンで待ってやる」

「十日で三割は暴利すぎるよマスター」

「馬鹿言うんじゃねぇ、十秒三倍だ」

「馬鹿言うんじゃないよ、ゲイツですら破産するわ」

 

273: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:15:40.88 ID:DwkAWVf50

それから僕とマスターは時間を縫い合わせるかのように会話に興じる。

最近の景気、前所長の話、春先に店に置く植物の話、などなど。

その中で、二人の癖について話題が飛んだ。

「マスターって何だかんだ承諾してくれるときって頭掻く癖ありますよね」

「ああ、まぁそりゃこんだけ生きてると色んなもんが染み付いちまうのよ」

「そんなもんですか」

「そんなもんだ。そういやお前も色々と癖あるよな」

「曲者なので」

「十秒五倍な」

「大変申し訳ございませんでした。それで、僕の癖のことですか?」

そう言いながら、ツケにかこつけて追加注文していたコーヒーを軽く啜った。

「癖といえば、お前たしか自分の好きな映画のケースにエロDVD隠してるとか言ってたな。
 年端もいかない同居人がいるんだったら、その癖を早く治しとけよ」

それを聞いた瞬間、飲んでいたコーヒーの手が止まる。

少し間を置いて全身の汗が一気に噴き出した。

探偵物語がクロだった。

 

274: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:18:20.25 ID:DwkAWVf50

嫌な予感が確信に変わる前に喫茶店から出て、急いで事務所兼自宅へと戻ってきた。

「……た、ただいまー」

何故だか小声で帰宅を告げてしまう。

やましい事は無い筈なのに。たぶん、おそらく、きっと。

「……おかえりなさい」

玄関先で出迎えてくれたのは、両手を腰にあてた仁王立ちのシルエット。

もとい、顔を真っ赤にして涙目になりながら、ぷくっと頬を膨らませているサンディだった。

“ぷんぷん”という擬音が聞こえてきそうな動作からしてご立腹の様子だ。

傍からみれば只々可愛いだけなのだが、それこそご愛嬌というものか。

 

275: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:20:31.71 ID:DwkAWVf50
さて、弁明を考えよう。

こういう時だって狼狽しない。あくまでクールに。

冷静沈着、頭脳明晰、奇想天外、四捨五入だ。いけない混乱している。

もしかしたら例の案件を見ていないかも、という一縷の可能性に賭けて

目の前の可愛い同居人の第一声を伺うことに。

肩をぷるぷる震わせながら、サンディは呟いた。

「………………おにいさんの、えっち」

次の瞬間には土下座を決め込んでいた。

最速で適した回答を出せるのもハードボイルドが成せる技なのだ。

とりあえず今日の夕飯、少しだけデザートを豪勢にせねばなるまいて。

 

276: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/14(木) 01:21:21.64 ID:DwkAWVf50
スレが落ちる前のエクストラとして小話を。
もし続編があるなら、こういう感じのゆるい話も増やして行きたいなと思います。
281: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/15(金) 21:42:11.79 ID:dA6Qgnz90
>>1の作品ほんとすき
昔からずっと追いかけて見てる
また書いてください
283: 以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします 2017/12/20(水) 02:24:31.05 ID:32QB0K5q0
タイトルと内容に惹かれて一気読みしてきた。素晴らしすぎる、乙です

と、ところで続きは……続きはないんですか……!


元スレ
タイトル:男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】
URL:https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1509966048/
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